第3話 棘
店の外に出ると既に蒸し暑い空気が身体に覆い被さる様に纏わりついてくる。6月下旬という夏の片鱗を感じさせる様な熱気に加え、昨晩降った雨がこの粘度の高い暑さを生み出していた。頭から脚までカビがモコモコ生えてきそうなほどだ。
「いやぁーあっついねー!もう夏かぁ」
ほぼ同じタイミングで佐々山が店から出てきた。
「お疲れ様です、佐々山さん」
「勢弥くんもお疲れさん。はいコレ」
佐々山が俺に差し出したのは缶ジュースだった。
「これ…試飲とかですか?」
「違う違う、私の奢り。今日勢弥くん色々頑張ってたなぁって思って」
「奢りだなんてそんな…別に大丈夫ですよ」
「いいっていいって!ほらほら」
「…じゃあ、ありがたく」
そもそもタスクの大半は佐々山が処理してたし、俺はその後ろで腰巾着の様にくっ付いていただけだ。
この人は一体どこまで低姿勢を貫くのだろうか。
受け取った缶ジュースに付着した水滴が俺に纏わりついた熱を退けながら、掌から冷気を伝えていく。
冷たいオレンジジュースは温くなった水とは比べ物にならない程美味く、乾いた喉を潤していった。
「いやー沁みる…ていうか最近ちょっと暑過ぎない?6月下旬ってこんなだったっけ?」
「たしかに暑いですね。特に今日は蒸し風呂みたいな感じです」
「そーそー!頭からキノコ生えてきそうな蒸れる感じの暑さ」
「あぁ…キノコ。たしかにそうですね」
メルヘンチックだ。そんな感じで俺も軽くラフに生きていたいものだ。
「あー…佐々山さんって大学の学部なんでしたっけ」
会話をどうにか続ける為に無難な質問をぶつけてみる。
「国際文学部だよ。私世界遺産好きだし、英語も好きだし…あ、あといつかフランス行きたいなぁって」
「フランスですか。確かに綺麗ですよね、凱旋門とか…」
「そうそう、他にもクロワッサン美味しいし!」
「あぁクロワッサン…いいですよね」
「あ、勢弥君もそう思う?」
人の事を言えたものではないが、佐々山はどこかファンシーな雰囲気というか不思議な面があった。偶にこうして帰り道に鉢合わせる事などが度々あったが、その都度佐々山は突拍子も無く変な事を話す。
「大学とかって、楽しいですか?」
「んー楽しいよ?講義は偶につまんないけど、放課後は友達とどっか遊んだりもできるし」
「そう、でしたか」
それでも友人とそれなりに付き合いがある時点で、彼女のこの不思議な一面すらも俺と会話する為に作られた1つの性格なのではないか?
…という事は普段見せているあの性格が佐々山の本性なのか?
「…威崎君はあんまり?」
佐々山は申し訳なさそうに俺に訊いた。自分の生活が充実しているという自覚があるんだろう。
「俺は…楽しいですよ。友達は沢山いますし。 講義は退屈なものと割り切ってますから不満はないです。あるとすれば…距離が遠いとかですかね」
「そっかー。勢弥君のバイト来る時の顔思い出してさ、ちょっと悪いこと聞いたかもって」
「顔…ですか?何か変なところが?」
「いや、変って訳じゃないんだけどさ。なんていうか…こう、げんなりしてるから」
げんなりしてる?俺が?
「げんなり…」
「あーごめんごめん!悪い気は無いの!ただ、なんていうか店に来る時っていうか…1人のとき、たまに凄く暗い顔してるからさ。なんか疲れてるのかな?って」
「あぁ…そういう」
いやどういう事だ。
「俺は別に大丈夫ですよ。ただまぁ…バイトが憂鬱だなぁって感じでほんの少しだけ疲労が溜まってるなと」
「あ、そういう事だったかー。ごめんね余計なお節介だったよね」
「いえ、全然。でもアルバイトなんてそんなものじゃないですか。佐々山さんみたいに愛想良い人って本当が珍しいんですよ」
「私は別に…んー…」
外向的でポジティブな性格の佐々山が考え込む姿を見るのは初めてだった。
「まぁなんていうかな…難しい事なんだけどね、『当たり障りの無くて棘の無い性格』って自分が思っている以上に周囲に溶け込み易い感じがすると思う。だから極力私もフラットな感じで、他の人とは接してみようって試したことあったんだ。ほら、そっちの方が問題は起きにくいしさ?」
「棘は…佐々山さんには無いと思うんですが」
「あーそれは多分毒かな。"毒づく"の毒。ここでの棘っていうのは性格の偏りのことだよ。よくある性格とかステータスの六角形みたいなの。勝手に私が名付けてるだけ」
「あぁ、なんか漫画とかでよくある能力値の可視化のアレ…ですかね?」
「そそ!…分かりづらくてごめんね」
そう話をする佐々山の顔には曇りが垣間見えた。
「…自分でもね、自覚はしてるけど私って結構ポジティブだと思うの。でもそれは大して良いことじゃなくって寧ろ能天気とも取れるし、危機感に欠けてる人間とも取れちゃう。ほら、自分が上手くいってない時とかに"大丈夫?"とか言葉だけの心配されても、イラってするじゃんか?だから、棘…下手に尖った性格なんて本来はへし折っておいた方がね、無難な感じに落ち着くと思うの」
佐々山はジュースを飲み、一呼吸おく。
「…でも、私はそういうの出来なくてさ。他人のことまで考える余裕無かったんだ。だからコミュニケーションの時とかはもうなんていうか、素で話したい様にはなして、やりたい様にやって…困ったら取り敢えず役に立つ事しとけば良いかなーって。私らしい薄っぺらい考え方だけどね、勢弥君には多分それが偶々噛み合って良い感じに見えてるだけだよ」
「…佐々山さんは、そういう雑務を引き受けるのは嫌じゃないんですか?見返りとか何も無いのに…」
「んー、私は他人の役に立てればそれで十分…いや、雑務とかは"役に立ってるな"って思えればそれで十分かな。たまたま自分の無意識な行動と相手の目的が合致してるだけで、自己満足の延長線上だよ」
「そう…ですか」
「だから私、勢弥君のこと結構尊敬してるよ」
「えっ」
唐突過ぎる賞賛に思わず感嘆詞が口から漏れた。
「勢弥君って誰ともいい感じに接してるじゃん。会話も偶に小耳に挟むけど流暢だし。それってかなり凄いことだと思うよ、私は」
「凄いこと…あんなのは、ただ口から咄嗟に出た単語を並べてるに過ぎないですよ」
「それって素でやれてるってことじゃない?めちゃくちゃすっごいと思うんだけどなぁ」
こんな事が凄いのか?流暢といっても、終わりそうな会話を場に合わせて無理矢理延命させているに過ぎないし、店長の評価も佐々山の方が圧倒的に上だ。
「でも佐々山さんが模範的な人間って結構耳にしますよ。佐々山からすれば自己満足とかで済んでいる行動も他人から見れば善意の具現化みたいなものですし」
「あー…うん。模範的…」
そう呟く佐々山の表情は触れられたくない部分に触れられたような苦笑だった。
「その、さ…まぁ、もしだよ?もし勢弥君が、さっき言った棘の無い性格を無理矢理演じてたりしたら…いや、人は誰しも他人に気遣うんだけどもね…」
言葉を露骨に選びながら話す佐々山。文が濁っている。
「大丈夫ですか?」
「…無理とか、してない?」
佐々山は歩みを止めてこちらを見た。
「無理、と言いますと?」
「凄く我慢して、態々気遣ったりしてるんじゃないかなって。」
「我慢…まぁ、そうですね。ほんのちょっとはあると思います。ちょっとだけ。でも別に苦ではないですよ。社交辞令は社会人になるにあたって重要なものですから」
「あんまり溜め込んでたりして、いつか急に弾けちゃう人とかいるからさ。勢弥君から直接聞けてよかったよ」
「ストレスとかならゲームとかで発散してるんで貯蓄は0です」
「あははそっかぁ、良かったよそれなら」
佐々山はいつもの様な弾ける笑顔に戻った。それは真夏の向日葵の様な明るさで、先程の様にくぐもった表情は一片たりとも見えない。
これだけ容姿端麗なら大学でも友人が多い訳だ。それも恐らく表面上の有耶無耶な繋がりではなく、相手側からして親友という立ち位置にいるのだろう。
「じゃあ、私この先の駐輪場に行くからーまたねー!」
「佐々山さんお疲れ様でした」
結局、別れ際まで佐々山は笑顔を絶やすこと無く雑談をし続けてくれた。様子から察するに気まずさが嫌だ、とかではなく単にああいう喋るのが好き、或いは自然体がアレなのだろう。
街灯が照らす道を小幅で歩きながら、先程言われたことを追想した。頭からも離れないので、思い浮かべる以前に染み付いてしまっている訳だが。
『無理しているのか』
そして佐々山も無意識だろうが誤りを言った。
確かに棘の無い性格…尖っていない性格は普遍的で周囲に溶け込み易い。
だがそれは自分の棘…個性を出来る限り溶かし、他者との隙間に入り込んでいるに過ぎない。
この方法を使えば、確かに側から見てもそのグループ内でも属している様に見える。だが、他の人間が棘を歯車の如く噛み合わせている中、自分は溶け続けていき、いつしかそのグループから必要ではなくなってしまう。
少し考えれば当然のことだ。自我がない人間など特別な存在価値は別に無い。必要かもしれないが必須では無いというやつだ。
それでも俺は自ら棘を引っ込めることを選んだ。他者との棘を試しに噛み合わせ、他者にその個性を折られてしまうことだってあるのだ。どうでもいいやつに自分を否定されるくらいなら、自分から他人に合わせた方が楽だ。予め孤立が予測出来るなら、そのグループ内にいる内に他グループとも繋がりを作っておけばいい。
折れるより、そうやって自身を溶かして引き延ばしてあらゆる人間と接点を作り、逃げ場を増やせばいい。
それと佐々山。俺もお前に虚偽を述べた。
俺は死ぬほど我慢してる。




