第2話 ビジネスフレンドリー
午後の講義は製図だった。実に不愉快な顔をしながら、教卓に立つ講師の渡部を前にして、製図台に腰を下ろす。
今回の題はプーリーの製図。見たところ今日中には終わりそうだろうか。
「いや面倒くさっ…しかもこれ来週も時間とるんだろ」
「だよなー。どーせ16時まで残るんだし寸法線だけ書いときゃいいだろ」
製図の講義をする度に、周囲から不満が漏れ出すが、皆敢えて口に出している様に見えた。
この講義が憂鬱なのは、単純に書くのが面倒だというのもあるだろうが、自分達が苦労して仕上げた製図をどこぞの小太りの中年にぶつくさ文句を言われるという点が大きいのだろう。
俺からしても正論を伝えてくれるのはありがたい話だが、神経を逆撫でする様な遠回しの喋り方が鬱陶しいというのは確かにある。
それでも、知識を享受出来る有難い機会を態々設けてもらっている訳なので、こちら側は頭を下げる他無い。
「チェックお願いします」
出来上がった図面を渡部へと見せる。10秒ほど眉間に皺を寄せながら舐める様に見渡した後
、渡部は図面を机に置いた。
「なぁ、どこが違うか分かるか?」
始まった、と心の中で感嘆する。開口一番、嫌味ったらしい口調で咎める様に俺に訊いた。
「…えと…あ、端末記号の未記入…」
「ここ、何?」
察せよ、と言いたかったが堪える。渡部が苛立ちながら図面上で指を貧乏ゆすりの如く動かす。
「穴は塗り潰さない」
「……あぁ、はい」
渡部は添削箇所を丸で囲み、投げ捨てる様に図面を俺に返した。
「指摘ありがとうございました」
その礼に向こうは特段反応を示す事なく、俺の背後にいた生徒の添削を始めた。そして席に着く前にまた鼻につく様な口調の説教が聞こえてきた。
渡部はどうしてあそこまで苛ついているのだろう?何故"ありがとうございます"と言われるのがさも当然といった顔をしているのだろう?
いや、そもそも何故俺はこんな人間に礼を言っているんだろうか?
次の日、昼休み中友人達と昼食を食べた。くだらない会話を添えながら。
「そうそう!ソイツさぁ、俺よりダメージ出してなかった癖にえぐいくらい文句垂れてくんの。やばくね?」
「荒らしだろ荒らし。通報すればbanしてくれる」
「やっぱなぁ…深夜帯はダメ。変な奴多いわ」
会話の内容はとあるFPSゲームの話だった。去年の夏休みの一時期、自分も文字通り朝から晩までやり込むほどハマっていたがやる気は徐々に消えていき、学年が上がってから全く手を付けていない。
だが俺以外の4人は未だにブームの最中らしく、特にその中でも上屋はこうして頻繁に話をしたり、グループメッセージ内でもゲームの画像をあげたりなど完全にのめり込んでいた。
「まぁ上屋やっぱ上手いし嫉妬でしょ。俺もよく出会すわそういうトロール」
「だよな!?威崎もそう思うよなぁ…マジ腹立つわ昨日の奴」
適当に相槌を打ちながら上屋を煽てる。話の趣旨は全く理解できないので、ただの自慢話にしか聞こえない。友人との付き合いとしてそれが必要投資の様なものという事は理解しているが、結局の所聞くに耐えないものである事に変わりはない。
だが、他の3人が自然と会話が出来ているので、もしかすると俺の感受性の方がイカれてるのだろうか?
「そういえば最近学校で新しくカフェ出来たってさ。聞いた?」
「あーあれ?5号館の1階のとこの。俺行ったよ。コーヒーとケーキ食べて来た」
「え、マジで?どうだった?上手い?」
「いや普通。可もなく不可もなくって感じ。リピートはたまにするくらいでいいかな。まぁ甘いもの食えば頭さっぱりするらしいし、テスト期間に来てやってもいいかな」
「よくある量産型か。まぁじゃ俺も行かなくていいかな」
上屋の横でソフトクリームにありついていた与束がカフェをレビューした。俺もその場所に同行したが、お前は美味そうに食べてただろ。そもそも上屋達もカスタードとホイップの違いすら分からなかった奴の評価をアテにするな。
「威崎も確か一緒に行ったよな。何食ってたっけ」
「あー…苺のムースケーキだったかな。結構美味かったよ」
「はぇ苺か。女子みたいだな」
「それくらいしか残ってなかったんだって。でも味は結構良かった」
「まぁスイーツ通の俺からすると、この間駅前で食べた揚げドーナツがさ本当に美味くて…」
『友人』というのはゴミみたいな話を流し続けるスピーカーの事を言うのだろうか。
…いや、他の3人が談笑している辺り俺がズレているんだろう。
合わせるべきだな、俺は。
そしてもう少し気を使うべきだ。
* * *
夜7時過ぎ、バイト先に行くと佐々山が相変わらず働いていた。行く度行く度いるのは気のせいだろうか。
「…おはようございます、佐々山さん」
「おっ、おはよう勢弥くん。今日もご苦労さん」
「…それ、自分に言ってあげて下さいよ。これで何連勤ですか?」
「んー…言うても今週は5日くらいだよ?9時間が1日と他6時間」
「1回の労働が結構重いですね…」
「入ってるのも客の入れ替えが少ない深夜帯だし全然だよー。過大評価だって」
「お疲れ様ですホント」
「あははーありがとー」
この人と話しているとどうにも波長が狂う。この他人を労る言葉が自分の本心からの言葉なのかどうか分からなってしまう。川内には間違いなく脳を殺しながら口を動かしているだけ、と断言出来るのに。
そんな事を考えながら、裏方でエプロンを着ていると扉が開いた。当の本人だった。
「お疲れ様です、川内さん」
「はいおつかれさん」
他に何を話す訳でもなく、俺はホールに出ようとした。
「あ、威崎くんちょっと、これ片していて」
去り際、川内は放ってあった段ボールを俺に渡した。独特の匂いが鼻を刺す。
「あ、はい…すみません、わざわざここまでまとめてくれて」
「いえいえー。んじゃよろしく、俺これで上がるから」
「…お疲れ様です」
そのまま鼻歌を歌いながら、川内はサンダルに履き替え裏口から出ていった。
残った俺は油が染み付いて柔くなった段ボールを暫く眺めた。
すぐに職場に戻らなければならない事を理解はしている。今こうして突っ立っている間に客は注文をしてくるだろうし、佐々山がフロア内を駆け周っているのだろう。一刻も早く手伝わなければならない。
ただ、数秒前に自分が言った言葉が足に絡み付く様に行動を阻害する。
「あれ威崎くん、どうしたの」
「あっ…いえ」
まかない料理を持った薪浦が気付けば背後にいた。香ばしい香りが油が染み付いたダンボールの匂いを中和する。
こんな所で結論を出してもどうにもならないので、振り払う様に頭を空にして、足早にその場を去った。
時計はほぼ10時を指しており、客も遅めの夕飯を食べる家族連れや老夫婦から、学生やドリンクだけを頼みノートパソコンを眺めるサラリーマンへと切り替わっていた。
そんな変化の無いホールを眺めながら、俺は客を観察する。
今いる窓際席にドリンクバーだけ頼みながら、参考書を広げている学生は数ヶ月前から1週間に一度、平日のこの時間帯に必ずやってくる。赤本が混じっているのと、ネクタイを付けた高そうな制服を着こなしている辺り、私立の受験生だろう。
ドリンクバーと席を仕切る壁近くの席に座っているあの主婦は、前の週の週末には家族連れで入店している。その時は小盛りのサラダと適当なライトミールだけ頼んでいたり、とかなり控えめな食事だったので、今貪る様に食べている大盛りのパフェは普段我慢している自分へのご褒美、といった所だろうか。
「勢弥くんもうそろそろ上がっても大丈夫だと思うよー。夜間組の人たちも早めに来てくれたし」
そんな人間観察の最中に、佐々山が昼間組の退店チェックリストに書き込みながら言った。
「佐々山さんも10時までですけど、あがらないんですか?」
「もうちょっとだけやってからすぐに行くよー。先に行っちゃって全然大丈夫だからさ」
「あ、それなら自分も…何か手伝いますよ」
「んー…あ、じゃあ9番テーブルの所お願いしようかな。さっきお客さん帰ったばっかりだったからやれてなくて」
「了解です、じゃあちょっとやってきますね」
任された9番テーブルを終業までの時間稼ぎとして悠長に掃除する。その間、佐々山を一瞥すると入店時に見た時と大差なく仕事に勤しんでいた。
そんな佐々山を見ながら俺は彼女が愚かだと感じた。
上っ面だけの偽善を振り撒き、頼み事も適当にこなして万が一指摘されれば謝り倒せばいい。それだけで十分だ。
人間関係も大概イエスマンで同調しておけばいい。
なのに彼女は、頼み事や面倒ごとに自分から顔を突っ込んでいく。それがクレームの対処だろうが、繁忙期で不機嫌な店長とのシフト調整の話だろうが見境無しに。
そんな事に敢えて関わろうとする佐々山が自分の目には心底愚か者に写るのだ。




