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イナンナは翌日10時にホテルにやって来た。ラウンジでイナンナと会った日向は、彼女の浮かない顔を見て、楽観的な期待を捨てた。彼女は、鞄からこげ茶色のノートを取り出し、テーブルの上に置く。
「昨日、夜遅くまでかけて、ノートの隅々まで読んだわ。」
投げやりな言い方だ。
「お疲れ様。君の努力に感謝するよ。」
自分の苦労を誰かに分かってもらいたい気持ちを察して、丁寧に賛辞を返す。
「このノートは、フィンのケルトに関する研究ノートだったわ。彼のケルトマニアっぷりは、知っているでしょ?それは、ヒューの想像以上に病的よ。」
まただ。ケヴィンについて話すイナンナの言葉には、いつものイナンナの印象からは想像できない程、批判的な感情が露わになる。
日向は、イナンナが置いたノートを取り上げる。パラパラとページを繰りながら、イナンナの説明の続きを聞く。
「最初は、恐らくフィンがまだ少年だった頃に、このノートを書き始めたんじゃないかしら。幼稚な文字、拙い文章で、彼の実家の近くにある遺跡について調べた内容を書いているわ。その後も、イギリス中のドルメン、メンヒル、ストーンサークル、羨道墳…ありとあらゆる古代遺跡を訪ねて、ケルト人の偉大さに結び付けようとしている。…正直、途中で読むのが苦痛になったわ。」
イナンナは、思い出すのも嫌だと言う口調で吐き捨てる。
ドルメンとは、数本の巨大な石を立てて、その上に、これまた巨大な石を屋根の様に載せた石器時代の遺跡だ。メンヒルは地上に立てられた巨大な1本の石の遺跡。羨道墳は、土を盛った墳丘の側面に、中へと続くトンネル状の通路が設けられている墓だ。日向にとって、そのどれもが、ケヴィンからしつこく教えられた事柄だ。
「でも、みんな凄い遺跡なんでしょ?」日向が口を挟む。「フランスにあったメンヒルには、高さが20m以上、重さが300tを超えるものが有ったって聞いたよ。そんな物を立て並べられるだけでも、相当偉大だ。」
「時代考証がなってない。」
イナンナは面倒臭そうに言う。
「そうなんだ。」
「それらの巨石遺跡が作られたのは石器時代。今のケルト人の祖先がブリテン諸島に侵入して来たのは、その後の青銅器時代。」
「成る程、時代が合ってないんだ。」
「フィンがそれを知らなかったとは思えない。多分、このノートを書き始めた頃のケヴィン少年は知らなかったのでしょう。けど、途中で知った筈…。このノートを読むと、そんな定説ごとひっくり返そうとしているのが分かる。」
日向の脳裏に、ブリテン諸島に残る遺跡について熱く語るケヴィンの姿が思い起こされる。
「年齢が上がるにつれ、調査範囲がブリテン諸島全体に広がり、ヨーロッパ本土にも出掛けている。…そして、最後は、ストーンヘンジ。ストーンヘンジに、数字の12とケルト人を結び付ける手掛かりを探している途中で、ノートの記述は終わってる。」
「内容はそれだけ?」
「ええ。」
「何か気になる所は無かった?」
「このノート、3分の1くらいはまだ使われていない。終わりのページから数枚、切り取られた跡がある。」
「え?」
日向はノートの裏表紙を目一杯開いてみる。紙が綴じられている根元近くから、カッターの様な鋭い刃物を使って、丁寧に数枚のページを切り取った跡が残っている。
「これ…。」
日向は言い掛けて口をつぐむ。
「いつ切り取られたのか判らないからはっきり言えないけど」日向が状況を理解したと察して、イナンナは言葉を足す。「そこに何か鍵になる書き込みがあった可能性はある。でも、自分が大切に記録していたノートに、わざわざ後ろから書き込む内容って何かしら。」
切り口は新しい。その上、切り取った時期も揃っている。メモ用紙が見付からない度に代わりに切り取ったにしては、揃い過ぎている。
ケヴィンは、自分がケルトの末裔だと言う事を隠していなかった。むしろ、それが自慢であるかの様に日向にも話した。なら、何故、このノートを隠す必要があったのだろう。イナンナが説明してくれた様な内容なら、見られたところで、何の不具合も無い。…揶揄われるのが嫌だった?例えば、日本の中学校にあたるセカンダリ・スクールの頃からこのノートを付けていたとして、同級生にそれが見付かってしまう。『お前、なに陰気臭い事やってるんだよ』などと揶揄われて、それがトラウマになったとか。ガキは相手の気持ちなんか考えずに行動するから、有り得そうなシチュエーションだ。ケヴィンのプライドは酷く傷付くだろう。…でもやっぱり変だ。ケルトマニアの趣味は隠さないのに、ノートだけ隠すのは理屈に合わない。小さい頃からそんな趣味していたと知られたら、ドン引きされるんじゃないかと恐れていた?…いやいや、ケヴィンはそんな繊細な神経の持ち主じゃない。もっと別の所に原因がある筈だ。そうなると、この切り取られた部分に元々何か書かれていた事柄があって、それを人に見られない様にしていたと考える方が理に適っている。でも、今となっては確かめようもない。
「もう、それは判らないよ。せめて、書かれていたのが、今回の件とは関係の無い内容であってくれと祈るしかない。」
イナンナが冴えない表情になる。
「兎に角」気持ちを立て直そうと、日向が話す。「今、手にしているノートから得られる情報で、できるだけの事をしよう。短絡的な考えで投げ出してしまっては、後悔する事だってあるさ。」
日向は、ノートのページをめくりながら考える。このノートはケヴィンの思いが凝縮された物だ。自分はケルト人、そのケルト人の偉大さを証明するための研究…。
「ケヴィンがストーンヘンジや12に注目し始めたのは、いつ頃からなんだろう。」
日向が一人考え込んでいる間、腕を組み、目を閉じていたイナンナが疲れた視線を日向に向ける。
「そのノートの記述には、日付が書かれてないから分からないけど、ストーンヘンジや12についての記載が出てくるのは、最後の数ページよ。」
日向は、文章が書かれている最後のページから順に遡ってみる。ページ数で4ページ。50ページ以上書き溜めた全体からみれば僅かだ。
「大学進学で、北アイルランドからイングランドに出て来て、ストーンヘンジを調査し易くなってから始まったって感じかな。」
「そんなところかもね。」
ケヴィンの記述の最後だけ、目を通してみる。
『ストーンヘンジに12を表す遺構が無いのは、意図的に隠されているからかも知れない。12は神が与えた神聖な数だからこそ、恐らく特別な形で表されたのだ。ストーンヘンジでは、ケルトの民に力を与える12にまつわる儀式が行なわれた。だから例えば、儀式を行なう聖職者たるドルイドの人数を12人とし、12の神器を使って執り行なう。ああ、どんなに厳かで壮麗な儀式だった事だろう。だが、こうして頭の中で思い描くだけの日々はもう終わりになる。僕は更に一歩真実に近付く。12の真理に繋がる尻尾の先は、目の前に見えている。数日後、きっと僕は希望に満ち溢れているだろう。』
ドルイドは、ケルト世界で尊敬を集めた聖職者だ。勿論キリスト教とは関係ない。キリスト教世界から見れば、妖しい術を使う呪術者と見做されてしまう…と、ケヴィンが教えてくれた。それにしても、また12か。ケヴィンは12に特別な意味があると拘っているのだから、しょうがない。
「フィンの失踪に」日向は、ノートを閉じて、テーブルに置きながら話す。「このノートに書かれている事が関係しているなら、新しい記載程関係している可能性が高いんじゃないだろうか。ナンはこのノートの最後の文章をどう解釈した?」
「きっと、ストーンヘンジにおける12という数字について、新しい解釈を何か思いついたのよ。それで、それを検証しようとしていたってところじゃないかしら。」
「そうだね。僕も同じ様に思った。」
「それが失踪した原因なの?」
「直接的じゃなくて、間接的な原因かも知れないよ。例えば、新しい解釈につながる何か証拠を探しに遺跡に出掛けて、穴に落ちて身動きが取れなくなっているみたいな、行った先でアクシデントに見舞われたのかも知れない。」
「そうね。」
イナンナの反応は芳しくない。視線を逸らし、何か考えている様だ。
「フィンが、何か調査に行くとしたら、どこだと思う?」
「え?」声を掛けられて、我に返ったイナンナが日向を見つめる。「何?」
日向はもう一度同じ事を問い掛ける。
「それは…」イナンナは少し考えてみてから口を開く。「ストーンヘンジじゃないかしら。」
「うん。僕もそう思う。他の場所は、ノートの最近の記述に登場して来ない。僕にはそこしか思い付かないよ。」
「あ、ちょっと、待って。」
イナンナが片手をあげて、日向の話を制する。何か思い付いたに違いない。日向は期待して彼女の次の言葉を待つ。
「ストーンヘンジの近くに、ストーンヘンジと関係すると思われる遺跡が発見されたの。遺跡そのものは、随分前から知られていたのだけれど、それが、ストーンヘンジと同時代の物で、互いに関連していると分かったのは、最近の事よ。」
「成る程。フィンは12に繋がる新しい証拠を求めて、その遺跡を見に行ったのかも知れない。」日向は何だかワクワクしてくる。「早速、そこに行ってみよう。何かヒントが得られるかも知れない。」
「穴に落ちたフィンが見付かるとか?」
イナンナが悪戯っぽく微笑む。日向は彼女の冗談に乗る。
「兎の穴を探そう。もし、フィンが落ちていたら、一気に解決だ。」
遺跡の名前はダーリントン・ウォールズ。ストーンヘンジの近くの街、エイムズベリーの北、ストーンヘンジからは北東の方角に位置する。二人はそこまでのルートを確認して、明日ダーリントン・ウォールズとストーンヘンジの両方を見に行くと決めて別れた。




