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次の朝、ホテルに迎えに来たイナンナを見て、日向は驚いた。
短い髪を赤いチェックのヘアバンドで止め、膝丈のフレアスカートは鮮やかなスカーレット色だ。花柄の刺繍が入った白いシャツから透けるブラの線に、つい視線が行ってしまう自分が情けない。
「おはよう、ヒュー。」
イナンナの爽やかな笑顔。急に、日向の胸が騒がしくなる。
「おはよう…、今日は、ストーンヘンジに行くんだよね。」
「あと、ダーリントン・ウォールズにも。」
「えっと…、それじゃ、行こうか。」
レンタカーに行ってみれば、後部座席に籐のバスケットが積まれている。
「ランチ作って来た。」
バスケットを見る日向の視線に気付いたイナンナは嬉しそうだ。
「すごいな…。」
ちょっと待て、ちょっと待つんだ、日向。自分達は何しにストーンヘンジに出掛けるんだ?
日向の戸惑いに気付かないのか、イナンナは上機嫌で車を発進させる。
「ナン、今日はとっても楽しそうだね…。」
助手席からおずおずと話し掛ける。
「そう見える?そうかもね。」
「どうしてかな。」
「何?言って欲しいの?」
「え?言って欲しいって?」
運転するイナンナが、フフンと鼻で笑う。
「二人でドライブするのは初めてじゃない。あ、空港に迎えに行ったのはノーカウント。」
イナンナがウインクする。
「そうか、そうだね。」
それで嬉しい?確かに、日向は嬉しい。ケヴィンには悪いが、イナンナと二人で出掛けるなんて、跳び上がりたいくらいに嬉しい。でも、それで本当に良いのか?
「ヒューは、そうでもない?」
「いや、違う。」日向は慌てて否定する。「嬉しいよ。って言うか、最高。」
「それじゃ、楽しみましょ。遺跡の傍にランチを広げられそうな所があれば良いんだけど。」
「ストーンヘンジは観光客ばかりで難しそうだね。ビジターセンターの周りなら大丈夫かな。」
「そうね、そうだと良いんだけど。ヒューは、サンドイッチなら、中の具は何が好き?」
「え?サンドイッチと言えば、B.L.T…」
タマゴサンドは、日本以外じゃ一般的じゃないんだよな。
また、フフンとイナンナが鼻で笑う。
「結構、オーソドックスね。」
「サンドイッチの種類をあまり知らないんだ。どんなサンドイッチをナンは作って来たのかな…って、そうじゃなくて、ちょっと、この話の前にひとつ確認させてくれ。」
「ん?急にどうしたの?」
「僕は、こうしてナンと居られるのが楽しい。ケヴィンの事は心配でもあるけど、イギリスにやって来たのは、ナンがヘルプを出したからだ。ナンじゃなかったら来なかったよ。正直に言えば、ケヴィンには悪いけど、ケヴィンの件は、ナンと会うための口実みたいなものだ。」
「そう。」
イナンナは気を悪くするどころか、笑顔で運転している。
「でも…、でもさ、ナンは違うんじゃないの?ケヴィンの安否が心配だろ?」
「まあ、そうね。」ナンは小首を傾げる。「でも、フィンの事が心配だったら、四六時中、哀しい顔して居なけりゃならないの?楽しい事は禁止?」
「確かにそんな事はないけど…、僕は、彼氏のフィンが居なくなったのを上手く利用しているみたいで心苦しいよ。」
「え!何ですって?」
イナンナは車を走らせたまま、驚いた顔を日向に向ける。途端に車がふらつく。
「ナン、前、前!」
イナンナは申し訳程度に進行方向にも視線を向けるが、彼女の注意は助手席の日向に向いている。
「ちょっと、今、何て言ったの?フィンが私の彼氏だって言わなかった?」
「ああ…、言った。」
「冗談でしょ、フィンと付き合おうと思った事すらない。なんで、ヒューはそんな風に思ったの?フィンに何か言われた?」
「その…、君達と会った時から、二人は親しそうにしてたから。フィンには何も言われてないよ。勝手に僕がそう思い込んだだけだ。」
「じゃあ、今、誤解を解いて。フィンと私は、同じ大学の友人の一人。」
「御免、勝手に勘違いして。でも、じゃあ何故、こんな手間を掛けてまで、居なくなったフィンを探そうとしているんだい?」
「そうね…」イナンナは真顔に戻る。漸く前を見て落ち着いて運転してくれる。「友達だから、急に行方が分からなくなれば、当然じゃない?」
なんだろう、探る様な言い方。日向の顔を見ないのは、運転に集中しているからだろうか。
「そうだね。僕も、こうしてフィンを探している。彼の力になりたい気持ちは本当だから。」
日向も前を見て黙り込んだ。
ダーリントン・ウォールズは単なる野原だった。本来はダーリントン・ウォールズに付属する遺跡であるウッドヘンジの方が有名だ。ウッドヘンジはかつて木の柱がストーンサークルの様に同心円状に立て並べられていた。今は、柱を立てた穴に木の杭が打たれて、切り株の集まりの様になっている。傍にある駐車場からウッドヘンジを見に行く。ウッドヘンジとは道路を挟んだ反対側に広がる何も無い草原、その中にダーリントン・ウォールズの遺跡が眠っている。そこに遺跡があると知らしめているのは、遺跡に関する説明が書かれた掲示板だけだ。視界に広がるのは、だだっ広い草原とその向こうに所々かたまって見える林。観光客でごった返すストーンヘンジと対照的に、ここを訪れる人は少ない。のどかなイギリス郊外の風景を満喫できる。
来る前に良く考えてみるべきだった。こんな開けた草原で、しかも近くに町があり、幹線道路には常に車が流れている様な場所だ。もし、本当にケヴィンがこの場所を訪ねていたとして、事故や事件に巻き込まれ、この場所から動けなかったのなら、日向達が来るずっと前に誰かが発見している。もし、ここから連れ去られたり、自分の意志で移動したとするなら、この場所になんら痕跡など残っていなくても当然だ。自分達は、一体何を期待して、ダーリントン・ウォールズまでやって来たのだろう。
「ここに、集落があったんだ。」
英語の説明文にある集落の復元予想図と、目の前に広がる草地を見比べても、今1つ想像できない。直径500mの土手と堀で囲われた範囲に、新石器時代終わり頃の住居の痕跡があると言う。だが日向の目の前にあるのは、それこそ本当に、兎の巣穴でもありそうな草原だ。
「この遺跡から東にあるエイヴォン川まで土手と堀で縁どられた通路が通っていたの。エイヴォン川を少し下流に下ると、同じ様なアベニューと呼ばれる通路が川からストーンヘンジまで続いている。考古学者達は、このダーリントン・ウォールズを定住するための集落ではなく、ある時に人々が色々な地方からここに集まって来て、ここから川へ、川からストーンヘンジへと通ったんではないかと想像しているそうよ。」
「つまり、この集落は、儀式のための集合場所で、儀式の当日、専用の通路を通って、川に出て、舟で川を下り、また専用の通路を通って、ストーンヘンジに行って儀式を行なったって事?」
「さあ、何が行なわれていたのかは想像するしかないけど。」
「ナンも、ケヴィンみたいに遺跡に詳しいんだな。」
イナンナはフンと鼻で笑う。
「そうね、彼と同じ様なものかも。」イナンナは、日向を振り向いて、微笑んで見せる。「ストーンヘンジに行きましょ。ビジターセンターの片隅でランチが広げられたら良いんだけど。」
二人は、レンタカーに戻る事にする。
「ダーリントン・ウォールズから直接ストーンヘンジに参道を繋ぐのじゃなく、一度、川を挟むってところに、古代人にとって、何か意味があるんだろうな。」
日向は草に足を取られない様、足元ばかり見て歩く。
「そうかもね。」
「日本人の古い死生観では、生者の世界と死者の世界の間に三途の川と言う想像上の川があるんだ。川が2つの世界を隔てている。死んだ者の魂は、この川を渡って死者の世界に行く。年に一度、夏のお盆と言う時期に、死者の魂が川を渡って故郷に帰って来る。先祖の魂が迷わずに帰って来れるよう、お盆の期間の始めに迎え火と言う火を焚いて目印にする。お盆の最後には、迷わず死者の魂が戻れる様に送り火と言う火を焚く。…さっきのナンの話を聞いて、そんな事を思い出したよ。」
「面白いじゃない。」イナンナは、日向と並んで歩きながら応える。「生と死の2つの世界を隔てるのが川。そう言えば、古代エジプトでは、ナイル川の東は生者の世界、西が死者の世界とされていたと言うわ。ストーンヘンジが死者の世界と関連しているかは分からないけど、きっと、古代プリテン島のホモサピエンス達は、川を介す事で、俗なる世界と聖なる世界を分けたかったのかも知れないわ。」
「話はエジプトまで広がるのか…」
「あら、当然。古代、メソポタミアやエジプトの方が文明の中心。遠い彼方の文明が、この地の古代とも関係しているの。経緯を知りたい?」
イナンナは笑顔で日向を見つめる。この状況、答えは1つしかない。
「ああ、知りたい。」
「良かった。それじゃあ、その内、話してあげる。」
なんだ、今話してくれる訳じゃないんだ。ちょっと肩透かしを食らった気分だ。だとしても、イナンナが上機嫌なら、日向にはそれだけで充分だった。




