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12  作者: 倉谷 梟帥
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4-(1)

 イナンナは空港で待っていた。不謹慎(ふきんしん)かも知れないが、久し振りに実物のイナンナを見て、日向(ひゅうが)の気持ちは舞い上がる。

 彼女は背中まであった栗色(くりいろ)の真っ直ぐな髪を、肩よりも短く切ってしまった。長い髪の時に漂(ただよ)っていた清楚(せいそ)な雰囲気(ふんいき)の代(か)わりに、利発(りはつ)な少女の様(よう)に輝いて見える。それはそれで、素敵(すてき)だ。

「ヒュー!」

 会うなり、イナンナは両手を広げ、日向(ひゅうが)に熱烈(ねつれつ)なハグをする。途端(とたん)、日向(ひゅうが)の周囲を甘い香りが満たす。以前イギリスに居た時だって、こんな事は一度も無かった。西洋人ならば、男女がハグするのに特別な意味は無いだろう。単なる挨拶(あいさつ)。だが、日本人の日向(ひゅうが)にとってはそうじゃない。ケヴィンが行方不明になっていると言う事情を知らなければ、すっかり勘違(かんちが)いしてしまうところだ。

 女の子ってこんなに柔らかいんだ。

 余韻(よいん)に浸(ひた)っている場合じゃない。日向(ひゅうが)は、イナンナがこんなに自分との再会を喜んでくれるのは、それだけケヴィンが居なくなって心細かったのだろうと解釈(かいしゃく)する。

「行こう。」

 イナンナは空港までレンタカーで来ている筈(はず)だ。彼等(かれら)が共に過ごした学園都市は、ロンドンの北30kmに位置している。自動車道を使えば、さして時間はかからない。

 最初にイナンナのメッセージが届いてから、日向(ひゅうが)がロンドンの空港に降り立つまでの数日間、二人は現状についてSNSでやりとりした。だから、日向(ひゅうが)も状況を充分理解している。ケヴィンが居なくなったのにイナンナが気付いたのは、彼が姿を消したと思われる日から10日後の事だった。大学の同期生に訊(き)き回っても、誰もケヴィンが居なくなった理由を知らない。ヒントになりそうな出来事(できごと)もない。そもそもそれ以前から、ケヴィンは時々、大学の講義(こうぎ)を欠席していたらしい。最初の内は1ヶ月に数日。段々(だんだん)頻度(ひんど)が多くなり、最後はむしろ大学に顔を出す事の方が珍しくなっていた。だから、ケヴィンが遂(つい)に姿を消しても誰も気にしなかったし、イナンナの話を聞いても、またその内、何食(なにく)わぬ顔で現れるだろうと言って、真剣(しんけん)に考えてくれる人も居なかった。では何故(なぜ)、イナンナはケヴィンが戻(もど)って来ないと思っているのか。答えは簡単だ。それまでケヴィンのSNSは生きていた。ケヴィンが、大学にたまにしか顔を出さなくなった時期ですら、彼とイナンナはSNSでやり取りする事ができていた。それが遂(つい)にSNSすら不通になった。異変を感じたイナンナがケヴィンを探し始めた時には、ケヴィンが最後に大学で姿を見掛けられてから10日が過ぎていたと言う訳(わけ)だ。

 手掛かりは何も無い。一体どうやって探せば良いだろう。

 日向(ひゅうが)はロンドンへ向かう飛行機の中で考え続けた。勿論(もちろん)、飛行機のシートに縛(しば)り付けられ、身動きが取れない状態で良い考えなんか浮かばない。結局、何のアイデアも無いまま、助けたいと言う気持ちだけでイナンナの前に姿を現している。

「今日はホテルでゆっくり休んでと言いたいところだけど、今夜、ケヴィンのお母さんと会う約束を取り付けたの。一緒に行ってくれない?」

 レンタカーを運転し始めて直(す)ぐに、イナンナが説明を始める。ケヴィンの実家に連絡をしたのはイナンナだ。恋人同士なんだから、実家を知っていても何も不思議はない。イナンナから連絡をもらうまで、ケヴィンの両親は彼の失踪(しっそう)に気付いていなかった。両親は直(す)ぐに捜索願(そうさくねがい)を警察に提出したそうだ。そして、彼の母親が急遽(きゅうきょ)北アイルランドの実家から学園都市まで出て来ると言うので、イナンナは会って話がしたいと申し込んでいた。

「勿論(もちろん)、一緒に行くよ。僕は観光に来たんじゃない。できる事をどんどんやらなけりゃ。」

 手遅(ておく)れにならない内に。

 喉(のど)まで出かかったその言葉を、日向(ひゅうが)は慌(あわ)てて呑(の)み込んだ。


 ケヴィンの母親との面会の場所は、母親が滞在(たいざい)しているホテルのラウンジだった。ホテルのロビーで、イナンナがスマートフォンから電話を掛けると、程無(ほどな)くして、背の低い丸っこいシルエットの御婦人がエレベーターで降りて来る。パーマをかけた銀色に輝く白髪(はくはつ)は、髪一本の乱れも無い。青地に黒の幾何学模様(きかがくもよう)がプリントされたワンピースを着込み、金縁(きんぶち)に桜色の耳当てが付いた眼鏡(めがね)をチェーンで首から提(さ)げている。

 婦人はエレベーターから降りると、真っ直ぐにイナンナへと近づく。

「貴方(あなた)が、イナンナさん?」

「イナンナ・シェムスレックです。わざわざお時間を取って頂(いただ)きありがとうございます。」

 婦人が手を差し出す前に、イナンナは両手を広げて、彼女をハグする。

「こちらこそ、ケヴィンが居なくなっちゃった事を知らせてくれて助かったわ。貴方(あなた)の事は、ケヴィンから聞かされていたけど、本当に素敵(すてき)なお嬢(じょう)さんね。」

 日向(ひゅうが)の存在など、まるで無いかの様(よう)だ。彼女等(かのじょら)は初対面なのだろう。男の母親と男の恋人の対面。こりゃ、入って行ける雰囲気(ふんいき)じゃない。

 傍(かたわ)らで棒立ちになり二人を見つめている日向(ひゅうが)に、イナンナが婦人の注意を向ける。

「こちらは?」

 婦人は、日向(ひゅうが)にではなく、イナンナに問い掛ける。何故(なぜ)か不安そうな表情をしている。

「ケヴィンさんの友人のヒュウガ・カンバラです。」

 イナンナが説明を始める前に、日向(ひゅうが)は自分で名乗り、右手を婦人に向けて差し出す。

「あら、そう。」

 婦人は少し戸惑(とまど)った様(よう)な仕草(しぐさ)で、軽く日向(ひゅうが)と握手(あくしゅ)を交(か)わすと直(す)ぐに手を引っ込める。

「早速(さっそく)ですが、お話をお伺(うかが)いしても良いでしょうか。」

 イナンナは優(やさ)しく婦人に話し掛ける。

「ええ、そうね。ラウンジに行きましょう。」

 二人の女性が並んで歩き、その後ろを日向(ひゅうが)が歩き、ラウンジに向かう。

「貴方(あなた)の実家はスコットランドって聞いているけど、どのあたりなの?」

「ハイランドにあります。」

「それじゃあ、根っからのスコット人ね。」

「そう言う訳(わけ)でもありません。」

「いいえ、きっとそう。」

 二人の女性は、すっかり打ち解(と)けている。日向(ひゅうが)はその後ろ姿を見ながら、黙って歩く。

 なんだ、この、まるで義理の母と娘になる事を前提とした様(よう)な会話は。どっちも互(たが)いの距離を一気に縮めようとしているのが見え見えだ。

 日向(ひゅうが)は、やっぱり到着した最初の夜くらい、宿でゆっくりしていれば良かったと半分後悔しながら、ラウンジのテーブルを彼女達と囲む。

 婦人は3人分の紅茶を注文する。

「捜索願(そうさくねがい)の手続きは済んだんですか?」

 イナンナが話題を変える。婦人の顔が曇(くも)る。

「ええ。ケヴィンがどこに行ったか、何か思い当たる事は無い?」

「残念ですが、何も。彼の友人達にも聞いて回りましたが、誰にも何も言わず、いつの間にか姿が見えなくなっていた様(よう)です。少し前から大学を休みがちになっていたらしいので、余計(よけい)誰も気が付かなかったのでしょう。その内、フッと戻(もど)って来ると考えている者も居るくらいです。」

「昔から一言も言わずにどこかに出掛けてしまう子でしたけど、私達と連絡が取れなくなる様な事はありませんでした。今回は、今までと状況が違います。」

「私もそう思います。」

 イナンナは婦人の目を見て小さく頷(うなず)く。

 運ばれてきた紅茶を嗜(たしな)む間、少しばかりの沈黙が訪(おとず)れる。

「私達も、独自にケヴィンの行方(ゆくえ)を探してみようと思うのですが、構(かま)いませんか?」

 紅茶を口にした後で、イナンナからまた話が始まる。

「ええ、是非(ぜひ)お願いします。もう今では、母親よりもあなたの方がケヴィンの事に詳(くわ)しいわよね。」

 おいおい!その言い方は何だよ!

 日向(ひゅうが)は口を挟(はさ)みたくて、むずむずしている。

「今の所、何も手掛かりは無いのですが」イナンナは話しながら、ちらちらと日向(ひゅうが)の方に視線を飛ばす。「同席してもらっているヒュウガさんの洞察力(どうさつりょく)がとても頼(たよ)りになる筈(はず)です。…彼の参加もご了解頂(いただ)けますか?」

 テーブルに着いて初めて婦人の視線が日向(ひゅうが)の存在を捉(とら)える。

「…ええ、そうねぇ。貴方(あなた)がそう言うって事は、この方は有能なのね?」

「保証します。」

 面映(おもは)ゆい。そんな安請(やすう)け合いをして大丈夫か?日向(ひゅうが)の実体が普通の人間でしかない事を充分理解していたら、そんな後悔しそうな事は絶対言えない筈(はず)だ。

 婦人は目を伏(ふ)せる。

「あなた達に任(まか)せるわ。」

「ありがとうございます。警察の捜索(そうさく)を邪魔(じゃま)しない様(よう)、慎重(しんちょう)に行動しますから、ご安心下さい。」

 婦人は、テーブルに視線を落としたまま、小さな溜息(ためいき)を漏(も)らす。

「ケヴィンの部屋には行かれましたか?」

 婦人の感情に遠慮(えんりょ)していては何も進まない。日向(ひゅうが)は思い切って口を開く。一瞬、夫人は驚いた顔を日向(ひゅうが)に向けたが、直(す)ぐに平常心を取り戻(もど)す。

「ええ、今日、見に行って来たの。多少散らかっていたけれど、気になる様なところは無かったわ。」

「僕等(ぼくら)に入らせてもらえませんか。何か手掛かりになる物が見付けられるかも知れない。」

 日向(ひゅうが)は二人の女性の会話を聞きながら、ずっと考えていた。今僕等がケヴィン捜索の取っ掛かりにできそうなのは、これしかない。探偵ものの推理小説は、部屋に残されたメモとか、謎の暗号とか、そんな物からスタートするじゃないか。

「え?…そうねえ…。」

 婦人は口元に手を持って行き、考え込む。

「ミセス・オブライエン。」イナンナが脇(わき)から加勢(かせい)する。「ケヴィンを見付けるのに必要な事なんです。」

 イナンナは婦人のもう一方の手を取り、両手で握る。それでも婦人は考え込んでいる。分からないでもない。もし、提案したのがイナンナだったら、婦人は1も2も無くケヴィンの部屋を見せていただろう。だが、言い出したのは、得体(えたい)の知れない東洋人の男。イナンナが保証すると言ったところで、婦人は日向(ひゅうが)を信用していない。

「僕は、ケヴィンに助けられました。」日向(ひゅうが)は静かに話し始める。「留学期間の前半、僕は孤独に過ごしていました。友達を作る努力をしても、全(すべ)て空振りでした。でも、ケヴィンに会って変わりました。彼はアジアの端(はし)っこにある日本から来た、英語も上手(うま)く話せない僕を無条件で友達と認めてくれました。その事で、どれだけ僕が救われたか。自分の人生が変わる程(ほど)の出来事(できごと)でした。だから、今度は僕がケヴィンを助けたい。彼が困っているならば、僕は、この身を投げ出してでも助けます。」

 話している日向(ひゅうが)を、婦人はじっと見つめる。だがその瞳(ひとみ)は、未(いま)だ猜疑(さいぎ)の色を帯(お)びている。日向(ひゅうが)が話し終えても、婦人は口を開かない。片手で口元を押さえたまま、日向(ひゅうが)を見ている。

「ケヴィンを見付け出したい気持ちは私も一緒です。是非(ぜひ)お願いします。」

 イナンナが一生懸命訴(うった)えると、流石(さすが)の婦人も首を縦に振った。明日、もう一度、このホテルで落ち合い、ケヴィンの暮(く)らしていたアパートの部屋を訪(たず)ねる事になった。イナンナと日向(ひゅうが)は婦人と別れ、日向(ひゅうが)の泊まるホテルへと向かう。

「あれは、失敗だった。すまない。」

 車の助手席で前を見つめたまま、日向(ひゅうが)が話し掛ける。

「何が?」

 ハンドルを握るイナンナも前を見たまま応(こた)える。

「ケヴィンの部屋を見せてもらう話は、僕じゃなく、イナンナから提案した方がスムーズに了解がもらえた筈(はず)だ。下手(へた)をしたら、拒否(きょひ)されて身動きが取れなくなるところだった。」

「良いじゃない。結果的に了解はもらえたんだし、部屋を見せてもらえる事になったんだから、何としても、何かヒントを見付けなきゃ。」

「ミセス・オブライエンと話す前に、どういう役回りで話すか打合せしておけば良かった。」

 フフッとイナンナが笑う。

「本物の探偵みたいね。ノリノリじゃない?」

「別にそう言うんじゃない。ただ、ケヴィンを助けたい気持ちは、さっき話した事が本心だ。」

 嘘(うそ)は言っていない。ミセス・オブライエンを説得しようと、その場の思い付きで言葉にしたが、それは創作(そうさく)なんかじゃなく、自分の思いがそのまま口から勝手に出てきた結果だ。

 でも…。

 こうして、あらためてイナンナに告(つ)げてみると、本当にそれが自分の本心なのか疑問に思えてくる。ケヴィンを助けたい。その気持ちに偽(いつわ)りはない。けれど、もし日本に居る日向(ひゅうが)に連絡してきたのが、イナンナじゃなかったら…、もし、イナンナがケヴィンを探そうとしていなかったら、自分はミセス・オブライエンを説得してまでケヴィンの行方(ゆくえ)を追おうとしただろうか。結局、自分は何のために動いているんだ?

 自分の気持ちのどこまでが本当なのか分からなくなった日向(ひゅうが)は、前を走る車のテールランプを見つめて黙っていた。



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