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12  作者: 倉谷 梟帥
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3

 翌日は、ケヴィンの姿を大学で見付けた。だが、講義(こうぎ)の教室ではなく、日向(ひゅうが)が課題を進めるために立ち寄った図書館に彼は居た。机(つくえ)の上にノートを広げ、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて、自分の書いた文章を睨(にら)み付けている。大方(おおかた)、レポートのまとめが上手(うま)くいかないのだろう。課題で苦労しているのが自分だけじゃないと思えて、日向(ひゅうが)は少し気が楽になる。

「フィン。」

 彼の正面側から机に近付くと、ひそひそ声で呼び掛ける。ケヴィンは視線を上げて、そこに日向(ひゅうが)を認めると、笑顔で軽く手を挙(あ)げて応(こた)える。

「何だ、困った顔して。フィンにも分からない事があるのか?」

 日向(ひゅうが)は机の上を覗(のぞ)き込む。

 途端(とたん)、フィンは開いていたノートを勢(いきお)い良く閉じる。こげ茶色の表紙、随分(ずいぶん)長い間使っているのか、四角(よすみ)は角(かど)が取れて丸くなり、紙の表面が毛羽立(けばだ)っている。

「あ、これは、課題じゃないんだ。例の個人的な研究ノートだ。悪いが、こいつは見せられない。」

 フィンの慌(あわ)て様(よう)に、何だか不用意に悪い事をしてしまったと悟(さと)った日向(ひゅうが)は一歩後ずさる。

「済まない。勝手な事をして。」

「OK。」

 ケヴィンは、ノートを鞄(かばん)に押し込んで、立ち上がる。

「次の授業の教室に行こう。ヒューと一緒だよな。」

「あ、ああ。」

 二人は、連れ立って図書館を後にする。

「レポートは纏(まと)まりそうか?」

 何だか取って付けた様(よう)なケヴィンの質問。

「そう、それで悩んでいるんだ。こんな大変な思いは初めてだよ。日本語ならもっと楽なんだと思う。」

「あんまり神経質になるな。レポート1つで人生が決まる訳(わけ)じゃない。」

「ありがとう。だけど僕にとっては、これがこの大学で出す最後のレポートだから、自分が納得できるものに仕上(しあ)げないと、後悔しそうな気がするんだ。」

「おい、何だって!日本に帰るのか?」

 ケヴィンは血相(けっそう)を変えて、日向(ひゅうが)に迫(せま)る。

「ああ、短期留学だから。期間終了だよ。」

「いつだ?いつ帰る?」

「大体1ヶ月後だ。」

「そうなのか…。何で言ってくれなかったんだ。」

「済まない。直(す)ぐでもないから、そのうち話そうと思ってはいたんだが。」

 最初は、まさかこんなに仲良くしてくれる相手だと思っていなかったし、仲良くなった後では、そんな話を話題にしづらくなった。

「それ、ナンは知っているのか?」

「いや、話してない。」

「よし、これから伝えよう。ナンを探すぞ。」

「おう、…分かった。」

 授業そっちのけで、キャンパス中を探し回る。イナンナを見付けたケヴィンは、彼女の事情など気にも掛けずにいきなり話し出す。

「ナン、ヒューが日本に帰っちまうぞ。」

「え?」

 ケヴィンの後ろから付いて来た日向(ひゅうが)の顔とケヴィンの顔を交互に見ながら、イナンナは驚(おどろ)いている。

「そんなすぐじゃないよ。僕は短期留学で来ているから」言葉の足(た)りないケヴィンに代(かわ)って、言葉に不慣(ふな)れな日向(ひゅうが)が補足する。「後(あと)1ヶ月くらいで日本に帰るんだ。急にそんな事言い出して済まない。」

「一時帰国じゃなくて?もう、戻(もど)って来ないの?」

 イナンナは両手を広げ、如何(いか)にも残念そうな顔をしてくれる。それだけでも有難(ありがた)い。

「もう、戻らない。」

 短期留学生は沢山(たくさん)来ている。日本からだけじゃない。全世界から集まって来る。いずれ帰ってしまうのはお互(たが)い承知している筈(はず)だ。なのに、こうして改(あらた)めて口にすると、日向(ひゅうが)自身で自分に運命の宣告(せんこく)している気分だ。

「どうする?」

 ケヴィンが、イナンナと日向(ひゅうが)の表情を見ながら呟(つぶや)く。

「決まってるじゃない。壮行会(そうこうかい)を開きましょ。」

 イナンナははっきり言い切る。

「3人でか?」

「3人で。」

「なら、場所を確保しなけりゃな。」

「それなら任(まか)せて。」

 イナンナは片目を瞑(つむ)って見せた。


 日向(ひゅうが)がイギリスを去る1週間前に日向(ひゅうが)の壮行会(そうこうかい)が催(もよお)された。別に何か試合をしに行く訳(わけ)じゃない。単に母国へ帰るだけなのに、送別会じゃなくて壮行会だと二人は言い張る。当日の夜、ケヴィンとイナンナが留学生の寮(りょう)まで車で迎(むか)えに来てくれた。寮の玄関で二人の姿を見た日向(ひゅうが)は仰天(ぎょうてん)する。ケヴィンはタキシードに蝶(ちょう)ネクタイ、イナンナは肩の出た薄いピンクのパーティードレスを着ている。Tシャツ、ジーパン姿だった日向(ひゅうが)は、玄関に二人を待たせて、自室に飛んで戻(もど)る。兎(と)に角(かく)あれに釣(つ)り合う格好(かっこう)をしなければならない。

「そんなの、事前に教えてくれなきゃ。」

 愚痴(ぐち)を零(こぼ)しながらクローゼットの中を漁(あさ)る。まさか、イギリスでこんな機会があるとは思っていないから、有るのはラフな服装だらけだ。そもそも荷物になるからと、日本から持って来た服は、普段の通学に必要な最低限の数に減らしてある。仕方(しかた)ない、緊急事態だ。こんな時は、留学生が集まっている寮(りょう)で暮(く)らしていて助かった。周囲の部屋を訪(たず)ねて、服を貸してくれないか頼み込む。何とか、体形が近い中国人留学生から、スーツとネクタイを借りて着込む。ちょっと寸法が合っていない部分もあるが、体が服に収まるからよしとしよう。それよりも、二人を待たせている。バタバタしながら、大汗(おおあせ)を掻(か)いて支度(したく)をし、含(ふく)み笑いを浮かべるケヴィンの運転するレンタカーのジャガーでレストランへ向かう。

「イギリスじゃ、こういう会は普通なのかい?」

 車の後部座席に収まって、気持ちが落ち着いてから声を上げる。今日の後部座席は、主賓(しゅひん)の日向(ひゅうが)が独(ひと)り占めだ。目の前に、運転するケヴィンと助手席のイナンナの後ろ姿が並んでいる。

「さあ、どうだろうなぁ。」ケヴィンの声は何だか笑っている。「日本じゃ、どうなんだ?」

「フォーマルなパーティーなんて無いよ。あ、そう言うパーティーをわざわざやるのが趣味の人も居るけど、僕は違う。後(あと)、もう1つ先に言っておくけど、僕、ダンスは踊(おど)れないよ。」

 途端(とたん)、二人が声を上げて笑う。

「ナン、残念だな!壁際(かべぎわ)に立っていても、ヒューはダンスに誘(さそ)ってくれないそうだ。」

「本当に残念!今からでも、バンドの予約、キャンセルできるかしら。」

 二人は暫(しばら)く、くだらない冗談(じょうだん)を言い合って笑っていた。

 連れて行かれたのは、郊外の近代的な高級レストランだ。個室の予約席へと案内される。テーブル担当のウェイターが付く。浅黒(あさぐろ)い肌(はだ)の男。茶色の短髪(たんぱつ)にもみあげから繋(つな)がる顎鬚(あごひげ)。中東からの移民だろうか。レストランの白い制服をきっちりと着込んで、日向(ひゅうが)達を席へと案内する。これからフルコースの食事が順番に運ばれて来るって流れだ。日向(ひゅうが)だって、取り敢(あ)えずテーブルマナーくらいなら何とかなる。

「それじゃあ、ヒューの新しい人生の門出(かどで)を祝して…」

 ケヴィンが赤ワインのグラスを持って立ち上がり、咳払(せきばら)いをしてから話し始める。

 これはこれは、有難(ありがた)い。

 慌(あわ)てて日向(ひゅうが)もワイングラスを手に立ち上がろうとすると、「座ってろよ。」と止められる。

 主賓(しゅひん)だから、デンと構(かま)えてなけりゃならないのか。

 椅子(いす)の上で居住(いずま)いを正(ただ)して、ケヴィンの話を聞く。胸を張って、3人と担当のウェイターしかいない部屋の壁を見回しながら、モゴモゴと聞き取りにくいケヴィンの演説(えんぜつ)が暫(しばら)く続いた。話の内容は、最初にケヴィンと出会った時には、小動物の様(よう)に落ち着かない眼をしていたくせに、今じゃすっかり、日本の皇太子(こうたいし)がイギリスに社会勉強にやって来たかの様(よう)な日向(ひゅうが)の態度だ。これならきっと、本国に帰って一流のビジネスマンとして大成(たいせい)するに違いない、と言うものだ。

「もし、ビジネスでイギリスに来る事があったら、その時は、良い条件で俺にも1枚噛(か)ませろよな。」

 ケヴィンは片目でウインクしてから乾杯(かんぱい)する。こういう事をやっても、様(さま)になるから白人は羨(うらや)ましい。ケヴィンはおいしそうにワインを喉(のど)に流し込む。一気にグラスの半分くらいが空(から)になる。どっかりと椅子に腰を下ろしながら、続けざまに言い放つ。

「ナン、これ旨(うま)いな。良いワインを注文したな。」

「この店で一番…と言いたいけど、流石(さすが)にそれは無理だった。」

「ン?なんだ?」ケヴィンは、日向(ひゅうが)がまだケヴィンに注目しているのに気付く。「僕の演説が感動的過ぎたか?」

「いや、そうじゃない。食事会の後、ケヴィンがまた運転するんだろ?大丈夫かなって。」

「なんだ、イギリスの法律を知らないのか?血中アルコール濃度0.08%まではOKだ。こんなワイン、普通に食事している分には問題ない。」

「うん…」

 ケヴィンが交通違反で捕(つか)まるかどうかが心配な訳(わけ)じゃない。自分の命に危険が及(およ)ばないかどうかが心配なんだ、と思いながらも口には出さない。

「さあ、次はレディ・シェムスレックから、一言頂(いただ)こう。」

 ケヴィンは、上機嫌(じょうきげん)でイナンナに振る。

「それじゃ、私は座ったままで。」

 慌(あわ)てる事なく、彼女は応(こた)える。

 イナンナもちゃんと言う事を考えてあるのだ。…当たり前か。

 日向(ひゅうが)の脈拍(みゃくはく)が早くなる。今飲んだワインのせいではないだろう。彼女はいつもの様(よう)に真っ直ぐ日向(ひゅうが)を見つめて話し出す。失礼が無い様(よう)に、日向(ひゅうが)も彼女を見つめる。

「ヒュー、貴方(あなた)と知り合いになれて幸運だった。こんなに知的なお喋(しゃべ)りができる友人は、あなた以外に居ない。」

 そう日向(ひゅうが)はイナンナにとって友人、友人だ。知的と言うか、イナンナの話について行こうと必死で考えていた印象しか残っていない。

「なんだよ」ケヴィンが口を挟(はさ)む。「僕とは知的な会話ができないのか?」

「フィンは黙ってて。」

 イナンナに睨(にら)まれて、ケヴィンは両手を広げ、了解の意を示す。イナンナは再び日向(ひゅうが)に視線を戻(もど)す。

「これでお別れなんて言わないで、SNSでやりとりしましょ。ケヴィンと私のアカウント知ってるわよね?いつでも連絡頂戴(ちょうだい)。そうだ、チャンスがあれば、私が日本に行くわ。ヒューがどんな国で生まれたのか知りたい。私の友達に日本に行ってみたいって言っている子もいるし。」

「その子達と一緒においでよ。勿論(もちろん)案内するよ。今度は僕が奢(おご)る番だね。」

 日向(ひゅうが)の答えに、イナンナは嬉(うれ)しそうに満面(まんめん)の笑(え)みを浮かべる。

 コースディナーが始まると、日向(ひゅうが)はおかしな事に気付く。料理を運んで来る顎髭(あごひげ)のウェイターが、日向(ひゅうが)の前に皿を置く度(たび)に、視線を日向(ひゅうが)に送って来る。最初は、『持って来てくれてありがとう』って言う意味を込めて、ちょっと笑顔を返していたが、段々(だんだん)気味悪(きみわる)くなってくる。

 何だ?これ、もしかして、あちらの趣味の人?自分に興味あるとか?

 そう思ったら、背筋(せすじ)に悪寒(おかん)が走る。その後は、顎髭男(あごひげおとこ)の熱い視線を無視して、意識してケヴィンやイナンナとの会話を弾(はず)ませて、その場をやり過ごした。


 帰国当日、日向(ひゅうが)はロンドンの空港で一人だった。ケヴィンもイナンナも見送りには来なかった。

〈Good Luck!〉

 イナンナから短いメッセージが送られて来ている。出発ロビーで搭乗(とうじょう)を待ちながら、日向(ひゅうが)は短いそのメッセージを何度も見直した。

 日本に戻(もど)り、元の大学に復帰する。分かっていた事ではあるが、同級生の中でも早い奴(やつ)は、もう就職活動を始めている。自分も取り残されたら堪(たま)らないと、いやでも焦(あせ)る。ケヴィンやイナンナの事を考えている余裕などない。電車に乗っている時、風呂で髪を洗っている時、ふと、自分を見つめていたイナンナの茶色の瞳(ひとみ)を思い出して胸が締め付けられても、頭の中から振り払う。

 彼女は、遠い彼方(かなた)で暮(く)らすケヴィンの恋人。想ってみても、しょうがない。

 意識して、SNSにコメントを入れない様(よう)にしたが、そんな日向(ひゅうが)の気持ちを察(さっ)しているのか、単に思い出してみるだけの存在でもないのか、二人からの連絡は、帰国以来1つも無い。SNSを開けば、イナンナがくれた『Good Luck!』の文字が最後になっている。なんだが寂(さみ)しくて、開いてみる事も無くなった。

 日向(ひゅうが)も就職活動を始めた。決して出遅れたと言う程(ほど)ではないつもりだけれど、エントリーシートを送っても、面接に漕(こ)ぎ着ける事すら難しい。焦(あせ)りが募(つの)り、自信も無くなって来る。同じ境遇(きょうぐう)の同期生同士で、愚痴(ぐち)を零(こぼ)して傷をなめ合うのが唯一(ゆいいつ)の慰(なぐさ)めだ。何とか受ける事ができた一次面接の結果は、通っていればメールで送られて来る。そろそろ連絡が来る時間だと、祈(いの)る様(よう)な気持ちでスマートフォンを開いた時だった。

 メッセージが届いている。

 英文だ。差出人はイナンナ。心臓が飛び出しそうになる。一次面接の結果より先に、メッセージを開く。短い英文が表示される。

〈フィンが居なくなった。もう2週間、消息が分からない。助けて、ヒュー。〉

 要件(ようけん)だけを、ストレートに書いてある。スマートフォンの画面を見つめて、日向(ひゅうが)は3分間固まる。〈Help me,Hyu!〉の文字から視線が離せない。

 迷う事なんかあるか。好きな女に助けてと言われて、動かない男なんていない。

 日向(ひゅうが)は直(す)ぐにロンドン行きの航空便の空(あ)き状況を調べた。


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