1-(2)
その日、教室を出たケヴィンと日向は、大学の構内を歩いてパブへ向かう。別に急ぐ必要も無いから、ダラダラ歩く。さして遠くないパブに着くまで30分はかかる。たまたま前方に知った後ろ姿を見付けて、ケヴィンが声を上げる。
「ヘイ!ナン!」
彼の呼び掛けに振り向いたのは女学生だ。友人と思われる女性達4人で横一列になって歩いている中の、右端の女性がケヴィンを振り返る。ライトグレーの長めのスカートに、白いブラウスを着ている。長い、明るい栗色の髪を髪留めで纏めている。呼び掛けたのがケヴィンだと分かると、友達と一言二言言葉を交わしてその場に一人立ち止まり、ケヴィンと日向が近付くのを待っていてくれる。両手で分厚い専門書を抱えた彼女の立ち姿がスッとしていて、どこか気高さを感じさせる。近付くにつれ、彼女の表情も仔細に判る。笑顔はない。大学の事務員が学生に応対する時の様な無表情な顔で、ケヴィンと日向を見つめている。何処か咎めている様な彼女の視線に気付いて、日向は話す前から腰が引ける。
「ナン、これからパブへどうだい?彼は、ヒュー。」
ケヴィンは、自分の脇に居る日向を忘れずに紹介してくれる。
「イナンナ・シェムスレック。」
「ヒュウガ・カンバラ。」
差し出した日向の右手に、一瞬軽く触れただけの軽やかな握手。日向が彼女の手を握る間も与えずに、イナンナの手は遠ざかる。
イナンナの肌は日焼けしているのか、白人にしては色が濃い。血の色が透けて桃色に見えるケヴィンの肌とは違い、日向に近い色合いをしている。或いは、有色人種の血が入っているのかも知れない。
「二人は、どういう知り合い?」
先にイナンナがケヴィンに質問をぶつけてくる。
「同じ講義を受けてる友達さ。」
ケヴィンがさらりと答える。
「それだけ?」
「そうだ。…なんだ、何かおかしいか?」
「別に。…でも、フィンが友達と歩いているなんて珍しいじゃない。」
「そんな事ないぞ。とんだ勘違いだ。」
「ふーん。」
ケヴィンがムキになって抗議するのを、イナンナは軽く受け流す。3人はそのままいつものパブに向かった。パブなら他にも沢山あるのに、ケヴィンがパブと言っただけで、どこの店か訊きもしないところを見ると、イナンナも、何度もケヴィンと一緒にこの店に来ているのだろう。気さくに言葉を交わす二人の姿を見て、日向はきっと恋人同士なんだろうと想像する。
「ナンは、スコットランド出身なんだ。」
店でエールビールを手にしたケヴィンが日向に教える。
「何?出身地の情報が大事なの?」
横からイナンナがツッコミを入れる。
「大事さ。エールビールを飲む仲間なら、とても大事な事だ。まぁ、一々言わなくても、訛りで判るが。」
イナンナは眉をちょっと上げて見せただけで、何も言わない。
「え~っと、訛り?今、訛りって言った?」
横から日向が口を挟む。
「ああ。スコットランドや、アイルランドの人間には訛りがあるんだ。感じないか?」
「そうなんだ…。」
「だから、フィンの話す言葉は聞き取れないでしょ?」
イナンナが意地悪そうに横目でケヴィンを見る。
「何を言う。僕は標準的な英語を話してる。」
ケヴィンはムキになる。
「酔っぱらった時も?」
「ああ。」ケヴィンは力強く頷く。「自分には関係ない様な言い草だな。ナンだって同じだぞ。」
「私は、スコットランド出身だって自分で言わなけりゃ、誰にも気付かれないわ。」
「イギリスにも訛りがあるとは知らなかった。」日向は一生懸命に英語を話す。「日本語にもあるよ。僕は、地方の出身だから訛りが有ってさ。初めて都会へ出た時なんか、何か話す度に恥ずかしかった。」
「何で恥ずかしいんだ?」ケヴィンが即座に反応する。「良いじゃないか。地方出身なのは恥ずかしい事じゃないだろ。」
「フィンみたいに堂々として居られたら良いんだろうね。なんか、田舎者丸出しって感じなのがちょっと恥ずかしいと思えちゃうんだ。」
「ヒューの出身地は恥ずかしい所なのか?」
冗談を言っていない。ケヴィンは至って真面目な顔で日向を見ている。
「いや…そうじゃない。そうじゃないけど…、フィンを見習うべきだね。フィンはアイルランドに誇りを持っていて凄いと思うよ。」
「当然さ。僕等はケルトの末裔だ。元々、ここはケルト人の国だ。侵略者に気兼ねする必要は無い。」
「侵略者って、アングロ・サクソンの事?イギリスに侵入したのって、後はローマ人ぐらい?」
「そう、ゲルマン民族の事だ。ローマ人や、デーン人、ノルマン人も侵入して来て支配はしたが、それは、支配層と少人数の手下だけだ。本格的に占領し、土地を奪ったのはアングロ・サクソン。」ケヴィンは、イナンナを振り返る。「なあ、ヒューは日本人なのに、この国の歴史を知っていると思わないか?」
「そうね。」イナンナは、軽くケヴィンに相槌を打つと、日向に話の矛先を向ける。「ヒューは、日本人なのね。この大学じゃ、珍しいんじゃない?」
「そうでもない。大学全体では10人くらい留学して来ているみたいだけど、僕が出席している授業を履修しているのは、自分だけだ。」
「あ~、成る程、それで一人でいる所を、いつも一人で居るフィンに捕まったって訳ね。」
イナンナは含み笑いをする。
「勝手な解釈をするな。」
ケヴィンが不機嫌に呟く。
「ね、日本って経済大国なんでしょ?」
イナンナは、ケヴィンを無視して話し続ける。
「それは、もう昔の話。僕等の親の世代で終わり。」
「私の周囲に、日本に行ってみたいって子が何人も居るわ。」
「そう思ってくれる人が居るから救われているよ。」
「ね、日本について教えて。」イナンナの表情が真剣になる。「ここは、ユーラシア大陸の西の端にある島。日本は東の端にある島。きっと似ている点があると思う。さっき、フィンが言ったみたいに、日本も他民族の侵略を受けた歴史があるの?」
「う~ん。」
そう言われて考え込む。あからさまな侵略行為は、元寇ぐらいしか思いつかない。太平洋戦争は自業自得だ。
「13世紀に中国を支配していたモンゴル人が攻めて来たけど、失敗して戻って行ったくらいかな。イギリスも日本も、歴史上侵略する側の立場だった事の方が多かったんじゃないかな。」
「それって、近代の話?」
「中世からだけど、日本は16世紀に朝鮮半島に攻め込んでいる。ヨーロッパで言えば、百年戦争よりは後かな?結局失敗したけどね。」
「もっと古代の話はどう?」
「古代?」
「そう。最初から人類が住んでいた訳じゃないでしょ。ホモサピエンスはアフリカ大陸から全世界に広がった。日本にも、どこかのタイミングでホモサピエンスがやって来て、日本の歴史が始まった訳でしょ?」
「そうだね…。」
日向はまた考え込む。イナンナは、その様子を興味深そうに見つめている。ケヴィンは、話題に興味がないのか、黙ってパイントグラスの中のビールを喉に流し込む。
「日本に人類が来たのは、数万年前じゃないかな。ごめん、詳しく知らない。きっとイギリスよりも遅いと思うよ。」
「その最初の人達が、そのまま今の日本人になっているの?さっきケヴィンが言ったみたいな、後から侵入して来る人達は居なかったのかしら?」
「それは、イギリスも日本も同じじゃないかな。科学が進歩して、遺跡の人骨から遺伝子を取り出せる様になって、そうしたら、最初に日本に住んでいた古代人の遺伝子は、現代人に10パーセントくらいしか残っていないって判った。大陸との距離が近い島には、常に人間が流れ込んで来る。それを侵略とは言わないけど、それは今も続いている。」
「そうね。」
イナンナは満足気に頷く。
「そうさ。現状を見てみろ。」それまで黙っていたケヴィンが、急に話に割り込む。「不法移民の山だ。ロンドンでも、マンチェスターでもホームレスが溢れてる。そうやって、中からこの国を壊しているんだ。」
「外から入って来る人間からすれば、こんな国でもまだ魅力的な場所なのよ。」
イナンナは諦め顔で呟く。
「なら、その魅力の源泉を探りに行こうじゃないか。」
ケヴィンは勢い込んで言うと、イナンナと日向の顔を交互に見る。
「何をするつもり?」
イナンナは何かを察して、うんざりしている様に見える。
「ストーンヘンジを見に行こう。…ヒュー、ストーンヘンジは見た事あるかい?」
「いや、無いよ。」
「何で、ストーンヘンジに繋がるのよ。」
イナンナは溜息と共に、言葉を吐き出す。
「この国の礎を築いた人々が残した遺産だ。そこに何が込められていたのかを知るのは、重要な事じゃないか。」
「残された遺跡は、ストーンヘンジだけじゃないわ。殊更にストーンヘンジに拘る必要は無いんじゃない?」
「いやいや、そんな事は無い。他のストーンサークルとは違う、特異な形態の巨石建造物だ。必ず特別な意味がある筈さ。それに、ヒューは見た事が無いって言うじゃないか。見せてやりたいだろ?」
イナンナは、両目を瞑って押し黙る。
「ま、良いじゃないか。今度の週末、空けておいてくれよ。」
ケヴィンは、上機嫌でイナンナと日向の肩を叩いた。




