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次の日、二人は大学の食堂に居た。テーブルの上には、冷めたコーヒーの入った紙コップが2つと、こげ茶色のくたびれたノートが1冊。ケヴィン捜索の次のアクションを決めるために、アイデア出しを行なおうと集まったが、話し合いは最初から沈滞した。
「フィンの知り合いに、もう一度聞き込みをしてみるのは?」
良いアイデアではないと自覚しながら、日向が口にする。
「フィンが居なくなった事にすら気付いていないくらいで、誰も関心を持ってくれなかった。労力がかかる割に、何も出てこない可能性の方が高い。」
イナンナの表情は冴えない。日向はまた考える。
「それじゃ」暫くして日向は重い口を開く。「もう一度、フィンの部屋を調べてみる。」
「それならできる。先日、フィンのアパートを見た時、また見せてもらうかも知れないからって、鍵を返す時に私もミセス・オブライエンと一緒に家主さんと会ってる。ミセス・オブライエンから家主さんに一報入れてもらえれば、鍵は借りられるじゃないかしら。」
「お、良いじゃないか。」
「…でも、どんな物を期待して、どこを探すの?」
「え?」
そんな細かい事まで考えていない。何もアイデアをひねり出せないから、苦し紛れに提案しただけだ。日向は言葉に詰まる。
「この前、見たでしょ?ベッドとデスクと冷蔵庫以外は、家具の無い部屋。考えられる所は、前回全部手を付けた筈よ。」
「か、…隠し部屋があるとか。」
日向を見るイナンナの視線が冷たい。言ってしまった事を後悔する。
「御免、忘れてくれ。…でも、あの日、探し忘れた所は本当に無いか?シャワールームは?」
「見た。シャワーヘッドを外してみるところまではしていないけど。」
これは、イナンナの機嫌を損ねたって感じだ。なんとかしなきゃ。
「冷蔵庫…も、見たね。」
「ええ。引っ張り出して、壁との隙間に何か落ちていないかも確認した。中に残っていたバターをかき混ぜてみる事まではしてないけど、やりに行く?」
「いや。…そうだ、パソコン。フィンが使ってたノートパソコン。あれ、ミセス・オブライエンに渡して、専門家に中身を確認してもらってはどうかとアドバイスしたじゃないか。それだ。パソコンの中身を確認していなかったよ!」
日向は窮地を脱せられた気持ちになり、思わず叫ぶ。けれど、イナンナのテンションは一向に上がってこない。
「あの後、ミセス・オブライエンが地元に帰って、専門家にパソコンの解析を依頼したそうよ。単にパスワードが設定されているだけだったから、専門家にかかれば、中身を調べるのにさして時間はかからなかったって。」
その言い方、この先はもう負けが決まった試合の消化時間の様だ。
「それで?」
仕方なく、日向はイナンナに結果発表を促す。
「フィンの失踪に繋がりそうな情報は、何も入っていなかったそうよ。昨日の夜、ミセス・オブライエンが電話で教えてくれた。こっちの進捗状況を話さなけりゃならなくなって、説明に苦労したんだから。」
「そうか…。」
日向の全身から力が抜ける。
結局、自分達の手元にあるアイテムは、このノートだけだ。こうなると、やっぱり切り取られた最後の数ページが気に掛かる。もし、ここに何か書かれていたのだとしたら、それが決定的な何かだった気がしてならない。だが、本当にそうか?もし、ケヴィン自身が失踪した後に、誰かがケヴィンの行方を探すだろうと想像したら、自分の部屋が調べられる事も予想できただろう。だから残して良い物だけ残したって事か?パソコンには手掛かりになる様なデータは何も入っていない。このノートの危険な部分は、ページごと切って捨てたから安心…。いや、変だ。もし、ケヴィンの行方探しに繋がらない物だけを部屋に残したいのなら、このノートその物を捨ててしまえば良い。わざわざ、いつも持ち歩いているノートを残す必要なんかない。じゃ、何でこのノートを置いて行ったんだろう。それも、最後の数ページを切り取る様な事までして。このノート、本当に良く調べたっけ?切り取られたページに落胆したところから、何とかしなきゃって気持ちだけで、短絡的に記述の最後がケヴィンの失踪に関係していると考えたのがまずかったんじゃないか?もっと他の箇所にヒントが隠れている可能性はないだろうか。
日向は、重い上体を屈めて、こげ茶色のノートに手を伸ばす。その様子をイナンナは虚ろな目で追っている。パラパラとページをめくる。お世辞にも綺麗とは言えない英文字が罫線の間で踊っている。
あれ?
日向の視線は罫線外の余白に書かれたメモに向かう。
『統計学入門 185』
走り書きの文字は、そう読める。
何だ、これ?
前後のページをめくってみる。別のページの余白にもメモが見付かる。さっきのページは上の余白だったが、今度は側面の余白に書かれている。
『マクロ経済の現状と課題 82』
あれ?あれれ?
更にページをめくる。四隅の余白を隈なく探していくと、どんどん見付かる。
「ナン、付箋。付箋もってないか?」
日向の雰囲気に何かを見付けたと察したイナンナは、直ぐに自分の鞄の中から蛍光色の付箋を取り出して、日向に差し出す。日向はノートをテーブルの上に置いて、最初のページから丁寧に余白を調べていく。余白にメモを見付けたら、その場所に付箋を貼る。メモは、まだ使っていないページの余白にまで書かれてあった。
「これ、どう思う?」
作業を終えて、ノートをイナンナに渡す。イナンナは、付箋の貼られたページを開いては、書かれているメモに目を通していく。暫くそうしてから、ノートを開いたまま話し出す。
「思い付くのは、きっとこれ、みんな教科書とか、論文のタイトルじゃない?私も買った本のタイトルが幾つかあるみたい。その後の数字は何かしら。順番じゃなさそうだし、ページ?」
「うん、そんな風に思えるよね。これ、フィンの失踪に関係あると思うかい?」
「う~ん、どうかな。試験の対象範囲をメモしたにしては変だし。暗号めいてるわね。自分のために記録を残したって言うより、誰かに伝える暗号みたい。」
「例えば、お互いが共通で持つ本を使って、密かに伝言しようとするなら、書かれている文章なり、単語が特定できる様にしなければならない。何ページの何行目の何文字目みたいに、数字が3つ必要になる。これは数字1つで、その前に本や資料のタイトルが書かれている。万一、誰かに見付かっても、全容が分からない様になってるんだ。」
「これ、どれも筆跡が新しいし、同じボールペンで書いたみたい。黒インクの色が一緒。フィンが居なくなる前に、何か理由があって一斉に書いたって感じじゃないかしら。」
「きっとそんな感じだ。何かを秘匿する必要があって、こんな事をしたんだよ。」
「もしかして、探さなきゃならない事、見付けたんじゃない?」
イナンナは飛び出した付箋だらけのノートをそっとテーブルの上に置く。
そうだ。対象は、ケヴィンの部屋のデスクの上に積まれていた教科書と論文の山だ。このノートのメモと照合すれば、きっと何か判る。
「ナン、ミセス・オブライエンに連絡して、フィンのアパートに入る許可をもらってくれないか。」
「OK。ミセス・オブライエンとは、スカイプでやり取りしようって話したの。直ぐに連絡するわ。」
ケヴィンの事は友達に過ぎない様な事を言っていたけど、母親には着々と取り込まれているじゃないか。気を付けないと、いつの間にか花嫁修業をさせられているかも知れないぞ。
「よろしく。」
日向は一言だけ言って、イナンナに笑顔を返した。




