第九十七話 ホースヤード伯③
スティーブン王との会見に当たってホースヤード伯ジョンに用意されのは、謁見の間であった。
会見の場としては大広間が最も格式が高いが、そこは儀式の場であって自由な発言は基本的に許されない。
最も自由に発言できるのは応接間ではあるが、私的な空間としての意味合いが強く、親しくはあっても格式は下がる。
そこでの発言もまた私的なものに過ぎず、反故にされたとて誰かに証言を求めることも難しい。
対して、この謁見の間は公的な場であり、ここでの発言は居並ぶ家臣や諸侯らによって記憶されることになる。
つまり、その他様々な場はあれど政治の舞台として最も格式が高いのがこの謁見の間なのであった。
その謁見の間で、ジョンはスティーブン王に抗議した。
「反逆者どもをあまり軽々しくお許しになるべきではありませんぞ、陛下。
どんなに殊勝な態度をとろうとも所詮は不忠の徒。
いつ陛下に牙をむくか分かりませぬゆえ、どうか彼らへの対応はわたくしにお任せ下されるよう」
このところ、スティーブン王はジョンを通すことなく幾人かの元反逆者、つまりは先の戦においてギョーム王についた者達の陳情を受けるようになっていた。
ウェンランド諸侯の取次役を任せる、というのが同盟を組むにあたっての密約の一つであるにもかかわらず、だ。
だが、密約はあくまで密約であり、公にすることはできない。
この場においては堂々とそれを口に出ず、忠言という形をとらざるを得ない。
ジョンの言葉を受けて、スティーブン王がほほ笑んだ。
盟約破りの後ろめたさをおくびにも出さぬ、堂々とした笑みであった。
「ジョン殿、まずは私の身を案じてくれたことに礼を言いましょう。
しかし、ご心配には及びません。
こうして頼りになる護衛もいますので」
そうして王は背後に控えていた老騎士に視線を向けた。
主の視線を受けて、老騎士が一礼する。
その顔には見覚えがあった。
先の小反乱で蜂起した領主たちの一人だったはずだ。
そうなるように仕向けたのは他ならぬジョンである。
スティーブンが領地の交換や縮小の対象者とした者のうち、故地へのこだわりが強い者、頑固な者、あるいは狡猾な者らを意図的に選びだし、取次役の立場を利用して王への陳情を遮断した。
大半は涙を呑んで王の要求を受け入れたが、それでも少なくない者がジョンの目論見通りに反乱を起こした。
だが、うまくいったのはそこまでだった。
スティーブン王はそれらの反乱を予想をはるかに上回る速さで、そして手勢を殆ど損なうことなく鎮めてのけた。
それどころか、もっとも頑迷で、それ故最後の最後まで頑強に抵抗するはずだったこの老人まで手中に収めている。
ジョンはこの少年王を見誤っていたことを認めざるを得なかった。
その上――
「ホースヤード伯よ、その言い様は不敬であるぞ」
ジョンの思考を遮って口を挟んできたのは、サンセット伯であった。
彼は賢老衆、つまりは王の諮問役の一人としてこの場に同席していた。
肩書はさておき、こうして王を擁護する形で口を出してきたことが問題だ。
ギョーム王を滅ぼすにあたってジョンと手を組んだ男が、此度はスティーブンの側につくことを決めたらしい。
まさかあのような男が、この期に及んでこの少年を傀儡にできるなどと考えてはいないだろう。
かと言って完全に取り込まれたとも考え難く、何かしらの利を得ての事とは思うが――それは今考えても仕方のない事だ。
この場は不利である。ジョンは大人しく引き下がらざるを得なかった。
「はっ。申し訳ありません陛下。
差し出がましいことを申しました」
「問題ありません。耳に痛い忠言こそ貴重なものです。
これからもよろしくお願いします」
スティーブン王が鷹揚に応じた。
それから二、三のあたりさわりのない事柄について報告と相談を行い、ジョンの謁見は終了となった。
この場はジョンの完敗であった。
早急に対策を練る必要がある。
その日の夕方、ジョンは館の裏口からひっそりと抜け出すと、王都の郊外を流れる川のほとりへと向かった。
釣竿を担いで、商家のご隠居が趣味の釣りに出かけるといったようないでたちである。
顔の傷は隠しようもないが、悪目立ちするほどでもない。
ゆるやかに流れる水面に釣り糸を垂らしてしばらくすると、声をかけてくる者がいた。
「釣れますかな?」
ジョンと似たような恰好をしたその男は、そう言いながらジョンの隣に座ると釣り糸を垂らした。
ジョンは水面の浮きから目を離さぬまま応じる。
「ちょうど今大物がかかったところで」
それを聞いたサンセット伯がため息をついた。
「おそらく、期待には添えぬと思うがね」
その答えにもジョンが気を落とすことはなかった。
もし交渉の余地がないというなら、この男とてノコノコとこんなところに現れるはずもないのだから。
そんなジョンの思考をよそに、サンセット伯は並んで腰を下ろすと同じように釣り糸を垂れた。
「それよりも、さっさと降参したらどうだ?
今ならわしが口添えしてやる。
と言うより、お前さんを説得するよう仰せつかってな」
「……なるほど。
それで、お主はどんな見返りを受取った?」
「これまで通り、好きにさせてやるとさ」
「大した報酬だな」
ジョンが鼻で嗤うと、サンセット伯は肩をすくめてみせた。
「あれはお前さんの言いなりになるような玉ではない。
もう十分楽しんだろう。
大人しく息子に商売を譲って隠居したがいい」
「それがあちらの提示した条件か?」
「いいや、個人的な忠告だ」
「隠居暮らしの何が楽しいものか」
「こうして釣りをして暮らすのも悪くはないと思うがね」
そう言ってサンセット伯は大きくあくびをした。
「……しかし釣れんな。今日はもう引き上げるとしようかな」
「諦めが早くないか?」
「いいや、見切り時だ。
言うべきことは言ったからな」
サンセット伯は糸を手繰り寄せる手を止めなかった。
「らしくもない」
「わしはお前さんとは違う。
誰の下だろうが、そこで甘い汁さえ吸えれば十分だ。
お前さんがいなくなればそれにありつく機会も増えるだろう。
まあ、張り合いがなくなるのは少しばかり寂しいがね」
それは、ジョンが知るサンセット伯らしからぬ率直な物言いだった。
「いつまでも川沿いにいては冷える。
どうだ、わしと一緒に来ないか。一杯やろう」
サンセット伯は立ち上がりながらそう言うと、ジョンに向かって手を差し伸べた。
ジョンは水面に目を向けたまま、片手を振ってそれを拒む。
「いまさらだ。そっちこそ、いつ転んでもいいのだぞ」
「泥船には乗らん」
「先のことなど分かるものか」
「そうだな。その通りだ。
わしは気楽な身だ。いつでも違う船に乗り換えられる。
自ら船になろうなどとは、まったく気が知れぬよ」
ジョンは、古い友人が立ち去っていく足音を聞きながら考えを続けた。
あの少年王は手強い。
このまま諸侯の支持の奪い合いを続けても、いずれ押し切られるだろう。
やはりあの時――
ジョンは己が滅ぼした若い先王に思いを馳せた。
愚かで、扱いやすかった、あの男。
口端が微かに上がる。
――スティーブンを選んだのは正解だった。
こうでなくては。
凡愚を相手にして何が楽しいものか。
この状況を打開するにはよほど思い切った手を打つ必要がある。
あの少年王を出し抜く程に奇抜な一手。
常識に照らして、決して実現可能とは思われないような。
当てはあった。
仕込みも随分前から進めている。
果たしてあの少年王はどう応じるだろうか?
まさか諦めるということはないだろう。
必ずや、またこちらを楽しませてくれるに違いない。
久々に血がたぎるの感じながら、ジョンは次の策謀について思いを巡らせた。
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