第九十三話 出陣準備
夏も過ぎた頃、スティーブン陛下より召集令が下った。
国王陛下の御下知に従わぬ、不埒な反逆者が現れたとの由である。
出陣の準備は皆に任せてウィル坊に稽古をつけてやっていたところに、〈大鼠〉が駆け込んできた。
「と、殿~! 大変です!」
「なんだ、そんなに慌てて」
〈大鼠〉ときたら全身で息をしながら滝のような大汗をかいていた。
余程急いで駆けて来たものと見える。
のんびりとした質のこいつがこうも慌てるとはただ事ではない。
ところが、である。
「け、喧嘩でさあ! 喧嘩が起きとるんです!」
「喧嘩だあ?」
何かと思えば。
何しろ好き好んで兵隊になりたがるような血の気の多い男たちが寄り集まっているのである。
喧嘩なんていつもの事だ。
普段であれば慌てて報告してくるような話じゃない。
いつもなら〈大鼠〉だって鼻くそほじりながらどっちが勝つかに晩飯の酒でも賭けていることだろう。
ということは、だ。
「抜いたか?」
一応、喧嘩で刃物を抜いてはいけない決まりにしてある。
どうしても我慢がならない時は、隊長格の立ち合いの上で決闘をするのがここでのやり方だ。
とは言え、頭に血がのぼればそうもいかないのが人間である。
「い、いえ、抜いちゃおりませんで」
「じゃあなんだ、乱闘か」
我らが兄弟団は雑多な階層の人間の寄せ集めだ。
一番下には盗賊に土地なしの流民、ついで狩人や小作人、職人崩れに自作農の次男坊三男坊、一番上には大地主である郷士階層の子弟までいる。
普段は鳴りを潜めてはいるが、こうした階層意識は容易には拭い去れないものだ。
何かをきっかけに対立が表面化することは大いにありうる。
そうなってしまえば、ウィルたち隊長格でも収めきれなくなってしまう可能性は大いにあった。
「乱闘でもないんで」
「じゃあなんなんだよ」
刃傷沙汰でもない、乱闘でもないとなればわざわざ俺を呼びつける理由が思い当たらない。
「それが、エルマーがセシルを殴りつけてるんで」
まさしく驚天動地である。
「すぐに案内しろ!」
「へい!」
〈大鼠〉の後について現場に駆け付けると、地面に蹲るセシルの背中を、エルマーが踏み抜くように蹴りつけているところであった。
ビルが背後から抱きついてエルマーを止めようとしていたが、それをものともしない勢いである。
周囲には人だかりができていたが、その剣幕に怖気づいてか誰もがおろおろと遠巻きに見守るばかりだ。
俺は急いで割って入ると、エルマーをセシルから押し離した。
「おい! 何してやがる! 止めろ!」
「お頭ぁ! 止めねえで下せえ! 俺ぁこうしなきゃ気が済まねえんで!」
「セシルが何したってんだ!」
「こいつぁ、お頭を裏切ろうとしたんで!」
「何、セシルが!?」
振り返ってセシルに目を向ける。
「ち、ちがうんで。おいら、別にそんなつもりは……」
「隊を抜けたいだなんて、それが裏切りじゃなくて何だってんだ!」
そういいながらエルマーがまた拳を振り上げる。
「落ち着けエルマー、まずは話を聞くから。
おい、お前ら! ちょっと手伝え!」
俺の指図にようやく何人かがおずおずとやってきて、エルマーをセシルから引き離した。
それから冷たい水を持ってこさせると、落ち着かせるために両者の口に流し込んだ。
「で、隊を抜けたいってのはどういうことだ?」
俺はまずセシルに訊ねた。
どうやらエルマーに散々殴られたものらしく、セシルは立ち上がるのもままらない様子でしゃがみこんだまま答える。
「へえ、あの、コリィちゃんが……じゃなくて、その、親御さんたちが、コリィと一緒になって農地を継いでくれないかって、それで……」
コリィというのは、セシルと良い仲になっているらしいあの村娘の名だ。
セシルがめそめそと泣きながら事情を語っていたところに、兄弟に羽交い絞めにされたままのエルマーが割り込んで怒鳴り散らす。
「セシルてめえ! お頭に受けた恩を忘れたか!
飢えて死にかけてた俺たちを助けてくれたのは誰だ!
もうどうにもならねえどん底にいた俺たちをこんなに立派な身の上にしてくれたのは!
大体、その娘っ子にだって、お頭が居なきゃ出会えもしてねえだろうが!
それをお前、これから戦に行こうって時に 見捨てて自分だけ幸せになりたいなんざ、それでもお前人間か!
そんな奴は犬畜生以下だ! 恥を知りやがれ!」
なるほど、事情は分かった。
「エルマーよ」
「へえ」
「お前さんの言い分はもっともだ。
そんな風に俺のことを一番に考えてくれるのはまったくありがたい限りだ」
「……もったいないお言葉で」
「だがな、俺だって何もお前らを死ぬまでこき使ってやろうなんて魂胆で助けたわけじゃねえ。
自分で身の振りようを見つけて、そこで幸せに暮らせるってんなら結構なことじゃないか。
俺にしてみりゃそれでこそ助けたかいがあるってもんだ。
お前にしたって、セシルは一番古い仲間で弟みたいなもんだろう。
快く見送ってやれ」
エルマーはつかの間セシルの方を睨みつけたが、それでも不承不承といった様子でこう言ってくれた。
「……わかりやした。殿がそうおっしゃるのなら」
「よし、この件はこれで解決だな。
おいセシル、早速コリィのところに行って許しが出たと言ってやれ。
ただし、すぐに戻って来いよ。
それからみんな、今日は宴会を開く。
俺のもっとも古い仲間の門出の祝いだ。盛大に送り出してやろうじゃないか!
さあ、準備にかかれ!」
皆が「うおーい!」と歓声を上げて準備のために散っていく。
村の方へと駆けていくセシルの背を見送っていると、いつの間にやら隣に来ていたウィルがボソリと呟いた。
「馬鹿なやつ」
「セシルか?」
「ええ。
殿についてきゃ、もっとずっと出世できるでしょうに。
それをあんな小娘や小さな畑と引き換えにふいにしちまうなんて」
いかにもウィルらしい物言いである。
こいつは立身出世を目指して故郷を飛び出したのだ。
「そう言ってやるなよ。
好いた女と畑を耕してつつましく暮らすなんて、十分に幸せモンだろ。
できるんなら俺もそうして暮らしたいな」
それを聞いてウィルは肩をすくめた。
「相変わらず殿は欲ってやつがないですね」
そう言って彼は俺から離れると、宴の準備に加わった。
欲がない、か。
そうでもないと思うんだけどな。
*
以前のようにシルフィニ城には寄ることはせず、直接王都へと向かう。
ところが、王都近郊に到着してみればいつもの天幕の群れはなく、俺たち以外の軍勢は影も形もない。
さては早くつきすぎたのだろうか?
もちろん、一番に駆け付ければ陛下からの覚えはめでたくなるだろうが、残りの軍勢が集結するまでの間の飯代は自分たちで賄わねばならないのだ。
下手をすると、戦が始まる前に持参した食料や資金が底をつくなんて間抜けなことも起こりうる。
〈犬〉ならばばこんな失敗はしなかったはずだ。
早すぎず、かといって遅刻をとがめられもしない絶妙なタイミングで隊を出発させていたことだろう。
まあ、流石に陛下も俺たちを見捨てたりはなさらないとは思うが、それにしたってそんなことで泣きつきたくはない。
なにより、〈犬〉が居なくなった途端にこれか、などと思われるのはあまりに癪である。
残りの連中もさっさと集まってくれるといいんだが。
ともかく、到着の挨拶をするために、小姓のウィル坊だけを共に連れて王城へと向かう。
その途上、ボロボロの衣装を着た物乞いが街路の物陰から声をかけて来た。
「そこの御立派な旦那様……どうかこの哀れな盲目の乞食に憐れみを……」
盲目なのになにが御立派か分かるものかよ、と思って目を向けて見れば〈兎〉である。
エディーや他の子供たちはいないようだ。
金を渡すふりをしながら近づくと、〈兎〉はススッと裏路地に引っ込んだ。
俺も追う。
「何やってんだよ」
「ヒヒヒ、やっぱり殿さまでしたか」
「分かるのか?」
「聞き知った相手なら、足音である程度は」
この雑踏の中で大したもんだ。
ウィル坊は目を丸くしてこの怪人物をみつめていたが、やがてあっと小さく叫んだ。
「琴弾のアルフ!」
「おや、そちらの小さなお方はウィリアム様でしたか。
お久しゅうございます」
どうやら知った顔であったらしい。
そういえば、ウィル坊にあることないこと吹き込んだのはこいつだったか。
「ねえ、アルフ、どうして物乞いなんてしていたの?」
ウィル坊が心底心配そうにそう尋ねた。
「ヒヒヒ、別に詩人として食っていけなくなっちまったわけじゃあございませんのでご安心を。
これも私の仕事の一端でして、坊っちゃま」
それから、俺の方に顔を向けなおして言った。
「殿さまは戦だそうですね。
この間の決闘の歌はそれはもう大層な評判で。
また新しい歌の題材を期待しとりますよ」
「勘弁してくれ。
そう何度もあんな目にあってたまるかよ」
特に前回は本当に死ぬかと思ったのだ。
「そりゃ残念なことで」
「ところで」
「へい」
「エディーたちはどうしてるんだ?
今日はいないみたいだが」
「子供たちには物乞いをさせております」
〈兎〉はそう言って気味悪く笑う。
「物乞いだあ? 修業はどうした」
「それも立派な修行でして。
物乞いなら、ずっと同じところにいても怪しまれませんからねえ」
密偵としての修業も順調というわけか。
「それならいいがな。
そうだ、ほら、活動費だ」
俺は周囲を確認してから、銀貨の詰まった革袋を〈兎〉にわたす。
以前は〈犬〉がこうして給金をこいつに渡していたのだという。
どうせここらで姿を現すだろうと持ち歩いていたのだ。
「ありがとうございます。
これで子供たちにもうまいものを食わせてやれます」
そう言いながら袋をしまう〈兎〉に訊ねる。
「王都の方はどうだ?」
俺の見たところ、特におかしな空気は見られない。
通りの店先も賑やかで、戦が終わってほっと一息といった風である。
だがそれは下々の話だ。
耳のよいこの男になら、上から下まで様々な噂話が舞い込んでいることだろう。
「いろいろきな臭い空気は出ておりますな」
「やっぱり、先王派の連中か?」
戦で勝利し圧倒したとはいえ、先王ギョームについた一派の勢力は未だ大きいはずだ。
また、エリック王の娘であるアデレードも健在である。
どうにかこれを担ぎ出そうとするやつらがいてもおかしくはない。
「いいえ、彼らはもうすっかり大人しくなっておりまして。
どちらかと言えば、ホースヤード伯の方ですな」
「ふむ」
「スティーブン王の戴冠以降、最大の功労者である伯爵の権勢は増すばかり。
今や『王城の門はホースヤード伯邸にある』なんて言われる始末でさあ」
王に陳情するにしてもまずはホースヤード伯へお伺いを立てて許しを貰わなければ話にもならない、という有様であるらしい。
ウェストモント諸侯はともかく、ウェンランド諸侯はそうもなろう。
「もちろん、陛下も現状を良しとは思っておらぬようですな。
今のところ功臣である伯爵を立てておられますが、いずれ対立が表面化するだろうともっぱらの噂です」
あの戦の後の、森婆の薬をもって現れた時の伯爵の不遜な態度を思い出す。
そうしてふと思いついたことを聞いてみた。
「そういや、〈犬〉のやつはどうだ?
元気にしてるか?」
「へえ、そりゃもう忙しそうにしとりますよ」
とぼけられるものとばかり思っていたのに、あっさりとこんな答えが返ってきた。
「やっぱ、まだつながってたか」
「ヒヒヒ、長い付き合いですからね。
ハイさようならと簡単に縁を切るわけにもいきません。
顔を出せばあちらの方も小遣いをくれますんで、時々は噂話を耳に入れに行っております」
あまりにあっけらかんというので、俺は呆れてしまった。
「あのなあ、そう言うのは口に出さないほうがいいんじゃないのか?」
要は、双方に情報を流しているということだ。
あるいは、〈犬〉の指示でそうしているにせよ、それを俺に話すメリットがあるとは思えない。
「まあそうなんですが。
しかし、こんな稼業をしておりますといろんな曲者を相手にするわけです。
そうすると、殿みたいなまっすぐな方といるとかえってやりづらくなってしまいまして」
「そうかい」
そんなもんなんだろうか?
「ヒヒヒ、でもまあ、これだけは信じて下せえ。
この吟遊詩人〈琴弾きのアルフ〉は殿の事は決して裏切りません。
殿には海よりも深い御恩がありますゆえ」
「恩?」
俺は首を捻った。
俺はこいつの世話になりこそすれ、こちらがこいつの世話を焼いたことなんて殆どない。
せいぜいが活動資金として金を渡した程度だが、それとて実際は〈犬〉が払ったようなものだ。
「ええ、そりゃもうでっかい恩でして。
わたしぁ、立派な詩人になることを夢見ておりました。
そして殿はその夢を叶えて下さった」
そう言って〈兎〉は、嘘か本気かまるで読めない顔つきでヒヒと嗤った。
次回は7/3を予定しています




