第九十一話 教育
「あの〈木こり〉のジャック様にお仕えできるなんてとても光栄です!」
谷へと戻る途上である。
目をキラキラさせながらこんなことを言っているこの六歳児は、ホースヤード伯の三男坊だ。
名をウィリアムと言い、今は弓名人のウィルと区別するためウィル坊と呼ばれている。
小姓として俺の世話を焼くのが彼の役回りなのだが、今は馬上にあり、俺がその手綱を引いていた。
馬に跨る彼の姿は、流石に生まれついてのお貴族様だけあって幼いながら堂に入っいる。
平民上がりで風采の上がらない俺と引き比べるとどちらが従者か分かったものではない。
まさに主従逆転といった様相だが、彼がひとりで乗るのにちょうどいい馬もなく、実家であるホースヤード家の財産も修行の時には持ち込めない。
かといって子供の足に合わせて行軍を遅らせるわけにもいかないのでこんなことになっている。
俺はこの子を一人前の騎士に育ててやらなければならないらしいのだが、どこから手を付ければいいのやら。
こんな時、〈犬〉さえいてくれれば――と考えて、俺はこの考えを打ち切った。
いつまでも未練がましいことを考えるべきではないとわかってはいる。
あいつは自らの道を選んだのだし、俺だってそれを認めて送り出したのだ。
だからそれはいい。それはいいのだが、割り切ったところで妙案が思い浮かぶわけでもない。
俺は途方に暮れて、懐に手を入れた。
指先が柔らかな感触を探り当てる。
よくなめされた上等な革でできた小袋で、出発の直前に、人目を憚るように接触してきた師匠から渡されたものである。
中には亜麻糸で結わえられた、とても綺麗な金色の髪がほんの一房だけ入っている。
師匠曰く、姫様からの贈り物であるからお守りとして肌身離さず持っておくように、とのことだった。
また師匠が続けて言ったことには、ウィル坊を俺の元によこしたのも姫様の発案で、ホースヤード伯との取引材料となった俺への気遣いであるらしい。
要するに、人質として使えと言うことなのだろう。
制約に縛られた俺の、せめてもの対抗手段。だからあまり情を移さぬようにと釘を刺された。
何ともまあ。こんな小さな子供を。
姫様達もたいがいだが、それを承知でこの措置を認めたホースヤード伯もいったい何を考えているのやら。
そんな事情を知ってか知らずか、ウィル坊は楽しそうに鼻歌なんぞを歌っている。
よくよく聞いてみれば〈兎〉の奴が作った俺の歌だ。
ローズポート伯との最初の決闘の場面である。
本当のところを話してやったらきっと残念な心持になるだろう。
不憫だ。
せめて俺だけでも真っ当に接してやらねばなるまい。
俺はくじけかけていた心をエイやと立て直し、まず何をすべきかについて考えを巡らせた。
礼儀作法については俺から教えられることはなさそうだ。
心構えについてはまあ、いきなり堅苦しい話をしても面白くあるまい。
俺だって聞きかじったことしか知らない。
だったら、まず教えるべきは戦い方だろう。
歩きながら斧の振り方なんぞ教えても仕方ないので、戦のやり方を教えるのがいい。
「なあ、ウィル坊」
「はい、ジャック様!」
呼びかけるとウィル坊がとてもいい笑顔で返事をする。
素直な子なんである。
とてもあのホースヤード伯の種とは思われない。
俺は彼に尋ねた。
「例えばだ。お前がこの兄弟団の二十人隊の一つを率いているとする。
そこで荷駄隊の待ち伏せを命じられたとしよう。
相手の数はそうだな、荷車三台に護衛の兵士が十人程度だ。
さて、どこに兵を伏せる?」
ウィル坊は辺りをキョロキョロ見回した後、少しばかり離れた森を指した。
「あそこはどうでしょうか?
あの森なら二十人全員で隠れられそうです」
「うん、確かにあそこなら隠れるには十分だ。いいぞ」
まずは褒めることにした。
「だけど、少しばかり遠いな。
確かに俺たちの使う大長弓ならギリギリ届く距離だが、初撃で十分な衝撃は与えられない。
あの森から飛び出して襲い掛かろうにも、時間がかかり過ぎて敵に立ち直る余裕を与えてしまう。
逃げられた場合にも追いついて殺すのに骨が折れる」
ウィル坊が悔しそうに小さく唸った。
「では、ジャック様ならどういたしますか?」
「俺ならそうだな」
俺は森と街道との中間ぐらいにある小さな茂みの一つを指した。
「まずはあそこだ」
「あそこでは小さすぎませんか?
あれでは二、三人しか隠れられそうにありません」
ウィル坊の言うとおりである。
「そうだ。中々いい目をしてるな」
褒めながら彼の頭を撫でまわした。
ウィル坊はえへへと笑う。
「だから、いくつかの茂みに分かれて伏せる。
あそこと、あそこ」
街道の反対側に目を向け。
「それから、そこと、向こうにもだ。
こうすると敵を囲むような形になる。
そうなれば、奴らがどっちに逃げても討ち漏らすことなく皆殺しにできる」
「なるほど! 流石はジャック様です!」
本当に素直な子だ。
こんないい子に最初に教えるのが人殺しのやり方なんかで本当に良かったのだろうか?
「どうかしましたか?」
また考え事が顔に出てしまっていたらしい。
ウィル坊が心配そうにこちらを見つめている。
「いや、気にしなくていい」
殺し方ばかりじゃだめだな。
逆を考えよう。例えば人の護り方とかだ。
「じゃあ視点を変えてみようか。
お前は街道警備の責任者だ。
後に続く荷駄隊のために、街道掃除をするのが仕事だ。
兵力はそうだな。軽装の騎兵が六騎と重装の騎士が三騎といったところか。
三騎の騎士のうち一騎はお前だぞ。
どこに気を付けて見回るべきだ?」
「はい!」
ウィル坊が自信満々に手を上げる。
「先ほど示されたような小さな茂みです!」
「うむ、俺の話をよく聞いていたな。偉いぞ」
そう言って頭をなでるとまた嬉しそうに笑った。
「だが、それだけじゃだめだ。
さっきの森もよく見ておかないといけない。
なぜなら、慎重な襲撃者なら小さな茂みに長時間隠れる危険をよく承知しているからだ。
そういう奴らは、しっかりと隠れられる森の中で警備兵をやり過ごし、襲撃の直前になって配置についたりする。
そういう奴らを見つけ出すのはなかなか難しい。
人影ばかりに気を取られず、足跡や馬糞といった行動の痕跡にも目を配れ。
付近の住人への聞き込みなんかでも意外な情報を得られたりする」
「それは気が付きませんでした」
ウィル坊がしょんぼりと項垂れた。
結局殺し方を教えている気がするな。まあいいか。
「へこむ必要はない。誰だって最初はそうさ」
俺だってそうだった。
〈犬〉にはいつもこんな風に待ち伏せの仕方や、その逆の狩り方、そしてそれから逃れるやり方なんぞを仕込まれた。
それがいつの間にやら教える側だ。
随分と立派になったものだ。
「景色を見る時には、いつでもこういうことを考える癖をつけておくといい。
そうすれば、初めての土地でもある程度、どう戦えばいいかの見当がつくようになる。
これも『良き騎士の習い』ってやつだ」
これを言ったのは、エリックのおっさんだったか。
短い付き合いだったが、多分、いい人だったんだろうと思う。
「はい、心得ました!」
次回は6/19を予定しています




