第九十話 小姓
泉の精から魔法の斧と噓がつけない呪いを賜ったジャックは、それによって伯爵の役人を殺め、故郷にいられなくなってしまう。
逃亡先で手に入れた仲間とともに王女ヴェロニカの配下に加わったジャックは、数々の手柄を上げて小さいながら豊かな土地を治める領主となった。
が、それと同時に、長年苦楽を共にし、頼りにしていた仲間の〈犬〉が彼のもとを去ってしまった。
戴冠式が無事に終わり、王都に集結していた軍勢は解散と相成った。
先の大陸遠征の時と違い、今回の軍勢は味方も元敵もこの島内で召集されていたから、どこの軍勢もそれ以上留まることなくさっさと国許へ帰っていく。
俺たちも帰り支度だ。
荷物をまとめ、帰り道に必要な食料なんかを調達するだけなのだが、これがもうてんやわんやである。
以前ならこういったことは〈犬〉が全部差配してくれたのだが、今はもう俺が自分でやらなければならない。
こういう時には、今までいかに〈犬〉に頼り切っていたかを思い知らされる。
俺たち一党の実質的なリーダーはあいつだった。
だが、俺はそんな功労者に対して十分に報いていただろうか?
むしろ今までついてきてくれたのが不思議なぐらいだ。
不思議と言えばもう一つ不思議な事がある。
あの翌朝、俺は〈獣〉の皆を集めて〈犬〉が抜けたことを告げた後、こう言ったのだ。
「もし、あいつについていきたいという者があったら申し出ろ。
隊を離れることを許す。支度金も渡そう」
元の経緯からすれば、彼らは〈犬〉に従って俺の配下に入ったようなものである。
全員とはいかずとも、何人かはあちらについてくものと思っていた。
ところが、誰一人としてそうする者はいなかったのだ。
これは俺にとって少しばかり意外なことだった。
*
さて、谷への移動準備も終わったので、スティーブン陛下に報告もかねて挨拶をしに行く。
その途中、大通りでジェラルドの軍勢とすれ違った。
総勢千人程で、大陸領の平定に従事する予定だと聞いている。
ジェラルドに見つかるとまたくだらぬ嫌味でも言われそうなので、目立たぬようそっとやり過ごす。
幸いなことにジェラルドの奴は俺に気づかなかったのか、あるいは向こうもこちらを無視しているのか、ともかく何事もなく通り過ぎて行った。
後に続く騎士や兵士の中には、黒盾勢の生き残りらしき盾を黒く塗ったままの者たちがちらほらいた。
あの時とは違いもう所属や身分を隠す必要はないはずなのだが、どうやらあの黒い盾は彼らにとって何かの象徴になっているらしい。
次に身元を隠さなきゃいけなくなったらどうするつもりなのだろうか?
何人かは俺に気づいて誇らしげにその盾を掲げて見せてきたので、こちらも目立たぬようそれに応じる。
隊列の中ほどには弓兵の一団が居て、その先頭にはあのトムがいた。
率いている兵は二百ばかりで、褒美にもらったらしい不釣り合いなほどに立派な馬に情けない顔で跨っている。
どうやらまた出世したようだが、まったく嬉しそうに見えない。
なんともまあ、運がいいのか悪いのかわからない奴だ。
トムは俺を見つけて何か言いたそうに口を開きかけたものの、馬に慣れていないせいか兵士の列に押し流されるようにして消えていった。
哀愁漂うトムの背中を見送り、改めてスティーブン陛下の元へ向かう。
今日は待たされることなくすぐに応接間に通された。
室内には陛下と俺を除けば、最低限の護衛がいるばかりだ。
手に入れたばかりの王冠も今は被っておらず、ごく私的な面会という体裁である。
「陛下におかれましてはご機嫌麗しく。
フォレストウォッチ城主ジャック、帰還前の挨拶に参りました」
スティーブン陛下は、ご機嫌麗しいどころかぐったりとしている。
しかし、これは定型の挨拶なので呪いには触れない。
「お疲れ様です、ジャック殿。
戦が終わったばかりというのに申し訳ありませんが、近くまた出陣をお願いすることになるかと思います。
いくらかの軍資金を融通しますので備えを怠らぬようお願いします」
早速、次の戦の心配をしなければならないらしい。
しかし、俺よりもよほど疲れた様子の陛下にそんなことを言われてしまえば恐縮するほかはない。
「お気遣いいただきありがたく存じます。
殿下が目指す平和な世のためと思えばどうということはありません」
陛下は疲れた顔のまま少しだけ笑みを浮かべた。
「……そう言っていただけると私としてもありがたいですね。
ああ、姉上は少しばかり体調がすぐれないようです。
今日は床に臥せています」
唐突に姫様の話題が出て来た。
陛下にはそんな風に見えてしまっていたのだろうか?
しかし、姫様が臥せっておられるとは心配なことである。
「殿下には御自愛いただくようお伝えください」
「伝えておきます。姉上も喜ぶでしょう。
時にジャック殿、小姓は連れておられますか?」
また唐突な質問だ。
陛下の、先程までとは違うよくできた笑顔に嫌な予感を覚える。
「いいえ、陛下。特に必要を感じておりませんので」
小姓というのは、騎士の世話係のようなものと聞いている。
大抵は十歳前後の子供がその役に充てられるそうだ。
生憎と、平民上がりである俺はお貴族様のように世話をされることには慣れていない。
あんな風に子供にお世話をされては、かえって居心地の悪さすら感じてしまうだろう。
しかし、陛下はそうは考えなかったらしい。
「それはよくありませんよ、ジャック殿。
貴方ほどのお人であれば、小姓の一人も連れていなければ」
「ですが、人手は足りておりまして……」
陛下は苦笑しながら言った。
「ああ、そういう意味ではありませんよ。
小姓とはただの従者とは違うのです」
どうやら、俺の知らない貴族のしきたりについての話らしい。
俺は黙って傾聴することにした。
「小姓とは貴方の手足であると同時に、騎士の卵でもあるのですよ。
小姓たちは主人の振舞を見て騎士の何たるかを学び、将来に備えるのです」
なるほど、親方と丁稚みたいな関係というわけか。
ならばなおの事、俺には負担に思われた。
そうくれば子供の方だってどこぞの騎士の子弟ということになる。
木こり上がりの、偽騎士の下につかされれば嬉しくないに違いない。
「しかし陛下、私のような俄か騎士では、子供たちも何も学べはしないでしょう。
むしろ、私の方が騎士について教えて貰いたいぐらいで……」
ところが、これを聞いて陛下はクスクスと笑った。
何が面白かったかは知らないが、その顔からは少しばかり疲れの色が薄くなり、少年らしい顔つきになっている。
「当代最強の騎士の言葉とは思えませんね。
今この時代においては、貴方こそが騎士なのですよ。
それにまあ、何も負担ばかりというわけではありません。
その子の親とも縁が結べますし、小姓自身とも将来にわたって近しい間柄となります。
有望な子供を小姓とすることができれば、きっと貴方の力となりますよ」
つまりは、騎士としての人脈を得ることができるってわけだ。
確かに今の俺に必要なものではある。
だが一つ問題があった。
「お話は分かりました。
しかしながら、私のような者に子供を預けて頂ける方には心当たりがなく……」
悲しいかな、俺には人脈を得るための人脈がないのである。
陛下が、ニッコリと笑った。
先ほどちらりと見せた少年らしい笑みではない。
表舞台で見せるような、いかにも王族らしい目つきをしている。
「であれば、少しばかり私に力にならせてください。
実は、さるお方から貴方への仲介を頼まれていたのですよ」
「というと、小姓を紹介していただけるということですか」
「ええ、そうです。
ぜひともジャック殿のような力強い方の元で子供を学ばせたいとおっしゃる方がいたのです。
私としても、このお話を受けて頂ければ面目が立ちます。
よろしくお願いできないでしょうか?」
どこのもの好きかは知らないが、なんとまあ。
わざわざ国王陛下にお願いまでして、自分の子供を木こりの下につけようとするなんて。
とはいえ、陛下としてもその立場はまだ決して盤石ではない。
わずかな恩であっても、機会を逃さず売っておきたい時期のはずだ。
ならば、俺も家臣としてできる範囲で手助けはするべきだろう。
「左様な話であれば、小姓の件、引き受けさせていただきます」
陛下がほっと小さく息を吐いた。
「ありがとうございます。
教育についてはさほど心配はいりません。
とても賢い子で、既に一通りの作法は身に着けています。
実はもう控えの間に呼んでいますので、早速顔合わせを済ませましょう」
そう言って陛下が入り口にいた従者に合図をすると、音もなく扉が開き一人の子供が入ってきた。
年の頃は六、七歳といったところか。
幼いながらも利発そうな顔つきである。
少年は俺よりもよほど堂に入った所作で陛下に一礼した。
なるほど、陛下のおっしゃる通りだ。
これならば問題はあるまい。
なんなら俺が教えて貰う側になりそうだ。
そんなことを考えていたところで、少年が名乗りを上げた。
「ホースヤード伯ジョンの子、ウィリアムにございます」




