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14 裏腹ジェラシー

自己完結系ヒロイン

「……んぅ……」

 窓から差し込む日差しから逃げるように、わたしはのそっと体を起こす。まだぼんやりとした視界を巡らせば、隣にはまだ気持ち良さそうな寝顔を浮かべるハルちゃんの姿があった。

 わたしは首を回し、窓の外を目を細めて眺める。白い光が、鋭く目を刺した。

「……朝」

 いつもなら、もうとっくに起きて朝ごはんの支度を済ませている頃。わたしにしては珍しく寝坊してしまったようだった。

 寝坊の理由は明白。昨晩は『あの出来事』のせいで中々寝付けなかったからだ。

「んん~、リンちゃ~ん……むにゃむにゃ……」

 ハルちゃんが夢の中でわたしの名前を呼んでいる。きっと、いい夢を見ているに違いない。わたしとは違って。

「うぅ……」

 昨晩のあの出来事。思い出しただけで体が震えてくる。思い出したくない。考えたくない。でも、ハルちゃんの隣に居ると、昨日のあの光景が、やり取りが、脳内で何度もループする。

 まるで、壊れたビデオデッキのように。


 ***


『お帰り! ハルちゃ――』

 昨晩、ハルちゃんの帰りを今か今かと待っていたわたしは、ドアの鍵が開く音を聞きつけ、玄関へ飛んでいった。しかし、わたしが見たものは、想像とは全く異なる光景だった。

『あ~、リンちゃぁ~ん、ただいまぁ~』

 そこには、酔っ払い、すっかり顔を赤くしたハルちゃん。そして、

『あぁ、良かった。栢野さんの妹さん、ですか?』

 彼女に肩を貸している、わたしの知らない男の人の姿があった。

『え、えっと……』

 驚き戸惑って何も言葉が出なかった。そんなわたしに、男の人はにこやかに話し出した。

『済みません、急にお邪魔してしまって。僕は、栢野さんの同僚の加藤と言います』

 そう言って、男の人は一つ頭を下げた。わたしもつられるようにしてペコリとお辞儀をした。

 男の人、加藤さんは、長身で爽やかな印象の若い人だった。そのハキハキした口調のまま、彼は続けた。

『今日、会社の飲み会があったんですけど、この通り、栢野さんがすっかり酔っ払ってしまったので、僕が家まで送ることになったんです』

『もぉ~、わらしはだいじょ~ぶらっていったんらよぉ? でもぉ、昭人くんが心配だ~ってゆって聞かないのぉ』

『まったく、人に掴まらないとまともに歩けない人が何言ってのさ。じゃあ、済みません、少しお邪魔しますね』

 そして、加藤さんは、ハルちゃんの肩を抱いて玄関を上がろうとした。その瞬間だった。

『ダメッ!!』

 気付けば、わたしは叫んでいた。その直後、ハッとしたわたしは言い訳をするように、目を泳がせて言葉を探した。

『えっと……は、春香ちゃんのことはわたしに任せてください。こんな夜遅くに迷惑をお掛けしました。ほら、ハルちゃん。肩貸すよ』

 そして、少し強引に加藤さんからハルちゃんを引き剥がした。ハルちゃんの体重が一気にのし掛かり、わたしは顔を歪めた。その様子を、加藤さんは少し眉を寄せて見ていた。

『あの、本当に大丈夫ですか? もしよろしければ、お手伝いしますよ』

『いえッ! ……結構です。後のことはわたしが面倒見ますから』

 語気を強めて言えば、加藤さんは喉まで出かかった言葉を飲み込むような表情をしながら、『では、失礼します』と言ってわたしたちに背を向けた。

 その背中に、ハルちゃんが声を掛ける。

『あれぇ? 昭人くんかえっちゃうのぉ~? もうちょっとゆっくりしてったらいいのに~。そ~だぁ、これからいっしょに飲みなおそぅよ~』

『――ッ!?』

 わたしは自分の耳を疑った。まさか、ハルちゃんの口からそんな言葉が飛び出してくるだなんて。心の中で、叫び声がこだました。

 しかし、それを聞いた加藤さんは、首だけでこちらを振り返り、

『いえ、僕はこれで失礼します。もう、夜もすっかり深まってしまいましたから』

 そう言い残し、彼は玄関の扉を押し開けていった。



 それから程なく、ハルちゃんは眠ってしまった。すぅすぅと気持ち良さそうな寝息を立てる彼女の隣で、わたしはずっと眠れないでいた。さっきのあのやり取りが頭の中に反響するように離れなかったから。

『なんだか、すごく仲良さそうな話し方だったなぁ』

 初めて聞いた。ハルちゃんが、わたし以外の人に甘えるのを。それも相手は男の人。あの人のことを、下の名前で呼んでた。

 自然と鼓動が早くなる。わたしは体に掛けていたタオルケットを剥ぎ取った。

『ほら、やっぱり言う通りだった』

 わたしは、ハルちゃんの全てを知っているはずだった。好きな食べ物も、好きなアクセサリーのタイプも、好きな服も。お風呂で初めに洗う所だって知ってる。けれど、それで全てじゃなかった。ずっと小さい頃から一緒だったわたしにも、、今のハルちゃんの知らないことだらけだった。

 あんなハルちゃん、初めてだった。お酒に酔っている姿も、男の人に甘える姿も。わたしの知らないハルちゃんを、あの男は、加藤昭人という男は、知っていたりするのだろうか。

 あの男の顔が、瞼の裏にチラついて止まない。思い出すたびに、酷く呼吸が乱れ、鼓動が早くなる。

 ぽっと出のあの男は、ハルちゃんの肩を抱いて現れて、そしてあろうことか、この家に上がろうとしたのだ。この、わたしとハルちゃんだけの空間に。

 いやだ。それだけは絶対に。ここには、わたしとハルちゃんだけ。他の誰かにも入れさせはしない。邪魔されてなるものか。

 ……でも、それはわたしの勝手な思いなのかもしれない。

『だって、春香のほうから誘ってたじゃない。一緒に飲み直そうって』

 分からない。ハルちゃんの思いが。わたしのことをどう思っているのか。そして、あの加藤とかいう男との関係も。

 あの人とハルちゃん、すっごく仲良さそうに話してた。年も近そうだったし。あの男はハルちゃんと同僚だって言ってたけど、本当にそれだけの関係だろうか。

『ひょっとして、恋人だったりして』

 …………。

 ……。

 隣を見下ろせば、スヤスヤと眠るハルちゃんの可愛い寝顔。この世の穢れを知らぬかのような、無垢な少女のよう。

 わたしの宝物。わたしだけの、愛しい春香ちゃん。


 でも、それって誰が決めたの?


 隣にいるのは、わたしのよく知っているハルちゃんの姿。でも、それが全てじゃない。わたしの知らないハルちゃんが沢山いる。

 恋人と居るとき、手を繋ぐとき、キスをするとき、愛し合うとき、ハルちゃんは一体どんな顔をするのだろうか。

 ……その顔を知っている人が居るのだろうか。


 ね? だから言ったでしょ?


 ハルちゃんを穢したヤツが居るかもしれない。そう考えただけで、わたしの胸の中で例えようのない黒いもやもやが成長する。息は荒くなり、鼓動は加速し、絶叫したい衝動に駆られる。

 まるで狂ったように、頭を抱えてぶんぶんと左右に揺する。それでも、もやは消えず、大きくなるばかり。

 ……こんな感情を、何て呼ぶんだろう。

 起こしていた上半身を寝かせ、ハルちゃんと向かい合う。鼻と鼻が触れ合うくらいまで顔を寄せる。

『……春香ちゃん』

 起こさないように、そっと手を握る。ハルちゃんは変わらず気持ち良さそうに夢の中だ。

 ……今、貴女はどんな夢を見ているの? 誰の夢を見ているの?

 わたしは、臆病者だ。だって、寝ている貴女にこうすることが、今のわたしの精一杯のアプローチだから。


 ***


「はぁ……はぁ……」

 一夜明けた今でも、昨日のことを思い出すだけでどうにかなってしまいそう。わたしは何とか気を紛らわそうと、すくっと立ち上がり、朝食などの準備に取り掛かることにした。

 何も変わらない。寝室も、居間も、台所も、玄関も。わたしとハルちゃんだけの空間。心の中に安堵の気持ちを感じながら、着替えを済ませ、顔を洗う。そして朝食のおかずに目玉焼きを作っている頃に、ハルちゃんが寝室からのそのそとやってきた。

「おはよう、ハルちゃん」

「ん~、おはよぉ~」

 まだ眠たそうに目を擦っていて、髪もボサボサだ。後で櫛で梳いてあげよう。そう思っているうちに、朝ごはんの用意ができた。

「ハルちゃん、朝ごはんできたよ」

 もう既に席に着いているハルちゃんにそう呼びかけ、テーブルの上に配膳していく。そして、わたしも彼女と向かい合って座り、二人揃って手を合わせる。

「いただきます」

 その言葉の後、ハルちゃんはいつもの調子を取り戻したようにごはんを食べ進め、

「美味しい! リンちゃん、今日もありがとね」

 と、わたしに微笑みかける。その言葉に若干はにかみ、わたしもさっさと食べてしまおうと箸でご飯をつまむ。それを口元に運ぶが、その手前でわたしは手を止めた。お腹は空いているはずなのに、食欲が全く湧かない。

「どうしたの? 食べないの?」

 それを見かねたハルちゃんが心配そうな目をこちらに向ける。心配をかけまいと、何とか言葉を探す。けれど、ふと口から出た言葉は、自分の考えとはまったくの真逆だった。

「…………昨日の、あの人」

「ん? 昨日? もしかして、加藤くんのこと?」

「……」

 昨日は、ハルちゃん、あの人のことを下の名前で呼んでいた。それなのに、今はあの人のことを苗字で呼ぶんだ。

 わたしは箸を置き、お椀に盛られたごはんを見つめながらぽつりと呟くように言う。

「あの人とは、どんな関係なの……?」

 言い終わった後から、わたしは後悔した。わたしは箸を持ち直し、ごはんを口に運んだ。視線は下に向けたまま。

 口をもぐもぐと動かしながら、さっきの言葉がハルちゃんに聞こえなかったことを願う。だって、さっきの聞き方じゃ、まるで……

「……もしかしてリンちゃん、妬いてる?」

 まるで、嫉妬してるみたいじゃない。

 そこで、わたしははっとした。そうか、わたしは嫉妬していたんだ。見知らぬ男が急に現れて、ハルちゃんと仲良くしてたから、それで。昨日感じた黒いもやの正体も、きっとこれだったんだ。

「嫉妬……そうかも、しれない」

 蚊の鳴くような声で、ぼそっと言う。それを耳聡く聞いていたハルちゃんが笑い出した。

「リンちゃんやきもち焼いてるの? えへへ、意外だなぁ」

 普段なら、からかわないで、とか言うところだけれど、今回は何も言えずに黙って俯いていた。恥ずかしさをいっぱいに噛み締めながら。

 そんなわたしの様子を怒っていると勘違いしたのか、ハルちゃんは少し慌てた声で続ける。

「あ、えっと、ごめんね、ヘンに笑っちゃって。でも、安心して。加藤くんはただの会社の同期ってだけ。それだけだから」

 そして、ハルちゃんは静かに味噌汁をすする。わたしも、目玉焼きを箸で切り分け、一切れを口に運ぶ。

 ……本当に、それだけだろうか。

 わたしは知らない。会社での、外でのハルちゃんの姿を。知っているのは、家の中での姿と、昔の思い出の中のハルちゃんだけ。それだけで、わたしは彼女のすべてを知った気でいたのかもしれない。

 もちろん、ハルちゃんが嘘を言うだなんて思いたくない。けれど、昨日のハルちゃんの言動が、わたしの思考の邪魔をする。もしかしたら、ハルちゃんはあの男と……って。

『もう子供じゃない、立派な大人なんだから』

 昨日、恵理子ちゃんが言ってた言葉を思い出す。そうだ、もう子供じゃない、一人の大人なんだよ、ハルちゃんは。昔みたく、わたしたち二人だけで居られるはずがなかったんだ。

 ハルちゃんが、どんどん遠くへ離れていく。こんなに近くにいるのに、同じテーブルに着いてご飯を食べているのに、ハルちゃんをとても遠くに感じてしまう。

 ……きっと、すべて恵理子ちゃんの言った通りなのかもしれない。わたしはただの夢見がちな子供で、ハルちゃんがいつの間にか大人になったことにすら気付かなくて、ずっと一人でおままごとをしていただけだったんだ。

 なら、もう夢から醒めないと。そうしないと、次に目を醒ましたとき、きっとすごく辛くなる。

「ごちそうさま」

 気付けば、ハルちゃんは既に食べ終えていた。空いたお皿を重ね、台所へそれらを持っていく彼女を、箸を咥えながら何となく目で追う。そして、よく目立つのはボサボサの髪。

 あぁ、そうだった。髪を梳いてあげなきゃ。そう思った瞬間、わたしはついさっきの自分の決意を思い出した。

 台所から水音が鳴り、やがてお皿を洗い終えたハルちゃんがこちらにやってきた。

「えへへ、リンちゃん」

 ニコニコとしたその顔を見上げる。

「なに?」

「えっと、食べ終わったらでいいんだけど、髪、梳いてくれないかな? お願い」

 その言葉を聞いたわたしは、視線を手元に戻し、感情を殺した声で答える。

「……それくらい、自分でやったら?」

「え……」

 ハルちゃんが戸惑っているのが、見ていなくても分かる。いつもだったら、わたしが進んでやってあげていたのだから。

「で、でも、自分じゃあんまり上手に出来ないの。だから、ね? お願い」

 ハルちゃんは姿勢を低くして食い下がってくる。そんな彼女に、わたしは目だけを向けて言った。

「……ハルちゃんのほうがお姉さんでしょ? わたしはいつも自分でやってるよ」

「うぅ……わかった……」

 観念したように、ハルちゃんは少し項垂れて洗面台へと向かって行った。

 ……これでいいんだ。もうこれ以上、甘い夢を見てはいられない。

 だから、これでいいんだ。そのほうが、ハルちゃんもきっと、楽になれる。

 貴女に対してわたしがでしゃばる必要なんてない。


 ……ねぇ、そうでしょ?

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