13 青春アブノーマル
誰に対しても”正常”である人はいないと思います。エビフライのしっぽを食べるかどうか、シチューをご飯にかけるかどうかという小さいことでさえも人は分かり合えなくなることがあるのですから。
セミたちはいつでも元気だなぁ。
疲れを知らないセミたちの声が、空き教室に際限なく響き渡る。わたしはその声に耳を傾けながら、蒸し暑い空気を大きく吸い込む。
壁に掛けられた時計をちらりと見ると、時刻は6時過ぎ。部活は終わり、多くの生徒は下校していく中、わたし、南恵理子はある空き教室でたそがれていた。
この教室にはわたしの他にもう一人、岸本がいた。岸本は適当な席に腰掛けて、わたしはその一つ前の席の机の上に座っていた。
岸本は頬杖をついて窓の外を眺め、わたしは反対の廊下側を眺めていた。お互い、何をするでもなく、言葉を交わすでもなく。
「そいえばさ……」
わたしは思い出したかのように、横目で岸本を見る。
「調子の程はどうなの? 園田さんとの関係に進展はあった?」
岸本は窓の外へ顔を向けたまま、しかしその目は下を向いている。少し考えてるみたい。
「……どうなんだろうなぁ。多分、友達くらいには思ってくれてると思う」
セミにも負けそうな声で、自信の無さそうに岸本は言った。まったく、らしくない。わたしは一つため息をついた。
「もぉ、もっと頑張りなさいよね。あんたの為に、いろいろ協力してあげてるんだから」
そうは言いつつ、わたしの口元は笑っていた。何だかんだで、こういった話題に首を突っ込むのは楽しい。
「そんなにナヨナヨしてないで、もっと男らしく胸を張りなさい。いくら顔が良くったって、情けない男は嫌われるよ」
だから、こうして度々岸本にアドバイスをあげたり、環境を整えたりしてる。それもこれも、見ていて楽しいからだ。
「そうだな、お前の言う通りだ」
わたしの言葉で、岸本は少しやる気を取り戻したみたい。彼の締まった表情を見て、わたしは少し目を細めた。
わたしが鈴ちゃんと岸本の間を取り持つようになった切欠は、ある春の日のこと。その日、岸本が放課後に急にやってきて、相談したいことがあると言ってきた。それで話を聞いてみると、どうやら鈴ちゃんのことが気になるとのこと。それで、よく気心の知れていて、鈴ちゃんとよく一緒にいるわたしに相談に来たということだった。
『俺、園田さんのこと……好き、なのかも知れん』
そんなことを言われれば、手伝わないわけにはいかないよね?
それからわたしは、時々岸本の相談に乗ったり、鈴ちゃんと一緒になれるよう場をセッティングしたりと、若干お節介になったりもした。が、それはムダではなかったようだ。わたしから見ても、少しずつ、二人の距離は近づいているような気がしているから。それが友達としてなのか、男女としてなのかは分からないけど。
「ま、頑張りな。わたしも陰ながら応援してるから」
わたしは机から立ち上がり、岸本に背を向ける。わたしもそろそろ帰ろう。
「んじゃ、帰るね。また明日~」
そして、わたしは手を振りながら歩き出す。その背中に、岸本も「また明日」と声を掛けた。
教室を出て、誰もいない廊下を歩く。セミの声がうるさいはずなのに、自分の靴音が異様に大きく聞こえる。
「はてさて、どうなることやら……」
少しニヤけた表情のまま、わたしは昇降口へと向かった。
***
***
永遠に続くかのように思われた夏休みも、あれよあれよと時は過ぎ、残りはほんの僅か。8月もその三分の二は既に過去の思い出となってしまった。
それでも、この暑さとセミの合唱は未だ終わらない。遮る物のない高い空からは鋭い日光がドバドバと降り注ぎ、わたしの全身を重く突き刺してくる。
普段なら家に篭りきってそれを免れるのだが、今日だけはどうしても外に出なければいけない用事があった。そう、学校の登校日である。
部活動に所属していないわたしは、真っ昼間に外に出ることはあまりなく、日が傾く頃合にバイトに出かけるという生活を続けていた。そんなわたしの紫外線を知らぬというようなお肌は、無残にも日に焼かれ、明日には痛みが出るに違いない。
わたしは一つ、ため息をつく。気がつけばホームルームは終わり、帰る時間。あるいは、部活の時間だろうか。周りの同級生たちは、荷物を纏めてせっせと教室を後にしていく。
「鈴ちゃ~ん!」
そんな中、わたしの元にやってくる一人の影。すごく久しぶりに会う恵理子ちゃんの姿があった。
今日は部活は休みだということで、わたしと恵理子ちゃんは途中まで一緒に帰ることとなった。
こうして隣に並んで彼女と歩くのも随分久しぶりだ。わたしの横で楽しそうに話す恵理子ちゃんの肌の色を見て、時間の流れを実感した。
それでも、恵理子ちゃんの中身は相変わらず。普段通りの明るさで、夏休み中の家のこことか、部活のこととか、まるで湧き出す泉のごとく話し続ける。それを聞きながら、わたしは適当に相槌をついていた。
あぁ、そういえば、こんな感じだったな。昔を懐かしむ感覚に浸りながら、わたしたちは並んで歩く。
「鈴ちゃんは? 夏休みはどう過ごしてたの?」
「え?」
唐突に質問を振られた。暑さでぼぉーっとしていたわたしは、思わず変な声を出してしまう。
「あ、あぁ、夏休みね。うーん、まあ普通に宿題したり、バイトしたり、あとは家でごろごろしたり」
これまでの生活を思い出しながらそう答えると、恵理子ちゃんは驚いたように声を上げた。
「えぇ!? 他には何か無いの!? どこかに遊びに行ったりとか!」
「えっと……うーん、無いかなぁ」
正直遊びに行けたらとは思った。折角の長期休暇だし、楽しみたかったって気持ちはあった。だけど、残念なことにハルちゃんは社会人。わたしたち学生のように休みは長くない。そのためそうそう遊びに行くこともなく、強いてあげるなら、ハルちゃんと一回海に行ったことくらいだ。
それを知ってか知らずか、恵理子ちゃんは呆れたように息をついた。
「はぁ~、ダメだよ? そんなんじゃ。花の高校生が聞いて呆れるよ。折角の高校生の夏、楽しまなきゃ損だよ!」
「そうは言っても……」
ハルちゃんが仕事で頑張ってる中、一人だけ外で遊んでくるのは気が引ける。出来れば二人で、とつい考えてしまう。
こんなわたしは、恵理子ちゃんの言う花の高校生ではないのかもしれない。
そんな中、視界の端に映る店の戸がドアベルの音とともに開かれた。ちりんちりん、という涼しげな音だった。
無意識にそちらへ目を向ければ、知らない高校の制服を着た男女が二人とも笑顔になりながら店を出るところだった。どうやら、あの店は喫茶店のようだった。
もしかして、あの二人は付き合ってたりするのかな。そう思った瞬間、
「あれだよあれ! ああいうのだよ!」
恵理子ちゃんが興奮した息遣いでわたしの肩を掴んだ。わたしは不意をつかれ若干よろめいたが、それに構わず、恵理子ちゃんは続ける。
「あの二人、絶対付き合ってるよ! あれが放課後デートってやつだね! やっぱわたしたちも花の高校生なんだから、いい男を見つけて青春しなきゃ!」
そう言うなり、恵理子ちゃんは腕を組み、うんうんと頷いた。彼女の言葉を聞き、もう一度彼らへと目を向ける。
あれが青春。そっか、やっぱりあの子も、男の子を好きになったのか。
恵理子ちゃんは興奮しきっていて、今にも叫びだしそうな勢いだけれど、わたしはそうはなれなかった。
だけど、わたしはふと想像する。もし、放課後の夕暮れに、仕事帰りのハルちゃんと一緒にのんびりカフェかなんかで過ごせたらって。きっとその時には、前みたいに間接キスとかしちゃったりするのかもしれない。こういうのは、恵理子ちゃんの言う青春の内に入るのかな。
「ねえ、恵理子ちゃん」
「ん? なに?」
さっきからずっと目をキラキラさせっぱなしの彼女に、わたしは静かに問いかける。
「何も男子にこだわる必要はないんじゃない? 普通に女の子同士で仲良く遊んだりするのも青春でしょ?」
すると、一瞬の間の後、恵理子ちゃんはどっと笑い出した。
「あっははは! ちょっと鈴ちゃん、それ本気!?」
「え……?」
予想外の反応に、わたしはきょとんとしてしまう。
「わたしたちはもう小学生や中学生じゃないんだよ? もう子供じゃない、立派な大人なんだから!」
そう言って、彼女は止めていた足を前に進め始めた。わたしは彼女の後を、何も言えずに付いていく。
もう子供じゃない。恵理子ちゃんは確かにそう言った。なら、ハルちゃんのことが好きなわたしは、まだ子供ってことなのだろうか。やっぱり、わたしの胸の内に眠るこの思いは間違ったものなのだろうか。
自分で自覚していたつもりだった。自分が少し、周りと比べてズレているってこと。でも、それを他人に指摘されると、途端に悲しくなった。
わたしは一体どうしたらいいんだろう。誰かに相談することも、本人に打ち明けることも出来ない。もし、この悩みから抜け出す方法があるとすれば、恵理子ちゃんに言わせれば『大人になる』ことなのだろうか。
彼女に気付かれないよう、小さく息をつく。その場から歩き去ろうとする中、横目で先ほどの二人のほうへ目を向ければ、二人もまた、手を繋いで歩き去ろうとするところだった。
***
家に帰り着いてから時間は過ぎ、既に時刻は10時過ぎ。とうに日は沈み、窓の外へ目を遣れば、見えるのは窓ガラスに映る自分の姿だけ。秒針の音だけが大きく耳奥に響く。
テーブルに着き、はぁっと息をつく。晩御飯の準備は既に済んでおり、目の前にはご飯とおかずが並んでいる。
今日はやけにハルちゃんの帰りが遅い。いつもならとっくに帰ってる時間なのに。そう疑問に思った瞬間、わたしはふと今朝のハルちゃんとのやり取りを思い出した。
『今日、会社の人たちと飲み会があるから、帰りが大分遅くなると思う』
あぁ、そうだった。すっかり忘れていた。わたしは目の前のテーブルの上に並べられた二人分の夕食を眺めて再びため息をついた。
仕方ない。ハルちゃんの分は、明日の朝ごはんで食べよう。
わたしはのっそりと席を立ち、ハルちゃんの分のご飯にラップをしていく。
「……」
胸の奥がゾワゾワする。恵理子ちゃんと一緒に帰った頃からずっとだ。
どうして、こんな気持ちになるんだろう。恵理子ちゃんにヘンなことを言われたからかな。ヘンなこと? ヘンなことって?
『わたしたちはもう小学生や中学生じゃないんだよ? もう子供じゃない、立派な大人なんだから!』
ハルちゃんと一緒にいたいってことが、ハルちゃんのことが好きってことが、子供だって言うの? ……例え、例えそうだったとしても、わたしには関係ない。だって、ハルちゃんだって……。
胸の中のゾワゾワが大きく成長していく。それはまるで、わたしを内側から呑み込むかのように。
ハルちゃんだって、わたしのことを好きだって言ってくれた。他人がどうこうなんて関係ない! わたしはハルちゃんが好きで、ハルちゃんも同じ気持ちのはず。わたしたちの間に、他人の意見なんか要らない!
『……そう……でも、それって本人から直接聞いたことなの?』
……え?
心臓がぴくりと跳ねる。
『春香はあなたのことが好きって言ったけど、その『好き』とあなたの言う『好き』は別物なんじゃないの?』
そ、そんなこと……
『だいたい、春香だっていい歳した社会人なのよ? あなたの知らない所で恋人の一人や二人作ってたって不思議じゃないでしょう?』
そ、そんな、適当なこと言わないで!
『適当なのはあなたの方じゃない。いつも自分の良い様に解釈してばっかり。あなたが知ってる春香の顔なんて、精々家のソファでくつろいでるときくらいなものじゃない。他の所であの子がどんな顔してるか、知ってる……?』
いや……ッ! やめてって言ってるじゃないッ!
『あの子、恋人と会った時は一体どんな顔をするのかしら?』
やめて
『手を繋ぐ時は? キスをする時は?』
やめてッ!
『……愛し合う時は、一体どんな蕩けた顔をするのかしら?』
「いい加減にしてッ!!」
バタン、冷蔵庫の扉を勢い良く閉める。そして、足から力が抜けるように、わたしはペタンとその場に座り込んだ。
なんだか、悪い妄想に取り付かれてるみたい。それもこれも、恵理子ちゃんにあんなことを言われたからだ。
あぁ、早くハルちゃんに会いたい。会えば、この気持ちはすっかり晴れると思うから。だから、早く帰ってこないかな。
ハルちゃんの分だった夕食を冷蔵庫にしまい終え、わたしは再びイスについた。あまり食欲は湧かないけれど、自分の分は食べてしまわないと。そう思い、箸を手に取ったその時だった。
ガチャッ、と玄関の方から音が聞こえた。その音に、わたしは弾かれたように立ち上がった。
帰ってきた! やっとハルちゃんが帰って来たんだ!
わたしは居間を飛び出し、玄関に向かって駆けていく。そして、
「お帰り! ハルちゃ――」
その次の瞬間、わたしは言葉を失った。目の前の光景が、あまりに信じられなくて。
「あ~、リンちゃぁ~ん、ただいまぁ~」
酔っ払い、すっかり顔を赤くしたハルちゃん。そして、
「あぁ、良かった。栢野さんの妹さん、ですか?」
彼女に肩を貸している、わたしの知らない男の人の姿があった。




