12 君色ファイアーワークス
私の描く人物は基本臆病なようです
わたしは、栢野春香のことが好きだ。友達としてのような、友情の意味での好きじゃない。わたしはハルちゃんに、心の底から恋してる。
この恋心をいつから抱き始めたかはもう覚えていない。ずっと昔、まだわたしがほんの子供だった頃は、ハルちゃんのお姉さんでいなきゃいけない、わたしがハルちゃんを見ていてあげなきゃ、守ってあげなきゃいけないって思ってた。それがいつからか、恋心に変わっていた。
でも、まだ幼かったあの頃は、自分のその気持ちにすら気付かなかった。ただ、ハルちゃんと一緒にいたいと思った。ずっとずっと、ハルちゃんのお姉さんでいたかった。だから、結婚しようだなんて子供みたいな約束を交わした。その意味も十分に知りもせずに。
あれから、随分な時間が経った。わたしは高校生になって、ハルちゃんは社会人になって三年目だ。もう二人とも、無邪気な子供じゃない。無垢な子供じゃいられない。
今でも、ハルちゃんへの気持ちは変わらない。いや、むしろ大きくなるばかりだ。もう、この両腕では抱えきれないくらいに。
でも、わたしはもうあの子供の頃とは違う。わたしは知ってしまった。女の子同士で恋することが普通ではないことを。女の子同士では結婚できないことを。
わたしのこれまでの友達は、みんな男子を好きになった。女の子を好きになった女子は一人もいなかった。だから、わたしは普通ではないのかもしれない。女の子に恋してしまったわたしは、異常なのかもしれない。
もし、ハルちゃんが『普通』だったらどうしよう。仮に『普通』だったとき、わたしの気持ちを知ったら、ハルちゃんはどう思うだろう。嫌われちゃうかもしれない。もう、一緒にいられないかもしれない。それを考えただけで、わたしは震えるほど怖かった。
一人で過ごしたあの数年間を、一体ハルちゃんがどう過ごしてきたか、わたしは一切知らない。今だって、会社での付き合いのことは全く分からない。もしかしたら、誰か好きな人がいるかもしれない。たとえ今いなくても、ハルちゃんは可愛いから、言い寄る男は多いだろう。もし、その人と付き合うことになったら……。
わたしは怖い。ハルちゃんの気持ちに踏み込むことが。
わたしは怖い。ハルちゃんの心が離れていくことが。
わたしは、あなたのことが分からないよ。
手を繋ぐ意味は? ハグをする意味は? あなたの言う『大好き』の意味は?
わたしには分からない。知りたいけれど、知ることはできない。今の関係が壊れることが怖いから。ハルちゃんとまた、離れ離れになることが怖いから。また、一人になるのが怖いから。
だから、わたしは変わらない。これまでも、これからも、大好きなあなたを、側で見つめるだけ。
それがきっと、わたしの最大の幸せだから。
***
「リンちゃん! ねぇ、リンちゃんってば!」
「は、はいっ!」
大きな声で呼びかけられ、はっと現実に返る。目の前には、二人掛けのテーブル席に一人腰掛けるハルちゃんがわたしを見上げていた。
波の寄せる音が響く中、わたしの手にはボードとペンを持っていた。
あぁ、そうだった。今はバイト中だった。
若干焦りを覚えつつ、一度頭を下げる。
「すみません、ご注文、もう一度よろしいですか……?」
再び訊くが、スーツ姿のハルちゃんは注文を言う代わりに眉を寄せた。
「ぼーっとしちゃって、大丈夫? 疲れてない?」
一応はわたしとハルちゃんは店員とお客の関係。あまりバイト中に普段の会話は挟みたくない。なので、適当に返して注文を促そうとする。
「わたしのことはお気になさらず。それより、ご注文は」
「う~ん、まあいいや。ミルクティーとバニラアイスで」
ハルちゃんは納得のいかないといった表情をしていたけれど、それ以上は踏み込んでこなかった。たぶん、こっちの立場を考えてくれたんだろう。
「かしこまりました」
短く返すと、わたしはカウンターの奥へと引っ込んだ。
このバイトを始めてからもう4ヶ月経つ。一年の三分の一。今思えば早いものだ。
もうすっかりこのバイトも板に付いてきたし、こうしてハルちゃんに対して接客するのも慣れたものだ。初めはあんなに恥ずかしかったのに。時の流れって怖い。
「園田さん、これ、二番テーブルね」
そうこう考えているうちに、ハルちゃんの注文の品が出来たようだ。それらをプレートに載せ、彼女の座るテーブルへ向かう。
「お待たせいたしました。ミルクティーと、バニラアイスになります」
「ありがとう」
そして頭を一度下げ、定位置であるカウンターの裏へ戻ろうとしたときだった。
「あ、待って」
振り返ると、ハルちゃんがにこにこしながらこちらを見上げていた。
「どうされましたか?」
「あれ見て、あれ」
そう言ってハルちゃんが指差すほうを見ると、壁に一枚の張り紙がされていた。それには、毎年恒例の花火大会について書かれていた。
「花火大会、今日だったんだね。今気付いたよ」
彼女がぽつりと言葉を零す。
花火大会か。去年も一昨年も、ハルちゃんと一緒に見に行ったなぁ。
ふと、大きな窓の外へ目を遣る。瞬間、橙色の光がわたしの目を刺した。わたしはチカチカする目を何度かしばたかせる。
「ねぇ、これから一緒に行こうよ。あ、でも、時間あるかなぁ。バイトがあるもんね」
花火大会開催の日付は今日だった。けれど、夏休みだけに少し長めにバイトを入れているので、花火大会の時間とバイトの時間が少し重なっていた。
「ちょっと厳しいかもしれない。でも、なるべく早く帰るから。そしたら、今夜一緒に花火、見に行こう」
「うん、分かった。じゃあ、家で待ってるね」
ハルちゃんはにっこりと笑う。わたしも、つられてはにかんだ。
しばらくして、店に残っていた最後のお客が帰っていく。店内にいるのはわたしと店長だけ。静かな波の音と眩しいオレンジ色が、店内に満ちた。
今日、ハルちゃんと花火を見る。想像しただけで、思わず浮き立ってしまう。あぁ、早くバイト終わらないかなぁ。そんなことを考えていると、店の奥から店長が現れた。
「ふぅ、園田さん、今日もお疲れ様」
そう言って、店長は店先に吊るされたプレートをひっくり返し、『close』の文字を表にした。
わたしは思わず戸惑ってしまう。
「て、店長、まだ閉店時間ではないですよ?」
言うと、店長は小さく笑った。
「はっはっ、いやあ、最近は少し肩が痛くて、今日はもう休もうと思ってね」
そして、店長は肩を回しながら濡れた布巾を手に取った。
「後片付けはこっちでやっておくから、園田さんは早く帰るといい」
そして一度わたしに微笑みかけると、店長は各テーブルの掃除に取り掛かった。
店長の言葉が嘘であることはすぐにわかった。いや、むしろ気付かないほうが無理というものだ。きっと、わたしとハルちゃんの会話を聞いてしまって、わたしに気を遣ってくれたんだろう。ふふ、大人って回りくどい。
心の中でくすりと笑う。そして、控え室に戻る前に、もう一度店内へ振り返り、
「ありがとうございます、店長」
とだけ言葉を残した。
***
「はぁ……はぁ……」
町には既に夜の帳が降りていた。辺りは暗く、街灯は少ない。遠くから聞こえる虫の声を聞きながら、一歩一歩なだらかな坂道を登っていく。
カラン、コロン。カラン、コロン。一つ歩みを進めるたびに胸のすく軽い音が周囲にこだまする。
「はぁ……ほんと、下駄って歩きにくい……」
今のわたしは浴衣に下駄という格好。これはハルちゃんのお母さんのお古らしいが、去年も一昨年も使わせてもらっている。紺の布地に赤いアジサイが幾つも咲いた、綺麗な浴衣だ。
浴衣は素敵。だけど、いつになっても下駄を履いて歩くのは慣れなかった。今もこうして、お店で着付けを済ませてからハルちゃんとの待ち合わせ場所に苦労して向かっている最中だ。
「でも、もう少し……」
髪を結い上げ、露になったうなじを一つ、また一つと汗が伝う。やがて、優しい風が首筋をするりと撫でる。この坂の終わりが近い。
やがて、視界は一気に開けた。
その中心には、同じく浴衣姿のハルちゃんがいた。
「あっ! リンちゃ~ん!」
わたしに気がついたハルちゃんは、元気一杯に手を振ってきた。わたしは力なく、胸の前で小さく手を振り返す。
「ごめんね、ハルちゃん。ちょっと遅れちゃって。髪を結うのに手間取ってて」
自分の結った髪に手を添えながら言うと、ハルちゃんはいつもと変わらぬ笑顔を返した。
「ううん、全然大丈夫だよ。まだ花火も始まってないし、それに……」
ハルちゃんが、わたしのことをまじまじと見つめてくる。少し恥ずかしくなり、髪を指に絡めながらそっぽを向いた。
「な、何? そんなにこっちを見て」
「えへへ、こんなに可愛いリンちゃんを見られるなら、待った甲斐があったなぁって」
「――ッ!? も、もう! やめてよね!」
あまりの恥ずかしさに更に顔を背けつつ、視線をちらりとハルちゃんへ向ける。彼女も同じく浴衣姿。白地の上に幾つもの花が縁取られている。セミロングの亜麻色髪は、右側に耳元だけ花飾りのついたピンで留められており、普段は見えない耳が露になっている。
今日が初めてではないのに、この姿のハルちゃんを見ると、無性にドキドキする。だから、そっぽを向きながらも、自然とハルちゃんのことを見つめてしまう。この視線に、ハルちゃんは気付いているのかな?
「あっ、花火が始まるみたいだよ!」
そして、ハルちゃんが唐突にわたしの手を引いた。町中を見渡せる小高い丘の、先端へ。
遠くに見える、川の下流。いくつかの光がちろちろと見えた。静かに待っていると、やがて、一つの小さな光が天へ向かって放たれた。そして、
「ド~ン!」
ハルちゃんの声と共に、大きな花が、夜空に咲いた。大きな大きな、光る花。それは何度か色を変え、そして名残惜しそうに点滅を繰り返し、消えていく。
短い命の花。でも、だからこそ、それが大きく咲き誇るとき、これほどにも胸を打つのだろう。
その大きな花火を皮切りに、幾つもの花火が間断なく打ち上げられる。同じものは二つとない。色も形もみんな違う。けれど、そのすべてが自分を誇るように夜空に咲き、そして燃え尽きていく。
その一つ一つの輝きを、彼女と見上げる。ふと、彼女がわたしの手に触れる。
「はぁ~、きれい」
ちらりと、横目でハルちゃんの顔を見る。その目は無数の花火を写してキラキラと輝き、無邪気な子供のような笑顔を浮かべている。
「うん、きれいだね……とっても」
小さく呟き、彼女の手を握る。
子供の頃から毎年この花火を見てきた。ハルちゃんと一緒に。この場所から。
なんにも変わらない、あの頃からずっと。ここから見える景色も、遠くに咲き乱れる花火も、ハルちゃんから伝わる、その手の温もりも。
ここにはわたしたち以外、誰もいない。昔からここはわたしたちだけの特等席だった。だから、まるでこの世界に二人だけになってしまったかのよう。
ううん、これは錯覚じゃない。少なくとも、今この瞬間だけは。
ハルちゃんが、そっとわたしに寄りかかる。その目は花火だけを写したまま。けれど、少しだけ繋ぐ手に力が込もる。
「ハルちゃん……」
何も変わっていないはずだった。あの頃からずっと。無邪気だった子供時代から。
けれど、わたしは変わってしまった。友情は恋情に変わり、愛情は劣情に変わった。昔は意味もなく手を繋いでいたのに、今ではそうすることに意味を探してしまう。
もう、わたしは戻れない。何も知らなかった、無垢な子供には。
「わたし……ハルちゃんのこと……」
ドンドンという音がうるさく響く。これが花火の音なのか、それとも自分の心臓の音なのか、わたしには分からない。ただ、もうわたしは花火に目を向けることを止めていた。気付かれないように、ひっそりと、ハルちゃんの横顔だけを見つめていた。
熱い風が二人の間を吹きぬけていく。あぁ、そうだ。きっとこの暑さがいけないんだ。例えわたしが可笑しなことを口走っても、それはただ熱に浮かされただけ。それに、今ならきっと、その戯言の全てを花火が掻き消してくれる。
だから、
「……大好きだよ……愛してる」
この言葉は、きっとあなたに届かない。でも、それでいいの。わたしはあなたの隣で、こうして夢を見続けるだけ。それだけで、わたしは十分だから。
「……」
ハルちゃんは変わらずに花火を眺め続けている。ただ、大きく見開いていた目を優しく細め、わたしと繋ぐ手に、少しだけ、力が込もっていた。
わたしも、花火へそっと視線を向ける。花火は絶えることなく夜空に咲き続けている。一つ一つの命は短いのに、この時間が永遠に続くかのように感じた。
永遠に、わたしたち、この世界に二人だけ。でもそれは、無数の一瞬の連続。短い夢の一つ一つを繋げて、わたしは現実を引き剥がす。すぐに醒めなければならないと知っていても。
でも、いつかは醒めなければならないなら、たった今だけは夢を見よう。あなたと二人だけの、素敵な世界の夢を。




