第二章5 『寝不足に職不足』
更新遅れてすみませぬ。まだまだ続きまする。
――木々の立ち並ぶ鬱蒼とした森の中に、地の底から響くような音が低く轟く。
聞くものの心臓を鷲掴みにし、その足を地に縫い止めるような原始的恐怖をはらんだ声。
だがその声の数倍の殺意を宿した空気が凍る音が、唸り声を引き裂いて上書きしていく。
驚いたようなうなり声を押し退けるようにして完成したのは、氷の槍という形で中空に固定された魔力の塊だ。
突如として出現した出現した複数の氷の槍は、その作り手が上げていた手を振り下ろした瞬間に目の前の標的に向かって突進する。
仮に来ることがわかっていても黙視して待つことしかできないほどの高速で放たれた氷槍は狙い違わずその標的――角の生えた犬、のような何かに突き刺さり、絶叫を残してその命を奪い去ったのだ――
「あ”ぁああ……頭に響くなこれ……」
――そしてその断末魔に負けるとも劣らないような悪鬼もかくやの声でうなるのは、手近な岩に座り込んで頭を抱える少年。
「……大丈夫? 若干顔色悪いけど」
「まぁ、うん、耐えれなくもないけど……なにぶん睡眠不足なもんだからな……ふぁ」
少年の隣に座る少女の気遣いの言葉にあくび混じりの返答を返した少年は、恨みがましそうな目ですぐ目の前を飛び回り魔物を駆逐している少女を見やり、ため息を一つ漏らす。
「……ったくルインのやつ、昨日は人の気も知らないで爆睡しやがって――ぁあ、うっせえっ!」
そう小さく少年――ケイが毒づくのと、さらに追加で一体の魔物の首がルインの放った氷の刃で飛んだのは全く同時だった。
◆ ◆ ◆
「あ”ぁああ、だめだ、全身バッキバキだしなんか眠いしおまけに頭が痛い……」
「大丈夫、ケイ? どんなことしたらそんな状態になるのさ」
「床に寝っころがったまま眠れない一晩をあかせばいいと思うよ…………」
「それは……ごめん願いたいね……」
いっそ哀愁を通り越してすがすがしさすら漂うような悲壮感を醸しだして嘆息するケイに、シャンがかすかに頬を引きつらせてそんな返答を返す。
「ダメだ……俺はもう寝る……」
そう言ってケイが突っ伏したのは、酒場【竜の涙】の最奥にもうけられたカウンター席。
夜にはきっとかなりの客でにぎわうであろうこの店は、だが今はほとんどの人がいなかった。どうやら日本でも異世界でも、日があるうちに人が働くのは常ということらしい。
そういうわけでずいぶんとがらがらとした店の中、宿から出たケイ達はこの店にやってきていた。
「今ならもう、俺、夕方まで寝られる気がする……」
「ますたー、だめなのです。用事を忘れてるのです」
それだけ言い切ったケイが目を閉じようとすると、その隣に座った桃髪の美少女、ルインがすかさずとばかりにケイの肩を叩く。
それはいわば男も女も一目見れば一瞬で目がさめるような美少女から気遣いをされるという、誰もがうらやむ状況であり、ケイもその恩恵を存分にかみしめつつ目を覚ましてルインにお礼を――
「――――あ”?」
言わなかった。
「あのな? ルイン。俺が何で今こんなに睡眠不足で唸ってるのか、お前にはわかるか? いや、わかるわけもねぇだろ」
反語まで使ってルインの無理解を言い切ったケイは、カウンターに仰臥したまま淀んだ目線をルインに向け、その目をカッと見開いたかと思うとこう叫び声を上げた。
「――お前が話し合いをする前にベッドに入りやがったからこっちゃわざわざ床で寝たってのに、そこにルインが入り込んできたんだろが! 一晩中寝かせないつもりかお前は!? そんなら目論見は成功ですよ、現在眠すぎてテンションMAXですよ! 一周回ってな!」
「……ルインには記憶がないのです」
ドスの利いた怨嗟成分多めの声でまくし立てるケイに、だがルインは理解を示す様子を見せない。それも当然だ、ルインはあれから明け方まで一万を越える羊を数え続けたケイを後目に、しっかりぐっすり寝ていたのだから。
「――――いや待て、なんでベッドから転げ落ちて床にいる俺のところに入り込んできたのを覚えてないんだ? おかしくね?」
「ルインが今朝目を覚ましたらベッドにいたのです。ルインは別に床で寝てたりはしなかったのです」
それでも首を傾げてケイの恨みの元になった昨日の出来事を否定するルインの様子を見るに、どうやらルインは嘘をついているという感じでもない。
「じゃ俺の見間違いか? いやでも、現に俺はこうして寝不足なわけだし……」
むしろ気がつけばケイの方が首を傾げ、口を閉ざして思考の海に没入するような流れになっていた。
「――なぁ、聞いたか今の……?」
そしていったん喋るのをやめたケイの耳に、周囲の人間の声が少しずつ流れ込んでくる。
周囲の目をいくばくか気にするような性格のケイが意識的にではなく耳をそばだててみると、その声とはまた別の声――これもさっきと同じ、男のようだった――が聞こえてきた。
「――あぁ、従者の少女と、それもわざわざ床で、相手の記憶がなくなるまでって……さすが貴族様、やることが俺たちとは違うな」
「とかなんとかいってホントはお前もうらやましいんじゃねぇの?」
「いやいや、そんな変態めいたのは俺だってイヤだね」
耳をそばだててみれば、なんのことはない、どこかの変態貴族の話のようだった。やはりこの世界にも従者と床でわざわざ、なんて貴族がいるのか、これは気をつけておかないと……
「そういえばあの貴族様、っつってるけどよ、没落貴族らしいぜ」
「あぁ、身分は地に落ちても性癖は一般人とはかけ離れてるってことか……」
はぁ、没落貴族ねぇ。なんだそれ、まるで俺のことみたいな――
「―――いやそれ俺のことだよね!? 違うからな!? 俺はそんな変態じゃないからな!?」
「え!? ケイ、いきなりどうしたの!?」
途中まで他人事のように話を聞いていたケイが思わずノリツッコミのような形で立ち上がってそう叫び、それに驚いたシャンが小さく飛び上がって目を見開いた。
「え!? 違うんですか?」
「違うっての! いいか、俺は昨日な――」
「まってケイ、どういう状況なの? なにがあったの!?」
ケイの否定に驚く様子を見せる男達、その二人にキレるケイ、表面上は完全に流れの途中経過が飛んだ会話についていけないシャンがそれぞれわめきたて、朝の酒場はいっきに騒がしくなる。
「うるさいのです……」
そんな風に三者三様の驚きを見せている酒場の中、それまでずっとケイの隣で座っていたルインがさも退屈だとでもいうように一つあくびをもらし、眠たげに目をこすったのだった。
◆ ◆ ◆
寝起きで頭が回らないのか、なかなかケイの言うことを理解しようとしない男たちを必死で説き伏せたのは、実に数分後のことだった。だが思考が回転しきっていないのはケイも同じなので、お互い様かもしれない。
男たちがケイが昨晩おかれた状況を把握すると共にケイに向ける視線の色を畏敬から憐憫と嘲笑に切り替えたため、ケイが身体強化を思わず発動したくなるような一幕もあったものの、その雰囲気も今はシャンがケイを朝食に誘ってその意識の矛先を変えたことで霧散していた。
「……へぇ、じゃあ道中はケイ、魔物の肉とか食べて生きてたんだ」
「んあ? まぁな……って、そんなに不思議なものなのか?」
「知らないの? 魔物の肉って人によって味が変わるとかっていって、あんまり食べたがらないんだけど……」
「へ、へぇ、そうなんだ……」
「ますたーは毎日のように食べていたのです」
眉根を寄せたシャンから視線を逸らしたケイの頬に、つつーっと一筋の冷や汗が伝う。道中はもはや魔物と野草の食事(それなりに旨かった)が当たり前になっていたが、実に意外なところに落とし穴が存在したものだ。
しかも気のせいでなければ、招かれてもいない食卓に勝手に着いたルインがシャンに違和感を与えるような発言をしていたので、冷や汗の量もなんだか増えてきた。
「……なるほどなー、道理でまずい肉とかあったわけだわー」
「ケイ? そのコップはもう空だよ? なんで傾けてるの?」
ひとまず現実から目を背け、心の中のメモに『魔物食は普通じゃない』としっかり書き留めてから一つうなずいてケイはシャンとの会話に戻った。
「全く、おもしろいねケイは。わかったよ、そんなに飲み物が欲しいならとってくるから、ちょっと待ってて」
「まあでも魔物の肉って確かにいわれてみれば筋張ってて……え? あれ? シャン?」
思考に勝手に没入していたケイがふっと現に意識を戻す頃には、ケイの無意識の行動を勝手に勘違いしたシャンが席を立ち、とっくに店の奥の方に消えていた。
そのシャンがしばらくしてから透き通った液体が入ったガラスのような瓶を持ってケイのいる食卓に戻ってきたのは、だいたい数分後のことだった。
「――まったく、魔物の肉を食べるって、結構勇気がいることなんだよ? 人によって体質の違いとかがあるらしいけど、食べて毒になることもあるんだよ?」
「でもまぁその分値段はタダだったからさ、結果的に俺も無事だったし、そこはおあいこっていうか――――」
と、そこまで言いかけたケイがとたんに口を閉じた。動いていたはずの手も完全に止まり、傍目には機能停止を起こした機械か何かのようにも見えたことだろう。
「…………ちょっとまって」
「ん? どうしたの? なんか口に合わないものでもあった?」
「や、そうじゃなくてさ」
手元が中途半端に固まったままのケイは、息を飲み込んでから一つ、自分が見落としていた重大な事実を口にした。
「…………俺、お金持ってないよ?」
「いや、知ってるけど?」
「これ、ある意味じゃ無銭飲食だよね」
「難しい言い回しを知ってるんだね。まぁこのままケイが逃げ出したりしたら食い逃げってなっちゃうかな、あはは」
「しないしない、できるわけねぇって……!」
そんな笑えないことをいいながらも微笑が絶えないシャンと裏腹に、ケイの胸中ではここぞとばかりに遠慮しまくりの日本人的気質が顔を出していた。
「ますたーの身体能力なら店どころかこの街からでも――むぐっ」
もちろんその隙にいらん注釈を加えようとするルインの口を手のひらでしっかりふさぐのも忘れない。
「まふたー、なにをふるのでふか」
「ルインはちょっと黙ってな? ほら、俺の分の残りやるから」
それまで不機嫌そうに眉を寄せていたルインは、その一言とともに差し出された木製の皿を見るや食事を再開し、その結果として黙らせることに成功した。
どうやらシャンの作ったものらしい朝食は、十分においしいと言えた昨日の食事よりもさらに数段上のおいしさを持っていたためルインにあげるのは惜しかったが、ここで変なことを喋られても厄介な以上背に腹は代えられないのである。
「なんていうか……従者っていう割には、結構仲がいいんだね」
「まぁ従者って言っても、結構言葉だけ止まりな気もするしな」
これはケイの紛れもない本心である。自分のことを『ますたー』などと呼ぶくせにはまったくその態度に敬意というものが感じられないルインは、従者というよりはいっそ友人と呼ぶにふさわしい。
もっとも友人として扱うにはいささかアクの強すぎるところと、美人がすぎるというのが問題点といえば問題点なのだが。
「で、まぁ……」
「ん? どうしたの?」
その一言でケイは思考をリセットし、いろいろあった結果忘れ去られてしまった、この店に来ることになった最初の目的を思い出す。
「――どうにかして、金を稼がなきゃならないんだよ、俺……」
お金があっても生きられない生活しかしてこなかったため、ケイは現在完膚なきまでに一文無しだ。
昨日の宴会は百歩譲っていいとしても、今しがた胃に収めてしまった朝食といい、いくら寝れなかったとしても支払ってしまった昨日の宿代といい、ケイの財政状況は現在大幅に赤字の方向に傾きつつある。
どうにかして日銭を稼がないことには、仮にシャンに養われるようなことになっても、やがて罪悪感に押しつぶされた自分はあの原始生活に戻る以外の選択肢を取ることができなくなってしまうだろう――
――そんなことを眠たい目をこすりながら宿を出たケイが思ったとき、新天地であるこの街で働き口の斡旋、とはいかないまでもいわゆるハロワ的な場所を教えてくれそうな人間はいないかと考えたのだ。
「いや、ケイが一文無しなのは知ってるけど」
――その思考の結果考えて思い浮かんだのがケイの目の前で首を傾げるシャンであり、また彼のいる酒場【竜の涙】だったためにケイはこうしてこの店に足を運んだ、というのが本来のことの次第である。
といっても、ケイにいきなりこの異世界で金を稼ぐ手だてがあるわけでもない。
そもそも家庭環境も普通、小遣いの額にもさしたる文句のなかったケイは、日本にいたころに進んでアルバイトをしたことがなかったのだ。
だがここへきて職業経験の有無などで尻込みをしている場合ではない。つべこべ言わずに仕事を何かこなさなければ、ケイを殺意が渦巻く楽しい原始生活が待ちかまえている。
「でさ、なんかいい働き口ないかなって。紹介しないまでも、そういう仕事のありそうな場所とか、知らない?」
「仕事ねぇ……街の人なら簡単に受けられるんだけど、ケイ、そもそも昨日街に入るときに書類を作らなかったでしょ? だから、どこで仕事をもらうにしても街の人じゃない限りはその書類が必要なんだよね」
「うっ……」
怪しい人間を雇えないという、言われてみれば当たり前の事実を言われてケイが思わず押し黙る。が、シャンはそれに「でもね」と手を振って否定をいれ、続きの言葉を口にした。
「まぁあれはたぶん、今から街の外に出て、もう一回街の外から入ってくれば問題はないと思うよ。時間はかかるけど、今からでもいけば昼頃には書類ができあがってるんじゃないかな」
「ぉう、さらっと言ってるけどでもそれ犯罪だよねどう見ても」
「じゃケイは一回街に無断で進入した犯罪者として衛兵に捕まって街に入るのと、大手を振って旅人として入るのとどっちがいい?」
「……無実なんだし、まぁ旅人だな。選択の余地はねぇってか」
シャンの現実的な話に苦い顔になりながらも、ケイはそう決断する。
一度侵入した街に大手を振って入り直すことに若干の罪悪感を抱かないでもないが、そもそもケイは犯罪者でもなんでもない。別に街に不法に侵入して何かをするつもりもなかったのだし、ここは見逃してもらうつもりである。
ちなみに約一週間前に実はジェイルを文字通りブレイクしてしまった脱獄経験を持っているというのは、ケイの中ではノーカンだ。
「……なぁシャン、最近どっかで牢屋的な何かが壊れたとか、そういうニュースってあったりした?」
とはいえ、怖いものは怖いのである。これでもし自分の情報がある程度行き渡っていたとしたら、ケイはなにかしら理由を付けてその書類を書いてもらうのを辞退するつもりだった。
「牢屋? いや、ないと思うけど……なんで?」
だが幸いにもシャンは首を傾げ、ケイの不安を払拭してくれた。
ただ、まだ若干の懸念事項は残っている。
たとえば、理由は定かでないにせよ、自分の存在を表向きでは知らぬ存ぜぬを通し、だが裏では捜索を行っている、という可能性があったりするわけだ。
「……まぁでも、そこまで疑ってても始まんないからな」
「ん? なに? なんて?」
「や、こっちの話。それと、さっきの質問に深い意味はないよ」
そこまで疑心暗鬼になっていたら疲れてしまうし、万が一見つかってもこの身体強化の魔法で逃げきればいい。ルインも簡単に逃げられるだろう。
なんてことを考えて隣に座るルインを見れば、カウンター席に腕枕をして突っ伏し、すやすやと寝息を立てていた。
「……この、野郎……っ」
寝不足甚だしい人間に『寝るな』なんて言っておいて自分は実に気持ちよさそうに爆睡するルインの姿に思わず手が出そうになるが、寝ていればよけいなことを口にすることもないだろう、と自分に言い聞かせ、なんとか怒りを抑えこんだ。
「――で、シャン。仕事斡旋所、みたいなとこ何か知らないか?」
「仕事の斡旋をしてるところ、ってのは聞いたことがないかなぁ。んー、そうだね……」
高ぶる激情を紛らわせる意味も込めてシャンにそう尋ねると、シャンは気むずかしい顔をして黙り込んでしまう。
「――おじゃましまーす!シャン、いるー?」
と、そこへ明るい声が店の入り口から飛び込んできた。
音を立てて店の戸を開け放ち入ってきたのは、ツーサイドでやや短めの髪をくくった少女――
「――リナか」
「あれ? ケイ? おはよう。こんな時間にどうしたの?」
「いや、ちょっち仕事を探してて、ここでダベっててな……」
決して珍しい話でもないのだろう、リナはさして驚いたような様子を見せることなく「ああ、なるほどね」と苦笑してみせた。
「そういえば昨日お金がない、って言ってたね。どう? あの宿屋、けっこうよかったでしょ?」
「……あ、ああ。うん、ベッドがすごい柔らかかったな」
「でしょー? あそこ、値段の割にいいとこだったって、この街じゃ有名なんだよー」
そういって笑うリナに、まさか『相方が勝手にベッドを占領したので、気恥ずかしさに負けて床で寝ました』なんて言えるはずもない。
冷や汗を密かに流しながらも硬直した笑みを浮かべるケイに幸いリナは疑問を抱かなかったらしく、ニコニコと笑みを浮かべていた。
「…………あ」
と、リナがきてからは完全に黙り込んでいたシャンが口を開き、何か言わなくてはと義務感にとらわれかけていたケイ、そしてリナの注目を浴びる。
「どしたの?」
無意識に漏れたような声だったのだろう、シャンも一瞬気まずそうな様子を見せたが、リナの問いかけに我を取り戻したようだった。柔和な造りの顔に笑みを浮かべ、ケイに笑いかけてみせる。
「ケイ、働き口、見つかったかも」
「え? どんな?」
まったく予想外の言葉にケイが素っ頓狂な声を上げると、シャンはケイの横――つまり、机に突っ伏して寝ているルインの方に目を向け、こう言い放ったのだった。
「――ルインちゃんが、冒険者になればいいんじゃない?」




