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第二章2  『ただそれだけの脅威』





「うぅー……」


 どこか不透明で迷いを感じさせる声が、地面に吸い込まれて消える。


 その声の主たる黒髪の少年、ケイは今、地面に腹ばいになり、眼下に広がる光景を眺めながら、眉に皺を寄せて小さな唸り声をあげていた。

 

「……どうしたもんかな……」


 立ち往生したままの一台の馬車の周りを狼のような魔物が取り囲み、そしてそれを自分たちが頭上から見下ろしている、という現在の状況。


 そんな状況に、思わずケイは身を潜めた茂みの中でため息をもらしたのだった。



   ◆  ◆  ◆



 ――さて話は戻るが、現在ケイたちは『この世界を回る』というケイの目的に従い、まずは人里を探して森の中を歩き回っていたところだった。


 というのも異世界を回る、と言ってもケイは別段異世界でのサバイバルライフを楽しんでいたいわけではない。食うか食われるかの殺伐とした魔物との語り合い(物理)ではなく、人と人との交流というものが楽しみたいのである。


 それならどこかしら人里を探して移動をするべきだ、とケイが断定したのも必然のことと言えた。


 最寄りのちょっとした村の所在をルインが把握したこともあって、ケイたちはそれなりに足取り軽やかに出発をすることができ、道中にルインが道を間違える、ケイが危うく魔物に補食されかける、などのハプニングが起きたりしつつも、それなりに順調に旅路は進んでいた。


 そんなこんなで気づけば空に浮かぶ太陽らしきものも頂点まで上りつつあり、それとなく小腹も空いた頃。


 ――複数の魔物の唸り声、それに人間の悲鳴をかすかにルインが聞き取ったのは、そんなタイミングだったのである。



 その音の発生源は、どうみても人の手で整理されているとおぼしき山を切り開いて作ったような広めの道。


 そしてその中央に立ち往生する一台の馬車と、その馬車を取り囲んで荒い息を漏らす、狼の姿をした魔獣の群だった。まるでその習性が現れているかのように男の周りを囲い、逃げ道をなくしている。


 獲物になっているのは、魔物に囲まれて鼻息荒くパニックを起しかけている馬と、その馬の手綱を必死でとりながらあたりをきょろきょろと見回している青年。


 距離が距離なためにその表情はよく見て取れなかったが、少なくとも平常心を保っていられてはいないのがよくわかる。



「いち、に、さん……何匹いるんだ、あれ?」


 そしてケイたちはと言えば、その光景を遠くから見つめていた。


 馬車が通っている道を挟むようにしてそそり立つ、岩の壁。その片方の上にいくばくか生い茂った背の高い草の茂みに身を潜め、ケイたちは状況を静観していたのだった。


「ん……? っつかあれ、馬車か? この世界にもあるんだな……」


 場所が真下の地面から目算十メートル近い距離が離れているのと、魔物の注意が完全に馬車の方にいっているせいで、ケイたちの方には注意が全くきていないのをいいことに、どこか気の抜けた感じで状況観察をするケイ。


 真下の光景のギャップと相まって、どうにもシュールな絵面である。


「なにも馬だけでなく、地竜に引かせるものもあるのですよ」


 殺伐とした状況には全く似合わないいっそほんわかとした雰囲気で日本との共通点をあげるケイに、隣からルインの指摘が入った。


「地竜……ってと、でっかいトカゲみたいな?」

「よく知っているのですね、ますたー。見たことでもあるのですか?」

「いや、ないが……やっぱそこは想像通りなのか」


 日本にいたころにコウタからさんざっぱら聞かされたサブカル知識も、存外捨てたものではなかったことが判明し、なんともいえない複雑な心境になるケイ。


 その脳裏にいい笑顔のコウタがサムズアップをしている様子が描かれたので、空想の拳でそいつを殴りとばしてまた、ため息を一つ。



「ま、現実逃避はここまでにするとして……。事実、どうすっかな」

「なにをなのですか?」

「あの人だって。助けられそうか?」


 現実に舞い戻ってきてみても、ケイの眼前では相変わらずさっきと同じように男が魔物に囲まれ、横顔に恐怖の色を浮かべている。


 心なしかその包囲網が縮まっているように、ケイには感じられた。


「――魔物の気配は、周囲にざっと二十体。あの場に出てきているの以外に、ルインたちみたいにこういう高台に潜んでいるのが何体かいるのです」


 ルインが冷静に、そして言外に、男の命のタイムリミットが近づいていることを教えてくる。


 たぶんこのまま行けば、あの魔物たちは一分、いや三十秒も待たないうちに男と馬に飛びかかり、その体を貪り始めるだろう。


「しかもあの魔物、何体かはそれなりに強いのです」 

「それなりって?」

「あの墓標に使われてた熊の魔物くらいなのです」

「…………うわぁ」


 さらっと言葉を返すルインに、ケイの口から思わずといった感じの声が上がる。


 なれない技術である身体強化魔法を使っていろいろな魔物を倒したケイだが、その中でも五メートルにせまろうかというサイズをしていた熊は、なかなかの難敵だったように思っていた。


 それと同格のヤツが、数体。


「いい、ハンデだな」


 だがケイは口の端にうっすらと笑みを浮かべ、そう言い切ってみせた。


 その瞳には強者と対決できることへの喜びがあり、挑戦者としての熱意に眼光鋭く燃え上がっていた。


「――っつっても俺一人じゃキツいからな、ルインも手伝ってくれ」


 そして当然のごとくルインをこきつかう、ある意味他力本願な心も持ち合わせているのだった。


「……ルインは働きたくないのです」

「お前この状況見てこれ言う!?」


 まさか裏切られているとは思わなかったケイの口から、思わず怒声が飛び出す。


「ルインが働きたくないのは事実なのです。そこを大前提としてはき違えてもらったら困るのです」

「いや待て。待つんだルイン。お前が楽をしたいばかりに俺に家事をおしつけたり、果ては狩りすら分担させるために俺に身体強化魔法を教えたのは知ってる。だけどな、それとこれとは話が別――――ぁ」


 ルインの口から流れ出す『働きたくない(ニート)』の声明に対抗するように、気づけばケイは立ち上がり、その口からもまた常日頃からの鬱憤が止めどなく溢れだしていた。


 だが考えてもみてほしい、ここは戦場だ。


 それも眼下では大量の魔物が獲物を定めて周りを取り囲み、今にでもその男を奇襲しそうな構えを取っているところだ。


 そこに大声で茶番のようなやりとりをするケイとルイン(バカ二人)の存在をぶち込めば、状況はどうなるか。


「…………」


 誰も彼もが、こっちを見ていた。


 それは獲物をねらうのを邪魔された魔物に限った話ではない。今し方ねらわれていた男もあっけに取られた表情でこっちを見ているし、その男が手綱を握っていた馬ですら、どこか哀れむように『馬鹿なの? 死ぬの?』という憐憫の目線を向けてきているまである。


 そしてその場にいる全員から合計四十にせまるかという視線をぶつけられた、ケイはと言えば。


「――うっわ、みんなこっち見てんじゃん。ルインのせいだろあれ。訴えるぞ?」


 どこまでもマイペースに、不遜な表情で軽口を叩いていたのだった。


 これから肉を喰らい血を啜る宴を前にしてあまりに無粋で底抜けに明るい声に、魔物の喉からいらだちを感じさせる唸り声があがる。


 だがケイは、その唸り声に込められた殺気に対して微塵も怯むことはない。


「んな熱い視線もらっても、うれしくないっていうかさ。俺、ノーマルなわけですしぃ」


 むしろ全力で、その場の空気と場違いな冗談を口にしていたのだった。


 相当数の殺気を当てられても微動だにしないケイの様子に、魔物から若干の驚きをはらんだような空気が伝わってくる。


「御託はいいからさっさとやらないと、あの人も無事ではないのです」

「……え!? マジ!?」


 が、不動にすら思われたその雰囲気は、それまで黙り込んでいたルインが横合いから口を挟んだことであっけなく消滅した。


「え、ちょ、待って? 軽口で時間稼ぎしてたつもりだったんだけど、むしろ逆効果だったりした?」

「ますたー、なれないことはしない方が身のためなのです。向こうは完全に逆上して、むしろこのままルインたちが動かなかったらあの人が死ぬのです」


 隣に立ったまま冷静にそう告げるルインに、ディスられたことと自分の行為の無駄さを知ったケイの頬が思わずひきつった。


 いかにも動揺した『獲物』然としたそのケイの態度に、魔物側にそれまで張りつめていた緊張がほどけていく。


「……待て待て待て、今なんか俺あっちの魔物ズにすっげぇ雑魚認定されたみたいな雰囲気が伝わってきたんだけど」

「間違っていないのです。このままマスターたちが動かなかったら、なまじ変に逆上させたせいであの人は頭からまるかじりに」

「怖いこと言わなくていいよ!」


 もはや戦場の雰囲気とは相当にかけ離れた、どうにもズレた会話。たるみきった空気に魔物たちは安堵のため息を漏らして視線を戻し、男に再び狙いを定める。


 まずは、目の前のこの男。そしてしかる後に、危うく食事の邪魔をするところだった無粋な乱入者を、じっくりといたぶって殺す。


「ったくよ、俺は魔物におそわれてピンチ! あと一歩で届く牙! そこに颯爽と駆けつけ魔物を吹き飛ばす俺KAKKEEEE! ってのがやりたかったんだけどなぁ、どこかの誰かに邪魔されてできなくなったじゃねぇか」

「どう見てもこの状況はますたーのせいなのです」

「どう見ても根本的につっこみどころ満載な発言したお前のせいだね!」

「解せないのです」

「こっちのセリフだよ!?」


 どこかしまらない雰囲気の漂う、その会話。


 ――魔物がすでに取るに足らないものとして閉め出したはずのその会話の次の二言で、魔物たちは心から震撼させられることになる。


「――――でもまぁ、死なれても困るし。そろそろ暴れますか」

「いつも通りにどうぞ、ますたー。ルインは援護に回るのです」


 二人の間に漂う雰囲気が、それだけの会話で激変する。


 今まではなんら村人のそれと変わらなかったはずのゆるやかで柔らかい雰囲気が、その一瞬で魔物たちに竜か何かのような狂相を幻視させた。


「――――――ッッ!」


 その圧倒的なまでの殺気に、魔物が動くこともできずにその場に釘付けになる。


 ――そしてその隙を、ケイが見逃すはずもなかった。


「――じゃぁ、往くぞ」


 静かに目を閉じ、呼吸を落ち着ける。


 自分の切り札である、一つの魔法を発動するために。


「――――っ、は――」


 ――体内にある魔力という概念を、認識する。ケイの体に内包された目に見えないそれが蠢き、ケイの体内を巡り始める。


 一般人であれば所有することを思うだけで気が遠くなるような量の魔力は、はじめはゆっくり、だが次第に速度を増してケイの体内を走りはじめた。


 自分の中を得体の知れないものが、それも他ならない自分自身の手で動かされているという事実に不快感をあげる神経を黙らせて、だがその作業だけは手を止めない。


 体を巡る魔力がケイの全身を励起し、その体に物理限界への挑戦権を付与しているのだ。


 そしてその速度がどんどん加速し、高周波すら聞こえるのではという域に達し、ケイの体に魔力がとけ込み――


「――――りゃあっ!」


 体に流れる力が確かな形を得たこと実感したケイは目を見開くと同時、それまで身を隠していた茂みからおそれることなく一息に跳躍をした。


 ――跳躍、と言ってもそれは茂みから眼下の荒れた地面に飛び降りる、というのは訳が違う。


 ケイは落下のダメージを殺すどころか、自ら崖を蹴って加速、跳躍というより打ち出されるというにふさわしい動きで一気に地面に近づいているのだった。


 そしてその射線上には、上からあらかじめ狙いを付けていた大きめの魔物が一匹。


 空中で一回転したケイは勢いを全く殺すことなくその踵に遠心力と落下のエネルギーを乗せ、躊躇の欠片もなく魔物にその足を叩きつけた。


「――――っらァ!」


 瞬間、乾いた音とともに魔物の背中の表面が爆ぜる。


 ――否、そう感じられたのはただの錯覚だ。事実はもっと簡単で、そして惨たらしいことになっている。


「……血って洗っても落ちにくいから嫌なんだよなぁ」


 口調だけは軽いままにそう感想を漏らすケイの声音に反して、その体にはおびただしい量の赤黒い自然のペンキがぶちまけられていた。


 その出元になっている狼型の魔物は、ケイの踵に背骨を割られたあげく心臓を破壊され、ケイの足下ですでに事切れている。


 地面が軽く陥没したほどの一撃は、それが人一人によってもたらされたものとは思えないほどの威力を内包していることを如実に伝えてくる、そんな状態だった。


「あー、そりゃ、驚くか……」


 人の身で成し得る訳のない行動に、周囲の魔物のみならず助けるつもりだった男までもが唖然とした表情をケイに向けているのを見て取り、ケイは思わず苦笑。


 だが一瞬の後にはその申し訳なさそうにも見える表情を覆い隠し、ニイッと口をつり上げて好戦的な笑みを作り上げていた。


「悪いね。でも、押し通るよ」


 言葉と裏腹に全身から凍てつく殺気を放ったケイが、魔物の群へと突進し、直後に轟音と衝撃が辺りに響きわたったのだった。


 遠距離からの狙撃もなにもない、破壊の渦が突進してくる。ただそれだけの脅威に魔物が声なき悲鳴を上げ、戦況が大きく動き出した。

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