第一章21 『最期の一人〈上〉』
なんでだ。
「――コウタっ、しっかりしろっ!」
――何でなんだよ。
「コウタっ! コウタぁあああっ!」
――なんで俺を残して、みんな死んでいくんだ。
「あぁ……ぁあ――ッ!」
自分の目の前には、冷たくなった親友が一人。
結局こいつは、最期の言葉すら口にしないで逝きやがった。
「くっそ、クソッ、クソがぁああああっ――」
腹の中ひっかき回されて、文字通り皮一枚でほぼ胴体が分断されているというのに、その顔にあまりにも晴れ晴れとした笑みが浮かんでいたから。
そうしてどうにかなるわけでもないのに、気づけば自分の腕は勝手にあたりかまわず打擲を繰り返し、壁や床をかまわず破壊していく。
床に亀裂が入り、壁が飴細工のように壊される。
ひとしきりそんなことをしてみても、コウタは一向に目を覚ましやしない。
「置いてかないでよ、コウタ、サクラ……!」
喉から漏れたのは、そんなか細い声。
全員で脱出すると約束したはずなのに、自分を残して逝った友人二人を想うと漏れるのは、『脱出しなきゃ』という義務感に覆い隠されていた、本心。
――ケイにとっての脱出は、コウタとサクラの二人が揃って初めて意味をなすものだった。
今はもう、その二人はこの世にいない。
(……もう、いいかなぁ)
そうケイが考えた途端、それまで体を支え続けていた力がすっと体から抜けていくのを感じた。
『力』の発動が止まったわけではない。現にケイは、地面に倒れ伏しても全くの痛みを感じないでいる。
もっと人間としての根幹の部分が、折れかかっていたのだ。
(俺、もう、疲れたよ――)
虚ろな目でそうつぶやくケイは、足下に落ちていた瓦礫を渾身の力で握りしめる。
たったそれだけの所作で、その石とも土ともつかないような物体は脆く砕け散り、足下にぱらぱらと落ちてきた。
――こんな固そうな石でも簡単に砕けてしまう、この『力』を使えば、死ねるだろうか。
そんな考えが、ふと頭をよぎる。
(サクラ……コウタ……俺、もうすぐ、そっちに逝くからさ。待ってて、くれるか?)
ケイは地面に寝転がったまま、視界を緩慢な動作で動かしていく。
その視線の先に写ったのは、今し方吹き飛んでいったハンザが直前に手放した、無骨な作りの長剣。
痛みを感じる左手を無視して動かし、それを掴みとって持ち上げ自分の顔を映す。
そこに写っていたのは、味方がいなくなった孤独な男の生気の失せた顔だった。
その事実に皮肉げな笑みをこぼしたケイは、手に持ったままの剣の先を握り、切っ先が自分の顔にまっすぐ向くように宙に掲げる。
こうすれば、ケイは『力』が切れた瞬間に剣を保持していられなくなり、完全に貧弱な人間となったケイの体に剣が刺さり、その命を奪ってくれるはずだった。
「――そういや、この『力』には結構、世話になったなぁ……」
ケイは誰に聞かせるともなしに、そう呟く。
異世界人であるはずのケイがなぜか使える、魔法のような何か。自分の身体能力を数段跳ね上げ、ハリウッドスターもかくやの動きを可能にしてくれるこの力には、ケイもずいぶん救われた。
(――救われた? その結果がこれで、よくもまぁそんなことが言えるよ)
だがケイはその『力』を借りて引き起こしたこの状況に、諦観の念を多分に含む呟きを心中で漏らした。
脱出を誓いあったはずの親友二人を死なせ、自分もまた満身創痍。こんな状態をよくもまぁ、脱出なんて呼べたものだとケイは自分を嘲る。
これから死にゆくというのに、ケイには一抹の後悔もありはしなかった。
むしろ、自分の死を二人を死なせてしまったことへの贖罪にできるのではないかという淡い期待まで持ち合わせていたといっても過言ではない。
『――――それは、ダメなのです』
だからケイは脳裏にその制止の声が聞こえたとき、思わず驚きよりも先に不快感を感じていた。
「……噂をすりゃ、アンタかよ。何? 今更出てきて神様ぶって、仕事が忙しくなるからあの世にゃくんなってか?」
『神様? 当機はそんな存在ではないのです。でも、少なくともまだ、あなたには死なれては当機が困るのです』
「困る? んなこと言われても、困るってのはこっちのセリフなんだがなぁ。これから自殺しようってクソ野郎をわざわざ踏みとどめて、あんた何がしたいんだ?」
自分が『これから自殺する』というその事実を、自分自身が了承してしまっている。
そのことに何とも言えない感慨を抱きつつも、ケイはその声の主――おそらくはこの『力』を貸し与えてくれていたのであろうその何者かに、不満を隠そうともしない口調でそう語りかけた。
『当機の目的が、達成できないからなのです』
「――はぁ?」
『当機に与えられた目的は、契約者の精神状態の観察。それがまだ満足に済んでいないのに、勝手に死なれては魔力を貸した意味がないのです』
「ケイヤクシャ? それってもしかして俺のことじゃないよな?」
『そうなのです。わかったらその首の上にかざした剣を、今すぐ捨てるのです』
「てめぇっ……!? こっちのこと、見てやがるのか!?」
『あなたがいるその場所は、当機の体内も同然。あなたの様子は、今までずっと手に取るようにわかっていたのです』
頭の中に響くその声に、ケイは手に持った剣を全力で投げ捨てた。
壁に剣が衝突して普通ではまずあり得ないような轟音をとどろかせるが、今まさに立ち上がろうとしているケイの思考にはそんな些末事は入ってこない。
「……へぇ、大事なダチ二人殺されたのをずっと見てて、あげくそいつ向かって、精神状態がどうこうってほざくかオマエ。なっかなか、いい度胸してやがるじゃねぇか」
ケイがこうして立ち上がったのは、決して生き残ろうという心持ちが出てきたからではない。
こっちのバカみたいな人間ドラマを見てきたと言外に告げたにも関わらず、そのケイに向かって『今の心は?』なんて告げた相手に対してこの上ない怒りが沸き上がってきたからだ。
――どうせ死ぬなら、その相手の面を一発ブン殴ってから死んでやる。
それだけの根性を宿して、ケイは満身創痍ながらも辛うじて立ち上がっていたのだ。
しかも今のケイには、その相手がだいたい誰なのかということについての想像がついている。
『この通信も、いくら距離が近いと言ってもすぐに切れそうなのです。当機のところまで来たら、もっと円滑なコミュニケーションが――』
「――その必要はねぇだろ、【動力】さんよ」
そう言葉を遮って吐き捨てたケイに、頭の中でそれまでうるさくさえずっていた声が一瞬で止んだ。
対してケイは、自分の予想がおそらく的中しているのだろうということに関して何の感慨をも抱くようなそぶりはない。
『あなたがいるその場所は、当機の体内も同然』。そういう口振りから察して、今のケイにとって想像できるものなど『人である』と言われていた【動力】ぐらいしか思い当たらなかったからだ。
「図星か? まぁ当たったとこで何にもうれしくなんざないんだが」
『――そうなのです。当機は現在、魔力供給用パーツとしてこの施設に』
「いや、そんな長くなりそうな説明はパスで」
またも会話をぶったぎり、頭を掻くケイ。その胡乱げな眼差しの先には、ハンザや『協力者』と戦闘を経た上で尚傷一つついていない、明らかにおかしな硬度を備えている『壁』がある。
その壁を目を細めてスッと見つめたケイは、会話を遮断された結果沈黙を保っている声の主に向かってこう質問を放った。
「……なぁ、今アンタこっちにいるんだよな?」
『――確かに当機の所在地はその方向にあるのですが、でもその壁は竜にも破れない壁というコンセプトに基づいて設計されており、その壁を突破するのは非常に困難――』
「じゃあ、突破できるようにしてくれよ」
そうあっけらかんと言い放つケイの声に、しばし相手側からの沈黙が帰ってきた。その沈黙が会話を遮断されたことによるものではなく、ケイの提案の内容を呻吟しているものだと素早く見抜いたケイは、さらに言葉を重ねた。
「ちなみにできないとか抜かしたら、セルフギロチンで自殺するぞ」
果たしてもはや脅しになりかけているケイの言葉に答えるようにして、応答が帰ってくる。
『――わかったのです。ただし、時間は一秒。その時間の間だけ、あなたの身体能力を【竜殺し】の次元にまで昇華させるのです。それなら、その壁も打ち砕けるのです』
「一秒? ずいぶんと短いじゃないか」
『そこを越したら、おそらく体が弾け飛ぶと思うのです』
「そうしてくれた方が俺としてはありがたいんだけどな」
そうケイは憎まれ口を叩き、目の前の壁を睨みつける。
『それは無理なのです』
「知ってるよ、言ってみただけだ。――じゃ、準備できたら指示してくれ。こっちはいつでもいい」
――やるなら、使いものにならない腕よりはまだ無事な足の方がいい。
そう断じたケイは壁に歩み寄り、すぐに壁を蹴り飛ばせるようにスタンバイする。
「準備ができたのです。あと五秒で力を行使するのです。四、三、二――」
そうルインがカウントしていくのにつられるようにして、ケイの体を今まで循環しているような感覚があった『力』が、その密度を桁違いに増していくような感触があった。
体には今まで以上に熱がこもり、呼吸は浅く荒くなる。
手には血管がかすかに浮き出始め、その一部は断裂でも起こしたのか皮膚が青黒くなっているところもあった。
(でも、まだ立っていられる――)
そう断じたケイは、足を全力で振りかぶる。
「一、――今なのです」
ルインの声が、朦朧としかかった意識に入ると同時。
「――――――ッらぁあ!」
ケイは文字通り全力全開で、目の前の壁を蹴りとばした。
その結果、それまでの戦闘でも、ケイが暴れていた時にも傷一つつかなかった、その強固すぎる壁は。
『力の行使を終了するのです』
その無機質な声が止めだったように、がらがらと音を立てて崩れ落ちていった。
「――待ってやがれよ、この……っ」
ケイはしばらくその壁を呆然と見つめていたが、すぐに首を振って歩き出す。
どんな理由で自分なんかにこの『力』を与えたのか、そんなことはどうでもいい。
死ぬ前に自分がするべきことはただ一つ、この頭に響くうるさい声の持ち主の横っ面を全力で殴りとばすことだ。
そう断定したケイは、今まさに塞がりつつある人が一人通れるほどの穴の中へ、どこか危ない足取りで入り込んでいった。




