第一章18 『無理を通せば――』
ケイは今、『詰み』という言葉を如実に実感していた。
――雷魔法を撃たれ、必死扱いて逃げたのにかすって感電したときから? 違う。
――マサヒロがおそらく向こう側の人間だとわかった、その時から? 違う。
暗がりの中からケイの振りかぶった拳を、マサヒロ――いや、協力者の風魔法が撃ち抜いた時から、だと思う。
だがその時からケイは、これから起こりうるありとあらゆる状況を推測し推理し、これからどういう行動をとるべきかを必死に模索していた。
「いや、そんな魔法、はじめっからないんだが?」
「――え?」
だからその言葉が聞こえたときに、コウタのみならずケイまでも思わず口の中でそう小さく漏らしてしまったのも、無理ない話だろう。
思考の海から抜け出したケイの視界に映るのは、実に毒気を抜かれた、それでいて面倒そうな表情でコウタにそう告げた協力者。
そしてその前に、彫像よりも生気なく硬直したままのコウタがいた。
「魂魄魔法が、無い――――?」
ケイはそう漏らし、自分の側で眠るサクラを見やる。
やや血色に乏しいものの、未だにかすかな微笑を称えたまま眠る彼女がもう一度起きることはないと分かっても、ケイにはもうさしたる悲しみもでてこなかった。
もしや自分が完全に血も涙もない冷血漢になっていたのかと内心ため息をもらしたケイだが、すぐにそれは間違いだと理解した。
(……まぁ、お別れはもう、済んだもんな)
自分の手でサクラを殺し、しかる後に魔法で蘇生させるつもりだったコウタと違って、ケイはもうサクラの最期を見届けるような心持ちでいた。
だからあの時の言葉は一字一句覚えているし、この頬にサクラから宿された熱も、忘れ去るつもりなんて毛頭ない。
「ルージェスさんだって、あんな反則じみた魔法が使えるけど、あれ以下のオレたちじゃ、絶対に使えない魔法なんだわ――」
でも、コウタは違うだろう。
「じゃ、じゃぁ――――」
『どうせ生き返るから』なんていう理由で殺人を犯したコウタには、きっと人が死ぬ瞬間ですらただ仲の良いクラスメートなんかと学校の帰り道で別れを告げるくらいの感覚でしかなかったはずだ。
――だから今のコウタに、『サクラはもう生き返らない』と意訳できるその言葉はとても堪える。
しかも何よりコウタにとって不幸なのは、
「――――なんのために俺は、サクラを殺したんだ」
そのサクラを殺したのが、自分だったということ。
日本であれば絶対に許されない、殺人という禁忌。ケイはコウタがそれをあっさり飛び越えたことにいささか疑問を感じていたが、今ならその理由が納得できる。
「だったらそりゃ飛んだ見当違いの、ただの殺人だったわけじゃないのか?」
「――――ぁ、ぁ」
『お前は人殺しだ』と言外に告げられたコウタの、ある程度の今の心境も。
コウタはこれでようやく、『人間は死んだら生き返らない』という当たり前の事実の上で動く、ケイと同じ土俵の上に立たされたわけだ。
いや、正確にはまやかされていたその事実を再確認させられたというだけの話だが。
「あの、ま、魔法の、実演は――――?」
自分の持つ手札の効用を確かめるように、コウタはおそるおそる尋ねた。だが、おそるおそるというのはその事実にコウタ自身が信頼をしていないことの裏返しになる。
こっちがポーカーでいうフォーカードなどを出したとしても、相手方が必ずロイヤルストレートフラッシュを出してくるような、自分が負けるという直感。
「実演? 知らないけどよ、まぁおおかた適当な魔法を組み合わせたりして、多分実用なんてできない次元でやってみせたんじゃね?」
「――――――ッ!」
そしてその直感は、実に正しかった。
ルージェスがあそこでコウタ証拠として実演して見せた『魂魄魔法』は、実はそもそも魔法ですらないのだ。
その正体は、対峙した生物の声帯を模倣し、実に様々な咆哮を放つことで先祖代々生き延びてきた、一種の魔物。
いかにも死者の魂が乗り移ったかのようなあの現象は、死にゆく人の声をその魔物に模倣させてから遅効性の毒で苦しませ、死者の魂が魔物の体に入って暴れていただけのことに過ぎない。
あの現象には、日本でもよく見慣れたオウムと呼ばれる鳥に代表されるような生態を持つ魔物を利用していたのだった。
「なんで……俺は、違う、だって、そう、サクラが、サクラを、だから…………」
そう焦点の合わない目で呟くコウタの思考は、もう崩壊寸前まで追いつめられていた。壊れゆく精神はやがて自壊し、コウタという人間の終わりを確実に迎えさせるだろう。
そして、その様子を見ていたケイは。
「――…………」
静かに状況を見て、驚くほどに凪いだ自分の思考を高速回転させていた。
死に際のサクラにケイは、『生きて』と頼まれた。ならケイがするべきことは、その願いを遂行すること。『愛してる』と死に際に伝えてくれた少女に恥じないよう、ここを脱出すること。
そのためだけに回転する思考に、さっきまでの荒波のように荒れ狂う感情の高ぶりは存在しない。
――感情がもう、擦り切れたのか。
(――違う)
ケイは自分のその推測を、一瞬の逡巡を経て切り捨てた。
だって今も、ケイの胸の中にはサクラを永遠に失ったことへの止めどない悲しみが溢れているのだ。
そのサクラを手に入れたいが為に確証もないまま彼女を殺したコウタへの、まだ氷解してくれそうにない怒りが心の奥底に揺らいでいる。
こんな状態では、とても感情が擦り切れたとは言えないだろう。
――でもケイはそれを、自分の心の最奥に鍵をかけて仕舞い込んだ。
今はただ、そんな感傷は自分の行動を曇らせるだけの鬱陶しい代物と断じて、心の湖に感情を沈めているに過ぎない。
(オーケー、今はまだ、耐えられる――)
ケイがかすかに首を捻れば、その視界の隅には相も変わらず地面に横たえられたままのサクラの姿。
実に運のいいことにさっきの協力者の雷撃の範囲からははずれていてくれたらしいその姿には、腹部に由来する血化粧以外は傷らしい傷は見あたらない。
思うのは、それだけだ|。
そして今のケイには、それで十分だ。
(……だいたい、十メートルってとこか)
そう考えたケイは、思わず自分がこれからやろうとしていることに苦笑を漏らす。
(――コウタまでの距離は、まぁ三十メートルってとこかな)
今しがた膝から崩れ落ちてからというものの、頭を手で抱え込んでずっと狼狽し続けている友人を視界に収めたケイは、もう一度、静かに目を閉じた。
――――お前に本当に、これができるのか?
――――できるかどうかじゃない。やるんだよ。
――――何言ってんだよ、お前らしくもない。もっと理性的に振る舞えるはずだろ、馬郡圭。
――――はっ。そっちこそ何言ってんだ。俺はサクラに言われたとおり、コウタを許すだけだぞ? 理性的もなにも、あったもんか。
そう胸中で叫んだケイは、すっと目を開いて深呼吸をする。その目の奥に挑戦的な炎を灯し、閉じた口の端をひきつるようにつり上げながら。
(――聞こえてるのか、分からないけど)
そうケイは、胸中で語りかける。
相手は、ケイが拷問を受けていたあの時にケイを助けてくれた、あの声の持ち主。
(――友達を、助けたいんだ)
その心に、嘘偽りはない。ここからコウタを、サクラを、そして自分も一緒に逃げて、最高とはいかないまでも、最善のエンドを迎えるためにと願い、そう口にする。
(――――――『力』を、貸してくれ)
冷静に、限りなくリラックスしたままの心境で、語りかけた。
そのまま、一秒、二秒、
五秒、
『――――』
十秒、
『――――――』
果たして、
『――分かったのです』
声が、あった。
◆ ◆ ◆
男は、ただ『協力者』と呼ばれていた。
もともと孤児だった身には、両親がつけてくれた大層な名前なんていうものはない。それゆえに、男にはその単純で味気ない名前が心地よかった。
その名前が意味するものは、読んで字のごとく『協力』。ただしその協力は、誰に対しても向けられるわけではない。
その対象は、狂気の天才にしてこの国のトップ層の一員でもある男、ルージェス・ハイドラン。
転送魔法という珍しい魔法をはじめとして実に多様な魔法を扱いこなす魔法戦闘のエキスパートにして、思考が読めないその男に、今の『協力者』は仕官していた。
その目的は主に、ルージェスの魔法により奴隷として召還される異世界人の管理と、その中に紛れての密告。
『いや、すみません……大変お手数をかけまして』
物腰柔らかで、気弱で、争いごとに慣れていないうだつの上がらない人。
そんな『演技』をしていれば誰もが、簡単に『協力者』を『自分たちと同じく虐げられている仲間』として受け入れる。
今回もまた、そうだった。
自分の演じる『真藤政弘』という人間に、三人の少年少女は実に簡単に騙されてくれた。
脱走を企てる人間は、それ相応の悲劇を見せてから消す。
今回もまた大詰めまで来ているその計画の中でただ一つ意外だったのは、ルージェスから男に指示を下される時に言われた、『命に代えても、もう一人の少年は死なせるな』というもの。
もともと何を考えているのかもわからない人物だったが、今回の話はそれに輪をかけて理解に苦しむものだった。
……だが、それを考えても仕方がない。自分たちの使命は上司であるルージェスの言葉を忠実に遂行することであり、そこにいかなる疑問を差し挟む余地もないのだから。
そう断じた男はその疑問についての思考をそこでやめ、任務の遂行に力を割くことにした。
「…………?」
――だが今男は、ここへきてその疑問が自分の脳裏で鎌首をもたげるのを確信していた。
その疑問の由来は、目の前でうなだれたまま『違う、こうじゃない、』としきりに繰り返す少年、ではない。
ルージェスから『死なせるな』と釘を刺された、あの少年――ケイである。
別に、見た目として気になるところはない。むしろその容姿は、『真藤政弘』として持たされた異世界のセンスに照らしあわせても平々凡々なものと言っても過言ではないだろう。
だが、『協力者』の不信感をどことなく煽り続けてやまないのは、その表情だった。
さっき男はケイに向かって、上級の雷魔法を打ち込んだ。
人間の反応速度ではなかなか反応できないような速度と閃光を纏い直進するその雷は、見た目に反して直接的殺傷力は押さえて放たれている。
もし仮に直撃することがあったとしても、その意識を刈り取った上で全身が痙攣する程度という、実に慣れない撃ち方をした魔法。
いくら普段から撃ち慣れないやりかたとは言え、ケイはその魔法を完全にはでなくともよけて見せたのだ。
――その少年は今、その瞳にどこか挑戦的な炎を宿して『協力者』を見据えている。
この状況を見てもまだケイの頬に諦観の色が浮かんでいないことに、『協力者』が眉をひそめた。
向こうは魔法を使えない。なら、こっちに圧倒的な有利があるはず。
これは覆りようのない事実で、男はだからこそケイがまるで勝機を見いだしたかのようにこっちを見据えていてもまだ、落ち着き払って眉をひそめるだけの動作をしていればよかった。
そう、男は信じていた。
「――――――ッ!?」
――一瞬前までは。
「ぅぁっ――――!?」
風を切る音とかすかな悲鳴が、男の耳元をなでて遙か後方へと流れていく。
一瞬後に発生した風から目を覆うように男が腕を翳し、風が収まってからその腕をどけた瞬間、男は思わず目を見開いた。
――――男の眼前から、直前までいたはずの少年の姿が突如として消えた。
言ってしまえば、ただそれだけの事実。
「――なんだ、これは」
ただ、消えたのはケイだけではない。
ついさっき息をひきとった少女と、自分の目の前で頭を抱えていたはずの少年。
その二人もこつぜんと姿を消していたことに男は狐に摘まれたような表情になり、思わずその場に立ち尽くした。
『ケイが二人の人間を伴ってこの場から離脱した』という単純な、それでいてにわかには信じられない魔法のような事実に男が気づいたとき、ケイたちはすでに『協力者』が追うことのできる距離の遙か彼方まで逃げ仰せていたのである。




