第一章16 『殺しと許しと苦しと』
――そう言えば少年、キミはあの少年を殺したいほど恨んでいたりするかい?
――――、――。
そうじゃないか。なら、よかった。
――?
いや、彼も貴重な労働力だからね。それ以外もあるけど。死なれては、困る。
――――、――――――……
もっともだ。だからこそ、この魔法がキミの願いを叶えるのには一番向いてる。
――、――――?
あぁ、この魔法はね、『魂魄魔法』って言ってさ――
◆ ◆ ◆
「――うひゃ、っひゃ、ひゃはっははははっ!」
最愛の少女をその手で今し方殺した少年、今川幸太。
「いひっ、ふひっ。うはっ、っふぁっははは――」
彼は今、この施設中に届くのではという声量でずっと哄笑していた。
――当然だ、これがおもしろくないはずがないだろう。
だって彼には、今しがた自分で殺した少女が自分のものになることが確約されているのだから。
◆ ◆ ◆
『この魔法の効果は、実に単純なものだ。死んだ人間の魂を物に宿らせ、好きに操ることができる』
この後の展開を想像して一人ほくそ笑むコウタの脳裏に、ルージェスがコウタに告げた言葉が再生された。
あの時の光景は、それを目の当たりにしたコウタにはとても魅力的な物に写ったものだ。
『残された体を使うこともできるし、加えて言うなら魂の方にも干渉が可能になるというわけだな。もちろん性格の調整も可能だから、自分に対して従順なヤツを作ることだって容易い』
そう説明するコウタの目の前では、今まさに実演されたばかりのその魔法が効果を十全に発揮していた。
『――たすっ、助けてくれぇぇええええっ!』
そう言いながら地を這い悶え苦しむのは、一匹の獣。
そしてその隣には、今しがた『魂を失った』ばかりの人間の体が倒れていた。首をはねられたはずの男は、その入れ物を獣に変えて今も地面をのたくり助けを求め続けていた。
『すげぇ……!』
『だろう? これを彼女につかってやれば、キミは彼女を好き放題できるというわけだな――』
◆ ◆ ◆
「うひっ、ひゃは、はっはははっ……」
後、コウタがやるべきことは簡単だ。
前もって助力を取り付けていた協力者を呼んでケイを取り押さえ、しかる後にその『魂魄魔法』とやらを使ってもらうだけでいい。
それだけでサクラはコウタのものになり、コウタの目標は達成せしめられる。
あれほど渇望していたものが、ようやく手にはいるのだ。
これが楽しくないのなら、いったい何だと言うのだろう。
「うひっ、ひひゃ……」
『――本当に?』
――その笑い声が、自分の中に響いた声に中断される。
『お前はそれで、本当に満足なのか?』
既にサクラを手に入れた後のことで思考が埋め尽くされかけているコウタの頭に響く、その声は。
「…………なんだよ、お前」
『それはお前が一番よく知っているはずだろう、今川幸太』
水を差されたように冷えた思考で聞くその声は、誰よりも自分がよく知っているもので。
「まさか……」
『分かってるじゃないか。――俺はお前が切り捨てた、お前の良心そのものだ』
「――――――ッ!」
『良心』という言葉に、既に不可逆な一線を越えてしまったコウタの心が、かすかに疼く。
『もう一度聞くぞ、今川幸太。――――お前はそれで、本当に満足なのか?』
「――っ、うっせぇ――――」
この状況を客観視した上で告げているのだ、とでも言わんばかりの口振りにコウタは訳も分からないまま激昂し。
思いつくままに罵倒の言葉を叫んでやろうとしたその瞬間、激痛とともにコウタの横っ面に衝撃があった。
「――――ッ!?」
不意打ちに耐えきれなかったコウタの体が瞬間的に地面から引き剥がされ、宙を舞うその瞬間、コウタの視界に映り込んだのは。
とめどない悲しみに両の目から涙を流し、そしてその目に計り知れない怒りを押し込めたケイの、気迫に満ちた姿だった。
◆ ◆ ◆
「――サクラ、ごめん」
駆け込む勢いのままに親友を殴りとばしたケイは、一瞬で加速した心臓の鼓動とは裏腹に落ち着いた声音でそう漏らす。
だが、地面にそっと横たえたままの彼女は、かすかな微笑を湛えたままで何も口にすることはない。
それが今のケイには、サクラが『仕方ないなぁ』と苦笑しているようにも見えた。
「コウタのこと許せって、サクラは言うけどさ。ほら、男って、殴りあって友情を深めるもんだろ?」
どこか言い訳じみた口調で口にしたそれは、これから起きる話し合いのための理由。
自分を刺した友人を許せと残して逝った友人の願いを聞き届けたいが、それでもコウタを一発殴りとばしたいケイが、無い頭を捻って考え出した屁理屈のような言い訳。
「――だから、ちょっとだけ、アイツと友情を深め合ってくるよ」
それだけを残したケイの目には、恐ろしいほどの怒りの炎が燃えていた。
目の前に転がっているのは、さっき自分が全力で吹き飛ばした親友。さっきまでの不愉快な笑いは鳴りを潜め、ケイのことを人でも殺しそうな目線で見上げている。
「――立てよ、コウタ」
そのコウタに、ケイは押し殺した感情を伴ってそう宣言した。
猛獣が唸るような圧縮された怒気に、コウタの表情が思わずひきつる。
「――ほら、立てよ。今のお前じゃ、言葉で話しても通じるものがなさそうだから。拳でじっくり、語り合ってやる」
低く重くつぶやいたケイが一歩コウタに近づくと、それに身の危険を感じたのかコウタが金切り声で叫びをあげる。
「なんだよっ! どうせサクラは生き返るんだっ、なんか問題でもあるのかっ!?」
ケイがサクラの死を自分と違って重く受け止めていると感じたからこそ、コウタはそう言ってケイを安心させようとしたのだろう。
「――どうせ、生き返る?」
「ああっ! なんだっけ、魂魄魔法? だかなんだかを使えば、サクラは生き返るんだって!」
果たしてケイがコウタのしかけた単語に反応して歩みを止めたのを見逃すまいと、コウタが必死に口を開く。
――それが自分の計画の露呈をしているのだと、気づくこともしないで。
「――そうなんだ」
いくらか怒気の抜けたケイの言葉に、コウタがほっと胸をなで下ろし。
「あ、ぁあ、だから何も問題は――――っがぁっ!?」
――次の瞬間、真下から跳ね上がってきたケイの足に顎をとらえられ、地面をまた醜く転がる羽目になった。
そして軽い脳震盪にぶれる意識の中ではっきりと聞こえた声に、コウタは全身からイヤな汗が噴き出すことを実感することになる。
「聞くことが、増えたな。サクラを殺しても生き返るから殺した、そう言い切れる理由、たっぷり聞かせてもらうぞ――」
◆ ◆ ◆
ケイは生まれてこの方、まともに人と喧嘩をしたことがない。
それはケイが生来やや控えめな性格で、人と争うのを好まなかったというのが何よりの原因であり、現に最近、自分たちに水をかけてきた大学生にもケイは手をだしはしなかった。
「――っがぁっ!?」
だがケイは現在、十代の筋力に物を言わせて目の前をはいつくばるコウタをメッタ打ちにしていた。
顎を殴り、胸を踏みつけ、立ち上がりかけたその尻を全力で蹴飛ばすといった具合に、地面を転がっているコウタに対して、ケイが追撃の手をゆるめることはない。
「――――」
理由を聞き出すなんて言うのは、ただのこじつけ。
実際のところ、ケイにはどうしても許せなかったのだ。
その後がどうであれ、人を殺したという、どうあっても覆しようのない一線を越えてしまった自分の親友が。
そして、その禁忌に手を出せるまで、その変化に気がつくことができなかった、自分自身が。
もともと、ケイは自分が他人の感情に鈍い方だったとは思っていた。別にそれで苦労をしたこともあまりないし、わざわざ他人の感情の機微を読みとれるようになりたいと思ったこともない。
だがケイは今、そのことを限りなく後悔している。
もう少しコウタのことを観察していたら。コウタの変化に気づくことができたのなら。もしかしたら、サクラを死なせずに済んだのではないかと。
「――――がっ、あぁああっ!」
怒号をあげて精一杯ケイに対抗しようと拳を繰り出すコウタを、しかしケイの拳の方が一歩先にコウタの顔を真正面から打ち抜く。
地面に倒れて悶絶するコウタと同様、ケイもすでに息が上がりかけている上に、両手が継続的に痛みを感じていた。
「――っはぁ、ハっ、は……」
もともと、人を殴ったこともないような手だ。
うまい殴り方など知る由もないからか、あるいは歯にでも引っかかったのか、すでにケイの拳も皮膚が切れて血を流している。
骨も何か軽く軋みを上げ始めているから、もしかしたらどこかで軽く一本か日本くらいは折れるかもしれない。
だが、ケイはそれでよかった。
「――――っ、――ぁあっ!」
痛みに耐えるように咆哮しながら、それでもケイは慣れない拳をふるう。
あんな腕力で持って人を殴ったら、それこそコウタが一瞬で意識を失ってしまうほどの重体になることがたやすく想像できた。
でもそれ以上に、ケイもまた自分を許したくなかったから。
この痛みが、コウタを止められなかった自分の罪への贖罪だと断じて、ケイはさらに拳を振りかぶる。
「――――っ」
握り込んだ拳についに限界がきたのか、骨から激痛を伴ってイヤな音がケイの聴覚に響いた。
――知るか。
このクソ野郎を殴り飛ばせるなら、手の一本や二本ぐらいくれてやる。
さて、最期だ。
振りかぶれ。
握りしめろ。
――さぁ、あとは思い切り――!
「――リウォーラ・ウィッド・ジャヴェラル」
「――――あ?」
なん、だ?
何で、俺は、握り込んだ手を、開いている?
…………。
――ぁあ、そう、いう、こと、か。
◆ ◆ ◆
『――一人の親友を殺し、一人の親友を哀しませて。――これが本当に、お前の欲しかったものだと言えるのか?』
涙を流しながらコウタの横っ面をケイが殴りとばしてから、どれくらいの時間が経っただろうか。
間断無く繰り返される攻撃に対して、コウタはすでに半ば現実逃避的な意味での思考に没入しかけていた。
(――うるせぇよ)
もはや最初から幾度も重ねられた打擲によって、コウタは口を開くのも億劫になっている。自然、その良心とやらに心の中で返すと、まるで呆れたとばかりのため息が聞こえてくるようだった。
『じゃ、少し話を変えるぞ。――お前はサクラを手に入れて万々歳かもしれないけどよ、お前はこれで晴れてルージェスの言いなりになる駒と化したってこと、気がついてるか?』
(――――――)
黙ったままの”表”のコウタに対して、冷静なその良心はさらに冷酷な口調で、コウタの追い求めた、その閉じた未来を口にする。
『”大好きな彼女を、もう一度殺されたくなければ”。その一言で、お前は何を犠牲にしても行動を起こさなくちゃならないわけだ』
(それが、なんだってんだ)
『よく考えろよ? まだ、これが奴隷の中でスパイをやれってんなら、まだいい。じゃ、ルージェスからこんな”提案”をされたら、お前はどうする気だ?』
そう言って一呼吸分の空白を置いたコウタの良心は、続けざまにコウタの背筋を凍らせることを口にした。
『――サクラを実験に使いたい、そう言われたら?』
(――っ!? 何言ってるんだ、断るに決まって――)
『いや、お前は断れないね』
そう断言した良心の声に、コウタが思わず青ざめる。その隙にさらに良心が饒舌に並べ立てた言葉は、みるみる内にコウタの正気を奪っていく。
『大丈夫、”後遺症”は残さない。なんせ、いくらでもサクラは弄れるんだからさ――こう言われて、お前は反論できるのか? できるわけがない。反論したら、サクラは殺されるんだからな』
(そんな状況、起きるわけが――っ!)
『あぁ、低い確率だよな』
思わずそう胸中で叫んでいたコウタに、良心はあっけらかんとその言葉を肯定してみせる。
『でも、これはただの一例だぞ? 他にも、お前が断れない状況を作り出す方法なんてのはいくらでもあるんだよ』
(――――ッ!)
『気付けよ、バカで愚かな今川幸太。お前の未来は、もう詰んだんだよ』
(――ふざけんなっ、そんな、そんなっ――――!)
認められるか。なら俺はなんのためにルージェスの提案に乗った? ケイを裏切った? サクラを――殺、した?
「――――がっ、あぁああっ!」
すでに潰れたコウタの喉から、血を吐くような叫びが轟く。
自分で気づいてしまった自分の行動の欠陥を認めたくないコウタの拳が、反撃の意志を宿してまっすぐにケイへと飛来する。
「――――――ッ!」
だが、それよりもケイの拳がコウタの頬をとらえる方が早い。
鈍い音を響かせてコウタの頬骨が軋み、再びコウタは地面に叩き伏せられた。
(――――なんでこうなった? 違う、俺は、俺は、サクラを、手に、入れて、それで、それで、それで――ッ!)
『……あぁ、こりゃダメだな。――また来るぞ、俺』
そう良心が呆れたように告げるが、表のコウタがくり広げる、すでに意味をなしていない思考が邪魔をしてその言葉は耳に入らない。
『おい俺、最後にもう一つ、聞いておく。これだけはよく聞けよ?』
だが、コウタの潜在意識が放った、その問いは。
『――――は、本当に――――か?』
「――――――――――ぇ?」
コウタの意識を、致命的な次元でフリーズさせるだけの力を持っていて。
「――――ッ!」
動きをとれなくなったコウタの視界の中で、修羅と化したケイが血を流しながらも振りかぶった拳に力を込め。
「――リウォーラ・ウィッド・ジャヴェラル」
――その手が、中空に飛来した風の槍に縫い止められる。
「――――あ?」
握り込まれたはずの手はいびつな形にこじ開けられ、数秒後にはのどを裂かんばかりの絶叫を伴って痛みをはっし始めるはずだろう。
そして、ケイがあげた間の抜けたような声が、コウタの耳朶を打つ、その前に。
落ち着いた声音で風の槍を打ち出した協力者の姿が、コウタの視界の向こうに横たわる闇から、静かに一歩足を踏み出したのが見えたのだった。




