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第一章15 『あい、らぶ、ゆー。』



 ――ケイがまだ幼稚園に通っていた頃、母親につれられてバスに乗ったことがある。


 当時から仲のよかったコウタ、サクラも一緒だったのを、おぼろげながら覚えていた。


 行き先は確か、近場にあった遊園地。


 ずいぶんと前から行くことを約束していたその遊園地に行く前日は、ケイも例に漏れず目が冴えてなかなか眠りにつけなかったものだった。


 それも手伝ったのか、ケイは遊園地で一日中遊んだ後、帰りのバスでコウタやサクラよりも早く眠りこけてしまった。


 眠気を誘う独特の振動と、暖かく窓から差し込む夕日に包まれながら寝たあの時は、ケイの記憶する中でも相当心地よく眠れたような気がする。



 ――――だからこそ、ケイはこの時気づくはずもなかった。


 眠りこける自分を優しい目で見つめるサクラに、その隣のコウタが妬ましいような羨ましいような、一般で言うところの『嫉妬』という感情をケイに抱いていたことに。



   ◆  ◆  ◆



「――――見りゃ、わかんだろ?」


 ああ。熱い。


 自分の思考が、それまで冷えきった鉄のように萎縮していた意志が、火を入れられて真っ赤に赤熱するのがわかる。


 ()()()()()()()()()()を手元に引き寄せたままわき腹に刺された最愛の人(サクラ)が、驚きに目を見開き、ふるえる視界で自分を必死に見据えようとしている。


 ――でも、怯える必要なんてないんだ。もうすぐ君は、俺のものになるんだから。


 そういう意味を込め、微笑を浮かべてから目の前に今一度視界を戻す。自分から数歩離れたところで立ち尽くすその男は、名をケイと言った。


 自分と今日まで親友として接してきた、大事な友人。


 そして、自分の想い人の関心を引く、()()()()


「――――コウタぁぁぁぁああああッッ!」


 ――ああ、俺はお前の、その叫びが聞きたかったんだよ。



   ◆  ◆  ◆



「――キミは、あの子(サクラ)が欲しくはないのか?」


 自分たちをこのふざけた世界に呼び出した男、ルージェス。


 いけ好かないとずっと思っていたその男が自分にそう話を持ちかけたのは、自分が食事の席であの大学生たちに絡まれた後の話だった。


『どこ行こうってんだ? 下手に動いたら脱出の意思ありっつって殺されて、それこそ脱出もなんもできなくなるかもしれないんだぜ?』


 ……あぁ、今でも思い出せばあの時の声が脳裏にありありと思い描ける。


 自分の心中など推し量るつもりもさらさらない、あの耳障りな声。


 到底聞くに耐えないあの声をそれ以上耳にしていたくなくて、俺はあそこから離れたんだ。


 人混みに紛れ、ケイやサクラからも逃げ出して、遠くへと。


 そうしたらそこに、あいつがいた。 


「――やぁ、少年。元気してるか?」

「…………」


 どこか嘲るような表情すら浮かべて俺にそう告げるルージェスを、その瞬間は本気でブン殴りたくなった。


 テメェのせいでこっちは苦労してんのに、元気してるかってフザケてんじゃねぇのかってな。


 実際、あの時のルージェスの沈黙があと数秒長かったら、俺はあそこでルージェスを殴ろうとして、その側付きの人間に瞬殺されていただろう。


「――少年。少年はあの少女が欲しいんだろう?」

「――――――ッ!?」


 だけど、この時のルージェスの、俺の心の奥底を看破するような物言いに、俺は一瞬黙り込んだ。


 そしてその動作は、ルージェス自身にその言葉の正確性を裏打ちさせるには十分すぎるものだった。


「ほら、やっぱりそうじゃないか」

「違ッ、そんなことは――――」

「ないはずがない。私はキミを、ずっと見てきた」

「っ――――」


 強い口調でそう断定するアイツの気迫に押されて、俺は思わず黙り込んだ。


 その隙を見逃さないとでも言うように、ルージェスが頬に微笑を浮かべてさらに言葉を並べていく。


「――キミは、あの幼なじみの少年が邪魔なんだろう? あの少年がいるから、彼女はキミのほうを向いてくれない。あの少年がいるから、キミは彼女と結ばれる未来を描けない。違うか?」

「――――」


 ルージェスの言葉がすっと胸に入り込んでいくのを、俺は心のどこかで実感していた。


 ――幼なじみとして、十年近く生きてきた。


 はじめに淡い恋心を自覚したのはおそらく幼稚園の頃。その時からずっと、今に至るまで、俺の思いは変わるどころか、より強固になっていっている。


 サクラの秘密だって知ってる。幼稚園のころから一緒だったから、風呂に入ったことだってあった。海も一緒に行った。動物園も、映画館も、遊園地だって。


 ――でも、そのすべてにおいて、サクラはずっとケイのことを見ていた。


 いや、違う。サクラは、ずっとケイの事以外を見ていなかったんだ。


 三人でずっと築いてきたこの人間関係を、俺は壊したくなかった。それは多分、サクラも一緒だったんだろう。


 ケイが鈍感なのをいいことにずっと思いを胸に秘めたままのサクラと同じように、ケイしか眼中にないサクラに対する思いを、俺はずっと胸に秘めてきた。


 その最中で起きた、この冗談みたいな異世界トリップ。


 しかも、神様はでてこないしチート能力なんてもらえないし、おまけに奴隷身分でスタートって言うクソゲー仕様だ。


 ……俺は、一刻も早く日本に帰りたかった。


 環境の変化に伴って、サクラがケイに思いを伝えるのが怖くて。


 ――いずれサクラに告げられるであろう思いに、ケイがもしOKを出したと考えたら恐ろしくて。


「――――――あぁ、そうだな」


 その考えを見透かされた気がして、俺は気づけばそう答えていた。


「答えてくれてうれしいよ。さて、ここで一つ提案なんだが。私には、あの少女をキミのものにする手だてがある」

「――――対価は」


 身がすくむ。『魔法みたい』なその手だてがあるのかという、その期待に震える手を握り込んで、なんとかそう答えた。


「そう構えないでくれ。別に私は、キミたちの脱走を阻止しようなんていう思惑はないんだから」

「――――――ッ!?」


 そのルージェスの言葉を頭が理解した瞬間、全身が総毛立つ。


 こいつは今、なんて言った? 脱走を阻止する思惑はない?


 違う、それはつまり、


「話、だだ漏れじゃねぇか……」

「驚かないでくれ。これでもこっちは『魔法』が使えるんだ、情報をすっぱ抜くなんて当たり前にできてしまうんだよ」


 そう言って大仰に手を広げるルージェスの話を聞いていると、本当に自分たちとこの世界に住む人間には確たる隔たりがあるのだと言うことを実感させられる。


「――なんでアンタが、そこまで俺にしてくれる」


 だからこそ、疑わずにはいられない。未知の存在である彼らの言葉が、自分たちを不利に陥れるのではないかと警戒するからこそ、まずはそう尋ねた。


 その質問を聞いたルージェスはわずかに微笑を浮かべ、「そんなことか」と呟いてから質問に答えた。


「その方が()()()()()()()()からさ。こっちにも色々と、予定があるのでね」

「――俺たちに害のあるものじゃないんだろうな」

「ないね。むしろ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 当然、慈善活動でないことは予想していた。やや引っかかるところもある言葉だが、一応は納得のいく回答だ。


「ちなみに言うが、この方法を実践したらキミと彼女は日本に戻れなくなる。この世界で生きてもらう。強いて言うなら、それが対価だね」

「…………少し、考えさせてくれ」

「あぁ、いいとも。キミたちの今後を決める重要な話だ、しっかり考えて決めてきてくれ」


 鷹揚にうなずいたルージェスは直後に声を潜め、俺の耳元に口を寄せて来てこうささやいた。


「ちなみに。勿論ないとは思うが、この話を口外した場合には、キミの大好きな彼女がどうなるかをしっかりと考えておくことだね」

「わかってる」


 鬱陶しいという意志を込めてぶっきらぼうにそう答えてやると、ルージェスは何が面白いのか含み笑いをもらして俺の耳元から離れていく。


「――さて、彼らが待っているだろうから、帰るといい。色よい返事を期待しているよ」


 そして、悪魔の誘いの声を背にしながら、俺はケイとサクラの待つテーブルに戻っていったのだった。



   ◆  ◆  ◆



 ケイには、目の前で起きていることが到底理解できなかった。


「あっはは……これで……お、俺は、サクラとずっと……」


 目の前に立つのは、コウタの姿をした別の狂人。そう思っていたいほど、コウタがとった行動は信じがたいものだった。


 コウタにわき腹を刺され、悲鳴もでないのだろう。サクラは苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、うっすらと開けた目でケイの方を見据えていた。


 その瞳が、ケイに、ただ一言。


 ――『助けて』と、懇願しているような気がして。


「うひゃ、あひゃ、あっはははっはははぁぁあああっ!」

「――ッ、ぁあああああっ!」


 逡巡は一瞬。理性のたがが外れたような声で哄笑するコウタのもとへとケイは駆け込み、コウタの横っ面を全力で殴りとばした。


「っぐうっ!? っひゃ、ひゃっひゃはははあっ――」


 助走のスピードまで乗せて放った重たい一撃にコウタはサクラから離れて地面を転がるが、それでも何がおかしいのか笑うことはやめない。


 だがそれだけの様子は、ケイの友人を殴ったことへの後悔と懺悔の念を吹き飛ばすには十分すぎた。


 もはや正常とはいいがたい様子のコウタに一瞥を送ったケイは、コウタという支えを失って倒れ込んできたサクラをそっと支え、その容態を確認する。


 もともとポッゼに送られるため、サクラは黒を基調としたドレスに身を包んでいたのだが、今となってはそのドレスが腰のあたりを中心に赤黒く染まりかけている。


 筋肉が痙攣しているのか、背中側から刺さったままのナイフが抜けることなく出血を押さえていてくれるのが、サクラにとっての数少ない救いだった。


「…………っ」


 ――はっきり言って、素人目に見てもわかる危険な状態。放置すれば、まず数分ともたない、というのがケイの直感的な推測だった。


 自分で導き出したその結論に、手元でどんどん顔面蒼白になっていくサクラに、失われていく命に、思わずケイの表情がゆがむ。


 これが日本だったら、救急車を呼んで病院に即刻搬送してもらい治療をしてもらえば、まだサクラが助かったこともあっただろう。


 だがここは、日本ではない異世界。回復魔法があることをさしおいても、そもそも現在ケイたちは大絶賛逃亡中の身だ。


 こんな状態のサクラを治療してくれるとしたら、もう逃亡もなにも投げ捨てて投降し、自分の何を引き替えにしてでも治療を頼むしかない。


「…………け、ぃ?」


 その声にはっとなり、ケイが思考の海から視界に焦点をあわせる。


「……わたし、どうなったの?」


 それは、弱々しく、今にも消えそうなサクラの声。


 失われゆく命の、最後の灯火――――


「――――っ、大丈夫だサクラ、俺がなんとしてもお前を助けるから……っ!」


 その想像を振り払うように、ケイは口を開いた。


 そうしていれば、サクラの首にかけられた死神の鎌を少しでも遠ざけられるような気がして。


「日本だったら危なかったけど、ここは異世界だ。あの回復魔法があれば、絶対お前を治せる、俺が身を持って保証するよっ。死ぬほど痛いけど、どんな怪我だって治せるから――」


 そうしていないと、死神が今にもサクラをどこかへと連れ去っていってしまいそうな気がして。


「……大丈夫だ、今から声を張り上げて投降を願い出れば、人がよってきてくれるはず、そうだ、さっき通るのを見たあの人たちに――」

「――――いい、よ、ケイ」


 だがその言葉の濁流は、呟きより小さい、それでいてケイより遙かに意志と決意を秘めたサクラのたった一言だけの言葉にあっさりと遮られ、中断される。


「なん、で……? それで助かるんだぞ、生きたくないのかよっ!?」


 もう、ケイの声はかすかに濡れ始めていた。


 サクラの言葉を聞くより先に、これから受け入れなくてはならない結末を、直感で理解してしまったから。


「私、なんとなくだけど、わかるの。もう、間に合わないって――」

「………………」


 そのサクラの言葉に、ケイは『まだ間に合う』と言ってやることができなかった。


 『数分しか持たない』と判断したのが、他ならない自分の思考だったから。


「多分、投降してから私を癒してもらうように頼む前に、私は死んじゃうから。だから、もう、いいの」

「――っ、――」


 そう言って苦しそうに笑うサクラの姿が、ケイの視界の中で揺れる。


 ケイの両目から溢れる涙が、座り込んだケイの腕の中に横たわったままのサクラの頬に当たり、サクラがくすぐったそうに目を細めた。


「ここで生きても、誰も幸せになれないよ。私は生き残っても、あのデブに買い取られて、奴隷のまま一生を過ごす。ケイたちは、せっかく脱出できそうだったのに、そのまま奴隷に戻って、多分今よりもひどい待遇をされちゃう」

「――――」


 もうケイは、何も言葉を発してやることができなかった。


「だから、約束。私がここで死んでも、ケイは絶対生きて。私が掴めなかった幸せを、ちゃんと手に入れて――っ」

「――サクラっ!?」


 そこまで言い切ると、とたんにサクラは軽く噎せた。口から漏れ出す呼吸とともに赤い霧が拭きあがってケイの頬を湿らせるが、ケイはそれを気にかけることもなく目を見開いた。


「……うん、まだ、大丈夫。……ねぇケイ、一個頼まれてほしいことが、あるの」

「……なに?」


 ケイが辛うじてそれだけを口にすると、サクラは一呼吸おいてからケイの思いも寄らないことを口にして見せた。


「――コウタを、許してあげて」

「――っ!」

「ほら、やっぱり言っておいてよかった。ケイ、そのままだったらきっと、コウタを許せないでしょ?」

「なん、で……?」


 まさにケイの心中を射たそのサクラの言葉に、ケイは涙を流すことすら忘れて呆然とするほかない。


 サクラはそのケイの表情をじっと見据えてから、すでに緩慢になってきた動きで首を横に傾ける。


 その視線の先に見据えるのは、未だに地面に倒れたまま笑い転げているコウタ。一見すると狂人にしか見えないそれを、サクラはなんと慈愛の目でもって見つめていた。


「なんでコウタが、私を刺したのかは、分からないけど。でも、きっと、あいつにも、大事な理由があるはずだからさ。だから、どこかで許してあげて――」

「――――」


 サクラにそう頼まれても、ケイはなかなか首を縦に振れない。


 ここから全員で脱走するというその目標を、あいつはたったの一手で崩してくれたのだ。


 自分の大事な友人を、サクラの命を奪おうとしたコウタを、いくらもう一人の友人であってもケイは許せる気がしなかった。


「死ぬ間際の人の、お願い、だよ? そういうのはさ、聞いてあげるのが、常識ってもんでしょ……」

「……ごめん。分かった、許すよ……」


 不詳不詳といった様子でケイがそう答えると、サクラは「よかった」と言ってまた笑った。


「――――ねぇケイ、聞いて、欲しいの」

「――ああ」


 すでにサクラの呼吸は浅くなり、もともと白いほうだった肌はすでに生気を失って久しい。そのサクラが告げる、本当に最期の言葉。


 真剣さの宿った瞳と声音だけでそれを理解したケイは、同じように真剣な声で涙を拭い、そう答えた。


「――そうね。きっとこの世界で、ケイはこれからも、困難なことに会うと思う。でもさ、そのときは、私の言葉、思い出してよ。幸せ、掴むって」

「あぁ、約束、する――」


 拭っても拭っても、涙が溢れてくる。


 止めどなくこぼれる感情が、行き場を失って全身を駆け巡っている。


「――あと、女心には、もうちょっと聡く、なってほしいかな……? 女の子は、大事にしてあげなきゃ、だめ、だよ?」

「そうだな……俺も、もう少し、女心を勉強しないと……」

「あは。女心を知るのは、受験勉強より、大変だよ……?」

「……頑張るよ」


 そう宣言したケイは、泣き笑いのような表情を必死に作ってみせた。


 それが死にゆくサクラへの、手向けだと信じて。


「後は……っ、こっちには学校もないけど、ちゃんと生活リズムは崩さないで、周りの人には迷惑をかけすぎないように…………って、まぁ、言い出したらキリがないね――」


 サクラの声はすでに、まるで長時間にわたって酷使でもされたかのように枯れている。そのことがサクラが死の淵へと誘われているのをより明確に示しているようだった。


「まぁ、これぐらいで許してあげるよ……」

「ありが、とう――――!」


 もう、ケイは自分の頬を伝う涙を、その声を揺らす感情を、自分の内側にとどめておくことはできないでいる。


 それを見届けたサクラは、ふと、ほぼ表情の動かなくなったその顔にふと何かを思い出したような色を浮かべた。


 ――これが、最初で最後の()()()()だということを、確信して。


「ねぇ、ケイ、もう、声が、でないの……。耳、貸して?」


 呼吸音の方が大きくなってきたサクラの言葉に、ケイは涙に濡れた顔のまま無言頷き、耳を近づける。


 自分に向かって近づいてくるケイの横顔にサクラは満足そうに笑みを浮かべた。


(短い、人生だったなぁ)


 その脳裏をよぎるのは、この二十年足らずの人生で自分が見てきて、感じてきたもの。


 普段は朗らかなはずなのに、なぜか自分を刺した親友と、普段は冷静なイメージなのに、今は自分のために人目もはばからずに泣いてくれる親友。


 この二人と過ごしてきた今までの人生に悔いがなかったかと言われれば、嘘になる。


(読みたかった本も漫画も読めてないし……結局、海外旅行はお父さんが単身赴任ばっかでいけなかったし。ぁあ、もう、未練ばっか……)


 自分でいざ考えてみれば、どうやらその記憶はやりたかったことややってないことであふれているみたいで、サクラは思わずかすかに苦笑してしまう。


 でも、これから死にゆくサクラに不思議と恐怖心というものはない。


(――――だって、)


 ――これから、人生の最後の最後で、自分が長年やりたかったこと、その最たるものを達成できるんだから。



   ◆  ◆  ◆



(――――?)


 サクラに言われるがまま耳を寄せたケイは、サクラがその指示を出したままなにも言わないことにかすかながら不信感を抱いていた。


 かすかに聞こえる呼吸音が、サクラが辛うじてまだこの世界にしがみつき、必死にその命の灯火を絶やしていないということを伝えてはくれるが、それもいつ消えるかもわからない風前の灯火だと。


 必死にちらつくイヤな予感に目を背け、あふれでる涙もそのままにサクラの言葉を待つ、ケイに。


「――――――ケイ」

「――――ッ!」


 ――果たして、サクラの声が響いた。

 

「どう、した――?」


 もう自分の声も涙に濡れて、悲哀の感情に揺れて、どうしようもなく情けないものになっている。


 それを笑うように、かすかな笑みのような呼吸音が聞こえ、


 ――――刹那、頬に熱い感触が宿った。


「――――っ!?」


 ――頬に、キスされた。


 そう気づいたケイは、びっくりしたような表情でサクラを見る。


「口は、かわいそう、だから。死ぬ人から、ふぁーすときす、うばわれたら、大変、だもんね」

「そんな、ことっ……!」


 サクラは、そんなことはない、と言ってやりたいケイの機先を、首を振って制する。


 もう、時間がないから。


 だから、伝えられることは、一つだけ。


 今まで見せてきた中でも、最大限の笑顔を作って。


「ケイ、今までも、これからも、ずっと。――――――愛してる(あい、らぶ、ゆー。)


 そして、この言葉を最期に。


 珠宮さくらという、一人の人間が。


「――――――――――っ、ぁ、ぁぁああ――っ!」


 最愛の人(ケイ)の腕に抱かれ、思いを告げて、激動にして短い人生の幕を。


 だが満足げな笑みで、そっと静かに、降ろしたのだった。

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