↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
32/51

知らない遊び


 数日後。


「お母様」

「何?」

「今日は、お出かけの日ですわね」

「そうね」

「忘れていませんわね?」

「忘れてないわよ」


 朝食の席。


 エステルが念を押してくる。


「三日前から、毎日確認されていますので」


 セリーヌが紅茶を置いた。


「そんなに?」

「はい」

「エステル」

「大事なことですから」

「どこかで聞いた言い方ね」


 レオニスが新聞の向こうで笑った。


「何よ」

「いや」

「言いなさい」

「似てきたと思ってな」

「誰に」

「お前に」


 エステルと顔を見合わせる。


「……似ています?」

「どうかしら」

「似ている」


 新聞の向こうから断言された。


「あなたは新聞を読んでなさい」

「ああ」


 素直。


 腹立つ。


 今日は、エステルと街へ出る。


 大げさな用事ではない。


 頼んでいた便箋を受け取り、春物の布を少し見て、帰りに菓子店へ寄る。


 それだけ。


 少し前までなら。


 外へ出る予定を立てるたび、私は帳面を開いていたかもしれない。


 どの道を通る。

 誰に会う。

 何か起きる可能性は。


 でも今日は。


「奥様」

「何?」

「帳面は置いていかれますか?」


 セリーヌが聞いた。


 見透かされている。


「持っていくわよ」

「左様でございますか」

「何、その顔」

「何も」

「書かないから」

「まだ何も申し上げておりません」

「必要なことは書くわよ」

「はい」

「でも、何でも意味にしない」


 セリーヌが少しだけ笑った。


「それでしたら」


 何よ。


 その合格、みたいな顔。


     ◇


 街は晴れていた。


 先日の雨が嘘みたいに、道は乾いている。


 馬車を降りる。


「お母様」

「何?」

「今日は、道を見ませんのね」


 ぎくり。


「見てるわよ」

「いつもより少ないです」

「あなたまで」


 エステルが笑う。


「この前は、ずっと窓の外をご覧になっていましたから」

「……そうね」


 子どもにまで分かっていた。


 反省。


「今日は何を見るのです?」

「便箋と布」

「それだけ?」

「お菓子」

「大事です」

「でしょう?」


 私はエステルの手を取った。


 人通りのある通りを歩く。


 荷車。

 店先の声。

 パンの匂い。

 遠くで笑う子どもたち。


 道は。


 道だった。


 未来へ続く線でも。

 事件の舞台でもなく。


 今日、誰かが買い物に使う場所。


 それでいい。


「お母様」

「何?」

「今、少し難しい顔をしました」

「してない」

「眉間」

「また?」


 触る。


「ありません」

「なら言わないで」

「でも、ありそうでした」

「予告しないで」


 エステルが笑った。


     ◇


 便箋を受け取った。


 布も見た。


 予定どおり。


 問題なし。


 そして。


「では、お菓子ですわね」


 エステルが一番いい顔をした。


「今日の目的、それだった?」

「三番目です」

「順位じゃないでしょう」

「大事さでは一番かもしれません」

「正直ね」


 菓子店へ向かう途中。


 小さな広場の脇で、子どもたちが遊んでいた。


 四人。


 地面に丸がいくつか描かれている。


 少し離れたところから、小さな布袋を投げていた。


「入った!」

「そこ二つ!」

「今のは線だろ!」

「入ってる!」


 揉めている。


 楽しそうに。


 エステルの足が止まった。


「……」


 見てる。


「エステル?」

「はい」


 返事だけ。


 目は向こう。


 一人の子が投げる。


 布袋が円の外へ落ちた。


「あー!」


 次の子。


 中心近く。


「三つ!」

「ずるい!」

「何がだよ!」


 また揉める。


「面白そう?」


 聞くと。


「……少し」


 少し。


 絶対かなり。


「見ていく?」

「よろしいのですか?」

「見るだけなら」


 エステルが頷く。


 私たちは少し離れたところに立った。


 護衛も止まる。


 子どもたちはこちらに気づかない。


 いや。


 一人、気づいた。


 気づいて。


 固まった。


 隣の子の袖を引く。


 そこから順番に。


 四人とも止まった。


「……」

「……」


 まずい。


 公爵夫人と公爵令嬢が、護衛付きで遊びを凝視している。


 怖い。


 普通に怖い。


「ごめんなさい。続けて」


 私が言う。


 続かない。


「お母様」

「何?」

「私が聞いてもよろしいですか?」

「何を?」


 エステルは子どもたちを見る。


「遊び方を」


 あ。


「いいんじゃない?」


 エステルが一歩前へ出た。


「その遊びは、どうやって勝つのですか?」


 そこ。


 そこから?


 聞かれた男の子が、ものすごい勢いで私を見る。


 助けを求められている。


 私に。


「普通に話して大丈夫よ」


 普通が一番難しい状況だった。


「あ、あの……ここから袋を投げるんだ」


 男の子が足元の線を指した。


「一人三回。外の丸なら一つ、その内側なら二つ、真ん中なら三つ」

「三回投げた点を足すのですか?」

「うん。一番多いやつが勝ち」


 エステルが布袋と地面の丸を見比べた。


「石蹴りとは違うのですね」

「あれは蹴るだろ? これは投げるんだ」

「なるほど」


 エステルが頷く。


「石をどこまで蹴るかではなく、袋をどこへ入れるか、なのですね」

「そうそう。真ん中が一番高い」


 なるほど。


 地面に三重の丸を描いて、少し離れた線から布袋を投げる。

 内側へ入るほど点が高い。


 単純だ。


 だからこそ。


「今のは二つ!」

「一つだろ!」

「二つの線より中だ!」

「線が消えてるから分かんないだろ!」


 戻った。


 一瞬で。


 見ると、一点と二点の境目が半分ほど消えていた。

 さっき誰かが踏んだらしい。


 エステルが目を丸くする。


 それから。


 笑った。


「線が消えたら、どうするのです?」

「また描く」

「誰が?」

「踏んだやつ」

「そんなルールないだろ!」


 また揉めた。


 エステルが私を見る。


「毎回、決めるのですか?」

「私に聞かないで」


 私も知らない。


「やる?」


 子どもの一人が言った。


「え?」


 エステル。


「一回」


 差し出された布袋。


 エステルは私を見る。


 目。


 やりたい。


 ものすごく。


「一回だけよ」

「はい!」


 受け取る。


 線の前に立つ。


「ここから?」

「うん」

「真ん中なら三つ?」

「三つ」


 真剣。


 投げた。


 布袋は。


 丸の手前に落ちた。


「……」


 エステルが固まる。


「ゼロ」


 子どもが言った。


「見れば分かります」


 強い。


 負けず嫌いが出た。


「もう一回やる?」

「一回だけと約束しましたので」


 エステルが布袋を返す。


 でも。


 目は丸を見ている。


「ありがとうございました」


 きちんと頭を下げる。


「う、うん」


 子どもたちも、なんとなく頭を下げた。


 何の会。


     ◇


 菓子店で。


 エステルは焼き菓子を選びながら、ずっと何かを考えていた。


「エステル」

「はい」

「さっきの負け、まだ気にしてる?」

「負けではありません」

「ゼロだったけど」

「一回しか投げていませんから」

「一回は一回じゃなかった?」


 止まった。


 こっちを見る。


「……お母様」

「何?」

「そういう時だけ覚えていらっしゃるのですね」

「母ですから」

「便利ですわね」

「便利よ」


 少し睨まれた。


 でも。


 すぐ笑った。


「真ん中が一番高いのは分かりやすいです」

「まだ考えてる」

「でも、線が消えるのは困ります」

「そこ?」

「点も三つまでしかありません」

「十分じゃない?」

「もっと差があってもいいと思います」


 焼き菓子を一つ取る。


 戻す。


 別のを取る。


 頭は完全に遊びの方。


「それから、投げるものも同じ重さの方が公平です」

「エステル」

「はい」

「お菓子」

「見ています」

「遊びのこと考えてるでしょう」

「少しだけ」


 少しじゃない。


「もう一度やりたい?」


 聞く。


 エステルは少し考えた。


「同じものを、ではなく」


 そこで言葉を切る。


「私なら、もう少し変えます」


 楽しそうだった。


 負けた顔ではない。


 次を考えている顔。


 私は何も言わなかった。


 ゲームの中のエステルなら。


 負けた時、どうしていただろう。


 そんな考えが、一瞬だけ浮かぶ。


 でも。


 やめた。


 今、目の前にいるこの子は。


 ゼロ点を取って。


 次の遊び方を考えている。


 それで十分だ。


「お母様」

「何?」

「これと、こちら。どちらがよろしいと思います?」


 焼き菓子を二つ持っている。


「両方」

「一つです」

「何で?」

「お父様に一つ選ぶと約束しました」

「いつの間に」

「今朝です」

「聞いてない」

「お母様は紅茶を飲んでいらっしゃいました」


 見ていなかった。


 未来じゃなく。


 今を見ようと決めた日に。


 朝食を見落としていた。


「……両方買って、私が一つ食べる」

「ずるいです」

「大人ですから」

「理由になっていません」


 笑う。


 エステルも笑った。


     ◇


 帰りの馬車。


 エステルは窓の外を見ていた。


 来た時と同じ道。


 同じ店。


 同じ広場。


 子どもたちはもういない。


 地面の丸だけが残っている。


 少し崩れて。


 線も薄くなっていた。


「消えかけていますわね」

「また描くんでしょう」

「負けた人が?」

「それは揉めてたでしょう」

「では、最初から消えにくくすればいいのです」

「まだ考えてる」


 エステルがこちらを見る。


「面白かったですから」


 それだけ。


 私は頷いた。


 帳面は膝の上の鞄に入っている。


 今日は一度も開かなかった。


 でも。


 忘れたくないことはあった。


 道のことではない。


 雨のことでも。


 橋のことでもない。


 娘が知らない遊びを見つけて。


 一回負けて。


 それでも楽しそうに、次を考えていたこと。


 これは。


 書かなくても覚えていられる気がした。


「お母様」

「何?」

「今度、アレクにもやってもらいましょう」

「もう巻き込むの?」

「お父様も」

「レオニスも?」

「セリーヌも」

「全員?」


 エステルは満足そうに頷いた。


「その方が、勝負になります」


 嫌な予感がした。


 たぶん。


 とても平和な方の。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。