十一歳
シオン・フェルディア。
その名前は、三日経っても出てこなかった。
「……何で?」
朝。鏡の前で髪を整えてもらいながら、私はずっと考えている。
「何故と申されましても」
セリーヌが髪を梳く。
「名前は覚えてるの」
「はい」
「顔も覚えてる」
「はい」
「でも、何をした人か出てこない」
「はい」
ゲームには、いた気がする。
たぶん、画面のどこかで名前を見た。
でも、何をした人だった?
エステルと、どう関わった?
そこから先が出てこない。
危ない。
考え込むあまり、今、セリーヌの前で余計なことまで口にするところだった。
「何でしょう」
「何でもない」
「左様でございますか」
鏡の中のセリーヌを見る。
絶対、何でもないと思ってない。
「奥様」
「何?」
「三日前から、同じところを回っておられます」
「分かってる」
「では、一度お忘れになっては」
「忘れたら困るかもしれないでしょう」
「何故?」
「それは……」
破滅するかもしれないから。
――とは、言えない。
「気になるから」
「では、気になるままになさってくださいませ」
「雑!」
「解決できないものを、今すぐ解決しようとなさる方が雑かと」
「…………」
朝から正論。
重い。
◇
昼。
レオニスが珍しく屋敷で昼食を取った。
「フェルディア子爵家?」
私が名前を出すと、レオニスはパンを切る手を止めた。
「知ってる?」
「知っている」
「どんな家?」
「北東部に領地を持つ。大きくはないが、古い家だ」
「何か有名?」
「馬」
「馬?」
「それと、国境寄りの街道管理」
「……地味」
「必要な仕事だ」
「分かってるわよ」
つい、前世の感覚が出た。
「シオンという子は?」
「次男だ」
「次男」
「長男は父親と領地にいるはずだ」
「何歳?」
「知らん」
「知らないの?」
「子爵家の次男の年齢を、なぜ私が把握していると思った」
「公爵だから」
「公爵を何だと思っている」
「何でも知ってる人」
「違う」
即答。
「お父様」
エステルがスープから顔を上げる。
「シオン様は十一歳です」
「…………」
私は止まった。
「え?」
「十一歳です」
「誰が?」
「シオン様が」
「……十一?」
思わず聞き返した。
もっと上だと思っていた。
あの妙に整った立ち方と、落ち着いた受け答え。雨に濡れていても妙に崩れなかった雰囲気。
てっきり十二か、十三くらいだと。
「何で知ってるの?」
「聞きました」
「いつ?」
「石蹴りをしている時です」
「聞いてた!?」
「はい」
「何で!?」
「何歳か気になったので」
「それを普通に聞いたの?」
「はい」
「初対面で?」
「はい」
「シオン君、何て?」
「十一歳です、と」
「普通に答えたの!?」
「はい」
何。
この二人。
「お母様は聞かなかったのですか?」
「聞かなかった」
「何故?」
「普通、初対面でいきなり年齢聞かないでしょう」
「でも、お母様は気になっていたのでしょう?」
「気になってたけど!」
「なら、聞けばよかったのでは?」
「…………」
九歳。
強い。
「二つ上ですね」
「……そうね」
二つ。
たった二つ。
その数字が妙に引っかかった。
「お母様?」
「何でもない」
「またですか?」
「またって何」
「シオン様が来た日も、何でもないと仰っていました」
「…………」
この子。
最近。
よく見てる。
「ミレーヌ」
レオニス。
「何?」
「何かあるのか」
「ない」
「即答だな」
「ないもの」
「そうか」
それ以上は聞かない。
助かる。
でも、ちょっと怖い。
レオニスはこういう時、本当に待つ。
私が話すまで。
◇
午後。
私は帳面を開いた。
書く。
『シオン・フェルディア 十一歳』
その下。
止まる。
何を書く?
ゲームにいた。
たぶん。
名前を知っている。
たぶん。
危険。
……分からない。
攻略対象。
……分からない。
エステルと関わる。
もう関わった。
石蹴りした。
それだけ。
「……何これ」
自分で。
笑いそうになる。
破滅フラグ候補。
石蹴り。
嫌すぎる。
「お母様」
声。
反射的に帳面を閉じる。
速い。
「何?」
「今、何か隠しました?」
「隠してない」
「帳面を閉じました」
「閉じただけ」
「見ても?」
「駄目」
「では、隠しています」
「…………」
論理。
強い。
「何しに来たの?」
「お茶です」
「お茶?」
「セリーヌが、お母様がまた部屋から出てこないので持っていけと」
「セリーヌ!」
いない。
逃げた。
「どうぞ」
エステルが自分で盆を置く。
紅茶と焼き菓子。
二人分。
「あなたの分もあるの?」
「はい」
「最初から一緒に飲む気だった?」
「はい」
堂々。
座る。
「……いただきます」
「どうぞ」
私の部屋なのに。
◇
「シオン様のことですか?」
紅茶を吹きそうになった。
「何で」
「今日、昼食で聞いていたからです」
「それだけ?」
「それだけです」
「…………」
怖い。
娘の観察力。
「気になるのですか?」
「少し」
「何が?」
「……分からない」
「分からないのに気になるのですか?」
「そういうこと、あるのよ」
エステルは焼き菓子を一つ割った。
「わたくしは、面白い方だと思いました」
「シオン君?」
「はい」
「どこが?」
「静かなのに、負けると悔しそうでした」
「そこ?」
「はい」
あなた。
本当に。
負けず嫌い好きね。
「あと」
「うん」
「お兄様に勝ちたいと言っていました」
「言ってたわね」
「三年習って、一度も勝っていないのに」
「うん」
「まだ勝ちたいのだな、と」
「……うん」
エステルはそれを笑わない。
当然だ。
この子も、そういう子だから。
「また会いたい?」
「はい」
「即答」
「石蹴りの続きをします」
「そこなのね」
「それと」
「うん」
「剣の話も聞きたいです」
「剣?」
「わたくしは習っていませんから」
「習いたいの?」
「少し」
「…………」
来た。
新しいやつ。
「どうして?」
「シオン様の手を見て、分かったからです」
「何が?」
「練習した人の手は、違うのだと」
「……そう」
「カイル伯父様もそうでした」
「そうね」
「アレクは?」
「剣も習ってるでしょうね」
「では、今度見ます」
「何を」
「手を」
「やめなさい」
「何故です?」
「急に手を見せてって言われたアレクが困るから」
「では、理由を言います」
「それなら……いいのかな」
いいの?
分からない。
◇
夕方。
フェルディア子爵家から手紙が来た。
正確には、シオンからエステル宛に。
「早い」
封を見て。
私。
言った。
「何がです?」
「手紙」
「三日ですよ?」
「三日で来る?」
「来ました」
「そうだけど」
エステルが。
私を見る。
「開けても?」
「あなた宛でしょう」
「はい」
「どうぞ」
「お母様は見ないのですか?」
「見ていいなら」
「いいです」
即、開封。
紙に並んでいるのは、子供らしさの残る、それでも丁寧な字だった。
『先日は、ありがとうございました。』
普通。
『王都には無事に着きました。』
普通。
『石蹴りは、宿の庭では石を見つけられなかったので、まだ練習できていません。』
そこ。
報告するんだ。
『代わりに、兄に勝つための剣の練習をしました。やはり負けました。』
エステル。
笑う。
「負けています」
「笑わないの」
「でも」
「本人も書いてるけど」
「はい」
続き。
『次に会う時までに、どちらか一つは勝てるようになっておきます。』
「どちらか?」
「石蹴りか、お兄様でしょう」
「相手の規模が違いすぎない?」
エステル。
楽しそう。
『もし王都へ来ることがあれば、フェルディア家の滞在先にも遊びに来てください。』
その下。
『シオン・フェルディア』
終わり。
「普通ね」
「何がです?」
「何でもない」
普通。
十一歳の少年から、九歳の娘への手紙。
いや、貴族だからちょっと硬いけど。
それでも、普通だ。
「返事を書きます」
「うん」
「今日」
「今日?」
「早い方がいいでしょう?」
「まあ」
「石蹴りの練習方法を書きます」
「手紙で?」
「はい」
「伝わる?」
「絵も描きます」
「絵」
「お母様も手伝ってください」
「何を」
「石」
「石の絵?」
「はい」
「それ私いる?」
「綺麗な丸を」
「石、丸じゃないでしょう」
「では、石らしい形を」
「難易度上がった!」
エステルはもう紙を用意している。
早い。
「セリーヌ!」
「お呼びでしょうか」
いる。
すぐ。
いる。
「紙、もうある」
「お嬢様がご用意なさいました」
「知ってた?」
「何をでございましょう」
「手紙来るの」
「存じません」
「じゃあ何で」
「お嬢様が、来るかもしれないからと」
「いつから?」
「昨日から」
「…………」
この子。
待ってたんだ。
「お母様」
「何?」
「石を」
「はいはい」
座る。
紙。ペン。
そして、石。
……石って、どう描くの。
◇
夜。
エステルの返事が完成した。
長い。
シオンの二倍くらいある。
「何を書いたの?」
「石蹴りのやり方と、練習の仕方と、お父様に五回負けたことと、二回勝ったことと、次は三回勝つことと」
「待って」
「何です?」
「全部書いたの?」
「はい」
「シオン君、読むの大変じゃない?」
「大丈夫です」
「何で」
「十一歳ですから」
「年齢への信頼が雑!」
最後には、私が描いた石の絵が三個も載っていた。
何で。
「これ、必要?」
「必要です」
「何に?」
「説明の絵です」
「石蹴りなんだから、石なのは分かるでしょう」
「でも、あった方が分かりやすいです」
「三個も?」
「お母様が三個描いてくださったので」
「描いてって言ったのあなたでしょう!」
エステルが笑いながら封を閉じる。
「明日、出します」
「うん」
楽しそう。
それを見て、私も少し笑った。
シオン・フェルディア。
十一歳。エステルより二つ上。
名前は知っている。
でも、何者だったかはまだ思い出せない。
ただ、一つだけ。
前より分かったことがある。
エステルは、また会いたいと思っている。
シオンも、次に会うつもりでいる。
それが何に繋がるのか、私は知らない。
だから、今は勝手に決めない。
――でも。
帳面の『シオン・フェルディア 十一歳』。
その横に、小さく丸を一つ付けた。
意味は、まだ決めていない。




