↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
20/51

名前だけ知っている


 雨が降った。


 それも。


 ちょうどいい感じに。


「……ちょうどいい雨って何なのかしらね」


 窓の外を見ながら呟くと。


「少なくとも、外出を楽しみにしておられる方の言葉ではございませんね」


 背後から返ってきた。


 セリーヌ。


「楽しみにしてないわよ」

「左様でございますか」

「仕事よ」

「はい」

「中継所の水の流れを見るの」

「はい」

「必要な確認」

「はい」

「何、その顔」

「どの顔でございましょう」

「雨が降って嬉しそうですね、って顔」

「申し上げておりません」

「顔が言ってる」

「奥様ほど表情豊かではございませんので」

「私、公爵夫人よ?」

「存じております」


 そこ。


 即答しないでほしい。


「お母様」


 エステルが廊下の向こうからやってきた。


 手には本。


 今日は家庭教師の日。


「行かれるのですか?」

「ええ」

「雨なのに?」

「雨だから」

「……ああ」


 先日話した中継所のことを思い出したらしい。


「見に行くのですね」

「私は見ない」

「え?」

「現地の人に見てもらうの。今日はネラさんから報告を受けるだけ」

「では、お屋敷で?」

「そう」

「なら、わたくしも」

「勉強」

「…………」

「勉強」

「二回言いました」

「大事だから」

「お祖母様みたいです」

「誰が!?」


 エステルが笑って逃げた。


 待って。


 今の。


 マーリンお母様に聞かせたら絶対喜ぶ。


 いや。


 言わない。


 絶対に。


     ◇


 ネラ・ハーディが屋敷へ来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 以前、領内の荷の流れを見直した時に知り合った女性。


 二十年、荷と道と、それを動かす人たちを見てきた。


 机の上の数字だけではなく、実際に荷車を引く人や馬の都合まで考える人で。


 私は彼女の、そういうところを信用している。


「濡れたでしょう」

「馬車でしたから」

「外も見たんでしょう?」

「少し」

「着替えは?」

「必要ありません」

「風邪を」

「奥様」


 セリーヌが横から。


「何?」

「まず、お仕事を」

「はい」


 ネラが笑う。


 何で。


 私が二人に扱われてるの。


「では」


 卓上に紙が広げられた。


 簡単な図。


 中継所。


 倉庫。


 馬を休ませる場所。


 そして。


 線。


「水?」

「はい」


 何本かの線が。


 中継所の裏へ集まっている。


「思ったより、こっちから来てるのね」

「道からではありませんでした」

「畑?」

「その向こうの斜面です」

「斜面……」


 ネラが別の紙を出す。


「昨夜から今朝まで、三度見てもらいました。雨量は正確には測れていませんが、水が集まる場所はほぼ同じです」

「荷車は?」

「一台、空荷で試しました」

「大丈夫だった?」

「今朝の段階なら」

「もっと降ったら?」

「分かりません」

「……また分からない」

「はい」

「便利ね、この言葉」

「使いすぎると叱られますよ」

「誰に?」

「たぶん、そちらの方に」

「私でございますか?」


 セリーヌが首を傾げる。


「絶対そう」


 私は図を見る。


「で、どうする?」

「職人は浅い溝を二本。大工は倉庫側の地面を少し上げる。厩務の者は馬の通る場所だけ砕石を避けたいと」

「全部やる?」

「全部やると金がかかります」

「ですよね」

「まず溝です」

「一番安い?」

「一番やり直しやすい」

「……なるほど」


 安いからではない。


 失敗しても。


 戻せるから。


「それ、好き」

「何がです?」

「やり直せるところから試すの」

「では、そのように」

「待って」

「はい」

「私が好きだから決めるんじゃないでしょう」

「違います」

「よかった」


 危ない。


 今。


 ものすごく気持ちよく決めそうになった。


「奥様」

「何?」

「今のは帳面に書かれないのですか?」

「……書かない」

「左様でございますか」

「その顔やめて」

「どの顔でございましょう」


 絶対。


 わざと。


     ◇


 話が終わったところで。


 扉が。


 少しだけ開いた。


「お母様」


 エステル。


「勉強は?」

「終わりました」

「本当に?」

「先生に聞いてください」

「疑ってないわよ」

「今、疑いました」

「確認よ」

「同じです」


 入ってくる。


 ネラを見る。


 そして。


 きちんと礼。


「こんにちは、ネラ様」

「ごきげんよう、お嬢様」


 ネラも立つ。


「前に、お母様がお話ししていた方ですね」

「何と?」

「荷物を運ぶことをよく知っている方だと」

「それは光栄です」

「あと」

「エステル」

「何でしょう」

「あと、何」

「怖くない方だと」

「私、怖い人と仕事してるように見える?」

「お母様、たまに怖い人ともお話しするでしょう」

「…………」


 する。


 公爵夫人だから。


「それで、今日は何のお話でしたの?」

「泥」

「泥」


 ネラが。


 吹き出した。


「奥様」

「何?」

「間違ってはいませんが」

「でしょう?」

「もう少しございます」

「じゃあ説明して」

「私が?」

「専門家」

「便利に使いますね」

「信用してるから」


 言うと。


 ネラが一瞬。


 黙った。


「……そういうことを、さらっと言われると困ります」

「何で?」

「いえ」


 何。


 今の。


 エステルが私を見る。


 セリーヌも私を見る。


「何?」

「いいえ」


 二人同時。


 何なの。


     ◇


 ネラが帰る頃には。


 雨は細くなっていた。


 玄関まで見送る。


「では、溝を試します」

「お願い」

「次に雨が降ったら、また見ます」

「お願い」

「奥様」

「何?」

「来なくていいですよ」

「まだ何も言ってない!」

「顔に」

「みんなそれ言う!」


 ネラは笑って馬車へ乗った。


 見送る。


 その時。


 もう一台。


 門の方から馬車が入ってきた。


「来客?」


 セリーヌを見る。


「本日は伺っておりません」


 馬車。


 紋章。


 知らない。


 いや。


 どこかで。


「王宮からではございませんね」

「うん」


 止まる。


 従者が降りる。


 続いて。


 少年。


 見た目、十二、三歳くらい。


 黒に近い青の髪。


 雨のせいか。


 少し濡れている。


 細身。


 でも。


 立ち方が。


 妙に綺麗。


 そして。


 その後ろから。


 見覚えのある男性が降りた。


「グランヴェル公爵夫人」


 王宮の文官。


 名前。


 何だっけ。


 顔は分かる。


 名前。


 出ない。


「突然の訪問、申し訳ございません」

「いえ。どうされました?」


 外面。


 起動。


 完璧。


 たぶん。


「こちらは、ラウル・フェルディア子爵のご子息で――」


 少年が一歩出る。


「シオン・フェルディアと申します」


 礼。


 綺麗。


 名前。


 シオン。


 フェルディア。


 ――知ってる。


 頭の中で。


 何かが。


 引っかかった。


「本日は父の代理として、王都へ向かう途中でして」


 文官の説明が続く。


 聞こえている。


 聞いている。


 ちゃんと。


 でも。


 頭の奥で。


 別のものが。


 開きかけている。


 シオン。


 フェルディア。


 どこで。


 何で。


 私は。


 この名前を。


 知っている?


「雨で街道の一部が通りにくくなっておりまして、こちらで馬を休ませていただけないかと」

「もちろんです。どうぞ中へ」


 答える。


 笑う。


 公爵夫人。


 できてる。


 たぶん。


「ありがとうございます」


 少年。


 シオンが。


 顔を上げた。


 灰色。


 いや。


 青灰色の目。


 その瞬間。


 胸の奥。


 ぞわ。


 とした。


 画面。


 文字。


 立ち絵。


 何か。


 ある。


 でも。


 出ない。


「お母様?」


 エステルの声。


 近い。


「何?」

「お客様ですか?」

「ええ」


 振り返る。


 エステル。


 九歳。


 赤い髪。


 紫の目。


 いつもの娘。


 そして。


 シオンの視線が。


 エステルへ向いた。


「こちらは娘のエステルです」

「エステル・グランヴェルです。ごきげんよう」


 礼。


「シオン・フェルディアです」


 二人。


 初対面。


 何も。


 起きない。


 当たり前。


 ただ挨拶しただけ。


 なのに。


 頭の中。


 うるさい。


 知ってる。


 この名前。


 絶対。


 知ってる。


     ◇


 客間。


 雨。


 お茶。


 シオンは。


 静かな少年だった。


 大人の話に割り込まない。


 聞かれれば答える。


 姿勢もいい。


 礼儀もいい。


 そして。


 エステルは。


 退屈している。


 分かる。


 すごく分かる。


「王都へは、よく?」


 レオニスがいれば。


 たぶん。


 こういう話。


 もっと上手い。


 今日は不在。


 私。


 頑張れ。


「年に二、三度です」

 シオンが答える。

「父に同行することが多いのですが、今回は先に書類を届けるようにと」

「一人で?」

「供はおります」

「そうね」


 十二、三歳。


 貴族なら。


 なくはない。


 でも。


 私の感覚だと。


 子供。


「剣を習っておられるのですか?」


 エステル。


 突然。


「エステル?」

「手に硬いところがあります」


 見る。


 シオンの右手。


 私は。


 分からない。


「はい」

「やはり」

「よく分かりましたね」

「カイル伯父様にもあります」

「伯父様は騎士ですか?」

「違います」

「エステル」

「でも、剣は使えます」

「それはそうだけど」


 シオンが。


 少し笑った。


 初めて。


 年相応。


「僕は、まだ上手くありません」

「どれくらい?」

「エステル」

「何です?」

「初対面」

「初対面だと聞いてはいけないのですか?」

「聞き方」

「では、どのくらいお上手なのですか?」

「同じじゃない」

「丁寧です」

「そういう問題?」


 シオンが。


 今度は。


 はっきり笑った。


「三年習っています。でも、兄には一度も勝てません」

「一度もですか?」

「はい」

「では、お兄様は強いのですね」

「とても」

「勝ちたいですか?」

「……はい」


 エステルの目。


 光った。


 やめて。


 その話題。


 今。


 絶対。


 仲間見つけた顔した。


「わたくしも、負けたくない相手がたくさんいます」

「たくさん?」

「はい。お父様と、アレクと、ネリーと、お母様です」

「待って。最後」

「お母様もです」

「何で」

「石蹴り」

「一回しかしてないでしょう!」


 シオンが。


 また笑う。


 静かな子だと思ったのに。


 結構笑う。


「石蹴り?」

「ご存じありませんか?」

「名前だけ」

「では、お教えします」

「エステル」

「何です?」

「雨」

「屋根のある場所で」

「あるの?」

「昨日、お父様が」

「何作ったの、あの人!?」


 知らない。


 聞いてない。


「旦那様が、雨天時にもお嬢様が練習できるよう、厩舎脇の通路を――」

「セリーヌも知ってたの!?」

「今朝」

「何で教えてくれないの」

「お聞きになりませんでしたので」

「そういう問題!?」


 文官が。


 咳払い。


 笑いを堪えてる。


 やめて。


 公爵家。


 今。


 すごく。


 公爵家じゃない。


     ◇


 結局。


 やった。


 石蹴り。


 客人と。


 厩舎脇。


 屋根付き。


 本当に。


 線まで引いてある。


「レオニス……」


 何してるの。


 仕事の合間に。


「ここから、ここまでです」

「はい」

「線を踏んではいけません」

「はい」

「石が外へ出ても駄目です」

「分かりました」

「一回見せます」


 エステル。


 得意げ。


 シオン。


 真剣。


 私は。


 少し離れて。


 見ている。


 さっきから。


 頭の奥。


 引っかかり。


 取れない。


 シオン。


 フェルディア。


 あのゲームに、いた?


 違う。


 たぶん。


 でも。


 男の子。


 名前を知っている。


 年齢。


 エステルより。


 三つか四つ上。


 ゲーム。


 いた?


 立ち絵。


 あった?


 分からない。


 くそ。


 こういう時。


 前世の私。


 何で設定資料集を暗記してないの。


 いや。


 普通しない。


「お母様!」


「はい!」


 びくっ。


「見ていました?」

「見てた」

「どこまで?」

「……最初から」

「本当に?」

「ごめん」


 見てない。


 エステル。


 頬を膨らませる。


「シオン様、今のはとても惜しかったのです」

「そうなの?」

「はい」

 シオンが答える。

「最後の一つで外へ出ました」

「惜しい」

「ありがとうございます」


 笑う。


 普通。


 本当に。


 普通の少年。


 何が。


 引っかかってる?


「もう一度やりますか?」

「いいのですか?」

「もちろんです」


 エステルが石を渡す。


 指。


 触れる。


 何も起きない。


 光らない。


 音楽も鳴らない。


 選択肢も出ない。


 当たり前。


 私は。


 何を期待してるの。


 いや。


 期待じゃない。


 警戒。


 ……警戒?


 何に?


     ◇


 雨が弱くなり。


 馬の準備が整った。


「突然のお願いにもかかわらず、ありがとうございました」


 文官が頭を下げる。


「お気になさらず。道中、お気をつけて」


 シオンも。


 エステルに向く。


「石蹴り、ありがとうございました」

「次は負けません」

「今日は僕が負けたことになるのですか?」

「最後まで出来なかったでしょう?」

「そうですね」

「では、負けです」

「エステル」

「何です?」

「もう少し」

「何でしょう」

「……いいわ」


 シオン。


 笑ってる。


「次があれば、練習しておきます」

「はい!」


 次。


 その言葉。


 胸。


 引っかかる。


 馬車が出る。


 門を抜ける。


 見えなくなる。


「面白い方でした」

「そう?」

「はい。静かですが、負けず嫌いです」

「……あなたが言う?」

「何故です?」


 本気。


 自覚。


 ない。


「お母様?」

「何でもない」


 エステルが屋敷へ戻る。


 私は。


 少しだけ。


 その場に残った。


「奥様」


 セリーヌ。


「何?」

「先ほどから、何か気になっておられますね」

「……うん」

「お客様が?」

「名前」

「シオン・フェルディア様?」

「知ってる気がする」

「以前、お会いに?」

「違う」


 たぶん。


 前世。


 ゲーム。


 でも。


 どこ。


「思い出せないのですか?」

「うん」

「では」

「帳面?」

「いえ」

「違うの?」

「お茶でもお飲みになっては」

「何で」

「思い出そうとなさる時の奥様は、大抵、思い出せませんので」

「…………」


 否定。


 できない。


「でも、気になる」

「でしたら、気になるとだけ覚えておけばよろしいのでは」

「……それだけ?」

「今は」


 今は。


 か。


 私は。


 馬車の消えた門を見る。


 名前だけ。


 知っている。


 何者かは。


 分からない。


 味方か。


 敵か。


 攻略対象か。


 ただの登場人物か。


 それすら。


 分からない。


 だから。


 まだ。


 決めない。


 決めつけない。


 でも。


 忘れない。


 シオン・フェルディア。


 その名前だけ。


 胸の奥へ。


 置いておく。


 ――来たわね、破滅フラグ。


 ……とは。


 まだ。


 言わないでおこう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。