知らないことを知る日
石蹴りは。
終わった。
正確には。
終わらせられた。
「夕食のお時間でございます」
セリーヌの一言で。
私たちは全員。
石を置いた。
全員。
そう。
私も。
「お母様、明日もやりましょう」
「やらない」
「何故です?」
「足が痛い」
「もう?」
「もうよ」
「お父様は?」
「私は平気だ」
「何で!?」
「知らん」
「絶対、何かやってるでしょう!」
「何をだ」
「こっそり練習とか」
「していない」
レオニスが先に歩いていく。
足取り。
普通。
腹立つ。
「奥様」
「何?」
「お疲れでございましたら、お風呂を少し熱めに」
「お願い」
「承知いたしました」
「セリーヌは?」
「何でしょう」
「やらないの? 石蹴り」
「いたしません」
「一回だけ」
「いたしません」
「楽しいわよ」
「奥様」
「何?」
「すっかりお気に召しておられますね」
「…………」
違う。
私は。
ただ。
負けたまま終わるのが。
ちょっと。
嫌なだけ。
◇
翌朝。
足は痛くなかった。
よかった。
まだ若い。
いや。
若い?
考えるのはやめよう。
「奥様」
朝食を終えたところで、セリーヌが封書を差し出した。
「また王宮?」
「いいえ。ネラ・ハーディ様よりでございます」
「ネラさん?」
珍しい。
開く。
短い文。
南側の街道。
荷の流れ。
新しく設けた中継所。
その運用について、確認してほしいことがある。
「今日?」
「先方は明日でも構わないとのことでございます」
「……今日行く」
「左様でございますか」
「お母様」
エステルが顔を上げる。
「どこへ行くのです?」
「仕事」
「街?」
「街の外」
「わたくしも?」
「今日はお留守番」
「何故です?」
即。
「仕事だから」
「前は連れて行ってくださいました」
「前は見学できる内容だったから」
「今日は?」
「まだ分からない」
「分からない?」
「だから先に私が見るの」
エステルは納得していない顔。
「危ないのですか?」
「危ないとは限らない」
「では」
「エステル」
レオニスが静かに呼んだ。
娘が父を見る。
「お母様が、分からないと言っただろう」
「はい」
「分からない場所へ、最初からお前を連れて行く必要はない」
「……はい」
エステルが少しだけ口を尖らせる。
でも。
「分かりました」
引いた。
偉い。
「帰ったら話すわ」
「全部?」
「話せる範囲で」
「全部ではないのですね」
「仕事だから」
「では、たくさん」
「努力します」
「奥様」
セリーヌ。
「何?」
「本日は私も同行いたします」
「え?」
「お嬢様は旦那様がお戻りになるまで、家庭教師の先生と」
「セリーヌも?」
「はい」
「何で?」
「奥様だけですと」
「うん」
「途中で余計なものを拾って帰ってこられそうですので」
「私を何だと思ってるの?」
「奥様でございます」
「便利に使わないで、その答え!」
◇
南側の街道。
馬車で一時間ほど。
新しい中継所は。
思っていたより。
地味だった。
「……小さい」
「必要なものだけ置いておりますから」
ネラ・ハーディが答える。
相変わらず。
飾らない。
四十代。
日に焼けた顔。
動きやすい服。
公爵夫人相手でも、必要以上に畏まらない。
私は。
この人のそういうところが好きだ。
「倉庫が二つ。馬を休ませる場所。井戸。簡単な宿泊所」
「はい」
「それだけ?」
「それだけです」
「もっと必要じゃない?」
「増やせば、維持する人間も増えます」
「ああ」
「荷が通らない日にまで、大きな建物へ金を払う必要はありません」
なるほど。
私は帳面を出しかけた。
「奥様」
セリーヌ。
「何?」
「まだ早いのでは」
「書くだけよ」
「何を?」
「……大きければいいわけじゃない」
「今、覚えられませんか?」
「覚えられるけど」
「では、後ほど」
「厳しい」
ネラが笑った。
「公爵夫人も大変ですね」
「私が?」
「はい」
「何で?」
「止める人がいる」
「大変なの、そこ?」
「いないよりいいでしょう」
「……それはそう」
セリーヌが。
ほんの少し。
得意そうに見えた。
気のせい?
◇
「問題は、ここです」
ネラに案内されたのは。
中継所の裏。
荷車が並ぶ場所。
地面。
「……ぬかるんでる」
「昨夜、少し降りました」
「これくらいで?」
「ここだけ水が抜けません」
「道は?」
「問題ありません」
「中継所の中だけ?」
「はい」
変な話。
私は帳面を出した。
『南側中継所。昨夜、小雨。街道は問題なし。中継所内だけ水が残る。』
書いて。
顔を上げる。
セリーヌは何も言わない。
「これはいいの?」
「必要な記録でございましょう」
「基準が厳しい」
「ございますので安心いたしました」
何に。
私は帳面を閉じて、しゃがむ。
土を見る。
分からない。
触る。
もっと分からない。
「奥様」
「何?」
「お召し物が」
「洗えばいいでしょう」
「そういう問題では」
「じゃあ何の問題?」
「私の仕事が増えます」
「ごめん」
立った。
ネラが地面を指す。
「荷車が二台なら問題ありません。三台、四台と重なると、奥まで入った車が出にくくなります」
「荷を積んでるから?」
「それもあります」
「じゃあ地面を石にする?」
「できます」
「なら」
「金がかかります」
「……はい」
「それから、冬場に凍る可能性があります」
「はい」
「石の種類によっては滑ります」
「はい」
「馬が転べば、土より面倒です」
「…………」
私。
今。
たぶん。
すごく頭の悪い顔してる。
「ネラさん」
「はい」
「正解は?」
「知りません」
「え?」
「だから呼びました」
「私を?」
「はい」
「私も知らないわよ」
「存じています」
「知ってた!?」
ネラは平然としている。
「公爵夫人が土木の専門家なら、もっと早く呼んでいます」
「じゃあ何で私?」
「誰を呼ぶか決めていただくためです」
「…………」
あ。
そういう。
「私は、荷を運ぶ側のことは分かります」
「うん」
「でも、地面の水をどう逃がすかは専門ではありません」
「うん」
「石を敷くにしても、馬の足に何がいいかは御者や厩務の人間に聞いた方がいい」
「うん」
「建物の位置を変えるなら大工です」
「うん」
「全部、一人で決める人間を呼ぶより」
「それぞれ知ってる人を?」
「はい」
私は。
黙った。
帳面。
開きたい。
すごく。
でも。
今のは記録じゃない。
たぶん。
私がすぐ書きたくなる方。
「奥様」
セリーヌ。
「分かってる」
「まだ何も」
「今は書かない」
「左様でございますか」
えらい。
私。
◇
人を集めた。
近くの村から。
中継所を実際に使う御者。
馬を見ている厩務の男。
道の補修をしている職人。
建物を建てた大工。
四人。
そして。
意見が。
割れた。
「石を敷けば早い」
「馬が滑る」
「細かい砕石なら?」
「蹄に入る」
「排水溝を掘る」
「荷車が落ちる」
「蓋をすればいい」
「蓋が壊れる」
「傾斜をつける」
「倉庫側へ水が行く」
「じゃあ倉庫を」
「動かせるか!」
私は。
真ん中で。
聞いていた。
分からない。
でも。
面白い。
いや。
面白がってる場合じゃない。
「一つずつ」
私は手を上げた。
声が止まる。
「まず、今いちばん困っているのは?」
「荷車が出ないことです」
ネラ。
「馬が危ないことは?」
「今はまだ」
厩務の男。
「ただ、深くなれば脚を取られます」
「建物に被害は?」
「今のところありません」
大工。
「雨がもっと降ったら?」
「分かりません」
職人。
「分からない?」
「去年まで、ここに建物はなかったんで」
「……そうか」
当たり前。
新しい場所。
新しい使い方。
昔の答えが。
そのままあるわけじゃない。
「じゃあ」
私は考える。
「今日、全部決めなくてもいい?」
「え?」
四人が見る。
「急ぐ?」
「次の大雨までには」
ネラが答える。
「それなら、まず水がどこへ溜まって、どこへ流れるか見たい」
「雨の日に?」
「ええ」
「公爵夫人が?」
「私じゃなくていいでしょう」
「……そうですね」
何でみんな私を見るの。
「雨が降った時に、ここを使う人に記録してもらう。深さと、荷車がどこで止まったか」
「なるほど」
「それを見てから、排水なのか、石なのか、傾斜なのか決める」
「組み合わせるかもしれません」
職人が言う。
「じゃあ、それも」
私はネラを見る。
「どう?」
「いいと思います」
「本当?」
「はい」
「よかった」
息。
吐いた。
「ただ」
「何?」
「公爵夫人」
「はい」
「最初から、それでよかったんです」
「…………」
何が?
「分からないなら、分かるまで見る」
「……はい」
「前にも似たこと、なさってましたよね」
「…………」
道。
人。
使う人。
知ってる人。
思い出す。
「私、成長してない?」
「同じところを何度も通るのが人間でしょう」
「慰め?」
「事実です」
「ネラさん、たまに厳しい」
「奥様」
セリーヌが呼ぶ。
「何?」
「私より厳しいですか?」
「……同じくらい」
「左様でございますか」
何でちょっと嬉しそうなの。
◇
帰り。
馬車。
帳面を開く。
まず。
今日の記録。
『南側中継所。中継所内のみ水が残る。街道は問題なし。』
『雨天時、水の深さ・溜まる場所・荷車が止まる位置を記録。』
『御者・厩務・道の補修職人・大工。それぞれの意見を聞く。』
ここまで。
セリーヌは何も言わない。
必要なことだから。
たぶん。
その下に。
私は書く。
『知らないことは、すぐ決めない。』
止まる。
何か。
違う。
線を引く。
「消すのですか?」
「うん」
「何故?」
「それだと、何もしない言い訳にもなるから」
書き直す。
『知らないことは、知っている人と見る。』
前にも。
似たことを書いた。
でも。
今日のは。
少し違う。
知っている人。
一人じゃない。
それぞれ。
知ってることが違う。
私は、その下に。
『答えが一つとは限らない。』
と書いた。
「奥様」
「何?」
「満足なさいましたか?」
「うん」
「では、閉じてくださいませ」
「早くない?」
「もう書かれたのでしょう」
「もう少し」
「何を?」
「今日のこと」
「必要なことは、もうお書きになりました」
「細かいところを忘れる」
「お嬢様へお話しなさるのでしょう?」
「…………」
そうだった。
「話したら思い出す?」
「おそらく」
「じゃあ閉じる」
「はい」
帳面を閉じる。
セリーヌが頷く。
「何?」
「いいえ」
「褒めて」
「ご自分で閉じられて偉うございます」
「子供扱い!」
「ご希望でしたので」
「そういう褒め方じゃない!」
◇
「それで?」
夕食。
エステルが。
待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「何が分からなかったのです?」
「地面」
「地面?」
「雨が降ると、荷車が動きにくくなる場所があったの」
「泥ですか?」
「そう」
「石を置けば?」
「私も最初そう思った」
「駄目なのですか?」
「馬が滑るかもしれない」
「では、土を固く」
「水が抜けない」
「穴を」
「荷車が落ちる」
「…………」
エステルが止まる。
「難しいです」
「難しいのよ」
ちょっと嬉しい。
分かってくれた。
「どうしたのです?」
「今日は決めなかった」
「え?」
「雨が降った時に、どうなるか見てから考えることにした」
「それでいいのですか?」
「いいの」
「公爵夫人なのに?」
「公爵夫人でも」
エステルは考える。
「偉い人は、すぐ決めるのだと思っていました」
「私も、そう思ってた時があった」
「今は?」
「決めるために、待つこともある」
言って。
あ。
ちょっと。
いいこと言った。
まずい。
これ以上言うと。
説教になる。
「それより」
私は話を変える。
「石蹴り、練習した?」
「しました!」
「誰と?」
「お父様と」
「また?」
「今日は二回勝ちました」
「レオニス」
向かいの夫を見る。
「何だ」
「負けたの?」
「二回な」
「何回やったの?」
「七回」
「大人げない!」
「勝負だ」
即答。
「七回やって五回勝つ!?」
「お母様」
エステルが割って入る。
「何?」
「明日は三回勝ちます」
「そこなの?」
「はい」
レオニスが頷く。
「やってみろ」
「はい!」
何。
この師弟みたいな感じ。
「旦那様」
料理を運んでいたセリーヌが静かに声を挟んだ。
「何だ」
「明日はお仕事でお帰りが遅くなる予定でございます」
「…………」
「お父様?」
エステルが見る。
「明後日だ」
「はい!」
延期。
するんだ。
「お母様も」
「何で私まで」
「練習です」
「仕事がある」
「わたくしも勉強があります」
「…………」
「お母様?」
「分かった。一回だけ」
「はい!」
また。
言った。
一回だけ。
私は。
学ばない。




