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負けたくない相手


 裏庭に線が引かれた。


 一本。


 二本。


 三本。


 その横に。


 石が並んでいる。


「……何これ」


 朝。


 窓から見つけた私は、しばらく動けなかった。


「石蹴り場でございます」


 背後からセリーヌ。


「見れば分かるわよ」

「では、何をお尋ねに?」

「何でこんなに本格的なの?」

「お嬢様のご希望です」

「昨日は線を引く場所を探すだけじゃなかった?」

「旦那様が」

「レオニスが?」

「昨夜、騎士に命じて整えさせました」

「何してるの、あの人」


 しかも。


 線。


 真っ直ぐ。


 石。


 大きさが揃ってる。


「これ、選んだ?」

「旦那様が」

「石を?」

「はい」

「一個ずつ?」

「はい」

「何してるの、あの人!」


「お母様!」


 廊下の向こうからエステルが走ってくる。


 いや。


 走ってはいない。


 公爵令嬢らしく早歩き。


 すごく早い。


「見ました?」

「見た」

「お父様が作ってくださいました!」

「そうみたいね」

「朝食の後、練習します」

「朝から?」

「ネリーと勝負しますので」

「次に会う日、まだ決まってないわよ」

「だから練習するのです」

「理屈は分かるけど」


 エステルは窓の外を見る。


 嬉しそう。


 ものすごく。


 まあ。


 いいか。


「怪我しないようにね」

「はい!」


 返事だけは。


 とてもいい。


     ◇


「強すぎる」


 朝食後。


 第一蹴。


 エステルの石が、線を二本越えた。


「…………」


「お嬢様」

「何です?」

「強すぎます」

「分かっています」


 二回目。


 今度は。


 届かない。


「…………」


「弱すぎます」

「分かっています!」


 セリーヌ。


 容赦ない。


 私は庭の椅子に座って、お茶を飲んでいた。


 仕事?


 ある。


 でも。


 朝食の後、少しだけ。


 本当に少しだけ。


 見るだけ。


「奥様」

「何?」

「お仕事は?」

「今考えてた」

「何を?」

「戻ろうかなって」

「戻られますか?」

「…………」

「奥様?」

「もうちょっとだけ」


 セリーヌが何も言わない。


 それが一番痛い。


「お母様!」


 エステルがこちらを見る。


「今の、どうでした?」

「強かった」

「それだけ?」

「勢いはよかった」

「石蹴りに勢いは必要ですか?」

「……知らない」

「お母様もやりましょう」

「嫌よ」

「何故です?」

「私、こういうの苦手だもの」

「やったことがあるのですか?」

「ない」

「では、分からないではありませんか」

「…………」


 それ。


 最近。


 よく言われる。


「一回だけです」

「その言葉、お父様にも使ってたわね」

「効果がありました」

「自覚あるんだ」


 石を渡された。


「ここからです」

「はいはい」


 蹴る。


 ころ。


 石は。


 すぐ目の前で止まった。


「…………」


 エステルが見る。


 セリーヌが見る。


「何よ」

「お母様」

「何?」

「弱すぎます」

「分かってる!」


     ◇


 三日後。


 私は執務室にいた。


 帳面。


 報告書。


 商会から届いた数字。


 道路整備の進捗。


 よし。


 今日は仕事をしている。


 誰にも文句は言わせない。


 扉が叩かれた。


「どうぞ」


 セリーヌが入ってくる。


「奥様」

「仕事してるわよ」

「まだ何も申し上げておりません」

「先に言っておこうと思って」

「左様でございますか」


 セリーヌの手に封書。


「王宮よりでございます」

「王宮?」


 受け取る。


 差出人。


 アレクシス。


 いや。


 正確には王子付きの侍従から。


 内容を読む。


「…………」


「何か?」

「アレクが来るって」

「左様でございますか」

「明日」

「はい」

「エステルに会いに」

「よろしいことでは」

「……そうね」


 普通。


 普通のこと。


 婚約者。


 幼なじみ。


 友達。


 会いに来る。


 それだけ。


「奥様」

「何?」

「眉間に皺が」

「ない」

「ございます」

「ない」

「ございます」

「二回言わないで」


 マーリンお母様じゃないんだから。


「何を心配なさっているのです?」

「心配してない」

「左様でございますか」

「……ちょっとだけ」

「何を?」

「分からない」

「では、心配のしようもございませんね」

「正論で殴らないで」


 セリーヌが一礼する。


「お嬢様には?」

「私から言う」

「承知いたしました」


 扉へ向かう。


「セリーヌ」

「はい」

「明日」

「はい」

「私が変なことしそうになったら」

「止めます」

「まだ言ってない」

「存じております」

「……よろしく」

「承知いたしました」


     ◇


「アレクが来るのですか?」


 エステルは喜んだ。


 予想通り。


「明日の午後」

「では、午前中に石蹴りの練習を終わらせます」

「そこ?」

「はい」

「アレクと何するかは?」

「まだ決めていません」

「ヴァイオリンは?」

「持ってくるかもしれません」

「曲の名前、聞くんでしょう?」

「あ」


 忘れてた。


「忘れてたの?」

「忘れてはいません」

「今、思い出した顔だった」

「お母様」

「何?」

「人は忘れます」

「便利に使い始めたわね、その言葉」


 エステルは少し考える。


「アレクにも石蹴りを教えます」

「え?」

「知らないかもしれません」

「知ってるかもしれないわよ」

「では、勝負します」

「何でそうなるの?」

「知っているなら、できるでしょう?」

「できると勝負するの?」

「はい」

「知らなくても?」

「教えてから勝負します」

「結局するんだ」


 誰に似たの。


 ……レオニスか。


 いや。


 私もか?


 違う。


 たぶん。


     ◇


 翌日。


 アレクシスは。


 ヴァイオリンを持ってこなかった。


 代わりに。


「石?」


 裏庭で。


 線と石を見ていた。


「石蹴りです」


 エステルが胸を張る。


「知っていますか?」

「……名前は」

「やったことは?」

「ない」

「では、教えます」

「分かった」


 素直。


 アレクシスはしゃがんで線を見る。


「ここから、ここまで?」

「はい。石を蹴って、線から出さないように進めます」

「足は?」

「片足です」

「途中で地面についたら?」

「負けです」

「石が線に触れたら?」

「…………」


 エステルが止まる。


「そこは決めていません」

「決めてない?」

「ネリーとは、そこまで細かく」

「では、先に決めた方がいい」

「そうですね」


 王子様。


 遊びでも。


 細かい。


「線に触れたら?」

「出ていなければ大丈夫にします」

「分かった」

「それから――」


 二人が。


 真剣に。


 石蹴りの規則を決め始めた。


 私は少し離れた椅子に座っている。


 セリーヌが隣に立っている。


「……何を見せられてるのかしら」

「子供の遊びでございます」

「王子と公爵令嬢が、石蹴りの規則を協議してる」

「平和でよろしいかと」

「そうね」


 本当に。


 そうね。


「では、始めます」


 エステルが石を置く。


「まず、わたくしから」

「ああ」


 蹴る。


 ころ。


 きれいに止まる。


 次。


 次。


 最後まで。


「どうです?」


 得意そう。


「上手い」

「練習しました」

「毎日?」

「はい」

「そうか」


 アレクシスが石を置く。


「では、私も」


 蹴る。


 ころ。


 止まる。


 エステルの顔が。


 少し。


 変わった。


 二つ目。


 止まる。


 三つ目。


 止まる。


「…………」


 最後。


 石が。


 ほんの少し。


 線を越えた。


「あ」


 アレクシスが言う。


「負けだな」

「…………」

「エステル?」

「初めてですよね?」

「ああ」

「本当に?」

「本当だ」

「お父様に教わっていません?」

「教わっていない」

「ネリーにも?」

「誰だ?」

「……そうでした」


 エステル。


 顔。


「お嬢様」


 セリーヌが小さく呼ぶ。


「何です?」

「眉間に皺が」

「ありません」

「ございます」

「ありません」

「奥様と同じでございます」

「一緒にしないで!」


 そこ。


 怒るところ?


 アレクシスが笑った。


 ほんの少し。


「もう一度やるか?」

「もちろんです!」


     ◇


 二回目。


 エステルが勝った。


 三回目。


 アレクシスが勝った。


 四回目。


 エステル。


 五回目。


 アレクシス。


「もう一回です」

「ああ」


 六回目。


「もう一回」

「いいぞ」


 七回目。


「もう――」

「エステル」


 私は止めた。


「何です?」

「お茶」

「まだです」

「アレクも休ませてあげて」

「私は平気です」

「殿下」

「はい」

「そこは平気って言わなくていいの」

「……そうなのですか?」

「そうです」


 子供二人が。


 不満そう。


「休憩」

「はい……」

「分かりました」


 卓へ来る。


 セリーヌがお茶を注ぐ。


 エステルは座るなり、アレクシスを見る。


「アレク」

「何だ?」

「初めてなのに、何故できるのです?」

「見ていたから」

「見ていただけで?」

「足の使い方と、石の止まり方を」

「…………」

「それから、エステルが強く蹴った時と弱く蹴った時を」

「見ていたのですか?」

「ああ」

「ずるいです」

「何が?」

「わたくしは何日も練習したのに」

「でも、エステルの方が上手い」

「今、同じくらいです」

「そうか?」

「そうです」


 頬。


 膨らんでる。


 私はお茶を飲む。


 口を挟まない。


 これは。


 たぶん。


 挟まない方がいい。


「エステル」


 アレクシスが呼ぶ。


「何です?」

「私は、ヴァイオリンを何年も練習している」

「知っています」

「エステルは?」

「弾けません」

「私の方が上手い」

「当たり前です」

「それと同じじゃないか?」

「…………」


 エステルが止まった。


「石蹴りは、わたくしの方が練習しています」

「ああ」

「だから、わたくしの方が上手い」

「ああ」

「でも、アレクはすぐ上手くなった」

「まだエステルの方が上手い」

「…………」


 エステルは自分の手を見る。


「……もっと上手くなります」

「私も」

「何故です?」

「面白いから」

「…………」


 エステルが顔を上げる。


「面白い?」

「ああ」

「石蹴りが?」

「うん」


 アレクシスが。


 笑った。


 王子様の笑顔じゃない。


 たぶん。


 九歳の男の子の顔。


「もう一回やりたい」

「…………」


 エステルの頬が。


 少し緩む。


「では、お茶の後です」

「ああ」

「次は負けません」

「私も負けたくない」

「わたくしの方がです」

「何故?」

「わたくしが教えたからです」

「それは関係あるのか?」

「あります」

「そうか?」

「あります!」


 また始まった。


 私は。


 少し笑った。


     ◇


 休憩の後。


 もう三回やった。


 結果。


 エステル二勝。


 アレクシス一勝。


 合計。


 ……何勝何敗?


 分からない。


 本人たちは覚えているらしい。


「今日は、わたくしの勝ちです」

「一つだけだろう」

「一つでも勝ちです」

「次は勝つ」

「次もわたくしです」


 いい顔。


 二人とも。


「アレク」

「何だ?」

「そういえば」

「うん?」

「曲の名前」


 お。


 思い出した。


「まだ聞いていませんでした」

「…………」


 アレクシスが止まった。


「名前?」

「誕生日に弾いてくださった曲です」

「ああ」

「何という曲なのです?」

「…………」


 今度は。


 耳。


 赤い。


「アレク?」

「まだない」

「ない?」

「名前はつけていない」

「そうなのですか」

「ああ」

「では、わたくしがつけても?」

「…………」


 アレクシスがエステルを見る。


「嫌ですか?」

「嫌じゃない」

「では」

「でも」

「何です?」

「一緒に考えたい」

「…………」


 今度は。


 エステルの耳。


 赤い。


 私は。


 お茶を飲む。


 見るな。


 ミレーヌ。


 見てるけど。


 見てないふり。


「分かりました」


 エステルが答える。


「次に会う時までに、考えておきます」

「私も考える」

「はい」


 それで。


 終わった。


 普通に。


 普通に?


 私は隣を見る。


 セリーヌと目が合った。


 何も言わない。


 言わないけど。


 分かる。


 たぶん。


 同じこと考えてる。


「お母様」


 エステルがこちらを見る。


「何?」

「何故、笑っているのです?」

「笑ってない」

「笑っています」

「お茶がおいしいの」

「そうですか?」

「そうなの」


 危ない。


     ◇


 アレクシスが帰った後。


 エステルは。


 また石蹴り場にいた。


「まだやるの?」

「少しだけです」

「疲れてない?」

「平気です」

「その言葉、今日は禁止」

「では、少し疲れています」

「正直」


 私は隣に立つ。


「でも、やります」

「何で?」

「次は、もっと勝ちたいので」

「アレクに?」

「はい」


 石を置く。


 蹴る。


 きれいに止まる。


「ネリーにも負けたくありません」

「二人?」

「お父様にも」

「三人」

「お母様にも」

「私、相手になってないでしょう」

「だからです」

「どういう意味!?」


 エステルが笑う。


「お母様も練習してください」

「嫌よ」

「一緒に」

「嫌」

「一回だけ」

「その手には乗らない」

「では、二回」

「増やすな!」


 エステルが。


 声を上げて笑った。


 私は。


 少しだけ。


 考える。


 負けたくない。


 ゲームの中のエステルも。


 きっと。


 ずっと。


 そうだった。


 誰かに。


 何かに。


 負けたくなくて。


 追いつきたくて。


 抜きたくて。


 それが。


 いつか。


 自分を追い詰めた。


 でも。


 今。


「お母様、見ていてください」


 エステルが石を蹴る。


「今の、上手かったでしょう?」

「うん」

「本当?」

「本当」

「では、もう一回」


 ネリーがいる。


 アレクがいる。


 レオニスがいる。


 勝ったり。


 負けたり。


 笑ったり。


 悔しがったり。


 次は勝つって。


 また遊ぶ。


 負けず嫌いは。


 消さなくていい。


 たぶん。


 この子から。


 それを取ったら。


 エステルじゃない。


「お母様」

「何?」

「ぼんやりしています」

「見てるわよ」

「では、今のは?」

「……ちょっと強かった」

「見ていませんでしたね!」

「見てた!」

「嘘です!」

「本当に!」

「では、石はどこです?」

「…………」


 見る。


 ない。


 どこ。


「お母様」

「待って」

「どこです?」

「今探してる」

「見ていなかったではありませんか!」

「見てたの! エステルを!」

「石を見てください!」


 怒られた。


 正しい。


     ◇


 夕方。


 レオニスが帰ってきた。


「お父様!」


 エステルが迎える。


「お帰りなさいませ」

「ああ。ただいま」

「勝負してください」

「…………」


 挨拶。


 直後。


 それ。


「エステル」


 私が止めようとする。


 でも。


 レオニスは娘を見る。


「今日は何回やった」

「アレクと?」

「ああ」

「たくさんです」

「勝ったか」

「一つ多く」

「そうか」


 レオニスが。


 少し笑った。


「なら、今日はやめておけ」

「何故です?」

「勝った日は、勝ったまま終われ」

「…………」


 何。


 その妙に勝負師みたいな言葉。


「お父様」

「何だ」

「逃げています?」

「…………」


 レオニスの眉が動いた。


 あ。


「エステル」

「はい?」

「石を持ってこい」

「はい!」


「レオニス!」

「何だ」

「乗せられてる!」

「乗っていない」

「完全に乗ってる!」


 エステルが石を持って走ってくる。


 いや。


 早歩き。


「お父様!」

「ああ」


 レオニスが上着を脱いだ。


 本気だ。


「セリーヌ」

「はい」

「止めないの?」

「何をでございますか?」

「大人げない公爵」

「旦那様」


 セリーヌがレオニスを見る。


「何だ」

「本日は、お嬢様が殿下に勝ち越されたそうでございます」

「ああ」

「ですので」

「何だ」

「負けられませんね」

「…………」


「セリーヌ!?」


 煽った。


 この人。


 煽った!


 レオニスが石を置く。


 エステルも構える。


 二人の目。


 真剣。


「……何なの、この家」


 私が呟くと。


 セリーヌが静かに答えた。


「奥様も一員でございます」

「私は違う」

「では、先ほどお嬢様に負けたままでよろしいので?」

「…………」

「奥様?」

「石、もう一個ある?」

「ございます」

「ミレーヌ!?」


 今度は。


 レオニスが驚いた。


「何よ」

「お前もやるのか」

「一回だけ」

「お母様!」


 エステルの顔が輝く。


 しまった。


 言った。


 一回だけ。


 その言葉。


 危ない。



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