いちばん困る贈り物
エステルの誕生日が近い。
毎年のことだ。
だから、慌てる必要はない。
招待客。
料理。
花。
衣装。
贈り物。
当日の進行。
全部、例年通りに準備すればいい。
そう。
例年通り。
「奥様」
「何?」
「招待客の一覧を確認なさるのは、本日四度目です」
「四度だった?」
「……いえ、五度目でした」
「増えた」
「先ほど確認なさったことを、一度お忘れです」
「じゃあ私の中では四度で合ってるじゃない」
「回数を減らそうとなさらないでくださいませ」
セリーヌが私の手から紙を取った。
「あ」
「問題ございません」
「でも」
「ございません」
「一人くらい――」
「増えても減ってもおりません」
「名前の綴りが」
「合っております」
「席順」
「旦那様と確認済みでございます」
「料理」
「料理長が泣きます」
「泣くの?」
「五度目の確認をなされば」
それは困る。
私は椅子へ座り直した。
「……誕生日って、こんなに大変だったかしら」
「毎年、大変になさっているのは奥様でございます」
「私?」
「はい」
「主役はエステルなのに」
「ですからでしょう」
言われて。
納得しかけて。
やめた。
「それ、私が悪いみたいじゃない」
「良い悪いの話はしておりません」
「じゃあ何の話?」
「奥様の話でございます」
「一番逃げ道がない!」
扉が開いた。
「お母様?」
エステルが顔を覗かせる。
私は反射的に机の上の紙を伏せた。
「何でもないわよ」
「何も聞いていません」
「そうだった」
「またですの?」
また。
とは。
「最近のお母様は、わたくしを見ると何かを隠します」
「気のせいよ」
「昨日は箱を隠しました」
「…………」
「一昨日はお父様と話している途中で、わたくしが入ったら黙りました」
「…………」
「その前はセリーヌが布を持って逃げました」
「逃げてはおりません」
セリーヌが訂正する。
「速やかに退出しただけでございます」
「同じでしょう!」
味方がいない。
エステルは頬を膨らませた。
「わたくしの誕生日のことでしょう?」
「…………」
「知っていますわ」
「何を?」
「誕生日が来ることを」
「そこ!?」
当たり前だ。
「ですから、そんなに隠さなくてもよろしいのに」
「贈り物は隠すでしょう」
「では、やっぱり贈り物なのですね」
「…………」
やられた。
エステルが満足そうに笑う。
八歳。
もうすぐ九歳。
賢くなった。
非常に。
困る方向にも。
「中身は聞きません」
「あら」
「当日まで楽しみにします」
「そうして」
「でも、お母様」
「何?」
「ちゃんと寝てくださいませ」
「…………」
セリーヌを見る。
目を逸らした。
「セリーヌ?」
「私は何も」
「言ったでしょう」
「お嬢様に聞かれましたので」
「何を?」
「奥様が夜中まで何をなさっているのか、と」
「それで?」
「誕生日の準備でございます、と」
「全部言ってる!」
「贈り物の中身は申し上げておりません」
「そこじゃない!」
エステルが私の袖をつまんだ。
「お母様」
「はい」
「寝てください」
「はい」
反射。
最近、これ多くない?
◇
誕生日当日。
グランヴェル家の屋敷は、朝から人の出入りが絶えなかった。
大きすぎる祝いにはしない。
エステルはまだ九歳だ。
親しい家と、これから関わりの深くなる人々。
同年代の子供たち。
それでも公爵家の娘の誕生日となれば、それなりの人数になる。
「お母様」
支度を終えたエステルが、くるりと回った。
「どうです?」
深い赤を基調にしたドレス。
子供らしさは残しながら、少しだけ大人びた形。
髪もいつもより丁寧に結ってある。
「かわいい」
「本当ですか?」
「すごくかわいい」
「お母様」
「何?」
「それは三回目です」
「何回でも言うわよ」
「では、あとでお父様にも聞きます」
「やめてあげて」
「何故です?」
「たぶん固まるから」
扉のところにいたレオニスが止まった。
いた。
「お父様」
エステルが笑う。
「どうです?」
「…………」
ほら。
「レオニス」
「分かっている」
何が。
「よく似合っている」
「ありがとうございます!」
エステルが嬉しそうに笑った。
レオニスの口元も緩む。
うん。
よかった。
ちゃんと言えた。
「旦那様」
「何だ」
「本日の第一関門、突破でございます」
「セリーヌ」
「はい」
「何の話だ」
「何も」
セリーヌが一礼する。
私は笑った。
◇
祝いの席は、穏やかに始まった。
エステルは一人ずつ挨拶を受ける。
以前なら。
うまくやらなきゃ。
公爵家の娘として。
誰よりも。
そんな力が、肩にも顔にも入っていた。
今も姿勢はいい。
言葉も丁寧。
でも。
「ありがとうございます」
笑う。
「まあ、本当ですの?」
驚く。
「それはわたくしも見てみたいですわ」
話す。
ちゃんと、エステルだ。
私は少し離れたところから眺めていた。
「奥様」
「何?」
「お顔が」
「また緩んでる?」
「はい」
「今日はいいでしょう」
「本日はよろしいかと」
「許可された」
その時。
広間の入口が少し騒がしくなった。
王家の紋章。
アレクシスだ。
レオニスと私が迎える。
アレクシスは正式な挨拶を済ませると、すぐにエステルを見た。
「誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます、アレク」
エステルが笑う。
「九歳だな」
「はい」
「……そのドレス」
「はい?」
「似合っている」
「…………」
今度はエステルが止まった。
あ。
耳。
赤い。
また。
「ありがとうございます」
少しだけ声が小さい。
かわいい。
私は隣のレオニスを見た。
無表情。
でも。
分かる。
「レオニス」
「何だ」
「眉間」
「何もない」
「ある」
「ない」
「奥様」
セリーヌが小声で割って入った。
「本日はお嬢様のお誕生日でございます」
「分かってるわよ」
「旦那様へ申し上げました」
「あ、ごめん」
「セリーヌ」
「はい」
「分かっている」
「でしたら結構でございます」
アレクシスとエステルは、もうこちらを見ていなかった。
よかった。
◇
昼を過ぎた頃。
贈り物が並んだ。
絵本。
装飾品。
文具。
小さな置物。
菓子。
馬具まである。
最後のは父だ。
お父様。
約束を忘れてないどころか、孫を馬に乗せる気満々じゃない。
「これは、お祖父様からですの?」
「ええ」
「嬉しいです!」
エステルが目を輝かせる。
レオニスが箱を見る。
「まだ一人では乗せない」
「分かっていますわ」
「必ず誰かをつける」
「はい」
「速く走らせるな」
「お父様」
「何だ」
「まだ馬もおりません」
「…………」
周りから小さく笑いが起きた。
レオニスが咳払いする。
私は知らないふりをした。
私たちからの贈り物は、エステルが以前から欲しがっていた本と、新しい外出用の手袋。
驚くようなものではない。
でも。
「大切にします」
そう言って抱える姿を見ると。
何日も悩んだ甲斐はあった。
夜中まで悩む必要はなかった気もするけど。
「殿下からは?」
誰かが聞いた。
私はそちらを見る。
アレクシスの前には。
何もない。
箱も。
包みも。
エステルも気づいたらしい。
「アレク?」
「……ある」
アレクシスが答える。
「あるのですか?」
「ああ」
「どちらに?」
「ここにはない」
「?」
アレクシスが従者を見る。
従者が一礼して、広間の端へ向かった。
戻ってきた手には。
細長いケース。
私は。
息を止めた。
ヴァイオリン。
前に見たものだ。
「アレク」
エステルも気づく。
「弾いてくださるのですか?」
「ああ」
アレクシスがケースを受け取る。
でも。
表情が。
硬い。
以前、庭で弾いた時よりも。
「殿下」
私は思わず声をかけた。
アレクシスがこちらを見る。
「無理をなさらなくても」
「いえ」
短い。
でも、はっきりしていた。
「今日、弾くと決めていました」
そう言って。
ヴァイオリンを取り出す。
広間が静かになった。
エステルは椅子に座る。
その前に、アレクシスが立つ。
「エステル」
「はい」
「これは」
アレクシスが一度、言葉を止めた。
「……私が作った」
「え?」
エステルが瞬きをする。
私も。
たぶん、レオニスも。
「曲を?」
「ああ」
「アレクが?」
「そうだ」
「わたくしのために?」
「…………」
アレクシスの耳が。
少し赤い。
「そうだ」
エステルが黙った。
何か言おうとして。
でも。
言葉が出てこないらしい。
珍しい。
「聴いてくれ」
「……はい」
アレクシスが構える。
弓が弦に触れる。
最初の音。
静かだった。
派手ではない。
軽く。
少し跳ねるような音が続く。
明るい。
でも。
時々、急に強くなる。
まっすぐで。
負けず嫌いで。
前へ前へ進んでいくみたいな曲。
私は。
途中で気づいた。
知ってる。
この曲。
いや。
正確には。
聴いたことがある。
前世で。
画面の向こうで。
ほんの短い場面だった。
成長したエステルが。
誰もいない部屋で。
古い楽譜を手にしていた。
流れていた曲。
名前も。
細かな台詞も。
忘れていた。
でも。
音だけが。
今。
繋がった。
これだった。
アレクシスが。
エステルのために作った曲。
ゲームでは。
たぶん。
二人がまだ幼くて。
まだ何も壊れていなかった頃の思い出として。
ほんの少しだけ語られた。
――こんなの。
覚えてないわよ。
いや。
覚えていた。
どこかに。
ずっと。
曲は続く。
アレクシスの弓が動く。
前より上手い。
あの苦手だったところも。
きれいに。
――ぎ。
「…………」
出た。
ほんの少し。
変な音。
アレクシスの眉が動く。
でも。
止まらなかった。
そのまま続けた。
エステルも何も言わない。
ただ。
笑った。
最後の音が。
静かに消える。
広間が。
一瞬だけ。
本当に静かになった。
そして。
拍手。
大きな。
アレクシスが少し驚いたように顔を上げる。
でも。
エステルは拍手をしていなかった。
立ち上がっていた。
「アレク」
「何だ」
「もう一度」
「…………」
「もう一度、聴きたいです」
「今?」
「はい」
「今、少し失敗した」
「知っています」
「……知っているのか」
「前にも聴きましたもの」
「…………」
「でも」
エステルが笑う。
「わたくし、この曲が好きです」
アレクシスが。
完全に止まった。
さっきまで大勢の前で演奏していた王子様が。
何も言えない。
「殿下」
従者が、小さく声をかける。
「……分かっている」
何が。
たぶん本人も分かってない。
「もう一度でよろしいですか?」
「はい!」
「今度は失敗しない」
「失敗しても構いません」
「私は構う」
「では、頑張ってくださいませ」
「ああ」
もう一度。
アレクシスが構える。
今度は。
少しだけ肩の力が抜けていた。
◇
夜。
祝いが終わった。
客も帰り。
屋敷が静かになる。
エステルの部屋には、今日もらった贈り物が並んでいた。
「すごい量ね」
「はい」
エステルは一つずつ見ている。
「これも素敵ですし、こちらも」
「気に入った?」
「全部」
よかった。
「お母様」
「何?」
「曲は、持って帰れないのですね」
「…………」
私は娘を見る。
「そうね」
「箱にも入りません」
「入らないわね」
「飾ることもできません」
「できないわね」
エステルは少し考えた。
「困りますわ」
「何が?」
「一番、何度も見たいのに」
一番、何度も見たい、か。
私は。
笑った。
「覚えておけば?」
「覚える?」
「ええ」
言ってから。
胸の奥が少しだけ動いた。
覚えている。
私も。
ずっと忘れていたのに。
聴いた瞬間。
戻ってきた。
贈り物って。
そういうものもあるのかもしれない。
「……そうします」
エステルが頷く。
「忘れません」
その言い方が。
妙に強かった。
「お母様」
「何?」
「アレクは、いつから作っていたのでしょう?」
「さあ」
「今度、聞いてみます」
「そうね」
「それから」
「うん」
「曲の名前も聞いていません」
「…………」
本当だ。
「聞かなかったの?」
「アレクも言いませんでした」
「忘れたのかしら」
「アレクが?」
「王子様も間違えるし、忘れるでしょう」
「そうでした」
エステルが納得する。
でも。
少しして。
「名前がないなら」
「うん?」
「わたくしがつけてもよろしいのでしょうか」
「それはアレクに聞いて」
即答した。
危ない。
そこは母が入るところじゃない。
「分かりました」
エステルはまた贈り物を見る。
私は立ち上がった。
「そろそろ寝ましょう」
「はい」
「今日は疲れたでしょう」
「少し」
「楽しかった?」
「とても」
灯りを落とす。
寝台へ入ったエステルに布団をかける。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい、お母様」
扉へ向かう。
「お母様」
「何?」
振り返る。
「来年も、誕生日は来ますよね」
「来るわよ」
「その次も?」
「来る」
「ずっと?」
「ずっと」
エステルが安心したように笑った。
「では、楽しみにしています」
「……ええ」
扉を閉める。
廊下。
レオニスがいた。
「いたの?」
「今来た」
「本当?」
「ああ」
怪しい。
「何?」
「いや」
「何よ」
「殿下の曲だが」
「うん」
「良かったな」
「…………」
私はレオニスを見る。
「それだけ?」
「何がだ」
「いや」
今日は。
それでいいか。
「そうね。良かった」
並んで歩く。
少し先に、セリーヌが立っていた。
「奥様」
「何?」
「本日は、もう帳面を開かれませんよう」
「開かないわよ」
「本当に?」
「本当に」
「では、こちらを」
手を出された。
「何?」
「帳面を」
「信用してない!」
「念のためでございます」
「嫌よ!」
「奥様」
「嫌!」
「ミレーヌ」
「レオニスまで!?」
静かになったはずの廊下で。
しばらく。
私とセリーヌの攻防は続いた。
結局。
帳面は守った。
開かなかった。
そこは。
ちゃんと褒めてほしい。




