第9話 偽りの英雄騎士
第9話。偽りの英雄騎士、ボルドの虚像に迫ります。
民に愛される英雄の、その盾の、本当の持ち主は誰だったのか。忘れられた男の物語を。
ボルドを知るには、まず、その虚像を、丁寧にほどく必要があった。
エレノアの集めた情報は、屋敷の卓を埋め尽くすほどだった。英雄としての立場は、こういうとき恐ろしく役に立つ。彼女の名を出せば、どんな古い記録も、口の重い証人も、するりと開いていった。
「重騎士ボルド。三年前、辺境の街を魔物の群れから守ったという武勇伝で、一躍民の英雄になりました」
エレノアが一枚の報告書を卓に滑らせる。
「街の門でたった一人、不壊の金剛盾を掲げて魔物の大群を押し止め、数百の民の命をその背中で救った。……それが語られている物語です」
「よくできた話だ」
アレンは報告書をざっと目で追い、ふっと鼻を鳴らした。
「だが、嘘だな。あの盾は、そんな使い方はしない」
「と、いいますと」
「不壊の金剛盾の真価は、受けた衝撃をそっくり跳ね返すことだ。守りの盾じゃない、反撃の盾だ。門で大群を押し止めた、なんて悠長な使い方をする武具じゃない。……そもそも、あの盾をまともに扱える器なら、あんな肥えた体にはなっていない」
エレノアが、なるほど、と目を見張った。
「では、武勇伝そのものが、作り話」
「だろうな。ボルドは昔から口だけは達者で、手柄を横取りするのもうまかった。……変わっていない。むしろ、磨きがかかっている」
アレンは、声を落として語りはじめた。かつて共に戦った日々のことを。
「あの盾を最初に握ったのは、ボルドじゃない。ラウルという、無口な男だ。俺たちの盾役だった」
エレノアがペンを止めて聞き入る。
「ラウルはいつもいちばん危ない場所に立った。仲間を、その背中でかばいつづけた。泥沼の撤退戦で殿を務めて、最後は味方全員を逃がして、一人で死んだ。あの盾は、あいつの背中そのものだ。誰かを守るための盾なんだよ」
言いながら、アレンの脳裏にあの男の背中がよみがえった。泥にまみれ、矢を何本も受けながら、それでも一歩も退かなかった大きな背中。「先に行け、アレン。おまえは、まだ、やることがあるだろう」と笑った、あの声。
ラウルは報われなかった。名も残らず泥のなかで死に、その盾は裏切り者に横取りされた。アレンの声がわずかに沈んだ。
「ボルドはそのラウルの遺品を横取りした。そして、他人の死を自分の武勇伝にすり替えた。……辺境の街を守ったのも、たぶん真実は違う。誰かの手柄を、盾ごと盗んだんだ。あいつは、そういう男だ」
偽物はいつも、本物の死体の上に立っている。この国のいちばん醜い構図が、そこにあった。
ただ、とアレンはひとつだけ言い添えた。声にためらいがまじる。
「あいつも、最初からこうだったわけじゃない。……駆け出しのころ、まだ名もなかった時分に、逃げる村人をかばって、たった一人で魔物の前に立ったことがある。あのときのボルドは確かに勇敢だった。俺は、それをこの目で見た」
エレノアが意外そうに目をあげる。
「では、なぜ」
「報われなかったんだ。何をしても、光は要領のいい奴にばかり集まる。真面目に戦う者ほど泥をかぶる。……その悔しさが、あいつを少しずつ腐らせた。ラウルの功績を奪ったのは、たぶん魔が差した一度きりの過ちだった。だが一度、嘘の栄光を知れば、もう戻れない」
アレンの目に、複雑な色がよぎった。憎しみだけでは割り切れない。あれは、本物になれたはずの男が、自ら偽物を選んでいく遅い転落だった。
「だからこそ、裁く。……あいつが捨てた、昔の勇気の分まで」
「……調べます」
エレノアの瞳に、静かな怒りが宿った。
「ラウル様の、本当の物語を。ボルドの武勇伝の、嘘の証拠を。盾を奪うだけでは足りません。あの男が奪った、本物の英雄の名誉ごと、取り戻しましょう」
アレンは、彼女を見た。この女はいつもそうだ。奪われた者の側に迷わず立ち、忘れられた本物を掘り起こそうとする。
「……おまえは、本当に、英雄だな」
「いいえ」
エレノアは、目をそらさず彼を見返した。
「本物の英雄の、隣にいたいだけの、女です」
迷いのない言葉に、アレンはまた返事に詰まった。この女はいつもこうやって、こちらの心の壁を、正面から通り抜けてくる。
数日後、王都の大広場で、凱旋の式典が開かれた。
辺境でまた魔物を討ったという重騎士ボルドを讃える式だ。民衆が広場を埋め尽くしている。歓声、花びら、掲げられる英雄の名。アレンのすぐ前では、小さな男の子が父親の肩の上で、はしゃいでいた。
「とうさん、あれが、えいゆうさま? ぼくも、おっきくなったら、ボルドさまみたいに、なりたい!」
「ああ、なれるとも。よく見ておきなさい」
アレンは、その親子へ目をやった。みぞおちのあたりが、鈍く痛む。
民は悪くない。ただ信じているだけだ、与えられた物語を、光り輝く偽物の英雄を。……だからこそ、たちが悪い。嘘の英雄は、この子たちの憧れまで汚しているのだから。
その中心に、ボルドがいた。三年ですっかり肥えた体を豪奢な甲冑に押しこみ、背にはあの銀の大盾――不壊の金剛盾を負っている。民の歓声を浴び、下卑た笑みで手を振っていた。
人混みの中から、アレンはその姿を見上げ、外套の下で拳を握る。
「よう、ボルド。ずいぶん、いい身分になったな」
声には出さず、口の中だけでつぶやいた。
あの日、倒れた自分を見下ろした顔。ラウルの盾を背負い、他人の死を食い物にする顔。四年ぶりに見るその顔は、記憶よりもずっと、醜く肥えていた。
と、そのとき。壇上のボルドの視線が、ふと人混みのほうへ流れた。エレノアの、隠しきれない気配を感じ取ったのかもしれない。アレンはとっさにエレノアを引き寄せ、外套の陰へかばった。二人の顔が、間近で重なる。
「……っ」
「……いまは、まだだ」
ボルドの視線は、やがて他の民へと流れていった。危ういところだった。エレノアが小さく息をつく。腕のなかで、彼女の鼓動が速く打っているのが分かった。
「心配、しました。あなたが、見つかるのではと」
「案じるのは、そっちだろう。おまえの顔のほうが、よほど割れやすい」
二人は目を見合わせ、どちらからともなく、小さく笑った。こんな緊張のなかでも、この女といると、不思議と気が張りつめすぎない。隣で、エレノアがアレンの手を握った。
「……行きますか。ここで、暴れても」
「いや」
アレンは首を振った。
「民の前で、あいつ自身に証明させる。おのれが偽物だと。……盾は、そのあとであいつのほうから、剥がれ落ちる」
式典の壇上で、ボルドが朗々と声を張った。
「この盾がある限り、諸君を守ってみせよう! 我こそは、当代の、守りの英雄なり!」
沸き立つ、歓声。アレンの目が、すっと細くなった。
守りの英雄、か。ならば、その盾で守るべきものを守れなかったときこそ、おまえの嘘が剥がれるときだ。
帰り道、アレンはエレノアに告げた。
「近いうちに、この王都に危機が来る。魔物でも災いでも、なんでもいい。そのとき、あの盾で民を守れるかどうか。……ボルドは必ず守れない。あの盾を、正しく使えないからだ。守れなかった英雄に、民は何を思う」
「その瞬間に、あなたが」
「ああ。俺が、ラウルの盾を、本来の使い方で振るってやる。民の目の前で。……どちらが本物か、言葉ではなく、結果で突きつける」
エレノアはしばらく彼の横顔を見つめ、それから、その腕に身を寄せた。
「怖い人。……でも、そういうまっすぐなあなたが、私はたまらなく好きです」
するりと零れた言葉に、アレン自身より、言った本人のほうが赤くなった。
偽りの英雄騎士の、化けの皮を剥ぐ舞台は、もう、整いつつあった。あとは、幕が上がるのを、待つだけだった。
読んでくださって、ありがとうございます。
盾の本当の主・ラウルの背中。名も残らず泥のなかで死んだ男の物語は、この作品の「本物と偽物」というテーマの、いちばん深いところにあります。
「そういう、まっすぐなあなたが好きです」と、つい零れてしまうエレノア。次回、偽りの仮面が、民の前で、剥がれ落ちます。




