第10話 剥がれる仮面
第10話。収穫祭の広場に、地竜が現れます。
守れなかった偽物と、逃げなかった本物。数千の民が、その目で、どちらが英雄かを見はじめます。
その日は、思ったよりも、早く来た。
王都の中央広場で、収穫祭が開かれていた。人々が露店をひやかし、子どもたちが笑い声をあげる。焼き菓子の甘い匂いと、楽師の奏でる調べ。色とりどりの旗が秋風にはためき、噴水のまわりでは若い娘たちが花を編んでいる。平和で、光あふれる昼下がりだった。
アレンとエレノアも外套に身を隠し、その人混みにまぎれていた。ボルドの動向を見張るためだ。だが、まさかこんな形で機会が転がりこむとは、思ってもいなかった。式典の名残で、重騎士ボルドも広場に残っていた。民に囲まれ、握手を求められて、上機嫌で応じている。人並外れた大男だった。磨き抜いた白銀の鎧に太い首を埋め、名を呼ばれるたび、これ見よがしに背の金剛盾を担ぎ直してみせる。恰幅のいい体と、よく通る笑い声が、民の思い描く「英雄」の型に、いかにもはまっていた。
異変は、突然だった。
地の底から、獣の咆哮が響いた。足の裏に、地面が波打つ感触が伝わる。次の瞬間、広場の敷石がめくれあがり、土煙のなかから現れたのは、黒い甲殻に覆われた巨大な地竜だった。都の下水道の奥に巣くっていたのだろう。人の営みの、すぐ真下に。長い眠りから覚めたその双眸が、獲物を探して、ぎょろりと動いた。
「魔物だあっ!」
悲鳴が、広場を裂いた。露店がひっくり返り、果実が敷石を転がる。人々は我先にと逃げ惑い、あちこちで転んだ者が踏まれかける。祭りの浮かれた空気は、一瞬で恐怖に塗りつぶされた。
地竜はまだ若い個体だった。だが、それでも家の二階ほどはある。硬い甲殻は並の剣を寄せつけず、都の衛兵が槍を構えて突きかかっても、鱗に弾かれ、次々となぎ倒されていく。逃げ場を求める群衆が、細い路地の口で団子のように詰まった。押し合い、転び、泣き叫ぶ。祭りの華やぎは、もうどこにもない。ただの恐怖の坩堝だった。
アレンは外套の下で、事の推移を冷たく見ていた。すぐにでも動ける。だが、まだだ。まずは、この街が信じてきた「英雄」に、その本性をみずから晒させる。それがいちばん効く。
地竜が巨体を振りまわす。その進む先に、逃げ遅れた小さな影があった。父親とはぐれた、あの男の子だ。「ボルドさまみたいになりたい」と、目を輝かせていた、あの子だった。
「ボルドさま! たすけて!」
子どもが必死に、英雄の名を呼んだ。
民の視線が、いっせいにボルドへ集まる。
守りの英雄。不壊の金剛盾を背負う、当代の守り手。いまこそ、その盾の出番のはずだった。
だが。
ボルドは、動かなかった。いや、動けなかったというほうが正しい。脂ぎった顔は恐怖に真っ青で、震える手で背中の盾に触れようとして、結局、抜けなかった。
「な、なぜ、動かん……ええい、こんな盾……!」
金剛盾は、うんともすんとも言わない。器を認めぬ武具は、ただの重たい鉄の板だった。三年、飾りとして背負ってきた男に、その真価を引き出せるはずもなかった。
民の顔から、憧れがみるみる剥がれていく。誰かが、つぶやいた。
「英雄さま……なんで、動かないんだ……?」
その声は小さかった。だが、静まりかけた広場では、いやによく響いた。信じていたものが崩れる音は、地竜の咆哮よりもずっと、民の胸に重く落ちた。あちこちで、同じ疑問が、ささやきとなって広がっていく。
「た、助けは、儂が呼ぶ! 衛兵! 衛兵はおらぬか!」
ボルドは盾を放り出し、あろうことか、子どもに背を向けて逃げ出した。広場が、凍りついた。英雄の正体を、数千の民が目の当たりにした瞬間だった。歓声は、もう消えていた。
地竜の巨大な尾が、子どもめがけて振り下ろされる。もう間に合わない。誰もがそう思った。母親が悲鳴をあげて、目を覆う。
だが、その広場の反対側で、白銀の光が弧を描いていた。エレノアだった。逃げ遅れた民の群れを、聖光の障壁でまとめて包みこんでいる。彼女は迷わず、いちばん多くの命を守る側へ回り、そして視線だけでアレンに告げた。――そちらは、任せます、と。
二人の呼吸は、離れていてもそろっていた。彼女が皆を守る。ならば、アレンがあの子を守る。それが、二人の戦い方だ。
その刹那、一条の風が広場を駆け抜けた。
誰も、その姿を目で追えなかった。ただ、風が吹いた、としか。四年ぶりに全力で解き放たれた疾風の小手が、アレンの脚をかつての速さへと押しあげていた。腱の痛みはある。だが、いまはそれを力でねじ伏せる。
泥色の外套をひるがえした男が、疾風のごとく子どもの前へ滑りこむ。かざした右腕に装着されているのは、銀の疾風の小手。男は放り出された金剛盾を、走りざまに素手で掴んだ。
その瞬間、盾が応えるように白銀に輝いた。三年、沈黙していた神域武装が、真の使い手を得て目を覚ましたのだ。
地竜の尾が、盾に激突する。
「――反す」
男の低い声。金剛盾が、受けた衝撃をそっくりそのまま跳ね返した。地竜の巨体が、自らの一撃の反動でうしろへ大きく吹き飛ぶ。守りの盾ではない、反撃の盾。その、本来の使い方で。
子どもは、無傷だった。男の腕のなかで、ぽかんとその背中を見上げている。広い、大きな、頼れる背中を。かつてラウルという男が持っていた、あの背中を。
「……もう、大丈夫だ。よく、逃げずに、頑張ったな」
アレンは、子どもの頭にぽんと手を置いた。ぶっきらぼうな、けれど確かに温かい声で。子どもの目にみるみる涙がたまり、そして大きく、こくりとうなずいた。その小さな肩が、ようやく安堵に震えるのを、アレンは掌で感じ取った。
地竜はまだいる。だが、あの一撃の反動で大きく体勢を崩し、うめいていた。とどめを刺すのは、造作もない。だが、まだ油断はできなかった。手負いの獣ほど、恐ろしいものはない。
男が、ゆっくりと立ちあがる。風に、外套の頭巾がはらりと落ちた。泥にまみれてなお屈しなかった、鋭い双眸。民のあいだから、どよめきがさざ波のように広がっていく。
「あの人……」「まさか、噂の……本物の、勇者様……?」
少し離れた人混みで、エレノアがそっと胸に手を当て、彼を見つめていた。誇らしさに瞳をうるませて。行きなさい、と、その目が言っていた。
アレンは、逃げるボルドの背へ、静かに声を投げた。
「おい、ボルド。忘れ物だ」
ボルドが、震えながら振り返る。信じられない、という顔で。
「アレン……? 貴様、生きて……なぜ、その盾を……!」
「これは、ラウルの盾だ。おまえに背負う資格はない。……四年前の借りも、まとめて返してもらう」
その名を聞いて、ボルドの顔が恐怖にひきつった。
「ラウル……だと。あんな、名もない盾持ちのことなど……!」
「名もない、だと」
アレンの声が、氷のように低くなった。
「あいつは、おまえたち全員を逃がして死んだ。おまえがいま、その盾で笑っていられるのは、あいつが背中で時間を稼いだからだ。……その名を、もう一度、そんなふうに呼んでみろ」
殺気ではない。もっと静かで深い怒りだった。ボルドは言葉を失い、後ずさる。
だが、戦いは終わっていない。背後では、体勢を立て直した地竜が、地鳴りとともにふたたび身を起こしつつあった。裁くべき偽物と、討つべき怪物。二つの敵に挟まれて、アレンは金剛盾を握りしめ、たった一人、広場の中央に立つ。
数千の民が、息を呑んで、見つめていた。落ちぶれたはずの勇者が、この窮地を、どう覆すのかを。
読んでくださって、ありがとうございます。
ボルドが盾を放り出し、子どもに背を向けて逃げる。この一瞬のために、これまでの話を積んできました。憧れが剥がれ落ちる音を、民の側から書きたかったのです。
アレンは頭巾を落とし、正体を晒しました。ですが、まだ地竜は生きている。裁くべき偽物と、討つべき怪物。二つの敵に挟まれて、彼はたった一人、広場の真ん中に立ちます。
次回、決着です。回復しきらない脚で、アレンはどう地竜を倒し、奪われた盾を取り戻すのか。いちばんの見せ場を、次話でお届けします。




