第11話 業火と金剛
第11話。地竜との、決着です。
癒えきらない脚で、アレンは怪物に挑みます。奪われた【不壊の金剛盾】を、その手に取り戻すために。
――偽物か、怪物か。
二つの敵に挟まれて、なお、アレンの答えは決まっていた。まず、いま目の前で命が脅かされている、そちらだ。裁きはあとでいい。どのみち、逃げたところでこの広場から外へは出られない。あの男の相手は、地竜を片づけたそのついででも、十分だった。
アレンは、抱えていた子どもを母親のもとへ送り出した。それから、体勢を崩した地竜へ向き直る。折れかけた脚に、もう一度、力を込めながら。
地竜が体勢を立て直し、砕けた敷石を巻き上げて突進してきた。
「――受けて、返す。それだけだ」
アレンは金剛盾を正面に据えた。逃げない。真正面から受ける。
地竜の頭が、盾に激突する。その刹那、まだ癒えきらぬ脚が悲鳴をあげた。踏ん張りが利かず、盾を構える角度がわずかに狂う。
(――しまった)
反射の光が逸れた。跳ね返しきれなかった衝撃の余りが、アレンの脇腹をしたたかに打つ。あばらが鈍い音を立て、口の中に血の味が広がった。体が宙を舞い、敷石を割って転がる。
民のあいだから、悲鳴があがる。せっかく現れた本物の英雄が、地竜の一撃で無様に転がされたのだ。勝てるのか。誰の目にも、それはもう分からなかった。
だが、アレンは血を吐きながら、笑った。
「……この程度の痛みは、四年、味わい飽きた」
脇腹を押さえ、よろよろと立ち上がる。折れかけた脚を、疾風の小手の力で無理やり支えた。無様でいい。倒れたまま終わるよりは、ずっといい。
地竜が、再び突進してくる。土煙をあげ、若い怒りのすべてをこの一撃に乗せて。だが、二度目は読めていた。今度こそ、とアレンは盾を構え直す。脚の震えを、意志でねじ伏せて。狙うのは真芯。ラウルが幾度も仲間を守った、あの一点で受ける。
白銀の盾が、目もくらむ光を放った。受けた衝撃が、そっくり倍にして跳ね返る。地竜の巨体がくの字に折れ、鈍い悲鳴をあげて宙へ吹き飛んだ。
落ちてくる。広場の、逃げ遅れた老人たちのほうへ。
アレンは舌打ちした。間に合わせるには、切り札を切るしかない。
収蔵のなかに、ただ一本、神域級の刃があった。名を【業火の断ち剣】。せり市の帰り、朽ちた砦の跡で拾った、持ち主の分からぬ一振りだ。だが、触れて概念を奪ったあの日、来歴がまるごと流れこんでいた。
炎の魔法剣士がいた。国も名も、もう誰も覚えていない男だ。落ちる橋の上で、たった一人、剣に己の命を焚べて火の壁を敷いた。避難民の最後の一人が渡りきるまで。橋が崩れ、男は火もろとも谷底へ消えた。その最期の一念だけが、刃に消し炭のように残っていた。誰にも名を呼ばれず、記録にも残らず、それでも他人のために燃え尽きた男。アレンが集める神域武装とは、いつも、そういう報われぬ者たちの遺志の器だった。
アレンは、その熱を掌に感じた。
「……借りるぞ。おまえの、最後の火を。今度は、この年寄りたちを、渡らせてやってくれ」
願いを継いで、右腕に力を込める。業火の断ち剣が光となって実体化し、投じた瞬間、役目を終えたように砕けて消えた。
解放は、消費だ。二度と戻らない。名も知らぬ男の最後の火が、この世から完全に消える。だが炎の一撃は、落ちてくる地竜を空中で灼き尽くした。灰が、雪のように広場へ降りそそぐ。
同時に、失った刃の記憶が、鋭い痛みとなってアレンを貫いた。橋の上の熱。谷底へ落ちていく感覚。他人の最期を、我が身のようにもう一度味わわされる。それが、この力の代償だった。
安らかに眠れ。おまえの火は、無駄にはしなかった。
その重さに、アレンはほんの一瞬、膝を折りかけ、こらえた。集めるとは、背負うことだ。今日また、忘れられない名がひとつ増えた。
静寂。
やがて、広場のどこかから、拍手が起きた。ひとつ、ふたつ。口火を切ったのは、あの男の子だった。母親の腕を抜け出し、灰の広場で、力いっぱい両手を打ち鳴らす。
「にいちゃんが、ほんとの、えいゆうさまだ! にげなかったの、にいちゃんだけだったもん!」
まっさらな一声が、凍りついた広場に火を点けた。ひとつの拍手が十になり、百になり、やがて割れんばかりの歓声へと広がっていく。誰に強いられたのでもない。逃げなかった一人を、民はその目で選んだのだ。
その歓声の外側で、ボルドはへたりこんでいた。
もう、誰も彼を見ていなかった。英雄は、そこにいるのに。民の目は、灰をかぶった泥色の男に釘づけだった。
「ちがう……儂は、英雄だ……昔は、昔は、本当に……村を、守ったんだ……」
うわ言のように、ボルドは繰り返した。その目に、うっすらと涙がにじむ。
アレンは、その姿を見おろした。憎しみは、もう湧かなかった。ただ、深い苦さだけがあった。
知っている。昔のおまえは、確かに勇敢だった。だから、なおさら惨めだ。
「立て、ボルド。おまえを殺しはしない。……そのほうが、おまえには地獄だからな」
名誉も、虚名も、崇拝も。ボルドが他人から奪って積み上げたものは、たった一日で跡形もなく崩れた。奪った者は、いつか奪われる。因果は、この広場でもめぐったのだ。
アレンは、金剛盾に手を重ねた。
――――【概念強奪 完了】――――
【名称】 不壊の金剛盾
【来歴】 泥のなか、仲間をかばい続けた男・ラウルの、大きな背中。
【状態】 偽りの主より解放。真に守る者のもとへ。
【収蔵効果】 あらゆる衝撃の吸収と全反射。二つめの神域武装、奪還。
――――――――――――――
銀の盾が、光の粒となってアレンの内へ還る。ラウルの記憶が、胸の奥で寄り添った。もう、二度と汚させはしない。
「……ただいま、ラウル。おまえの盾は、ちゃんと、守る盾に戻したぞ」
誰にも聞こえない声で、アレンはつぶやいた。
人混みの向こうから、エレノアが駆け寄ってくる。皆を守りきった白金の英雄と、泥からよみがえった勇者。二人は、灰の降る広場で肩を並べた。
その頬に、涙の跡があった。だが、それを拭うより先に、彼女はアレンの折れかけた脚と、血のにじむ脇腹に気づいてしまう。
「……また、こんなに。私が、そばで守れていれば」
「よせ。おまえは、こっちの何倍もの民を守っていた。役割どおりだ」
ぶっきらぼうに言って、アレンは盾を収めたばかりの腕を、ゆっくりと下ろした。勝った。二つめを取り返した。なのに、胸のなかは勝ち鬨とはほど遠い。橋の上で消えた男の熱が、まだ灰のように燻っている。
「……終わりましたね。ひとつ、また」
「ああ。だが」
アレンは、こちらを見上げる数千の民の目に気づいていた。畏敬。熱狂。そして、新しい偶像を見つけた者の、あの危うい輝き。
偽物をひとり倒した。なのに、民の飢えた信仰は、早くも次の依り代を探しはじめている。今度は、この俺を。
「……厄介なことに、なりそうだ」
アレンは、目を細めた。ひとつの決着は、いつも次の火種を連れてくる。背負うものは、増えていく一方だ。それでも、隣にエレノアがいれば、進める気がした。この重さを分かち合える者が、たった一人でも、そばにいてくれる。それだけで、足は前へ出た。
偽りの英雄の仮面は、民の前で、完全に剥がれ落ちた。だがその歓声の底で、新たな虚飾の種が、もう、芽吹こうとしていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。決着回、いかがでしたか。
一度は脚が崩れ、地竜の一撃に吹き飛ばされる。勝てるか分からない――そこを通してから勝たせたくて、盾の反射も、一発では決めませんでした。
地竜を灼いた炎の魔剣【業火の断ち剣】は、橋の上で己を焚べて避難民を渡らせた、名もない男の刃でした。解放すれば、その最後の火は、二度と戻らない。集めるとは、背負うこと。今日また、アレンは忘れられない名をひとつ、抱えます。
そして、逃げなかった一人を、民は自分の目で選びました。子どもの一声から広がる歓声が、この物語の「本物と偽物」の答えです。金剛盾も、ラウルのもとへ帰りました。次回、この勝利が二人に何を支払わせたのか――その代償を描きます。




