第12話 勝利の代償
第12話。勝利のあとに、残ったもの。
偽物を倒したはずなのに、民の信仰は、今度はアレンへと向かいはじめます。勝利が二人に何を支払わせたのか、その代償を描きました。
収穫祭から、数日。王都は、まるで別の街になっていた。
重騎士ボルドの武勇伝は、音を立てて崩れた。かわりに、人の口から口へ、新しい物語が流れていく。泥に堕ちたはずの勇者が地竜を討ち、子どもを救った。あれこそが本物だ――と。
その噂の証に、朝、屋敷の門前には人が集まっていた。
「勇者様! ひと目、お姿を!」
「うちの子を、祝福してくだせえ!」
花を抱えた者。子を背負った母親。膝をつき、祈る老人。門の外に、小さな人だかりができていた。二階の窓からそれを見おろして、アレンは深く息を吐く。
「……笑えないな」
「アレン様?」
「偽物をひとり引きずり降ろした。なのに、あいつらはもう次の英雄を探している。今度は、この俺を祭壇に乗せようとしている」
アレンの声には、喜びのかけらもなかった。
「英雄を崇める心が、この国を腐らせた。ボルドを作ったのも、ギルバートを作ったのも、あの崇めたがる目だ。俺はそれを壊しに来たはずなのに。……壊すそばから、また同じものが生えてくる」
門前で、母親に抱かれた幼子が、こちらを見上げて無邪気に手を振った。あの日、地竜から救った子ではない。だが、同じ目をしていた。憧れにきらきらと輝く目を。
アレンは、その目を正視できなかった。あの輝きが、いつかまた、誰かを偽物の英雄に仕立てあげる。悪意からではなく、ただ信じたいという、人の弱さから。
「……根が、深い」
小さくつぶやく。剣で斬れる敵なら、いくらでも斬る。だが、人の心に巣くう「崇めたい」という飢えは、剣ではどうにもならなかった。
エレノアは、静かに彼の隣に立った。
「あなたは、崇められたいわけでは、ないのですね」
「当たり前だ。俺が欲しいのは、奪われたものを取り返すことだけだ。崇拝なんていらん。あんなものは、いちばん脆い」
その横顔を、エレノアはまぶしそうに見た。崇拝を求めない英雄。それこそが本物の証だと、彼女は知っている。
だが、勝利は代償を求めていた。
その夜。アレンは、うなされていた。
夢のなかで、無数の声が渦を巻いている。地竜を灼いて砕け散った、炎の魔剣。その元の持ち主。かつて肩を並べた仲間の、最後の叫び。名もなく死んだ兵士たちの、届かなかった願い。ラウルの、泥にまみれた背中。
奪い、背負い、そして手放した。すべての記憶がいちどきに、胸を圧し潰す。
「――っ、は……」
汗だくで、飛び起きる。心臓が、痛いほど鳴っていた。
「アレン様」
寝台のわきに、エレノアがいた。この夜も、そばにいたのだ。冷たい布を、そっと額に当ててくれる。
「大丈夫です。ここに、いますから」
アレンは、荒い息のまま、うつむいた。
「……この力は、集めるほど重くなる。あいつらの無念が全部、俺のなかに積もっていく。忘れることが、できない。……時々、自分が墓場になった気がする」
初めて、弱音をこぼした。エレノアは何も言わず、彼の頭を胸に抱いた。壊れ物にふれるように。
「ひとりで、背負わないで。……その重さの半分は、私が一緒に持ちます。あなたが忘れられないなら、私も覚えています。あなたが集めた、すべての名を」
その言葉に、アレンの強ばった肩から、ゆっくりと力が抜けていった。この女がいれば、墓場も、少しはあたたかい。
翌朝、招かれざる客が屋敷を訪れた。王太子ギルバートの使者だった。
うやうやしく頭をさげながら、その目は少しも笑っていない。
「英雄エレノア様に、殿下よりお祝いのお言葉を。……先日の、地下での騒ぎ。そして、収穫祭での勇ましい働き。殿下は、たいそう気にかけておいでです」
言葉は丁寧だった。だが、その裏に刃が隠れている。
「素性の知れぬ男を、屋敷に囲われているとか。もしそれが、国を騒がす騙りであれば……英雄たるあなたの名にも、傷がつきましょう。あるいは、あなた自身の、過去のいくつかのお振る舞いにも」
茶を注いでいたエレノアの手が、止まった。磁器の触れ合う音が、ふつりと途切れる。ほんの一瞬。だが、アレンはその不自然な空白を、聞き逃さなかった。
「……なんの話だ」
アレンが低く問う。だが、使者は薄い笑みを残して去っていった。「では、よき返事を、お待ちしております」と、それだけ言い残して。
部屋に、重い沈黙が落ちる。
脅しの意味は、明白だった。ギルバートはアレンの生存を、すでに掴んでいる。そして、それを公にする気はまだない。かわりに、二人の弱みを握り、飼い殺しにしようとしている。表立って動けば、英雄エレノアの名も、その過去の何かも、まとめて泥に沈める。そういう宣戦布告だった。
「エレノア。あいつは、何を握っている」
問われて、エレノアは目を伏せた。いつもの澄んだ笑顔が、うまく作れない。
「……いつか、必ずお話しします。いまは、まだ」
いつもなら、どんな問いにも迷わず応える女だった。その語尾が、初めて力なく萎んだ。何もかもを差し出すこの女に、ただ一つ、口にできないものがある。それだけは、もう疑いようがなかった。
問い詰めることも、できた。だが、しなかった。四年前、信じられなくなった自分に、この女は急がなくていいと言ってくれた。ならば、今度は自分が待つ番だ。
「……分かった。おまえが、話したくなるまで待つ」
エレノアは、深く頭をさげた。ありがとうございます、とも、ごめんなさい、とも取れる、声にならない仕草で。顔を上げるまでに、いつもよりずっと長い間があった。
その日の午後。エレノアは、一枚の書状をアレンに見せた。
ラウルの故郷の村へ宛てた、正式な記録だった。不壊の金剛盾を泥沼の撤退戦で振るい、味方全員を逃がして果てた、真の英雄の名。それを英雄エレノアの名で、公に書き残す手筈だという。
「盾を取り返すだけでは足りない、と。あなたが、言いました。……奪われた、本物の名誉ごと取り戻すのだと」
アレンは、その書状をしばらく、じっと見つめていた。
ラウル。名もなく死んだ、あの大きな背中に、ようやく名が返る。
「……ありがとう。これで、あいつも、少しは浮かばれる」
声が、掠れた。四年ぶりに、仲間のために、まっすぐ礼が言えた気がした。
これが、とアレンは思う。これが本物を取り戻すということだ。虚名を暴くだけでは足りない。奪われた者の名を、正しい場所へ返してやる。崇められることではなく、忘れられた誰かを覚えていること。それがたぶん、英雄という言葉の、本当の意味だ。
エレノアは、そんな彼を隣で見つめていた。過去の罪を胸に沈めたまま。いつか、この澄んだ横顔に、自分の秘密を打ち明ける日が来るのだろうか。来たとして、彼はまだ、隣にいてくれるだろうか。――その問いは、まだ誰にも言えなかった。
窓の外、王都の空は晴れていた。
だが、その光の下で、王太子ギルバートの影が動きはじめている。そして、次に取り返すべき神域武装――【深淵の月雫】を握る、もう一人の元仲間、聖女クラリスの気配も。
勝利は、また次の戦いを連れてくる。それでも、アレンは、隣に立つエレノアを見て思った。この重い旅も、一人ではない。ならば、進める。
偽りを剥ぎ取る旅は、まだ、半ばにも、届いていない。
読んでくださって、ありがとうございます。
「壊すそばから、また、同じものが生えてくる」。英雄信仰そのものを敵に据えると、勝っても、すっきりとは終わりません。倒した先に、新しい虚飾の種が芽吹く。その皮肉を、この作品の背骨にしています。
集めた武具の記憶に、夜、うなされるアレン。その重さを「半分持ちます」と言うエレノア。彼女もまた、たったひとつ、言えない秘密を抱えています。今回、その影が、少しだけ覗きました。
ラウルの名誉が、故郷へ返る場面が、この話でいちばん書きたかったところです。次回からは、王太子ギルバートの影と、三人めの元仲間・聖女クラリスへ。物語は、中盤へ向かいます。




