第85話 空っぽの王
まばゆさの核心を、断つ。灰色の影になりはてた蒐集者の、最後の問い。「名を呼んでくれる者は、いるだろうか」
二人の剣が、まばゆさの核心に届いた。
その瞬間、世界がしんと静まりかえった。
あれほど荒れ狂っていた光の津波が、ぴたりと止まる。時が凍てついたかのように、あたりから音という音が失せた。嵐のただなかに、ふしぎな凪が生まれていた。アレンには、その静けさが永遠にも感じられた。息を詰め、全身の力を剣の一点に集める。動の極みは、かえって静けさのなかにあった。
「――斬る、ぞ」
ささやくような声だった。
声を荒げはしない。ただ腹の底から、ひとすじの芯の通った気を吐いた。
背にはエレノアの手。剣には最後の白金の光。そして、何百年ぶんの遺志。そのすべてをこの一点にこめて、ためてためた静が、ここでひとつの動に凝縮されていく。
これまでの旅で出会った、すべての者の顔が脳裏をよぎった。差し伸べた手、返した剣、取りもどした名。そのひとつひとつが、この一撃の重みになっている。ひとりの力ではない。無数の想いが、この切っ先に宿っていた。
泥のなかでうずくまっていた自分に、迷いなく手を伸ばしてくれたエレノア。あの日から、この一瞬まで、二人で歩いてきたすべての道のりが、いま剣先の一点へと収れんしていく。
そして、アレンは剣を振り抜いた。
止まっていた時が、一気に動きだす。動が閃いた。
白金の一閃が、まばゆさの核心を断ち割った。
音はしない。ただ、ひとすじの白金の線が、まばゆさのまんなかをすうっと走った。それだけだ。
だが、そのたった一線を境に、すべてが変わった。
蒐集者の栄光の渦が、まっぷたつに裂ける。断たれたまばゆさが、細かな光の粒となって四方へ散っていく。そして、その光の粒は、もう蔵へは戻らなかった。ひとつひとつが持ち主の名を取りもどし、世界へと還っていく。
まるで、長いあいだ籠に閉じこめられていた小鳥たちが、いっせいに空へ放たれるようだった。ひとつひとつの光が、羽ばたくように、うれしげに天へと昇っていく。
もう誰も、この蔵には囚われない。奪われた誉れは、それぞれの持ち主の胸へと帰っていく。何百年ぶんの忘却が、この一太刀でほどけていった。忘れられていた者たちの名が、いま光となって、夜の空へ還りつつあった。
「……ぁ、あ」
白の蒐集者がよろめいた。
まばゆさを失い、ただの灰色の影になりはてた姿。玉座にすがりつくように、かろうじて立っている。
「わたしの……栄光が、ぜんぶ、ぬけ落ちていく。……なぜだ。わたしはあんなにまばゆかったのに。誰もがわたしをあがめたのに」
その声は、もはや老いた子どものように頼りない。まばゆさをまとっていたときの、あの朗々とした声は、もうどこにもなかった。
アレンは、剣を下ろした。そして、しずかな足取りで灰色の影に近づいた。
「お前は、ずっとまちがえていた」
声には憎しみも勝ち誇りもない。ただ、倒れた相手を見つめるまなざしだけがあった。憎むべきは、この化け物そのものではない。これを生んでしまう、人の心の弱さのほうだと、アレンは知っていた。
「……なにを、まちがえていたと」
「あがめられることを、愛されることだと思っていた。……だが、ちがう。あがめる者は、お前を見ちゃいない。まばゆさにすがっているだけだ。……お前は何万人にあがめられても、ただのひとりからも名を呼ばれなかった」
灰色の影が、びくりと震えた。
「わたしは……ひとりだった、のか」
それは、まばゆい玉座に座りつづけた王の、ぽつりとこぼしたほんとうの声だった。あがめられ、かしずかれ、しかし誰にも手を握られなかった王の。その声には、はじめて人らしいかなしみがにじんでいた。
「栄光をあつめれば満たされると思った。だが、あつめてもあつめても、胸の洞は埋まらなかった。なぜだかわからなかった。……ずっと」
「わかるさ」
アレンは言った。
「栄光は、人の代わりにはならない。……お前に足りなかったのは、まばゆさじゃない。となりでお前の名を呼んでくれる、たったひとりだ」
アレンにはそれがわかる。かつて自分も栄光に包まれていた。だが、栄光を失ってはじめて知ったのだ。ほんとうにあたたかいのは、あがめる群衆の歓声ではなく、泥まみれの自分に手を差し伸べた、たったひとりの指先だったと。
灰色の影は答えない。ただ、うつむいた。その沈黙こそが、何よりの答えだった。この王は、栄光の玉座に座りながら、ずっと空っぽだったのだ。誰にも手を握られず、誰にも名を呼ばれず、ただまばゆさだけを抱いて。
そして、ふちから崩れはじめた。
長い年月をかけて乾ききった砂の像のように、へりからぽろぽろと剥がれていく。栄光を失った蒐集者には、もうおのれをかたちづくる力すら残っていない。灰色の体が、さらさらと砂に還っていく。
「……なあ、勇者」
消えぎわに、蒐集者はつぶやいた。
「わたしは……また、生まれるのだろうな。人がまばゆい嘘を求めるかぎり、名もなき者を忘れるかぎり……わたしは何度でも」
「ああ」
アレンはうなずいた。ごまかしはしない。
「お前はまた生まれる。人の心があるかぎり。……だが、そのたびに、俺のようなやつも生まれる。忘れまいとするやつが、何度でもお前とせめぎあう」
それはあきらめではない。むしろ希望だった。
完全な勝利など、この世にはない。悪を根絶やしにすることもできない。だが、それでいい。まばゆい嘘が生まれるたびに、それに抗う者もまた生まれる。人には、すがる弱さと、忘れまいとする強さが、両方ある。そのせめぎあいが続くかぎり、世界はまだ捨てたものではない。
蒐集者の崩れる顔が、かすかに笑ったように見えた。
「そう、か。……せめぎあう、か。……ならば次は、わたしにも名を呼んでくれる者が、いるだろうか」
その問いは、あまりにもかなしかった。アレンは、何も言えない。かける言葉が、見つからなかった。
この化け物は、最後の最後にようやく気づいたのだ。ほしかったのは、まばゆさではなかった、と。ただ名を呼ばれ、となりにいてくれる誰か。それだけだった、と。……そのささやかな願いを、手に入れそこねたまま、消えていく。哀れな王だと、アレンは思った。
その問いに答える前に、白の蒐集者は、さらさらと崩れ落ち、光の粒となって消えた。
あとにはただ、崩れゆく栄光の蔵と、傷だらけの二人だけが残された。
だが、蔵はもう限界だった。
核を失い、主を失った栄光の蔵が、地鳴りとともに崩落を始める。白い壁が剥がれ落ち、天井が軋みをあげた。
「アレン様。ここも、もう」
エレノアが、よろめきながらアレンの腕を取った。その体は氷のように冷たい。光を使いきった代償だった。アレンもまた、背の傷から血を流しつづけている。二人とも満身創痍だ。それでも、かろうじて立っていた。たがいを支えあって。
崩れゆく蔵のなかを、いくつもの光がまだ天へ昇りつづけている。奪われた誉れが、ひとつ残らず持ち主のもとへ帰っていく。その光景を、二人は肩を寄せあって見つめていた。
長い長い収集奇譚の、いちばん大きな決着が、いまついた。すべてを奪い、忘れさせてきたまばゆさは消え、世界は名もなき者を思い出しはじめていた。
決着です。あえて蒐集者を、憎むべき悪ではなく、空っぽの王として描きました。ほしかったのはまばゆさではなく、名を呼んでくれるたった一人だった――。倒しても、人が忘れるかぎりまた生まれる。勝利を万能にしない結びです。




