第84話 最後のまばゆさ
消えぎわの蒐集者が、世界の記憶ごと奪おうと最後のまばゆさを放つ。二人の、渾身の一撃。
蔵が、音を立てて崩れはじめた。
栄光をほとんど失った白の蒐集者は、玉座の前で痩せ細り、今にも消えそうだった。まばゆかったその身は、くすんだ灰色に近づいている。人の記憶が忘れられた者を取り戻すたびに、この化け物の力は抜け落ちていくのだ。
だが、追いつめられてなお、それでも牙はあった。飢えた獣がいちばん危ういのは、腹を満たしているときではなく、もう失うものが何もなくなったときだ。
消えぎわに、蒐集者は牙をむいた。追いつめられたその声には、もうあの心地よいやわらかさはない。ひび割れ、ざらつき、まるで砕けかけた硝子がこすれあうような、醜い響きだった。
「……このまま消えるものか」
その声がしわがれ、裏返った。
「まだ蔵には栄光が残っている。……ならばそれを、一度に使う。おまえたちごと、この蔵ごと、世界の記憶を根こそぎ奪い去ってやる」
蒐集者が、両腕を高々とかかげる。
崩れかけた蔵じゅうの栄光が、最後の力をふりしぼって集まってきた。まばゆい光の渦が、天へと伸びあがっていく。
それは断末魔だった。消えるまえに、せめてすべてを道連れにしようとする、追いつめられた獣の最後のあがき。だが、そのあがきは、世界そのものを呑みこむほどの力を秘めていた。
残っていた栄光のすべてが、ひとつの渦に束ねられていく。にせの英雄のまばゆさも、奪われた本物の誉れも、そのいっさいがっさいが、天を衝く光の柱となって膨れあがった。
――静寂。
嵐の前の、息をのむような静けさが訪れた。崩れ落ちる瓦礫の音さえ、その一瞬だけは遠のいて聞こえた。蒐集者の頭上で膨れあがった光の柱が、放たれる時をじっと待っている。それは、これまでの旅で二人が見てきた、どんな魔物のどんな力よりも巨大だった。
アレンは、傷ついた体で剣を握りなおした。
自分の命だけなら、捨てて突っこめばいい。だが、背にはエレノアがいる。壁には忘れられた者たちのレリーフが並び、この蔵の奥からは、世界へと還りかけている栄光がある。守るべきものが、多すぎた。そのすべてを、このまばゆさから守りきらねばならなかった。
守るものが多いほど、足は重くなる。だが、それこそがアレンの強さの源でもあった。
「エレノア。……最後の一撃だ。もう一度だけ、力を貸してくれ」
声に悲壮さはなかった。むしろ、信じきった者の落ちついた響きだった。
「はい」
彼女の声は細かった。だが、迷いはなかった。
「わたしの光は、もうひとかけらしか残っていません。でも……そのひとかけらを、あなたにあずけます」
命の火の、最後のひとゆらぎ。それを惜しみなく差し出す。エレノアの頬は、透けるほど白かった。もはや彼女に英雄の面影はない。ただ、愛する人を生きて帰したいと願う、ひとりの女がそこにいた。
かつて大聖堂で、万を超える民にかしずかれた聖女は、もういなかった。だが、アレンには今の彼女のほうが、よほどまばゆく見えた。飾りも肩書きもかなぐり捨てて、なお差し出せるものを差し出そうとする。その姿こそが、彼女の本当の強さだった。
二人は手を重ねた。
アレンの剣に、最後の白金の光が宿る。ほのかな、けれどまぎれもない、二人の想いの結晶だった。まばゆい蒐集者の栄光とは比べものにならぬほど、ちいさな光。だが、冷たくはなかった。人を想う心から生まれた、あたたかい灯り。ちいさくとも、それは本物だった。
――来る、と。
アレンは息を止めた。まばたきひとつせず、渦のうねりを見すえる。どこで放たれるか、どこへ斬りこむか。研ぎ澄ました感覚だけが、時の狭間をとらえていた。
静寂が極まった、その刹那。
蒐集者が腕を振り下ろした。
天を衝く光の渦が、津波のように二人へと崩れかかる。世界の記憶を、すべて呑みこもうとする、まばゆさの洪水。
動が爆ぜた。
アレンは地を蹴った。迫りくる光の津波へまっすぐ斬りこむ。エレノアの光をまとった剣が、まばゆさを切り裂いた。
だが、相手は世界じゅうの栄光の残りかす。一太刀では断ちきれない。
斬っても斬っても、まばゆさはうねり、渦を巻いて二人を呑みこもうとする。まるで世界じゅうの人のあこがれが、ひとつになって牙をむいているようだった。
押される。じりじりと、アレンの足が後ろへ、後ろへと下がっていく。
「く……っ」
膝が崩れかける。旧い傷が開き、血が噴き出す。それでもアレンは、歯を食いしばって踏みとどまった。
――ここで退けば、すべてが無に帰す。世界の記憶がぜんぶ消える。忘れられた者を返した意味も、エレノアとの日々の記憶も、ぜんぶ。
その想いが、アレンの足を地に縫いとめた。一歩も退かない。退けない。旅の途中で差し伸べてきた手を、拾い上げてきた遺志を、ここで手放すわけにはいかなかった。
まばゆさが全身を焼く。肌が灼け、目がくらむ。忘却の力が、またしても記憶を剥がしにかかる。だが、アレンは歯を食いしばり、剣をまっすぐ前へ突きたてつづけた。
「アレン様。……ひとりで背負わないで」
背後で、エレノアがささやいた。
彼女の手が、アレンの背に添えられる。残された最後のひとかけらの光が、じん、と剣に流れこんだ。あたたかかった。冷えきったこの栄光の墓場で、その手だけが生きた熱を持っていた。
背中から伝わってくるそのぬくもりが、アレンの萎えかけた力を、もう一度奮い立たせる。ひとりではない。この一撃は、ふたりのものだ。
「ふたりの力です。……押し返しましょう、このまばゆさを」
アレンの剣が、白金に燃えあがった。
ひとりでは届かない。だが、ふたりなら届く。背負ってきた遺志も、すべてこの一振りに宿っていた。老狩人の涙も、語り部の五十年も、灰の帝国で名を取り戻した人々の声も、いまアレンの剣のなかで、ひとつの熱になっていた。
「うおおおおッ」
静から動へ。ためこんだすべてを、この一点に解き放つ。アレンは裂帛の気合とともに、剣を押しこんだ。
光の津波が、まっぷたつに裂けていく。まばゆさの奥へ奥へと、二人の想いの刃が突き進む。
押し返す、押し返す。世界の記憶を奪おうとする最後のまばゆさを、二人の命を賭けた一撃が、少しずつ押しもどしていった。
剣の切っ先が、まばゆさをじりじりと分けていく。ひとつ押しこむたびに、全身の血が抜けていくようだった。エレノアの光も、もうまたたくばかり。だが、二人の想いだけは尽きなかった。
――たがいを忘れない。名もなき者を忘れない。その一念が、まばゆさを押し返す力になっていた。
押しこむたびに、まばゆさが悲鳴のような音をあげる。断末魔の栄光が崩れ、飛沫のように散っていく。散った栄光は、もう蔵へは戻らなかった。持ち主のもとへ、世界へと還っていく。
全身が軋みをあげ、視界が白く灼けていく。それでも二人は、剣を握る手だけは決してゆるめなかった。重ねた手のひらから、たがいの鼓動が伝わってくる。それが、まだ生きているという何よりの証だった。
長い収集奇譚の、決着の時がすぐそこにあった。あとひと押し。あとひと押しで、このまばゆい悲しみの連鎖が断たれる。
クライマックス戦。静にためて、動で放つ。ためこんだすべてを一点に込める一太刀を、「静と動」の呼吸で描きました。守るものが多いほど足は重い、だがそれこそが強さの源――アレンの真骨頂です。




