第79話 核の前で
台風の目のような、核の前の静けさ。二人が語る、旅の終わりの夢。そして、核を開くための、命がけの鍵。
二人は核の前にたどり着いた。
玉座の真下、そこに深い光の井戸が口をあけていた。うずまく白い光。世界じゅうから奪われた栄光が、ここへ吸いこまれていく。のぞきこめば底が見えないほど深かった。そのふちに、二人は立った。
蒐集者は背後にいた。だが、追ってはこない。ただ玉座の前でまばゆく二人を見おろしている。追う必要がないと言わんばかりに。
核のまわりだけ、ふしぎと静かだった。栄光の嵐もここには届かない。うずまく光の音だけが、遠い潮騒のように低く響いている。まるで台風の目のようだった。外周では動が荒れ狂い、ここでは静がすべてを包んでいる。そのあまりの落差に、アレンはかえって気を引きしめた。凪は長くは続かない。
アレンはエレノアを背から、そっと下ろした。彼女の体は冷たく、軽かった。光を使いすぎて、もう立っているのがやっとだった。
「エレノア。だいじょうぶか」
アレンは膝をつき、彼女の顔をのぞきこんだ。血の気の失せた頬に、核の白い光が冷たく差している。
「……はい。少し休めば」
嘘だと、すぐにわかった。だが、アレンはあえてうなずいた。ここでそれを責めても仕方がなかった。
二人は核のふちに並んで、腰を下ろした。嵐の目の、ほんのつかのまの静けさ。次に動けば、すべてが決まる。その前の、わずかな間だった。張りつめていた糸が、ほんの少しゆるむ。
斬りあいのあいだは、考える暇もなかった。だが、この静けさのなかでは、ふいにいろいろなことが胸に浮かんでくる。長い旅の日々、出会った人々、そして今もとなりにいる、この人のこと。もしかしたら、こうして並んで座るのは、これが最後になるかもしれない。そんな予感が、口には出さずとも二人のあいだに漂っていた。次の動がすべてを決める。だからこそ、この静けさをアレンは心に刻んでおきたかった。
「なあ、エレノア」
うずまく光を見つめながら、アレンは言った。
「この旅が終わったら、……お前はどうしたい」
エレノアは少しおどろいた顔をした。それから、ふっと笑った。
「めずらしいですね。あなたがそんなこと、聞くなんて」
「ああ。……なんとなく、今、聞いておきたくなった」
核の光が、二人の頬を青白く照らしていた。
「そうですね」
エレノアはしばらく考えて、うずまく光に目を落とした。その横顔には、もう聖女の面影はなかった。ただ、ひとりの女の、ささやかな願いだけがあった。
「わたし、……英雄でなくてもいいんです。光が涸れてもかまわない。ただ、あなたとふたりで、どこかあたたかい場所で、ちいさな畑でも耕して、名もない日々を過ごせたら。それが、いちばん」
英雄でもなく、聖女でもなく、ただエレノアというひとりの女として。彼女がずっと夢見ていたのは、そんなささやかな暮らしだった。世界を救うことではない。誰かにあがめられることでもない。ただ、愛する人とあたりまえの朝をむかえること。
この国は、灰の帝国は、英雄信仰の国は、どこもそのあたりまえを人から奪ってきた。彼女はそれを取り戻したいだけだった。まず、自分たちの手で。その言葉に、アレンの胸があたたかくなった。
「畑か。……悪くないな」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
剣を握るしか知らなかった手で、種をまき、水をやる。そんな日々をふと思い描くと、存外、それは心をあたたかくした。人を斬らずにすむ日々、誰かの血を見ずにすむ朝。それがどれほど得がたいものか、この旅がアレンに教えていた。
「アレン様は、畑仕事なんてできるんですか」
「やったことはない。だが、剣より鍬のほうが、よっぽど人の役に立つ」
二人は小さく笑いあった。栄光の墓場のまんなかで、二人だけのささやかな未来の話。それは、このまばゆい蔵のどんな栄光よりも、うつくしく思えた。どんな勲章よりも、どんな伝説よりも、このたわいない会話のほうが、ずっと値打ちがあった。
蒐集者には、決して手に入らぬものだった。栄光をいくらためこんでも、となりで未来を語りあう相手は奪えない。想いは蔵にはしまえない。それこそが、この化け物のいちばんの貧しさだった。
「……行くか」
アレンは立ち上がった。
「ああ。そのあたたかい日々のためにも、……ここでこの繰り返しを終わらせる」
アレンは核のうずまく光へ、右手をかざした。万象武具庫。奪われた者の遺志を宿す力。それをこの核へ差しこむ。奪う蔵を、返す蔵へとひっくり返す。はじまりの男がそうしたように。
だが、核に手を近づけたとたん、激しい拒絶が走った。まばゆい光が逆流し、アレンの腕を焼く。
「ぐ……っ」
思わず腕を引くと、焼けた肌がひりついた。
「無駄だ」
背後で蒐集者が言った。
「その核は、世界じゅうの忘却でできている。人が忘れるかぎり、決して開かない。……おまえの力だけでは、こじ開けられぬ」
アレンは歯を噛んだ。たしかに、右手の力だけでは足りなかった。核はあまりにも深く、重い。何百年ぶんの忘却が、ここに詰まっている。
「アレン様。……ひとつだけ、方法が」
エレノアがふらり、と立ち上がった。
「わたしの光を、あなたの右手に合わせるんです。あなたが忘れられた者を呼ぶ。わたしがその名を光に変えて、核へ届ける。……ふたりでなら、あるいは」
だが、それは彼女の残りの光を、すべて使いきることを意味していた。アレンはエレノアを見た。わかっていた。ここで光をすべて使えば、彼女は二度と英雄ではいられない。いや、それどころか、命がもつかどうかもあやうい。
「……ほかに、手は」
「ありません」
エレノアは首を振った。まっすぐな目だった。
「でも、アレン様。これは、あなたに押しつけられた道ではありません。わたしが、わたしの意志で選ぶんです。……名もなき者をぜんぶ取り戻すために。わたしの光を、使わせてください」
その覚悟の前に、アレンは言葉を失い、しばらくうずまく光を見つめていた。押しつけられた道ではない、と彼女は言った。その言いようが、かえってアレンの胸を締めつけた。彼女に命を賭けさせる。それが、どうしても嫌だった。かつて灰の帝国でも、彼女は命を削って自分を救った。また同じことをさせるのか。
だが、ここでためらえば、何百年ぶんの忘れられた者が、永遠にこの蔵に囚われたまま。それもまた、エレノアの望む道ではなかった。彼女が命を賭けてでも取り戻したいと願うものを、自分の情で奪ってしまう。それは、守ることとはちがう。
――ひとりで背負おうとするな。
右手が疼いた。背負ってきた遺志の声が、そう言っているようだった。ひとりで抱えこむのは傲慢だ。信じて、となりの手を取れ、と。
「……わかった」
アレンはエレノアの手を握った。
「ふたりでやる。ふたりで生きて帰る。……畑を耕す約束だ。忘れるなよ」
エレノアは涙ぐんでうなずいた。握りかえす手は冷たかったが、その指には、たしかに力がこもっていた。核を開くための最後の鍵。それは、二人の力をひとつにすることだった。命を賭けて。だが、二人はもう迷わなかった。うずまく光を前に、アレンとエレノアは、そろって覚悟の息を吐いた。
嵐の目の、つかのまの静寂。あえて、畑を耕す夢を語らせました。栄光の墓場のまんなかで交わす、ささやかな未来の会話こそ、蒐集者には決して手に入らないもの。二人の力を一つにする覚悟を固める回です。




