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泥の勇者と白金の英雄 ~偽りの栄光を剥ぎ取る収集奇譚~  作者: 源三郎


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第78話 静と動

 核まで、あと少し。蒐集者の「動」と「静」の緩急を、逆手にとれるか。呼吸を読み、間合いで勝つ。

 核まではまだ遠かった。


 白の蒐集者は玉座の前に立ちふさがったまま、動かない。ただ無数の栄光を宙に従え、そのまばゆさをしんと静まりかえらせている。嵐の前の凪だった。あまりに深い静けさに、かえって肌が粟立った。何百年ぶんの栄光が、ひとことの命令を待つように、微動だにせず宙に吊られている。その光景は美しく、そして底なしに不気味だった。


 アレンは足を止め、息をととのえた。背にはエレノア、腕の中には何百年ぶんの遺志。ひとつひとつ数えるように、呼吸を深くしていく。


 ――焦るな。


 まばゆさに目を奪われれば負ける。ゆっくりと相手を見きわめる。どこから、どう来るか。アレンの目が冷たく凪いだ。静寂が蔵を満たし、栄光の輝きだけが音もなく揺れている。時が止まったようだった。


 アレンはその静けさのなかで、ゆっくりと腰を落とした。剣を低く構え、呼吸を一度、深く吐く。背に負ったエレノアの鼓動が、とく、とく、と伝わってくる。かすかに速いその命の音を数えるように、アレンは心を研ぎ澄ませた。まばゆさの奥で、蒐集者の気配がふくらむのを肌で感じる。もうすぐ動く。だが、その一瞬がなかなか来ない。じらすように、静けさだけが長く引き延ばされていく。指の先まで神経を張りつめ、アレンは相手の一挙一動を待った。待つあいだこそが、いちばん体力を食う。それを承知で、蒐集者はわざと間をあけているのだった。


 息を殺す。まばたきひとつしない。


 ――来る。


 その予感と同時、蒐集者が腕を振り下ろした。


 静寂が爆ぜた。宙の栄光がいっせいに牙をむき、数十の剣が轟音とともに降りそそぐ。アレンは地を蹴った。無銘の剣が閃く。一の太刀、二の太刀、降る刃を片端から弾きあげ、火花が雨のように散った。速い。息をつく暇もない。右へ跳び、左へ沈み、降る刃を紙一重でいなす。ひとつ受ければ腕がしびれた。名だたる英雄の力だ。まともに受ければ骨が砕ける。


 だから受けない。流す。刃の腹を滑らせ、力をそらす。泥にまみれた日々で身につけた、生き延びるための剣だった。まばゆい栄光にはない、泥くさい技だ。斬撃の音が連なる。かん、かん、かん。息を詰め、速さのなかでアレンはただ前だけを見ていた。一撃を弾くたびに、腕の芯に鈍い痺れが走る。背に負ったエレノアを揺らさぬよう、着地のたびに膝で衝撃を殺した。守るものを抱えたままの剣は、いつもの倍も重い。それでも、その重さがアレンの足を地に縛りつけ、崩れさせなかった。


 だが、そこでふたたび時が止まった。蒐集者が腕を上げると、舞う武具がぴたりと静止する。しん、と静まり、アレンの荒い息だけが蔵に響いた。額から汗がしたたる。


 この緩急が恐ろしかった。動と静、攻めと間。蒐集者は休みなく攻めるのではなく、ふいに動きを止める。その静寂が、かえって心を削った。次の一撃がいつ来るか読めない。斬りあいのさなかは、むしろ無心でいられる。だがふいに訪れる静けさは、心にすきまをあける。逃げたくならないか。あきらめたくならないか。そのすきまへ、蒐集者のまばゆさがじわりと忍びこんでくる。動で体を削り、静で心を削る。それがこの敵の戦い方だった。剣士としては、いっそ休みなく攻めてくれたほうが楽なくらいだった。攻められているあいだは、迷う暇がない。ただ斬り、ただ流していればいい。だが、この静寂は違う。何もしてこないぶん、こちらの心が勝手に軋みはじめる。


「消耗しているな」


 その声すら静かだった。責めるでもあおるでもなく、ただ事実を告げる。その抑揚のなさが、かえってぞっとさせた。


「そうやって栄光を斬るたびに、おまえの勇姿はまた栄光となる。斬れば斬るほど、おまえはわたしを肥やしている。……この静けさは、おまえに考えさせるための時間だ。あがくことのむなしさをな」


 アレンは答えず、ただ呼吸をととのえた。静のあいだに、乱れた息を整える。相手が間をくれるなら、こちらもそれを使うまでだった。挑発には乗らない。乗れば、そのぶん心を削られる。


 背でエレノアがささやいた。


「アレン様。……あのまばゆさの奥、玉座の真下に渦が見えます。栄光が吸いこまれていく。あそこが核です」


「わかってる。だが、あそこまで、あの静と動をかいくぐってたどり着けるか」


「ひとつ、考えが」


 消え入りそうな、だがあきらめてはいない声だった。この危地でも、彼女はまだ勝ち筋を探していた。細いが、芯のある声だった。かつて聖女とあがめられていたころには、決して持ちえなかった強さだった。名も光も失いかけて、それでもなお、この人は誰かのために頭を巡らせている。


「わたしの光は、もう攻めには使えません。でも……あの人が静に入った、その一瞬だけ、あなたに光をまとわせることはできます。ほんのまたたきですが」


 命を削ることになる。言外の意味は、アレンにも伝わった。もうほとんど残っていない光を、最後のひとまたたきにすべて注ぐ。それは彼女のいのちを、ひとかけら差し出すということだった。


「……無茶をするな」


「あなたが、いつもしてきたことです」


 エレノアは背中ごしに、かすかに笑ったようだった。


「今度はわたしの番です。ほんの一瞬でいい。あなたに届けば、それで」


 静のあいだに力をためて、動の一瞬に放つ。蒐集者の緩急を、逆に利用する。


「……いいな。それだ」


 アレンは口の端を上げた。


「あいつが静に入ったら、俺たちもためる。動に転じたら、その隙を突いて、一気に核まで抜ける」


 危うい賭けだった。読みがひとつでも狂えば、二人とも栄光の刃に刻まれる。エレノアの光もまさに最後のひとしぼり。しくじれば次はない。だが、まともに攻めても勝てぬ相手だ。ならば相手の呼吸そのものを奪う。動と静の狭間、その髪ひとすじの間隙にすべてを賭ける。力比べでは勝てない。ならば呼吸で、間合いで勝つ。泥のなかで生き延びてきた二人の、土くさい戦い方だった。


 ふたたび蒐集者が動いた。栄光の嵐が荒れ狂う。アレンはあえて守りに徹した。動のあいだはただしのぐ。降りそそぐ栄光を受け流し、受け流し、ただ耐えた。攻めれば、また栄光を肥やす。だから、ひたすらしのぐ。


 嵐が極まり、そしてふつり、と途切れた。まばゆさが静止する。しん、と蔵が凪ぐ。汗のひとしずくが床に落ちる音さえ聞こえそうな静けさ。その絶対の静寂のなかで――


 ――今だ。


 エレノアの光が、アレンの剣に宿った。ひとまたたき。だが、まぎれもない白金の輝き。命を削ってしぼり出した、ありったけの想いだった。剣身に沿って走る光は、あたたかかった。斬るための光ではない。走るための、抜けるための、たった一度の光だった。


 二人は凪の狭間を、矢のように駆けた。核へ向かって。風を切り、栄光の残光が左右に流れる。背後で蒐集者が気づき、ふたたび腕を振り上げるのがわかった。動が返ってくる。まばゆい刃が背を追ってくる気配に、うなじの毛が逆立った。だが、もう二人はその間合いの内側に飛びこんでいた。ほんの半拍、蒐集者の呼吸を出し抜いた。その半拍が、生と死を分けた。


 ――このまま、抜ける。二人で。


 静と動のはざまを縫うように、二人は核へと駆け抜けていった。

 「静と動の強弱」を意識して書いた戦闘回です。攻めの動と、心を削る静。その狭間に飛びこむ――力比べではなく、泥くさい呼吸の読みあいで攻略させました。エレノアの最後のひとまたたきが鍵です。

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