第77話 光が消える時
誘惑をはねのけた二人へ、蒐集者の本気。忘却の光が、エレノアの光を、アレンの記憶を奪っていく。
蒐集者のまばゆさが爆ぜた。
これまでの栄光の嵐が児戯に思えるほどの、凄まじい光の奔流が、二人をのみこんだ。アレンはとっさにエレノアを抱きよせ、無銘の剣で防いだ。だが光は剣の刃をすりぬけ、じかに心を焼こうとしてくる。冷たい炎に頭の芯をなぶられるような、たとえようのない痛みだった。
――まずい。
この光は斬るための力ではなかった。忘れさせるための力だ。刃で防げるものではない。浴びれば、自分が何者かもわからなくなる。剣の腕も、積み重ねた誇りも、生きてきた証も、根こそぎ白く漂白されていく。現にアレンの頭から、旅の記憶がぽろぽろとこぼれ落ちはじめていた。どこの村を通ったか。誰と話したか。何のためにこの荒野へ来たのか。端から白く塗りつぶされていく。長く浴びれば、名もなき者を返すという旅の目的すら忘れてしまうだろう。そうなれば、蒐集者の思うつぼだった。
「アレン、様……っ」
腕の中でエレノアがあえいだ。彼女の白金の光が、みるみる細っていく。栄光の墓場ですでにすり減っていた光が、この奔流にあらがえず、かき消えようとしていた。指先から順に色が失せ、まるで灯りをひとつずつ吹き消されていくようだった。
「エレノア。しっかりしろ。俺を見ろ」
「……アレン様。わたし、あなたのこと、わすれそう」
そのひとことが、アレンの背すじを凍らせた。この光は栄光だけでなく、想いすら奪おうとしていた。人を想う心を糧とするエレノアの光を、その根っこから断とうとしている。
「させるかっ」
腹の底から声をしぼり出し、アレンはエレノアをかばって、おのれの背で光を受けた。
全身が焼けるようだった。記憶が剥がれていく。旅の日々も、出会った人々も、薄れていく。だが、アレンはただひとつだけ手放さなかった。不思議なことだった。名も、手柄も、旅の記憶さえ剥がれていくのに、エレノアを想うその気持ちだけはびくともしない。むしろほかが剥がれ落ちるほど、その想いだけがくっきりと残っていく。
人を想う心は栄光ではない。だからこの光でも奪えなかった。忘却の荒野が教えてくれたあの抜け道が、この最後の局面でも二人を救う命綱だった。腕の中のエレノアのぬくもり、それだけは何があっても忘れまいと、アレンは奥歯を噛んだ。
「聞け、エレノア」
彼女の耳もとで、アレンはささやいた。
「お前が俺を忘れても、俺がお前を覚えている。……お前の名はエレノア。泥まみれの俺を拾ってくれた、世界でいちばんあたたかい女だ」
消えかけたエレノアの目に、かすかな光がもどった。ほんのわずかな、けれど確かなともしびだった。名を呼ばれること、ただそれだけが、崩れかけた彼女をこの世につなぎとめた。灰の帝国でもそうだった。番号ではなく名で呼ばれること、それが人を人であらしめる。アレンの声が、エレノアの消えかけた心にひとすじの楔を打った。
「なぜだ」
蒐集者がうめいた。
「なぜその光は消えない。栄光を忘れさせるこの光で、すべての力は餓えて死ぬはず。……なのに、なぜ」
アレンは焼ける背中で笑った。
「言ったろう。こいつの光は、人を想う心から生まれる。栄光を忘れさせても、想いは忘れさせられない。……お前がいちばん、わかってないことだ」
だが、強がりだった。エレノアの光はもはや風前の灯火で、アレンの記憶も半ば焼け落ちていた。このままでは二人とも、ここで忘れられたぬけがらになる。目の前がかすみ、自分の名すら遠のきかけた、まさにその時だった。
アレンの右手が、熱を放った。
万象武具庫。忘れられた者の遺志を宿す力が、主の危機に呼応するようにうなりをあげた。右手から声が聞こえた。
――忘れるな。
ひとつふたつではなかった。地の底から湧くような、無数の声だった。アレンがこれまでの旅で遺志を背負ってきた者たちの声だった。
――お前は俺たちを覚えていてくれた。だから今度は、俺たちがお前を忘れさせない。
その声はふたつ、みっつと重なり、やがて数えきれぬほどにふくれあがった。疾風の小手を遺した者、金剛盾の真の持ち主、禁呪に身を焼いた天才の無念、名を取り戻した灰の帝国の人々。旅の途中でひとつずつ拾い、背負ってきた遺志のすべてが、いま声をそろえて彼を呼んでいた。忘れないでいてくれた恩を、今こそ返すと。盾役ラウルの声も、名もなき討伐者の声も、灰にされた者の声も、みな盾となってアレンを忘却の光から守った。ひとりの人間が背負うにはあまりに重い数だった。だが、その重さこそが、いまアレンを支えていた。忘れられた者たちが、忘れられまいとする男を、逆しまに抱きとめていたのだ。
焼けていた記憶が、ふいにとどまった。剥がれかけた旅の日々が、右手から伝う声にふたたび刻みなおされていく。薄れかけた顔がひとつずつよみがえった。ともに歩いた日々、差し伸べた手、返した剣。忘れかけていたそれらが、背負ってきた者たちの声によって、ひとつ残らず胸に戻ってきた。塗りつぶされていた記憶の地図に、色が戻っていくようだった。
――そうだ。俺はひとりで旅をしてきたんじゃない。
アレンのなかで、折れかけた何かがまっすぐ立ちなおった。
「エレノア。もう少しだ。……俺の背につかまってろ」
背にエレノアの重みを感じ、腕の中には何百年ぶんの遺志があった。ひとりならとうに折れていた。だが、アレンはひとりではなかった。背負うものが多いほど、人は強くなれる。奪いためこむだけの蒐集者には、決してわからぬ道理だった。荷を分かちあうあたたかさは、永遠にその手に入らない。ためこんだ栄光の重みは、あの化け物をひとりぼっちにするだけだった。
アレンはエレノアを背に負い、膝に力をこめた。蒐集者の光はまだ降りそそいでいる。だが、もう心は焼かれなかった。背負ってきた遺志が、その盾になっていた。
――ここで倒れるわけにはいかない。この背に負った無数の遺志を、もう一度忘却の底へ落とすわけにはいかない。
アレンは一歩、踏み出した。忘却の光のなか、核へ向かって。何百年ぶんの忘れられた者を、その背に負ったまま、一歩、また一歩と進んでいく。
だが、エレノアの光はもう、ほとんど残っていなかった。背中に感じる彼女の息は浅く、速い。命の火を削って、かろうじて灯している。そんな危うさだった。
「アレン様……わたし、もう、あまり光を出せません」
消え入るような声だった。
「いい。無理をするな」
前を見すえたまま、アレンは答えた。
「お前は生きていてくれれば、それでいい。光なんかいらない。……お前が俺のとなりにいる。それだけで俺は、何度でも立てる」
背中のぬくもりが、かすかにふるえた。泣いているのだとわかった。まだ戦いは終わっていない。むしろここからが、ほんとうの正念場だった。二人でこの忘却の墓場の奥へたどり着けるか。すべては、そこにかかっていた。
うずまく忘却の光の奥に、玉座の輪郭が透けて見える。その真下に、世界じゅうの栄光を吸いこむ核があるはずだった。あそこまで、たどり着けるか。アレンは血のにじむ唇を引き結び、なお前を見すえた。背に負った命と、腕に抱いた遺志のために、ここで足を止めるわけにはいかなかった。
最大のピンチです。人を想う心だけは奪えない――忘却の荒野で示した「抜け道」が、ここで命綱になります。背負ってきた無数の遺志が、逆にアレンを守る盾になる。孤独に戦ってきたわけではない、という回です。




