第74話 白の蒐集者
栄光の墓場、その玉座に座る白の蒐集者。アレンの、鏡像。奪う者と、背負う者の、対話が始まる。
蔵の扉は、ひとりでに開いた。
二人を待っていたかのように、音もなく、白い壁が左右へ割れた。
中はまばゆかった。天井も壁も見えぬほど広かった。そして、そのすべてに栄光が満ちていた。無数の武具、勲章、冠、旗。……人が命を賭けて成した、その証がうずたかく積み上げられ、にぶい金色に輝いている。
だが、そのまばゆさはどこか冷たかった。持ち主を失った栄光。飾られても、たたえる者のいない手柄。それはただ、積まれた屍のように見えた。
エレノアが、その栄光の山を見て、かなしげに眉をひそめた。
「……泣いています」
「泣いてる」
「ええ。この栄光たちがみんな、……返して、と。持ち主のところへ帰りたいと、声もなく泣いています。飾られることなんて望んでいない。ただ、あの日成し遂げたことを、あの人にもういちど覚えていてほしいだけなんです」
人の心を糧とする彼女には、積まれた栄光の奥にこもった、無数の無念の声が聞こえるのだった。金色に光る勲章のひとつひとつが、かつて誰かの誇りだった。その誇りが、いまはただ冷たい飾りとしてここに眠っている。エレノアは思わず胸を押さえた。声にならない嘆きが、彼女の光を内側から締めつけた。
蔵のいちばん奥に、玉座があった。人の成した栄光を土台に積み上げて造られた、冷たい椅子だった。
そこに、ひとりの人影が座っていた。白い長い衣。顔は見えなかった。まばゆすぎて、光そのものが人のかたちをとっているようだった。
顔がないのに、表情があるようだった。慈悲ぶかいようでいて、誰のことも見ていない。すべてをあがめさせていながら、誰ひとり愛していない。それが、このまばゆさの正体だった。
「――よく来た」
声がした。やわらかく、心地よく、それでいてぞっとするほど空虚な声だった。
「わたしの蔵までたどり着いた者は久しぶりだ。……いや、おまえは特別だな。わたしと同じ力を持っている」
白の蒐集者は、おもむろに立ち上がった。長い衣のすそが、床を離れて宙にたゆたった。
「万象武具庫。……なつかしい力だ」
蒐集者は言った。
「かつてひとりの愚か者が、わたしの力を盗み、ねじ曲げた。奪う力を、返す力に。……以来、何百年、その力はわたしに逆らう者へと受け継がれてきた。だが、そのたびにわたしは勝ってきた」
まばゆい顔の奥で、何かが嗤ったように見えた。
「返しても返しても、人はまた英雄にすがる。名もなき者を忘れる。……人がいるかぎり、わたしは何度でもよみがえる。おまえの努力は無駄だ。この蔵を見ればわかるだろう」
蒐集者は、積み上がった栄光を手で示した。
「ここにあるのは、おまえの先達たちが返しきれなかった栄光だ。みな志半ばで忘れられ、ここへ舞い戻ってきた」
その言葉に、アレンは壁のレリーフをあらためて見た。人の顔のなかにまぎれて、ひときわ古い、すり切れた顔がいくつもあった。剣を握った手のかたちだけが、かろうじてわかる。
――先達。
万象武具庫を受け継いできた者たち。名もなき、はじまりの男から何百年。忘れられた者を返しつづけ、そしてみずからも忘れられていった者たち。彼らもこの蔵に囚われていたのだ。
アレンの胸に、熱いものがこみ上げた。ひとりではない。この戦いは、何百年ぶんの意志の積み重ねのうえにある。名もなきはじまりの男から、名も知らぬ幾多の後継者へ。忘れられた者を忘れまいとした者たちが、みな志半ばで倒れ、それでも右手の力だけは絶やさず次へ渡してきた。その最後の一人が、いま自分なのだ。
アレンは剣を抜いた。
「なるほど。……お前の言うことは、半分正しい」
声に恐れはなかった。にせの英雄を数えきれぬほど剥ぎ取ってきた男だ。まばゆさで人をひれ伏させる、その手口にはもう慣れていた。
「半分」
「人は英雄にすがる。名もなき者を忘れる。……それはたしかに変わらない。だからお前を倒しても、またにせの栄光は生まれるだろう」
アレンはまっすぐ蒐集者を見た。
「だが、それでも俺は返しつづける。忘れられた者を、ひとりでも多く覚えていようとするやつがいるかぎり、……お前の蔵は決して満たされない」
蒐集者の動きが止まった。
「……わからない男だ」
蒐集者の声から、心地よさが消えた。
「なぜおまえは奪わない。その力があれば、おまえこそ世界一の英雄になれる。すべての栄光をおのれのものにできる。……なのに、なぜ他人のためにおのれの命を削る」
その問いには、ほのかなとまどいがにじんでいた。ずっと理解できずにいたことを、ようやく本人にたずねられたかのように。奪う者と返す者。同じ根から分かれた、鏡のように向きあう二つの力。だからこそ蒐集者には、鏡の向こうに立つアレンの心だけが、どうしても映らなかった。
「教えてやろうか」
アレンは答えた。
「俺はかつて、お前と同じ側にいた。栄光を奪われ、泥にまみれ、誰にも名を呼ばれなかった。……あのとき、俺を拾ってくれたやつがいた」
アレンはちらりと、となりのエレノアを見た。
「そいつは俺の栄光なんか見ちゃいなかった。ただ泥まみれの俺を見て、手を伸ばした。……そのとき俺は知ったんだ。ほんとうにほしいものは栄光じゃなかった、と。名を呼んでくれる、たったひとりがいれば、よかったんだ」
その言葉は、蔵じゅうの栄光にも届いたようだった。積まれた勲章がちいさく音をたてた。かつん、と。まるでうなずくように。持ち主のもとへ帰りたいと泣いていた栄光たちが、アレンの言葉に呼応してふるえた。
誉れがほしくて、あの人たちは命を賭けたのではない。ただ、大切な誰かに見ていてほしかった。それだけだった。アレンの言葉は、この蔵のいちばん深いところを突いていた。栄光を積み上げても、その奥にある願いを、蒐集者はついぞ理解していなかったのだ。奪うことしか知らぬ者には、返してほしいという声が、永遠に聞こえない。
蒐集者はしばらく沈黙した。
それからふいに、まばゆさを増した。蔵じゅうの栄光が呼応するように輝きはじめる。
「……つまらん答えだ」
その声はもう、とまどってはいなかった。ただ冷たい敵意だけがあった。
「その女さえいなければ、おまえはわたしと同じになれた。ならば話は早い」
蒐集者のまばゆい腕が、エレノアへと向けられた。
「その女の栄光を、まずもらおう。……当代最強の英雄の誉れ。さぞうまかろう」
アレンはとっさに、エレノアの前へ躍り出た。
だが、アレンにはわかっていた。この蒐集者は、剣で斬っても倒れない。人が英雄にすがり、名もなき者を忘れる、その心があるかぎり、何度でもよみがえる。まばゆい栄光へのあこがれそのものが、こいつの正体だからだ。
斬るべきは、このまばゆい影ではない。この蔵に閉じこめられた栄光を、ぜんぶ持ち主のもとへ返しきる。忘れられた者をひとり残らず思い出させる。……それでしか、蒐集者は飢えて力を失わない。
途方もない戦いだった。だが、やるしかなかった。
白の蒐集者との長い戦いの火蓋が、いま切られた。忘れられた者、すべての遺志を背負って。アレンは剣の柄を握りなおし、まばゆい影をじっと見すえた。
ラスボス登場です。人の弱さのうつし絵である蒐集者に対し、アレンは「忘れまいとする心のうつし絵」。倒して終わりではない、人がいるかぎり両方が生まれ続ける――勝敗を単純にしない構図を狙いました。




