第71話 また、英雄が生まれた
魔王も、灰の帝国も越えて。二人の旅は続きます。行く先々で、また新たな「にせの英雄」が。この繰り返しには、大本があるのではないか――。
灰の帝国をあとにして、二人は東へ東へと旅を続けた。
季節はめぐった。春の野を越え、夏の河を渡り、秋の山をこえた。行く先々で二人は、名もなき者の遺志を拾い、偽りの栄光を剥ぎ取ってきた。
小さな村の小さな不正。名を奪われた職人。橋を架けたのに名を刻まれなかった石工。手柄を横取りされた兵士。そういうささやかな、けれど本人にとってはすべてであった無念を、ひとつずつ晴らしてきた。晴らしたところで礼を望んだことはない。ただ忘れられた者が、たしかにここにいたのだと、それだけを胸に刻んで、また次の町へ足を向けた。旅の道連れであるエレノアも、そのたびに白金の光をひそやかに灯し、名もなき者の無念をやわらげてきた。
だが旅を続けるうちに、アレンはあることに気づきはじめていた。
――どこへ行っても、同じことが起きている。
その町もそうだった。
石畳の広場に人々がひしめいていた。歓声、花びら、楽の音。祭りさながらだった。
その中心に、ひとりの若者が立っていた。まばゆい鎧をまとい、剣を高々とかかげている。人々はその姿に酔いしれていた。英雄だ、我らの英雄が魔物を討ってくれた、と。誰もが口々にその名を呼び、若者はその声を浴びて満足げに胸を反らしていた。
「……また、か」
アレンは低くつぶやいた。
その若者の剣を、アレンの目は見逃さなかった。刃には使い込まれた跡がない。血の匂いもしない。あれで魔物を討ったなど、ありえなかった。
それでも人々には見えないのだ。若者のまとうまばゆさしか。そのまばゆさが真実を塗りつぶす。強く、美しく、勝ち誇った者の姿だけが栄光と呼ばれ、実際に血を流した者は日陰へと追いやられる。
旅のはじめからアレンが剥ぎ取ってきた偽りとは、いつもこのまばゆさだった。何度剥いでも、また別の町で同じまばゆさが人を欺く。その繰り返しに、アレンはいつからか、ただの憤りとは違う、もっと底の冷えたものを感じるようになっていた。
二人は人ごみをかきわけ、町の裏手へまわった。
路地の隅に、ひとりの男がうずくまっていた。年老いた、傷だらけの狩人だった。右腕は半ば失われている。だがその目には、まだ獣を追う者の鋭さが残っていた。
「あんたが魔物を討ったのか」
アレンが問うと、老狩人は力なく笑った。
「……わかるのかい、旅の人。そうさ。あの化け物を仕留めたのは、このおれだ。腕一本と引き換えにな」
だが町の人々は、それを知らなかった。魔物が倒れたその後、どこからともなくあの若者が現れた。そして自分が討ったと名乗りをあげた。証拠もないのに人々は信じた。うつくしく強そうな若者の言葉を、傷だらけの老人の真実よりも。
人は信じたいものを信じる。傷ついた老人が腕を失ってまで魔物を討った、そんな泥くさい真実よりも、うつくしい若者が颯爽と現れて救った、そういう物語のほうを、人はずっと好むのだ。
だからこそ、にせの栄光はいつの世も絶えなかった。まばゆい嘘を、人々がみずから求めてしまうから。
「いつものことさ」
老狩人は吐き捨てた。
「英雄ってのは、強い者がなるんじゃない。……そう見える者がなるのさ。おれみたいな汚れたじいさんは、どれだけ命を賭けたって、英雄にはなれやしない」
アレンは黙ってそれを聞いていた。腹の底が焼けるようだった。この痛みには覚えがある。かつてアレン自身が味わった、栄光を奪われ、泥にまみれたあの日々の痛みだった。
アレンは老狩人の傍らに膝をついた。そして、その失われた右腕の付け根に、そっと手を添えた。
「あんたの手柄は、俺が覚えておく。……あの化け物を討ったのは、まばゆい若者じゃない。腕一本を賭けた、あんただ」
老狩人の目が見開かれた。それからくしゃりとゆがんだ。
「……そんなこと言ってくれたやつは、あんたがはじめてだ」
たったそれだけの言葉で、老人の頬を涙が伝った。人は栄光がほしいのではない。ただ、自分のしたことを誰かに見ていてほしいのだ。その、あまりにささやかな願いさえ、この世は容易に踏みにじる。エレノアはその傍らで、ことばもなく白金の光を老人の肩へと注いだ。乾いた心に、ひとしずくの温もりが染みるように。
だが今回、アレンが感じたのは怒りだけではなかった。
――おかしい。
旅のあいだ、同じことがあまりにも多すぎた。行く先々でにせの英雄が生まれ、本物が忘れられていく。誰かが世界じゅうで、同じたねをまいているとしか思えなかった。
「エレノア」
アレンはとなりの彼女を見た。
「お前はどう思う。……これは、ただの偶然か」
エレノアも眉をひそめていた。
「いいえ。わたしもずっと感じていました。……にせの英雄が生まれる、その場所には、きまっておなじ気配があるんです。ほのかな、でもぞっとするような、人の栄光を啜るような気配が」
彼女の白金の光が、わずかに揺れた。何かを恐れるように。エレノアの光は人の心を糧とする。だからこそ彼女には、ふつうの者には見えぬものが見えた。
「にせの英雄が栄光を名乗った、そのすぐあとに、……本物の手柄の記憶が、すうっと薄れていくんです。誰かが、それを啜っているみたいに」
彼女は自分の腕を抱いた。悪寒でもこらえるように。
「わたしの光の逆です。わたしは人を想う心から光をいただく。……あの気配は、人の栄光を、誉れを吸って生きている。まるで、わたしの影のような」
その夜、二人は町はずれの宿で地図を広げた。
これまで旅してきた道のり。にせの英雄が生まれた町を、ひとつずつ印をつけていく。ろうそくの火が、羊皮紙のうえで細かく揺れた。
すると、その印がある一点を中心に、円を描くように並んでいることに気づいた。地図のずっと奥、誰も近づかぬという忘れられた白い荒野。そこだけがぽっかりと空白になっていた。
「……ここだ」
アレンはその空白を指でさした。
「にせの栄光が生まれる大本。すべての糸が、ここから伸びている」
偽りの栄光をひとつずつ剥ぎ取る旅。その旅がついに、いちばん大きな根へと向かおうとしていた。
――名もなき者の無念を、生み続ける源へ。
アレンは地図の空白をじっと見つめた。長い旅の最後の行き先が、そこに待っている。そんな予感があった。
「アレン様。いつもと少し違いますね」
エレノアが地図をのぞきこむ。
「これまでは、目の前にいる誰かの不正を晴らす旅でした。でもこれは、偽りの栄光そのものが生まれる場所へ向かう旅です」
「ああ」
アレンはうなずいた。
「これまで剥ぎ取ってきたのは枝葉だ。今度は根を断ちにいく。名もなき者が忘れられ続ける、その大本を」
窓の外では、偽りの英雄をたたえる歓声がまだ続いていた。そのまばゆい嘘の裏で、腕を失った老人が一人、暗い路地で泣いている。
この繰り返しを終わらせる。命を賭けた者が日陰で泣くしかない世を、ここで終わりにする。何百という名もなき者の無念が、いま一本の糸となって、あの白い空白へと手繰り寄せられていく。その糸の先に何が待つのか、アレンにはまだ知る由もなかった。
二人の旅は、最後の、そしていちばん大きな目的地へ舵を切った。
最終部、第四部の幕開けです。これまで一つ一つの不正を晴らしてきた二人が、いよいよ「偽りの栄光が生まれる、その根源」へ向かいます。腕を失った老狩人に、旅の原点を重ねました。




