第7話 取り戻した脚
第7話。ついに、奪還です。
四年ぶりに、アレンの脚が動く。この物語で、いちばん書きたかった瞬間のひとつでした。
指先から、懐かしい熱が、腕を伝って流れこんできた。
――――【概念強奪 完了】――――
【名称】疾風の小手
【来歴】勇者アレンの脚。奪われ、汚され、それでも主を待ちつづけた風。
【状態】偽りの主から奪還。真の主のもとへ帰還。
【収蔵効果】極限の加速を再獲得。四肢の腱、部分修復。
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銀の小手が光の粒となって、アレンの右腕へ吸いこまれた。そして、腕に確かな重みとともに、装着される。四年前と同じ場所に。
同時に、体の奥で、なにかがつながる音がした。
切れていた腱が、細い光の糸で縫い合わされていく。すべてではない。まだ、走りつづければ痛むだろう。だが、確かに脚に力がもどってくる。奪われた日から凍りついていた感覚が、指先の熱に押されて、少しずつ息を吹き返していく。
嵐が、やんだ。
主を失った風は、行き場をなくし、モルガン侯爵へと逆流した。
「ひ……ぎゃああああっ!」
断末魔の悲鳴。神域の力を器なき身に留めた代償を、侯爵はその全身で支払った。両の脚が風の刃に切り刻まれ、力を失う。かつて、彼がアレンにしたのと同じように。
脂ぎった巨体が、どさりと床へ崩れ落ちた。もう二度と、他人のものを奪う脚では立てないだろう。
因果はめぐる。奪った者は、いつか同じだけ奪われる。
金貨も爵位も、あれほど誇った宝の指輪も、崩れ落ちた侯爵を助けはしなかった。虚飾で築いた栄光は、風がひと吹きすれば、こうも脆く散る。残ったのは、他人から奪った罪の重さだけ。
これが、この国の理だ。英雄信仰という虚飾に狂い、光ばかりを追いかける国の、いちばん底で、偽物は誰にも惜しまれず、静かに朽ちていく。
アレンは崩れ落ちた侯爵を一瞥もしなかった。もう、興味はない。奪い返すものは、奪い返した。それで済んだ話だ。
静まりかえった広間で、アレンは片脚へ体重を移した。
右の脚。ずっと、引きずるしかなかった脚。それが、がくがくと笑いながらも、彼の意思に応えた。
一歩。
膝が笑う。それでも、崩れない。四年ぶりに、彼は誰の支えも借りず、自分の脚で、まっすぐに立った。
もう一歩。今度は、地を蹴る。体がふわりと前へ進む。風が、頬を撫でた。
脳裏に、遠い日の記憶がよぎった。まだ勇者と呼ばれていたころ。この小手をつけて、戦場を風のように駆けた。仲間の背をかばい、魔物の群れを抜け、誰よりも速く前線へ躍り出た。あのころの自分が、少しだけ帰ってきた気がした。
――走れる。
喉の奥から、熱いものがこみあげてきた。泣くまい、と決めていたはずなのに。四年間、ずっと、奪われたものを数えて生きてきた。今日、初めて取り返した。たった一つ。けれど、確かに一つ。
「……ああ。まだ、動くじゃないか。俺の脚は」
声が掠れた。握りしめた拳の甲に、青い筋が浮いていた。喜びなのか、悔しさなのか、それとも、その両方なのか。自分でも分からない。
四年。長い、長い、四年だった。その歳月が、たった一歩の重みに、すべて詰まっていた。
「アレン様……!」
声のしたほうを見ると、エレノアが壁に手をつき、よろめきながらこちらへ来ようとしていた。聖光を使い果たし、まだ立つのもやっとの体で。それでも、じっとしていられないのだ。
アレンは思わず自分から駆け寄った。取り戻したばかりの脚で。倒れかける彼女を、ぎりぎりで抱きとめる。
腕のなかで、エレノアは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「よかった……本当に、よかった……っ。あなたが、また立てた……走れた……」
自分のことのように、いや、自分のこと以上に泣きじゃくっている。細い腕が、離すまいとアレンの背に回される。小刻みに波打つ背中が、彼女がどれだけ泣いているかを、直に伝えてきた。
アレンは一瞬戸惑った。だが、その腕を振りほどけなかった。
この女は、俺が失ったものを、俺以上に覚えていてくれた。俺が流せなかった涙を、代わりに流してくれている。
ぎこちなく、けれどためらいを振り切って、アレンは彼女の背へ手を回した。確かに、そこへ置いた。
白金の髪から、花のような香りがした。腕のなかの体は、思いのほか細く、頼りなかった。この細い体で、たった一人、四年も彼を探しつづけたのか。
エレノアが顔をあげた。涙に濡れた瞳が、すぐ近くにある。潤んだ唇が、たどたどしく言葉をつむいだ。
「もう、どこにも行かせません。……あなたを泥に沈める世界からも、あなた自身の諦めからも。私が、ぜんぶ守ります」
その距離は、あと少しで唇が触れそうなほど近い。
アレンは思わず目をそらした。心臓が、痛いほど鳴っている。
「……先に、傷の手当てだ。おまえの好きな、あれだろう」
「まあ」
エレノアが、涙の残る顔でくすりと笑った。そして指を伸ばし、アレンの頬に走った切り傷を、いたわるように、ひと撫でしてぬぐった。
「はい。毎日でも。……一生、させてくださいね」
「……見ていたか。俺が、走るところ」
「はい。見ました。世界でいちばん、かっこよかったです」
涙まじりの、それでも満面の笑み。アレンはその顔を見て、ふっと力が抜けるように笑った。四年ぶりの、心からの笑みだった。
二人を包む沈黙は、もう凍えてはいない。
逃げ遅れた客たちが、遠巻きに二人を見ていた。
泥に堕ちたはずの元勇者。それが、神域の暴走を鎮め、失われた脚を取り戻し、白金の英雄と抱き合っている。
この夜のことは、明日には王都じゅうの噂になるだろう。落ちぶれた勇者が、まだ終わっていないという噂が。
そのとき、逃げ遅れた老いた商人が、上ずった声でつぶやいた。
「あの右手……その戦い方……あんた、もしや、本物の……勇者様、なのか……?」
問いに、アレンは答えなかった。ただ、老人を見返す。それだけだ。
だが、その沈黙は、どんな肯定よりも雄弁だった。老人の目に、涙がにじむ。何人かの客が、その場に膝を折った。誰に強いられたわけでもなく。偽りの英雄には決して向けられなかった、本物の敬意が、そこにあった。
名声などいらない。だが、この一夜、たしかに幾人かの民の心に、忘れられていた勇者の名がよみがえった。
そして――先に逃げた黒仮面の男は、いまごろ王宮で、あの男に報せているはずだ。
偽りの栄光を戴く、王太子ギルバートに。
アレンは腕のなかのエレノアを離した。まだ、道の途中だ。奪われたものは、これでまだ一つ。残りは、四つ。
崩れ落ちたモルガンへ、アレンは一度だけ冷えた目を向けた。
「次はボルドだ。……あいつは、脚どころじゃ済まさん。この盾で、同じ痛みをそっくり返してやる」
その声の、あまりの温度のなさに、エレノアはふと、言葉に詰まった。
「……アレン様」
喜びに緩んでいた頬が、こわばる。
「あの、私。……あなたが取り返すのを、止めはしません。手伝います、どこまでも。でも」
彼女は、うつむいて絞りだすように言った。
「敵を見るあなたの目が、時々、ひどく遠くなる。奪い返すたびに、あなた自身が少しずつ、あの人たちと同じ冷たいものに近づいていく気がして……それだけが、こわいのです」
初めての異論だった。彼を全肯定してきた女の、遠慮がちな、けれど本気の怯え。
アレンは虚をつかれた。何か言い返そうとして、できなかった。図星だったからだ。復讐は確かに、少しずつ自分を削っている。
「……善処する、とは言えん。だが、覚えておく。おまえがそう言ったことは」
精一杯の、それが答えだった。エレノアは小さくうなずいた。安心とは違う。ただ、言えたことにほっとしたような顔で。
「帰りましょう。……その前に、ひとつだけ」
エレノアは、アレンの右腕に――取り戻したばかりの、疾風の小手に唇を寄せた。祝福するように。
「おかえりなさい。あなたの脚。あなたの誇り。……そして、あなた自身」
その仕草に、アレンは返す言葉を失った。ただ、耳の裏がじわりと熱くなって、それを隠すように、そっぽを向いた。
「……帰ろう。二人で」
「はい。どこまでもお供します。――私の、たった一人の英雄様」
二人は、崩れた地下の広間を、肩を並べてあとにした。
偽りを剥ぎ取る旅は、ようやく、本当の一歩を踏み出した。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
「まだ、動くじゃないか。俺の脚は」。この一歩に、四年の重みを、すべて込めたつもりです。
自分のこと以上に泣いてくれるエレノア。取り戻した小手に唇を寄せて「おかえりなさい」と言う彼女。二人の距離が、一段、縮まりました。次回、余韻の日々と、次の標的の影が見えてきます。




