第6話 風を裂く
第6話。二人の、初めての共闘です。
攻めるアレン、守るエレノア。奪った刃と、与えられた光。噛み合う二人の戦い方を、見てもらえたら。
風が、牙をむいた。
暴走した疾風の小手が撒き散らす斬撃は、目には見えない。だが床の石を削り、柱を裂き、灯りを吹き消していく。まともに立っていられる者は、もういなかった。
その嵐のただ中を、アレンは一歩ずつ進んだ。
最初の風の刃が真横から襲いかかる。アレンは右手をかざした。
「――出ろ」
掌の先で光が凝る。収蔵していた武具のひとつ、錆びた大盾が実体をともなって現れた。かつて名もない歩兵が背負っていた、ただの鉄盾だ。
風の刃が盾に弾かれ、火花を散らす。甲高い金属音が幾重にも重なった。
腕に、確かな手応え。動かぬはずの右腕が、収蔵武具の力を借りて盾を握りしめている。ぎこちなくとも、こわばっていても、その手はいま確かに武器を執っていた。
これが万象武具庫の解放だ。奪い、蓄えた武具を意のままに呼び出す。塵ほどの力でも、束ねれば神域の暴走にも抗える。
「一枚では、足りんな」
二枚、三枚。アレンの周りに鉄の盾が次々と展開していく。風の檻に、鉄の檻で応じる。斬撃が盾にぶつかるたび、ひとつ、またひとつと砕けていく。だが砕けてもいい。まだ六十を超える数がある。
これこそが蒐集の意味だった。一つひとつは取るに足らぬ雑兵の得物。だが数がある。無限に近い盾の海がある。神域の武装とて、無尽蔵の壁を削りきることはできない。
消耗戦になれば、アレンが勝つ。奪えば奪うほど彼は強くなる。それが万象武具庫という力の恐ろしさだった。
「アレン様! 右です!」
背後から、エレノアの声が飛んだ。
見えざる大風が盾の隙をぬって、アレンの死角へ回りこんでいた。避けきれない。
その瞬間、白銀の光が横から差しこんだ。
エレノアの聖光が風の刃を受け止め、押し返す。逃げる客をかばいながら、彼女は同時にアレンの死角までも守っていた。
「二人でなら、防げます。あなたが攻め、私が守る。……そういう約束、でしょう」
面紗はいつのまにか外れ、白金の髪が風になびいている。もう正体を隠す余裕などなかった。だがその顔は恐怖ではなく、静かな喜びに満ちていた。
彼の隣で、彼のために剣を執れる。それがこの女にとっては何よりの誉れなのだ。
「……ああ。守れ。俺は、前だけ見る」
二人の呼吸がそろった。攻めと守り。光と、蒐集された無数の刃。奇妙な、けれど不思議と噛み合う、二人だけの戦い方。
「エレノア。光を、俺の盾に通せるか」
「……やってみます。あなたの力を、信じて」
エレノアの聖光が、アレンの展開した鉄盾へ糸のように流れこんだ。錆びた雑兵の盾が白銀に輝きだす。ただの鉄が、聖なる守りへと生まれ変わる。
風の刃が光る盾に触れた瞬間、弾かれるのではなく浄化されて消えた。
アレンは目を細めた。彼の武具に、彼女の光が宿る。奪われたものと、与えられるもの。二つが混じり合って、新しい力になる。
「悪くない。……いや、上出来だ」
褒められて、エレノアの頬がぱっと赤く染まった。戦のさなかだというのに、この女はうれしそうに笑っている。
だが、連携の優勢は長く続かなかった。
聖光を注ぎ続けたエレノアの顔から、みるみる血の気が引いていく。命を削る力だ。屋敷で見た、あの脂汗がまた滲む。
「エレノア、退け! もう――」
言い終える前に、彼女の体が糸の切れた人形のように傾いだ。膝が折れ、片手を地についてしまう。もう、立てない。守りの光が消える。
その瞬間を、暴走した風は見逃さなかった。
安全網を失ったアレンの背へ、幾条もの斬撃が回りこむ。とっさに盾を呼ぶ。だが――呼び出した一枚がぐにゃりと歪み、実体を結ぶ前に砕けた。
(濁ってやがる……この武具、来歴を雑に扱ったか)
持ち主の無念を汲まず、数あわせに収めた一本。その刃は、いざというとき主に牙をむいた。力は、都合よくは使えない。
守りの一枚を欠いた背に、風の刃が深く食いこんだ。
「ぐ……っ」
鮮血が飛ぶ。膝が地に落ちた。かすむ視界の端で、地を這うエレノアが悲鳴のように名を呼んでいる。
――ここまでか。
一瞬、そんな考えが頭をよぎった。四年前と同じ。誰も助けに来ない。血を流し、泥に沈む。あの日の焼き直し。
いや。
アレンは奥歯を噛んだ。あの日と、ひとつだけ違う。這ってでもこちらへ来ようとする女がいる。倒れてなお、俺を守ろうと、ふるえる手を伸ばす者がいる。
――ここで倒れたら、あいつまで風に呑まれる。
その一念だけが、萎えかけた脚にもう一度火を点けた。
広間の隅で、黒仮面の男がじりと後ずさった。
「馬鹿な……あの右手。あの戦い方。まさか、本物の……」
男は正体を悟ったらしい。だが、この暴走に割って入る度胸はなかった。仲間を引き連れ、混乱にまぎれて地下から逃げ去っていく。王家へ、何を報せるつもりか。
だが、いまのアレンにはどうでもよかった。目の前の、奪い返すべきものだけがすべてだった。
嵐の中心。侯爵の体が風にあおられ、宙で跳ねている。
「ぐ、ぎゃあああ……! 止まれ、止まってくれえ……!」
モルガンは、もはや泣き叫ぶ肉塊だった。神域の力に喰われ、意思を失いかけている。哀れではある。だが同情は湧かない。この男は奪う側にいた。奪われる痛みを知ろうともしなかった。
「儂は、侯爵だぞ……金も、地位も、ぜんぶこの手にしたのだ……なのに、なぜ……!」
なぜ、力が言うことを聞かない。侯爵の目は、そう訴えていた。
アレンは、盾の陰から冷ややかに男を見た。
「地位は買える。武具も買える。だが、その刃が背負った覚悟までは、金では買えん。……偽物が、本物の重さに潰されるだけの話だ」
言葉は風に呑まれ、侯爵には届かなかった。それでいい。分からせるためではない。ただ、事実だった。虚飾はいつか必ず、その虚しさぶんの代償を払う。
アレンは血を流しながらも、よろよろと距離を詰めた。あと、十歩。あと、五歩。
中心へ近づくほど、風は狂暴になった。盾がまとめて何枚も砕ける。破片が頬をかすめ、礼装が裂けていく。並の者ならとうに肉片にされていた斬撃の密度だ。もう、守ってくれる光はない。倒れたエレノアを庇う余力も、自分の身を守る盾も、じきに尽きる。
やはりこうなるのか、と思った。四年前も、いちばん危ない場所にはいつも自分一人だった。差し出される助けには限りがある。結局、最後はこの体ひとつでねじ伏せるしかない。
だが、それでいい。むしろそのほうが性に合っている。
「――貸せ。おまえの誇り、少しだけ借りるぞ」
アレンは、蓄えたなかでいちばん来歴の澄んだ一枚を正面に呼び出した。持ち主の矜持を、まっすぐ汲んで。濁りのない鉄は期待に応え、堅く実体を保つ。願いを継げば力は応える。捨て駒にすれば牙をむく。それが、この力の理だった。
その一枚を頭上に、風の刃を斜めに受け流しながら最後の距離を詰めていく。
「アレン、様……いって、ください……」
地に伏したエレノアが、掠れた声でそれだけ言った。もう、聖光を練る力も残っていない。ただ、消え入りそうな声で彼を送り出す。
守ってやれない。それでも信じて待つ。倒れてなお、彼女にできるたった一つのこと。
その声が、どんな聖なる光よりもアレンの背を押した。
「――ああ。見ていろ」
もつれる脚で。切れた腱の痛みを、収蔵武具の力でねじ伏せて。無様でも、遅くても、前へ。かつて疾風の小手が与えてくれた風のような疾走には、遠く及ばない。それでもこの一歩は、まぎれもなく彼自身の脚が血まみれで踏み出したものだった。
伸ばした指先が、ついに銀の小手を捉える。
風の唸りが、びたりと止んだ。
嵐の中心で、泥をくぐった元勇者の手が、暴走する神域武装の上へ重なっていた。
「取り返す。四年ぶりだな。……ただいま」
銀の小手が、応えるように淡く輝いた。長い迷子から帰ってきた仔犬のように。
視界に、懐かしい文字が浮かびあがった。
奪還は、いま、成し遂げられようとしていた。
ありがとうございます。
「これは、俺のけじめだ」――最後の数歩だけは、誰の助けも借りず、自分の脚で。屈しなかった男の、譲れない誇りを込めました。
エレノアが命がけで開いた、ただ一歩ぶんの光の道。そこを、アレンが駆けます。次回、いよいよ奪還。四年ぶりの、あの感覚が戻ります。




