第5話 競りと横暴
第5話。競りの駆け引きと、そして――暴走。
金貨を惜しみなく積むエレノアの想いと、力の使い方を知らぬ愚かな侯爵の末路を書きました。
いよいよ、疾風の小手が競りに出る。四年前、アレンの脚とともに奪われた、あの相棒が。
競り台の灯りが、銀の小手をいっそう妖しく輝かせた。
「開始値、金貨五百枚。さあ、いかがでございましょう」
競り人の声に、広間がどよめく。仮面の貴族たちが、次々と札をあげた。値は、みるみるつり上がっていく。
エレノアの代理人が、音もなく札をあげた。
「千枚」
どよめきが、大きくなる。田舎貴族の妻に見えた女が、いきなり法外な値をつけたのだ。周囲の視線が、ちらちらと二人に集まる。
「目立ちすぎだ」
アレンが小声でたしなめる。エレノアは、面紗の下でいたずらっぽく笑った。
「いいのです。あなたのものを取り返すためなら、この屋敷を売ってでも」
その気迫は本物だった。金貨千枚は、家がいくつも建つ額だ。それを、迷いもなく積む。彼女にとって、アレンの脚のほうがはるかに重いのだ。
アレンは、返す言葉を持たなかった。
金など、いくらでも積めばいい。エレノアは、そういう顔をしていた。だがアレンには分かる。この女が差し出しているのは金ではない。四年、たった一人で貯めこんできた想いのすべてだ。
「……もう、やめておけ。俺のために、そこまで」
「いいえ」
面紗の奥で、瞳が強く光った。
「これは私のためです。あなたのものを、あなたに返す。それが、私の四年間のたったひとつの願いでしたから」
その声に、アレンの胸がじんと疼いた。
だが、思わぬ相手が競りに割って入った。
「千五百枚」
広間の隅。黒い仮面の男が、おもむろに札をあげていた。連れの男たちも、堅気ではない。整いすぎた所作。あれは、金で雇われた者の動きではなかった。
エレノアの表情が、すっと引き締まった。
「……王家の手の者です」
声を、極限まで落としてささやく。
「おそらく、王太子ギルバートの差し金。勇者の遺物が私たちの手に渡るのを、防ぎに来たのでしょう。あの品に、まだ利用価値があると踏んでいる」
アレンの目が、細くなった。奪った当人たちが、いまさら惜しくなったか。虚飾の英雄どもは、どこまでも他人のものを手放せない。
黒仮面の男の視線が、ふとアレンの右手に留まった。腱の切れた、動かぬ手。男の目が、わずかに見開かれる。何かに気づきかけている。
アレンは、さりげなく手を袖に隠した。まだだ。ここで正体が知れれば、この場が墓場になる。
「二千枚」
エレノアの代理人が、迷わず被せる。黒仮面の男が、二千五百枚を返す。値は、もはや常軌を逸していた。
広間の空気が、ひりついていく。誰もが、この異様な競り合いの意味を測りかねていた。田舎貴族を装った女と、素性を隠した黒仮面。ただの腕輪ひとつに、なぜこれほどの金貨が飛ぶのか。
「三千枚」
エレノアは、ついに札を出す手を、自ら握った。もう、代理人を介する余裕もない。こわばった指を、アレンが下から支えた。
「落ち着け。金額じゃない。取り返すのは、俺の役目だ」
二人の視線が、ひととき、からむ。面紗ごしにも、彼女の目がうるんでいるのが分かった。
そのとき、階段の上で、脂ぎった声が響いた。
「――やめだ、やめだ! 競りは中止する!」
モルガン侯爵だった。でっぷりと肥えた体を金糸の礼服で包み、脂ぎった指という指に宝石をはめている。真っ赤な顔で、手をふりまわしていた。ひと目でわかる、成り上がりの見栄である。
「考え直したわ。こんな由緒ある品を、どこの馬の骨とも知れぬ田舎者や、素性を隠した鼠にくれてやれるものか。これは、この儂の権威の象徴。手放さん!」
広間が、しんと静まった。競り人が、困り果てた顔で立ち尽くす。
黒仮面の男が、侯爵を睨む。だが侯爵は、酒に酔った気の大きさで、それにも気づかない。
「見よ、諸君! 勇者の力とやらを、この儂が使ってやろう。落ちぶれた勇者に代わって、なあ!」
侯爵は、右腕の小手を高々と掲げた。
アレンの背に、冷たいものが走った。
――まずい。あの男は、疾風の小手の本当の使い方を知らない。
小手が、青白い光を放ちはじめた。侯爵の魔力を、暴走的に吸い上げていく。風の紋様が、不吉に脈打つ。
「な、なんだ……? 勝手に、光りおって……!」
侯爵の顔から、酔いが引いた。恐怖に変わる。だが、もう遅い。
神域武装は、器を選ぶ。正しい主でなければ、その力は持ち主自身を喰らう。
次の瞬間、小手が、爆発的な突風を撒き散らした。
風は、刃だった。目に見えぬ無数の斬撃が四方へ走る。燭台がなぎ倒され、火の粉が舞う。ガラスの棚が砕け散り、飾られた宝と武具が床に散乱した。仮面の貴族たちが、悲鳴をあげて逃げ惑う。優雅だった広間が、一瞬で阿鼻叫喚の巷と化した。
侯爵の体が、風に浮いた。あやつり人形のように、手足が跳ねる。小手が主を乗っ取り、ただ壊すためだけの嵐に変えていく。
「た、たすけ……儂は、儂はただ、見せびらかしたかっただけで……!」
哀れな悲鳴も、風の唸りに掻き消された。虚飾を求めた男の末路。奪った力は、いつか必ず、奪った者を喰らう。
「きゃっ……!」
近くにいた女が、突風に吹き飛ばされる。エレノアがとっさに身を投げ出し、その女をかばった。聖光の障壁を張り、周囲の客を守っていく。
「アレン様! ここは私が!」
白銀の光の障壁が、扇のように広がる。吹き飛ばされかけた老いた商人も、腰を抜かした給仕の娘も、その光がまとめて抱きとめた。
民を守るのが、英雄の役目。たとえ素性を隠したこの場でも、彼女はためらわなかった。悪辣な連中の巣であっても、罪なき者を風の刃に散らせはしない。
アレンは、その姿を一瞬だけ見つめた。
崇めることを求めず、崇められることに酔いもしない。ただ、目の前の一人を身を挺して守る。――これが本物の英雄か。世界が忘れた、本物の。
胸が熱くなった。この女のためにも、無様な戦いはできない。
アレンは、砕けた棚の陰から、暴走する侯爵を見据えた。
小手は、いまや完全に暴走している。侯爵はそれに引きずられ、意思なき破壊の風となりつつあった。周囲を巻きこみ、やがては会場ごと崩落しかねない。
「……ちょうどいい」
アレンは立ちあがった。礼装の袖を、無造作にまくる。腱の切れた右手が、こまかくふるえた。だが、その奥で、六十を超える収蔵武具が、いっせいに目を覚ます。
――――【万象武具庫・同調 起動】――――
【収蔵数】六十四点。塵のごとき刃の、その総和。
【状態】全収蔵武具、身体へ還流。
【効果】筋力・敏捷・耐久、飛躍的に上昇。動かぬ右腕に、仮初めの膂力。
――――――――――――――――
集めた塵が、力になる。名もない兵士たちの遺志が、いま、アレンの背を押していた。
「返してもらうぞ、モルガン侯爵。それは、俺のものだ」
混乱の広間を、一歩、また一歩。泥をくぐった元勇者が、まっすぐに、暴走する神域武装へと歩いていく。
背後で、エレノアが息をのむ気配がした。心配と、それを上回る信頼の混じった吐息。
「――行ってらっしゃいませ、我が英雄様。あなたの帰りを、ここで待っています」
その声を背に受け、アレンは口の端をわずかに上げた。待っていてくれる者がいる。それだけで、脚の芯に力がこもる。
だが、暴走する小手は待ってはくれなかった。
銀の光が、ひときわ強く弾ける。制御を失った神域武装が、狙いを定めたように、宙を裂いて放たれた。――向かう先は、逃げ遅れた給仕の少女。
悲鳴。誰も動けない。
アレンは、地を蹴っていた。回復しきらない脚が悲鳴をあげる。それでも、間に合わせる。少女と銀の刃のあいだへ、泥をくぐった体を割りこませる。
奪還のはずだった。だが最初の一撃は、奪うためではなく、名もなき誰かを庇うために振るわれた。
――それでいい。アレンは、そう思った。
迫る銀の光を見据え、動かぬはずの右腕を、ゆっくりと持ち上げる。集めた塵よ、力になれ。奪還の刻が、いま、思いがけないかたちで幕を開けた。
読んでくださって、ありがとうございます。
「これは、私のためです」と競り札を握るエレノア。彼女が差し出しているのは金ではなく、四年間の想いそのものだと、伝わればうれしいです。
民をかばう彼女の姿に、アレンが「本物の英雄か」と胸を熱くする。次回、二人の連携で、暴走を止めにいきます。




