第4話 蛇の地下
第4話。闇のせり市への、潜入です。
田舎貴族の夫婦を装う二人。緊張と、少しの甘さと。奪われた【疾風の小手】が、いよいよ目の前に現れます。
奪われた脚を、取り返す夜が来た。
三日は、あっという間に過ぎた。
せり市の夜。アレンは、仕立てのよい黒の礼装に身を包んでいた。
髭を落とし、伸びた黒髪を後ろへ撫でつけると、鏡の中の男は別人のようだった。泥に隠れていた素顔があらわになる。頬はまだこけているが、こうして見れば存外に若い。切れ長の黒い瞳は、酒で濁っていたあの夜とは違い、いまはひやりと澄んで、獲物を見据える刃の色をしていた。かつて勇者と呼ばれた面差しが、三日の休息とひとりの女の献身とで、わずかに輪郭を取り戻していた。
鏡に映る自分は、もう泥さらいの男には見えない。だが、着飾った袖の内側には、いつでも力を放てるだけの覚悟を隠している。
支度を終えたエレノアが、部屋に入ってきた。アレンは思わず息をのんだ。
深紅の夜会服。白金の髪は結いあげ、目もとを薄い面紗で隠している。それでも、匂い立つ美しさは隠しきれるものではなかった。
「……どうでしょう。田舎貴族の、妻に見えますか」
「見えない。どこの誰より目立つ」
「まあ。それは、困りましたね」
言いながら、エレノアはうれしそうだった。アレンの腕に、自分の腕をするりとからめる。
「今夜だけは、堂々とあなたの隣を歩けます。……夢みたい」
腕にふれる、やわらかな重み。アレンは何も言えず、ただ、その手を振りほどかなかった。
貴族街の外れ。古い聖堂の地下へ、細い階段が続いていた。
黒い外套の門番が、招待状の蛇の紋章をあらためる。鋭い目が、二人を値踏みするように舐めた。
「ご新規の方か。……武具の持ちこみは、ご遠慮願います」
「ええ、丸腰ですよ」
アレンは両手を軽く広げてみせた。嘘ではない。彼の武器は、すべて体の内にある。門番は納得したように脇へどいた。二人は、田舎から出てきたばかりの若い夫婦を装って、奥へ進んだ。
地下の広間は、別世界だった。
きらびやかな燭台、仮面の貴族たち、運ばれてくる酒と、女たちの笑い声。壁ぎわにはガラスの棚がずらりと並び、後ろ暗い品が飾られている。
盗まれた宝冠、曰くつきの宝石。そして、持ち主から奪われた無数の武具。
アレンの目が、すっと細くなった。
この場にある品のなんと多くが、誰かの血と涙の上に立っていることか。虚飾で塗りかためた者たちが、他人の人生を酒の肴にしている。
「……最低の場所だな」
「はい。ですから、遠慮は要りません」
エレノアが、面紗の下で微笑む。
そのとき、仮面の男が一人、するりと近づいてきた。酒の匂いをさせ、無遠慮にエレノアの顔をのぞきこむ。
「これはこれは。田舎にはもったいない花だ。……どこかでお会いしませんでしたかな。その髪の色、その気配」
エレノアの肩が、わずかに強ばった。面紗一枚では、勘のいい者はごまかせない。
アレンは迷わず、彼女の腰を抱き寄せた。妻を見せびらかす若い夫のように。
「私の妻に、何か。田舎者ゆえ、都の作法は不調法でしてね。……それとも、決闘の作法ならお心得がおありか」
声は穏やかだった。だが目の奥は、凍えるほど冷たい。仮面の男はひっと喉を鳴らし、そそくさと人混みへ消えた。
腕のなかで、エレノアが小さく息をついた。頬が、面紗ごしにも分かるほど赤い。
「……助かりました。それに、その」
「なんだ」
「妻、と。……本気にしてしまいそうです」
アレンは無言で腕をほどいた。心臓が妙にうるさい。ごまかすように、彼は壁ぎわの棚へ近づいた。
棚の隅に、値のつかない安物の武具が無造作に積まれている。売れ残り、捨て値の鉄。
アレンは、人目を避けて指先でふれた。
――視界に、文字が浮かぶ。
――――【概念強奪 開始】――――
【名称】装飾用の量産剣、ほか多数
【来歴】見栄のために飾られ、誰にも抜かれなかった刃。
【状態】音もなく概念を掌握。実体は、脆い錆へ。
【収蔵効果】総収蔵数、六十点を突破。同調により身体能力、着実に上昇。
――――――――――――――――
棚のなかで、いくつもの刃が音もなく錆びていく。誰も気づかない。飾りの武具が朽ちても、この場の誰も、それを惜しみはしないからだ。
力が、また少し体に満ちた。アレンは表情を変えず、次の棚へと歩く。
二つめの棚、三つめの棚。名もない刃を、ひとつ、またひとつ。誰にも気づかれぬまま、この虚飾の広間そのものが、アレンの糧に変わっていく。
脚の奥に、久しく忘れていた力の予感があった。まだ動かぬ腱の、その先。もう少しだ。あの小手さえ戻れば、この脚は――そこまで考えて、アレンは小さく頭を振った。焦りは禁物だ。
「上手ですね」
エレノアが、腕を組んだままささやいた。
「まるで、昔からの夫婦みたい。……役でも、こうしていられるのは幸せです」
「余計なことを言うな。集中しろ」
「ふふ。頬が、赤いですよ」
図星だった。アレンは咳ばらいで、ごまかした。
やがて、広間の空気がざわりと動いた。
中央の階段から、恰幅のいい男が降りてくる。腹の突き出た、脂ぎった顔。指という指に、宝石の指輪をはめている。
モルガン侯爵。金で爵位を買った、成り上がりの貴族だった。
その右腕に、アレンの視線が吸い寄せられる。
銀色に輝く、精緻な小手。風の紋様が刻まれた、神域の武装。
――疾風の小手。かつてアレンの脚を、風のように駆けさせた、彼のものだ。
脳裏に、あの日がよぎる。玉座の間。腱を切られ倒れた彼の腕から、仲間がこの小手をむしり取っていった。「おまえには、もう要らんだろう」と笑いながら。歩くことも、走ることも、あの瞬間に奪われた。
胸の奥で、四年ぶんの怒りが燃えた。だが顔には出さない。ここで暴れれば、二人とも終わりだ。焦るな。機を待て。奪い返すのは、確実に一度きりでいい。
「あれが」
「はい。……あの豚は神域武装を、ただの腕輪だと思っています。宝の使い方も知らず、見栄のために飾っている」
エレノアの声に、隠しきれない侮りがにじむ。
モルガンは、集まった貴族に下品な笑いを振りまいていた。
「今宵の目玉はな、この儂の腕輪よ! なにせ、あの偉大な勇者様が使ったという、由緒ある品だ。まあ、勇者などとうに落ちぶれたがな。がはは!」
周囲の貴族が、追従の笑いをあげる。ひとしきり、酒と嘲りの声が広間を満たした。
勇者の名を肴にして。アレンが命がけで守った民の平和を、こうして安酒とともに、すり潰している。
握った拳が、袖の内で鳴った。今すぐこの虚飾の宴を、盾ごと薙ぎ払ってやりたい。だが、逸れば負ける。ここには王家の目もある。逸る自分を、アレンは奥歯で噛み殺した。
落ちぶれた、か。ならば見せてやろう。落ちぶれた男が、まだ何を握っているのかを。
競り台に、灯りがともる。
黒衣の競り人が、うやうやしく声を張った。
「さて――本日の白眉。かの勇者の遺物、【疾風の小手】。競りの開始でございます」
広間が、熱を帯びてどよめく。
エレノアの手が、アレンの手に重なった。冷たい指先が、こまかくふるえている。
「……始まります。あなたのものを、取り返す夜が」
アレンは、エレノアの手を握り返した。冷たい指を、包みこむように。
「大丈夫だ。今夜で終わらせる」
その一言に、彼女のふるえがぴたりと止まった。面紗の奥の瞳が、涙ぐんだように揺れる。
「……はい。信じています。世界でただ一人、あなただけを」
アレンは、前を見据えた。灯りに照らされた、銀の小手を。
その時だった。
競り台の小手が、ほんの一瞬、淡く発光した。ほかの誰も気づかない。まばたきほどの、細い光。
だが、アレンには分かった。切られた右手の指が、それに応えるように、じん、と疼いたからだ。
――呼んでいる。
武具が、真の主を呼んでいた。かつてこの脚を風のように駆けさせた相棒が、四年の時を越えて、まだアレンを覚えていた。
胸が熱くなる。同時に、嫌な予感も背を這った。あれは、モルガン侯爵ごときに飼い慣らせる代物ではない。宝の持ち腐れが、いつまでもおとなしく飾られているとは思えなかった。
偽りの主の腕から、それを剥ぎ取る。今夜、必ず。――だが、剥ぎ取るより先に、あの小手のほうが牙をむくかもしれない。そんな予感が、灯りの下でふくらんでいった。
最後まで、ありがとうございます。
「妻」のふりに、本気になってしまいそう、と照れるエレノア。危ういところを、アレンがかばう場面は、書いていて楽しかったです。
虚飾の広間で、名もない刃を静かに集めていくアレン。次回、競りは思わぬ方向へ転がり、ついに戦いが始まります。




