第66話 壊すことしか知らぬ者
守りに徹する剣で、壊す悦びの剣を受けきれるか。理解しても救えぬ敵との、決着。
先に動いたのは、ヴェインだった。
灰色の長剣が霧をまとい、アレンの喉をねらって走る。速い。アレンは無名の騎士の刃でそれを受けた。かん、と冷たい音が響き、二つの剣が火花を散らす。
ヴェインの剣にまとわりついた霧が、触れたそばからアレンの心を削ろうとする。だが無名の騎士の刃は、誰かを庇う剣だ。守りにかけては並ぶものがない。まとったエレノアの光が、その霧を押し返した。
二人は核の間を跳びまわり、斬り結んだ。剣戟の音が、水晶の壁に反響する。ヴェインの動きは澱みなく、獲物をいたぶることに慣れた者の余裕があった。対してアレンの太刀筋は、鋭さよりも堅さに徹していた。一歩も引かず、しかし一歩も踏みこまない。ただ、この場を守り抜くための剣だった。
背後では、エレノアが聖剣の水晶に両手をかざしている。その体から白金の光がほとばしり、にごった刀身へとそそがれていく。
だが、刀身のにごりは深かった。五十年ぶん、吸い上げてきた心が層をなして凝り固まっている。エレノアの光は、その表面をわずかに溶かすばかりで、奥まではまだ届かない。しかも第七術式は、なおも都から心を吸いあげつづけていた。返すそばからまた吸われる。まるで底の抜けた桶に水をそそぐようだった。
時がかかる。だがその時を稼ぐには、ヴェインを抑えねばならない。
「無駄なことを」
ヴェインが嗤った。
「五十年かけてためこんだ心だ。そう簡単に返せるものか。……それより、私はお前を削るのが楽しみでね」
斬りかかるその太刀筋には、迷いがなかった。人を斬ることに慣れきった剣。いや、人を壊すことを悦ぶ剣だった。
アレンは受けにまわった。攻めれば、エレノアから離れる。彼女を守るために、彼はその場を動けなかった。
ヴェインは、それを見抜いていた。
「そうだ、動けまい。その女を守りたいなら……いたぶりがいがある」
ヴェインの剣が乱れ舞い、アレンの頬を、腕を、かすめ裂く。血が飛んだ。それでもアレンは、一歩たりとも聖剣の前を退かなかった。退けば、エレノアが斬られる。それだけは、何があっても許さなかった。
アレンは歯を食いしばった。万象武具庫の代償が効いている。命を削って呼び出した剣は、長くはもたない。体が重く、息があがる。
ヴェインの剣が、アレンの肩を深くえぐった。温かい血が腕を伝い、視界がぶれる。
守りに徹する剣は、攻めるための剣よりずっと苦しい。相手の悦びにつきあいながら、ただ斬られぬように、斬らせぬように耐える。エレノアが聖剣を解き放つ、その時まで。
「ぐ……っ」
膝が崩れかける。
「見えたぞ。その顔だ」
ヴェインの目が悦びにぎらついた。
「守れずに膝をつく、無力な顔。……ああ、たまらない。もっと見せてくれ。お前があの女を守れずに、壊れていくさまを」
アレンは、血のにじむ口で笑った。
「……お前は、ずっと勘ちがいしてる」
「なに」
「守るのは、俺ひとりの力じゃない」
その時だった。
エレノアのうたう歌に、核の聖剣が呼応しはじめた。にごった刀身から、ひとすじ、ふたすじと、光の糸がほどけていく。ためこまれた心が、目を覚ましていく。その光が、アレンの傷ついた体をも、あたたかく包んだ。
解き放たれた心の光が、核の間に舞った。そのひとつひとつに、人の面影が宿っていた。子を抱く母。畑を耕す父。手をつなぐ恋人たち。歌う子どもら。……ガイウスが灰色に塗りつぶした、ありふれた、けれどかけがえのない日々の記憶だった。どれも大それたものではない。ただ、笑い、泣き、名を呼びあう。それだけの、けれど何ものにも代えがたい人の営みが、そこにあった。
それらがいま目を覚まし、持ち主のもとへ帰ろうと、塔を抜け出していく。
都の火がエレノアを支え、エレノアの光がアレンを支える。ひとりではない。無数の想いが、この一振りに宿っていた。
これこそ、ガイウスが五十年恐れてきたものの正体だった。突出したひとりが国を傾けるから、誰も光らせない。……だが、ちがう。ひとりの光は、奪いあうためではなく、分けあうためにあるのだ。
アレンの剣は、もはや彼ひとりの剣ではなかった。都じゅうの火が宿った剣。それはどんな孤独な悪意よりも、強かった。
「ば……ばかな。なぜ立てる」
ヴェインが、はじめて後ずさった。
「言ったろう」
アレンは立ち上がった。
「心ってやつは、お前が思うよりずっとしぶといんだ。……お前には一生わからないだろうがな」
ヴェインの顔がゆがんだ。理解できない。人が壊れない。それどころか、折れたはずの膝で立ち上がる。彼の五十年の悦びが、根底から否定されていた。
「……ならばッ。壊れるまで壊してやるッ」
我を忘れて、ヴェインが斬りかかる。だがその太刀筋は、もう乱れていた。悦びを奪われ、ただの焦りになっていた。
アレンは見切った。
守りの刃がすいとヴェインの剣を受け流し、がら空きになったその胴へ――一閃。
ヴェインの体が、核の光のなかに崩れ落ちた。
「……なぜ、だ」
倒れ伏して、ヴェインはまだつぶやいていた。
「壊すのは、あんなに楽しかったのに。……なぜ、守るほうが強いんだ。わからない。……わからないままだ」
その問いに、アレンは答えなかった。答えても、この男には届かない。守るということがどういうことか。誰かを失いたくないと願う、その気持ちがどれほどの力を生むか。壊すことしか知らなかったこの男には、ついに一度もわからなかった。
わからないまま生き、わからないまま死ぬ。それが、この男のえらんだ生きかたの果てだった。最後まで彼は理解しなかった。悔いもしなかった。ただ自分の悦びが通じなかったことにとまどい、そのまま事切れた。誰にも看取られず、誰にも惜しまれず。壊すことに費やした一生の、それが報いだった。
アレンはその骸を見おろした。哀れとは思わなかった。ガイウスにはかけてやれる言葉があるだろう。だがこの男には、何もなかった。人を壊すことしか知らなかった男。理解しても救えず、償う心すら持たなかった敵。……この国でただひとつ、斬ることでしか断てなかった悪だった。
「……終わったぞ」
アレンは剣を下ろした。
だが、彼の体は限界だった。万象武具庫の代償――命を削って呼び出した剣は、役目を終えて、すうと光の粒になって消えた。あとに残ったのは、深くえぐられた肩の傷と、鉛のように重い体だけ。
アレンは壁に背をあずけたが、荒い息は止まらなかった。
「アレン様……っ」
エレノアが振り向こうとする。
「見るな。聖剣から手を離すな」
振り向きかけたエレノアを、アレンはかろうじて、そう押しとどめた。
「お前が手を離せば、返しかけた心がまた吸われる。……俺は平気だ。かすり傷だ」
嘘だった。だが、エレノアを迷わせないための嘘だった。
肩の傷から流れる血が、床にゆっくりと広がっていく。それでもアレンは、意識を手放さなかった。ここで倒れるわけにはいかない。まだ、終わっていないのだ。
あとはガイウスと、塔の核だけ。だが、その最後のひとりこそ、剣では断てぬ相手だった。
ヴェイン戦です。最後まで悔いず、理解もせず、ただ「なぜ守るほうが強いのか、わからないままだ」と言って果てる。救いを与えないことが、この敵への誠実さだと思って書きました。




