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泥の勇者と白金の英雄 ~偽りの栄光を剥ぎ取る収集奇譚~  作者: 源三郎


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第54話 灰にする塔

 人を灰にする塔の、むごい仕組み。そして、理解できる敵と、理解しても許せない敵、二つの影。

 地下の隠れ家で、アレンたちはこの国のからくりを聞いた。


 語ってくれたのは、老女の孫だという若者だった。名をリオといった。歳は二十歳ばかり。かつて統制隊に志願し、塔の内側を見たことがあるという。その目にはいまも、そこで見たものへの怯えが、消えずに残っていた。


「あの塔でね、人を灰にするんです」


 リオの声は低かった。思い出すのもつらそうだった。


「灰にするといっても、焼くんじゃない。もっと静かで、もっとむごい。……心を削るんですよ」


 塔の奥には、古い術式が眠っているという。人の感情を吸い取る、忌まわしい仕掛けだ。喜び、悲しみ、怒り、恋しさ。そういう心の揺れを、少しずつ抜き取っていく。抜かれた者は、はじめに涙を流さなくなり、次に笑わなくなる。やがて名を呼ばれても振り向かなくなり、最後にはただ命じられるまま動く、灰色の人形になる。かつて何を愛し、何に泣いたのか。そのすべてが、静かに剥がれ落ちていくのだ。


「痛みはないんです。むしろ楽になる。悩みも迷いも消えるから。だからみんな抗わない。塔から出てきた者は、口をそろえて言うんですよ。ああ、すっきりした、と。……何を失ったのかも、わからないまま」


 エレノアが口もとを手でおおった。青ざめていた。


「それは……死ぬより、こわい」


 エレノアの声は、ほとんど吐息のようだった。


「ええ。生きたまま人でなくなる。それが、この国の平和の正体です」


 リオは続けた。塔に送られるのは、なにも大罪を犯した者ばかりではない。ほんの些細なことだった。市場で値を負けろと粘った者、並んだ列で割り込んだ者、子を亡くして人前で泣いた母親。そういう、心の揺れを見せた者から順に連れていかれる。


「はじめは誰もが思うんです。自分は大丈夫だと。目立たなければいい、おとなしくしていればいい、と。でも、そうやってみんなが身を縮めていくうちに、だんだんふつうのことができなくなる。笑うことも、歌うことも、誰かを好きになることさえ」


 好きになること――その言葉に、エレノアの肩がかすかに揺れた。アレンは、それに気づかぬふりをした。


「なぜ、そんなものを造った。大統制官は、何を望んでいる」


 アレンが腕を組んで問うと、リオは目を伏せた。


「わかりません。ただ……あの人は、本気で信じてるんです。これが人を救う道だと。突出しなければ誰も傷つかない。誰も英雄にならなければ、誰も英雄に殺されない、と」


 その言葉に、アレンの胸がざわついた。英雄に殺される。覚えのある痛みだった。偽りの英雄が栄光のために、どれだけの名もなき者を踏みにじってきたか。アレンはその屍を、この目で見てきた。大統制官の言うことは、ある意味で正しかった。だからこそ、始末に負えなかった。


 アレンには、忘れられぬ光景があった。かつて彼がまだ勇者と呼ばれていた頃、ある英雄が竜を討った。都は沸き、英雄はたたえられた。だがその裏で、英雄は逃げ遅れた村人を囮に使っていたのだ。竜の気を引くために、何十人もの命を捨て駒にして、栄光だけを手にした。誰もその村人たちの名を覚えていない。碑ひとつ建たず、英雄の像だけが広場にそびえた。栄光の光が強ければ強いほど、その足もとの影は濃くなる。アレンはその影のなかで、いくつもの名もなき骸を見送ってきた。


 ――英雄がいなければ、あの人たちは死なずにすんだのか。


 そう考えたことは、アレンにもあった。だから、大統制官の痛みがわからぬわけではない。だが、それでも。


「塔には、もうひとつ、厄介なものがあります」


 リオが声をひそめた。


「首席矯正官。……ヴェイン、という男です。灰化を取り仕切る、大統制官の右腕」


 その名を口にしたとたん、地下の人々が身をこわばらせた。よほど恐ろしい男らしい。名を呼ぶだけで、部屋の空気が凍りついた。


「大統制官が理想を信じて灰化を進めるなら、ヴェインは……ただ、好きなんです。人が灰になっていく、その顔を見るのが。心が削れて、目から光が消える、その瞬間が。あの男には、たまらないんですよ」


 リオの拳が震えた。


「俺の妹も、ヴェインに灰にされた。抗った、というだけで。あの日、妹を連れていくヴェインは、笑っていました。心の底から、楽しそうに。……あいつだけは、理想でもなんでもない。ただ、人を壊すのが楽しいだけの、化け物だ」


 アレンは静かに目を細めた。


 ――理想に狂った者なら、まだ話ができるかもしれない。だが、壊すことそのものを悦ぶ者に、かける言葉はない。


 この国には二つの敵がいる。ひとつは理解できる、悲しい敵。もうひとつは、理解しても決して許せない敵だった。前者には言葉が届くかもしれない。だが後者に届くのは、おそらく刃だけだ。


 リオが塔の絵図を床に広げた。炭で描いた、粗い見取り図だった。円柱の塔は七層。下の層ほど警備が薄く、上の層ほど厚くなる。最上層に、感情を吸い取る術式の核があるという。人々は下の層から順に送りこまれ、心を削られながら、上へ上へと運ばれていく。


「核に近づくほど、人は灰になる。いちばん上まで昇りきった者は、もう戻らない。名も心も根こそぎ抜かれて、ただ歩く影になるんです」


 アレンは絵図を指でなぞった。七層、核は最上、守りは上ほど堅い。攻めるなら下から。だが下手に暴れれば、中の者ごと術式に巻きこまれる。力任せではいかない。剣で斬れる相手なら造作もないが、斬るべきものは鉄でも肉でもなかった。人の心を削る仕組みそのもの。それを壊さねば意味がない。


「リオ」


 アレンは若者の肩に手を置いた。


「その塔を見たい。中の造りを、知っていることを、すべて教えてくれ」


 リオが顔を上げた。その目に、久しく忘れていた光がともった。


「……手伝ってくれるんですか。本当に」


「ああ。灰色はこの国の色じゃない。人の色を取り戻す。そのために来た」


 エレノアがそっとアレンのそばに寄った。彼女の指が、アレンの袖をほんの少しつまむ。寄り添ったその体が、以前より少し細く感じられた。都に入ってからというもの、彼女は日ごとに軽くなっていくようだった。


 この国に来てから、エレノアの聖光は日に日に弱まっていた。彼女の力は、人の心のあたたかさを糧とする。喜びも悲しみも恋しさも、人が豊かに心を揺らす場所でこそ、その光は強く輝く。だがこの国は逆だ。心を削り、揺れを殺す土地。ここでは彼女の光は、乾いた大地の井戸のように、日ごとに水位を下げていく。


 彼女はそれを口にしなかった。心配をかけまいと。だがアレンにはわかっていた。だからこそ、この国を早く変えねばならない。彼女の光が涸れ果てる前に。


 言葉はなかった。だが、その指のかすかな力が、こわい、けれど、あなたとなら、と告げていた。アレンはその指に、自分の手を重ねた。


 灰色の都の地下で、二人の手のあいだにだけ、たしかなぬくもりが通っていた。


 塔を堕とす。心を削るその仕組みを壊し、人の色をこの国に取り戻すために。灯りのとぼしい地下で、三人の影が絵図を囲む。頭上には、いまも変わらず灰色の都が眠り、白い塔が音もなく人を吸い上げている。それでも、ここには消えぬ火があった。長い戦いの第一歩が、いま踏み出された。

 大統制官は「理想に狂った悲しい敵」、首席矯正官ヴェインは「壊すことそのものを悦ぶ、許せない敵」。同じ塔の中に、性質のまるで違う二つの悪を置きました。エレノアの光が涸れていく設定も、ここから効いてきます。

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泥にまみれた元勇者アレンと 白金の英雄エレノアの旅の物語です
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