第48話 ふたりの一撃
第48話。絶望の核へ。二人で、光の刃を握り、死の道を突き進みます。
守りきった。エレノアを、あの絶望の手から。ぎりぎりで。だが――。
だが魔王の悪あがきは、まだ終わらなかった。焼き払ったはずの触手が、次から次へと無数に生えてくる。この世に絶望が尽きないかぎり、うずくまる者がいるかぎり、この災厄は際限なく蘇り続ける。まさに底なしの沼だった。
「……このまま力押しじゃ、切りがない」
アレンは荒い息の下でつぶやいた。束ねた意志の刃は確かに効く。魔王を削れる唯一の力だ。だがいかんせん、魔王の巨躯はあまりに大きすぎた。削っても削っても、まだ山のように黒々とそびえている。このままではこちらの体力と意志が先に尽きる。刃を握る手が、もう限界を訴えていた。
「核を、突け!」
レオンが後方から叫んだ。傷ついた体で、それでも乏しい魔導を絞り、魔王の構造を必死に解析していたのだ。もう天才の力は失ったはずの男が、その頭脳でなお二人を支えようとしていた。
「魔王の体の、中心。心臓にあたる部分に、絶望の核がある。そこを貫けば、一気に崩せる。……だが、そこへ至る道は、あいにく、あの絶望の触手が渦を巻く、嵐のど真ん中だ。正気の沙汰じゃない。だが、そこしかない!」
絶望の触手が幾重にも渦を巻く、その中心へ突っ込む。並の者なら一秒と保たずに跡形もなく挽き潰される、死の道だった。生きて抜けられる保証など、どこにもない。触手のひと薙ぎは家一軒を軽々と粉砕する。その嵐が幾重にも折り重なり、核を守るように渦を巻いている。そこへ生身の体で飛びこめというのだ。
「……だが、行くしかない」
アレンは光の刃を握り直した。だが、その体はもう限界だった。国じゅうの意志を束ね続ける代償で、全身が悲鳴をあげている。あの死の触手の嵐を突破する力が、この体にまだ残っているのか。それすら危うかった。
そのとき、覚悟を決めたその背に、背後から白金の光が寄り添った。
「一人で、行かせません。もう二度と」
風のように迷いのない声だった。
エレノアだった。傷だらけの体で、それでも聖光の橋を片手で支えたまま。もう片方の手を、そっとアレンの光の刃に添える。
「ずっと、あなたの背中を守るのが、私の役目だと思ってきました。……でも、今度は後ろじゃなくて。隣で。一緒に突っ込みます。あなたのその刃に、私のこの光も、この命も、ぜんぶ乗せて」
「橋は、どうする。おまえがその場を動けば、意志の流れが」
「大丈夫です。もう、みんなの意志はしっかり、この刃に宿りました。橋はこれ以上、なくてもいい。……あとは、私たち二人がこの体で届けるだけ。それなら、隣にいさせてください。あなたの」
その飾らない言葉に、アレンはうなずいた。断る理由など、あるはずもなかった。ここまでの道のりを、彼女はいつも半歩後ろから支えてくれた。だが、この最後の一歩だけは隣で踏みたいという。その願いを拒めるはずがなかった。あの酒場で二人で始まった旅だ。ならば、その締めくくりも二人で。それがいちばん正しい。
二人は一振りの光の刃を、四つの手で共に握った。アレンの傷だらけの手に、エレノアの細い手が重なる。彼女の左手の、あの飾り気のない銀の環が、二人の想いを繋ぐようにやわらかく輝いていた。もう離さないと誓った、あの環が。
「……行くぞ、エレノア」
「はい。どこまでも。地獄の底まで。あなたと、二人で」
二人は手を重ねたまま駆けた。渦を巻く絶望の触手の嵐の、ど真ん中へ。ためらいなく、一直線に。
四方から迫る触手を、アレンが金剛盾で弾き、エレノアが残る聖光で薙ぎ払う。攻めと守り。奪ったものと、与えられたもの。せり市で、大祭で、王宮で。何度も死線を越えてきた、あの二人の呼吸で。塞がってはまた塞がる死の道を、無理やりこじ開けていく。
一歩。また一歩。かいくぐった触手が、二人の体を浅く深く裂いていく。血が飛ぶ。礼装も白い法衣も赤く染まる。視界が霞み、足がもつれる。それでも繋いだ手だけは離さなかった。片方が崩れそうになれば、もう片方が支える。声もなく、ただ体温だけで、まだ生きていることを伝え合いながら。止まらない。倒れない。この一撃をあの核に届けるまでは、何があっても。
ここで俺が諦めたら。俺を信じて顔を上げてくれた、この国じゅうの諦めなかった連中に、合わせる顔がない。
アレンの脳裏に、これまでのすべてがよぎった。門前で子を亡くした母親。病棟で枯れた娘。納骨堂の、番号だけの棺。橋の上で己を焚べた名もなき剣士。がらくた屋の折れた剣。……そして、ごみだめの隅で震えていた、幼い日のエレノア。
彼が四年、いや、それ以上をかけて拾い、弔い、束ねてきた、すべての名もなき意志。誰にも顧みられなかった、無数の生きた証。名を刻まれることもなく、讃えられることもなく、それでも確かにこの世に生きて、何かを願った者たち。その一人ひとりの声が、いまアレンの胸の奥で、静かに、けれど力強く響いていた。それらがいま、彼の背を押していた。おまえは、一人じゃないと。
その拾い集めてきたすべてを、このたった一撃に乗せて。
どれほど駆けただろう。永遠にも思えた死の道の果てに、二人はついに絶望のいちばん中心にたどり着いた。
どす黒く、心臓のように脈打つ絶望の核。それは数百年、この国の民がうずくまり、諦め、流し続けてきた、無数の諦めの澱の塊だった。すがるしかないとうつむいてきた、その暗い澱の成れの果て。
哀れなやつだ、とアレンは思った。おまえも、この国が生んだものだ。誰かのせいでもなく、この国の民が長い歳月をかけて少しずつ積み上げた、諦めの果てに。憎む気にはなれなかった。この核もまた、うずくまるしかなかった者たちの涙の行き着いた先なのだ。だが、もう終わりにする。おまえを生んだ諦めの心ごと。今日で。この国の民は、もう、うずくまらない。
アレンとエレノアは傷だらけの体で、それでも光の刃を二人で高く頭上に掲げた。
その一振りの刃には、いま、あらゆるものが宿っていた。奪い返した五つの神域武装。収蔵した無数の名もなき武具の遺志。数百年守り続けた初代勇者の意志。ここまで来た仲間たちの覚悟。この国じゅうの幾万もの民の諦めない心。そして、二人の、命を賭けたこのひたむきな想い。すべてが、ひとつの光に。
英雄たった一人の力ではない。決して。名もなき者たち一人ひとりの、諦めない意志の総和。ヴェルナーが恐れ、初代が集めきれず、アレンが四年かけて束ねた、その光。それがいま、数百年の絶望に真っ向から突き立てられようとしていた。
これこそが、初代の遺したたった一つの答えだった。
「――これで、終わりだッ!」
「あなたと、私で……ここで、終わらせます!」
二人の声が、ひとつに重なる。
二人の重なった手が、光の刃を、脈打つ絶望の核へと、まっすぐ振り下ろした。
目もくらむまばゆい閃光が、紫に濁っていた北の地を、端から端まで白く染めあげた。数百年ぶりの清らかな白い光が、荒れ果てた大地の隅々にまで満ちていく。数百年、この国を影で脅かしてきた災厄の、まさにその核へ。諦めなかった無数の意志が、ついにそこへ届いた。
核に刃が突き立った、その手応え。これまで斬ってきたどんな敵とも違う。ずしりと重く、そして確かな手応えだった。分体でも偽物でもない。数百年、この国を蝕んできた災厄の大本。その、絶望の核。
光と闇が拮抗する。押して、押されて。アレンとエレノアは最後の力を振り絞り、刃を押しこんだ。二人の重ねた手のその上で、銀の環がまばゆく輝いていた。二人の心臓の鼓動がひとつに重なり、刃を通して核へと伝わっていくようだった。
偽りを剥ぎ取る旅の、その最後の、そして最大の一撃が、いま、放たれた。すべての名もなき者たちの想いを乗せて。
最後までありがとうございます。
「隣で、一緒に突っ込みます」。ずっと背中を守ってきたエレノアが、今度は隣に並ぶ。あの酒場で二人で始まった旅の、締めくくりも、二人で。重ねた手の上で、銀の環が輝く。名もなき者たちすべての想いを乗せた、最大の一撃。次回、絶望の終わり。




