第42話 初代の遺言
第42話。魔王を、封じるのではなく、滅ぼす道。初代の遺言に、その鍵がありました。
封印か、破滅か。逃げ場のない二択を突きつけられた、その翌朝。初代勇者の手記には、まだ続きがあった。誰にも読まれぬまま、数百年眠っていた続きが。
レオンとクラリスが、蝋燭を何本も燃やし、夜を徹して解読にあたった。そして白々と明ける頃、二人はげっそりと疲れきった顔で、しかしその目に確かな光をたたえて、アレンたちの前に、解き明かした内容を告げた。
「封印を保つ以外の道。……あった。初代も、同じことで悩んでいた。封じるだけではいつか限界が来る。だから魔王を完全に滅する方法を、生涯をかけて探していたんだ」
レオンが、傷んだ手記の最後の数頁を、そっと開いた。そこには初代の、絞り出すような筆跡があった。震える手で、けれど必死に書き遺したことが、文字の乱れから伝わってくる。
「そこに書かれている。……魔王は、絶望から生まれる、と。人が己を無力だと諦めたとき。誰かにすがるしかないと、うずくまったとき。その諦めの澱が集まって、あの災厄に凝る。だから、いくら力で斬っても滅びない。斬れば斬るほど、絶望を糧に、また湧いてくる。四年前、アレンが倒した分体が、いくら倒しても次が現れたのと、同じだ」
アレンは、思い当たった。この国の、光ばかりを求める病。すがり、諦める、その心。それが魔王を育てていた。ヴェルナーが民をすがらせ続けたことは、封印を保つと同時に、皮肉にも、その内側で魔王を太らせてもいたのだ。押さえつける手が、そのまま餌を与えていた。なんという、堂々巡りだろう。
一同が、固唾を呑んで聞き入る。
「では、どうすれば滅ぼせるのか。初代は悩みぬいた末に、こう記している」
レオンは一字ずつ確かめるように読み上げた。
「――『魔王を滅する光は、崇める心からは、断じて生まれぬ。それは絶望の裏返し。己の足で立つと、諦めを捨てた者の意志からのみ、生まれる。我、それを集めきれずして、封じるにとどまる。後の世の、誰かに託す』」
読み終えたレオンの声には、隠しきれぬ湿りがあった。
初代勇者は、そこまでたどり着きながら、数百年前の民から、その意志を集めきれなかった。だから封じることしかできなかった。そしていつか来る誰かに、この宿題を遺した。時を越えた、たった一人への手紙のように。
「己の足で、立つと決めた者の、意志」
アレンはその一節を噛みしめるように繰り返した。胸の底で、これまでのすべての戦いが、一本の線で繋がっていく音がした。
「……つまり、信仰の真逆だ」
「そのとおりだ」
レオンが深くうなずいた。
「英雄信仰は、言うなれば『すがる心』の力だ。誰かに委ねる。諦めて、明け渡す。その力は魔王を押さえつけ、封じることはできても、滅ぼすことは絶対にできない。なぜなら、すがる心と諦める心は、根が同じだからだ。むしろ魔王の燃料に、なりこそすれ」
「なら、魔王を滅ぼすのは」
アレンは確信を込めて言った。
「すがるのをやめた者の力。自分で立つと決めた者の意志。……名もなくても、弱くても。それでも諦めずに前を向く。その一人ひとりの小さな意志を束ねた光。それが、魔王を殺す」
長い沈黙のあと。アレンは、ふっと笑った。閉ざされたと思った道に、光を見つけた者の顔で。
「……できる、かもしれん。俺の、この力なら」
万象武具庫。名もなき者たちの遺志を収め、束ねる力。がらくたの剣。折れた槍。番号だけの亡骸。橋の上で己を焚べた、名もなき剣士。世に忘れられ、誰にも顧みられなかった者たちの意志を、アレンはひとつ残らず拾い集め、弔い、力に変えてきた。それは英雄の華々しい力とは、およそ対極にある、地味で、暗く、けれど誰よりも温かい力だった。
思えば、この力の本当の使い道を、アレンは知らずに、ずっと実践してきたのだ。切り捨てられた者を拾う。忘れられた意志を束ねる。それがいつか、いちばん大きな災厄を討つ力になるとは、思いもせずに。
「俺が四年間、ずっとやってきたことは、突き詰めれば、名もなき者の意志を拾い、束ねることだった。初代の言う、魔王を滅ぼす光と、根っこが同じだ。俺のこの万象武具庫は、もしかすると、その日のためにあるのかもしれん」
エレノアがはっと目を見開いた。彼女の始まりも、名もなき者のひとりだった。だからこそ、その意味が誰よりも深く刺さった。
「では、あなたの力を使えば。魔王を」
「ああ。だが、しょせん俺一人が集めた意志じゃ足りん」
アレンは首を振った。冷静に、己の力の限界を見積もって。
「俺一人が集めた意志じゃ、魔王本体には届かない。必要なのは、もっと大勢の。この国じゅうの民の、『自分の足で立つ』という意志だ」
その言葉に、部屋の空気が変わった。絶望が重く沈んでいたそこに、細いが確かな光の筋が差した。俯いていた者たちが、ひとり、またひとりと顔を上げる。そこで、話がすべて繋がった。
アレンがずっと目指してきたもの。英雄にすがらず、民一人ひとりが自分の足で立つ国。それは単なる青臭い理想ではなかった。それこそが、魔王を滅ぼす唯一の力。この国を根本から救う、たったひとつの道だったのだ。偶然か、必然か。アレンの生き方は、初めからその一点を指していた。
「まったく、皮肉な話だな」
アレンは苦笑した。乾いた、けれど覚悟のこもった笑みで。
「ヴェルナーはすがる心で魔王を封じてきた。俺はすがるのをやめる心で魔王を滅ぼす。同じ魔王を相手に、正反対の道だ。だが、封じるだけじゃいつか、また綻びる。滅ぼすしかない」
「ですが、時間が」
エレノアが窓の外の北の空を見た。紫の脈動はいよいよ激しく、速い。まるで巨大な心臓が、目覚めかけているように。その一打ごとに、封印の残り時間が確かに削られていく。
「封印は、もう限界に近い。民が自分の足で立つ意志を育てる。……それには何年もかかります。間に合いますか」
アレンは、答えなかった。答えは、まだなかった。時間だけが、無情に北の空で刻まれていく。それでも、うろたえる素振りは見せなかった。
だが、道は見えた。破滅か、隷属か。その二択ではなかった。第三の道が、確かにそこにあった。
ただしそれは、これまででいちばん細く、いちばん遠く、いちばん多くの人の手を必要とする道だった。アレン一人の剣では届かない。エレノアと二人でも足りない。この国の名もなき無数の民が、一人残らず顔を上げなければ渡れない、綱渡りの道。
「間に合わせる」
アレンは、静かに、しかし断固として言った。
「間に合わせるしかない。封印が完全に崩れる前に。民の意志を、束ねられるだけ束ねる。この数か月で、種は蒔いた。ユリウスの告白を、みんな見た。エレノアの真実も。少しずつだが、民は自分の頭で考えはじめてる。あとは、その芽をいっきに育てる」
無謀だった。数百年、すがることに慣れきった民を、わずかな時間で変える。だが、やるしかない。諦めれば、そこで終わりだ。
初代勇者の遺言。それは数百年越しの宿題だった。魔王を封じるしかできなかった初代が、いつか来る誰かに託した、本当の討伐の方法。その託された誰かに、アレンはなろうとしていた。英雄としてではなく。名もなき者たちの意志を束ねる、そのたった一つの結び目として。
読んでくださってありがとうございます。
「魔王を滅する光は、崇める心からは生まれぬ。己の足で立つ者の意志からのみ生まれる」。すがる心の逆――アレンが四年、束ねてきた、名もなき者の意志こそが、魔王を殺す。彼の生き方は、初めから、この一点を指していました。次回、決戦への準備と、北への旅立ちです。




