第33話 造られた対抗馬
第33話。アレンが渋る隙に、ヴェルナーは新たな傀儡の英雄・ユリウスを立てます。
叩いても叩いても生えてくる、偽りの英雄。本当に倒すべきは何か。
玉座の誘いに、アレンがいつまでも首を縦に振らない。その煮え切らない態度を、宰相ヴェルナーは正確に読み取った。そして間を置くでもなく、すぐさま次の一手を打ってきた。
数日後、王都の広場に、新たな英雄が現れた。
名をユリウス。若く、見目のよい騎士だ。真新しい白銀の鎧をまとい、白馬にまたがって、民の前で剣を高く掲げる。背後には王家の紋章が翻り、そのすべてに、ヴェルナーの描いた物語の匂いが染みついていた。
「私は正統なる血を引く者。倒れた王家に代わり、この国を導く者なり。案ずるな、民よ。この私が、諸君を守ろう!」
朗々と、よく通る声だった。だがその口上はどこか、暗記した台詞のように上滑りしている。アレンには透けて見えた。誰かに言わされている声だ、と。
触れが読み上げられる。ユリウスは王家の遠縁、若き日に辺境で魔物の群れを退けた隠れた英雄である、と。どれもヴェルナーが一夜ででっち上げた絵空事だった。
だが、民は沸いた。真新しい鎧の輝き、整った顔立ち、王家の紋章。それだけで十分だった。倒れた王家の空白に怯えていた民は、差し出された新しい光に、飛びつくように群がる。
「ユリウス様、万歳!」
「新しい、王様だ!」
ほんの数日前、アレンを王にと叫んでいた声が、もう別の名を讃えている。その身軽さに、アレンは寒気すら覚えた。
だが、その歓声の渦の片隅に、沸いていない者が一人いた。
みすぼらしい身なりの、小さな男の子だった。いつか広場で見た、あの子だ。父親とはぐれて泣きじゃくり、「ボルドさまみたいになりたい」と目を輝かせていた、あの子。その子がいま、白馬の英雄を見上げて、ぽかんと立ち尽くしている。歓声を上げない。ただ、隣の母親の袖を引いた。
「かあちゃん。あのひとも、ほんものの英雄さま? このまえの、金色の盾のひとも、ほんものだって、みんな言ってたよ。……ほんものって、そんなに、いっぱいいるの?」
母親は慌てて、その口を手でふさいだ。周りをうかがい、聞かれなかったかと肩をすくめる。子どもの無邪気な問いは、大人が口にできない疑いを、まっすぐ言い当てていた。
だが、その小さな声は、風に乗って、隣に立つ老いた靴職人の耳にも届いていた。老人は白馬の英雄を見上げ、それから、自分の節くれだった手を見下ろす。何かを言いかけて、けれど口をつぐみ、そっと人混みを離れていった。その背中に、迷いのようなものがにじんでいた。
ひとつの問いは、まわりの誰にも聞こえぬふりをされながら、それでも確かに、二人、三人と、小さな波紋を広げていく。
アレンは、人混みの中からその一部始終を見ていた。
――あの子には、見えている。
胸の奥が、かすかに疼いた。大人たちは、疑うことを忘れてしまった。だが、あの子はまだ、問うことをやめていない。ほんものが、そんなにいっぱいいるものか、と。ヴェルナーがどれだけ光を造ろうと、その光を「おかしい」と言える子どもが一人でもいるかぎり、この国はまだ、終わっていない。
「……手回しが、早いな」
アレンはつぶやいた。
「俺が渋ってると見て、もう代わりの絵を用意しやがった」
「ユリウスという騎士、調べました。実在はします。ですが武勇伝はすべて作り話。本人もたぶん、担がれているだけです。ヴェルナーの、新しい筆先」
エレノアが声を潜める。密偵の調べでは、ユリウス本人は気の弱い平凡な青年で、剣の腕もたいしたことはないという。突然見出され、英雄に仕立てられ、本人すら戸惑っているらしい。白馬の上で笑う顔は立派でも、その手はかすかに震えていた。だがいったん光を浴びれば、人は変わる。ボルドがそうだったように、じきに偽りの栄光に酔い、溺れていくのだろう。
「どうしますか。あのユリウスも、ボルドのように暴きますか」
エレノアの問いに、アレンは首を振った。
「いや。あの若造を暴いても意味がない。ヴェルナーがまた次を立てるだけだ。モグラ叩きだよ。一匹叩いても、切りがない」
「では、どう」
「叩くべきは、モグラじゃない」
アレンは群衆を見渡した。偽りの英雄に熱狂する、その無数の顔を。
「穴を掘り続けてる、ヴェルナー本人だ。……いや、それでも足りん。あいつを倒しても、民のすがりたいって心が残るかぎり、第二のヴェルナーがまた現れる。本当に断たなきゃいけないのは、この心そのものだ」
英雄がいなくなると、民は落ち着かない。すがるものがないと不安でたまらず、次の光を探してさまよう。ヴェルナーは四十年、その心を耕し続けてきた。すがるほど都合のいい民は、いないからだ。剣で斬れる傷なら塞げる。だが、人の心に染みついた癖は、そう簡単には拭えない。
「四年かけても足りないかもしれん。だが、それをやらなきゃ、俺のやってきたことは全部、無駄になる」
やることは、決まっていた。ヴェルナーが広場で光を撒くなら、こちらは路地の一軒一軒を回る。あの子のような問いを、消させない。ほんものが、そんなにいっぱいいるものか。その疑いを、消えないように、そっと守り育てていく。派手さはない。だが、上から与えられた光と違って、自分の中から芽吹いた問いは、誰にも取り上げられない。
その道のあまりの遠さに、めまいすら覚えた。だがさっきの、あの子の問いが、まだ耳に残っている。ほんものが、そんなにいっぱいいるものか。あの小さな疑いを、国じゅうに灯していくのだ。
「一人で背負おうとしないでください」
エレノアがその手を取った。
「その道が遠いなら、二人で歩けば半分になります。……倒してきた者たちも、今度は味方です。レオンも、クラリスも。目を覚ましはじめた民も。一人ずつ増やしていけばいい」
その言葉に、アレンはふと肩の力が抜けた。切り捨てず、拾い上げてきた手が、いま背中を押してくれている。遠い道でも、隣に誰かがいれば歩ける。この女はいつも、そんな当たり前を思い出させてくれる。
その夜。エレノアが、意を決したように口を開いた。
「アレン様。ヴェルナーと戦うなら、あの人は必ず、私の過去を切り札に使ってきます。だからその前に。私の本当の始まりを、聞いてください」
アレンは彼女を見た。ずっと待つと決めていた。彼女が自分から話す、その日を。
「……いいのか。無理して話すことはない」
「はい。もう、あなたに何ひとつ隠したくないのです。それに」
エレノアは寂しげに微笑んだ。
「私の始まりを知れば、この国の病と戦う答えの欠片が、見つかるかもしれません。私自身が、その病の産物なのですから。造られた英雄の、いちばん最初の一人。それが、私なのですから」
暖炉の火が、二人の影を壁に長く落とす。薪の爆ぜる音だけが、ぽつりぽつりと響いた。エレノアは膝の上で手を握りしめ、深く息を吸う。四年、いやそれよりずっと長く胸の底に沈めてきた、いちばん古い記憶の蓋を、いま自分の手で開けるために。
「私の話は、とても昔の。まだ私が、名前すら持っていなかった頃の話です」
偽りを剥ぎ取る旅は、いよいよ、いちばん近くにいる者の、隠された根源へと近づいていく。白金の英雄が、どうやって造られたのか。その真実へ。次回、彼女のいちばん古い記憶が明かされる。
最後まで、ありがとうございます。
偽物を一人倒しても、民の「すがりたい」心が残るかぎり、次が生まれる。倒すべきは、その心そのもの。剣では、斬れません。気の遠くなる戦いです。
そして、エレノアが自ら、過去を語りはじめます。次回、彼女の始まりの物語を。




