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泥の勇者と白金の英雄 ~偽りの栄光を剥ぎ取る収集奇譚~  作者: 源三郎


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第32話 英雄を造る男

 第32話。宰相ヴェルナーの正体――英雄を「造る」男。

 ボルドも、クラリスも、ギルバートも。すべての偽りの英雄の、その背後に、この男がいました。

 乗るふりをして、腹を探る。そう決めたアレンは、翌日、宰相ヴェルナーの招きに応じた。丸腰で敵の懐へ飛び込むのは、もう慣れたやり方だった。剣を置いてこそ見えてくるものが、この国にはある。


 通されたのは王宮の宰相執務室、天井の高い荘厳な部屋だった。壁一面に歴代の英雄たちの肖像がずらりと並んでいる。魔王を退けた初代勇者、竜を屠った女騎士――数百年ぶんの栄光の顔が、金縁の額の奥からこちらを見下ろしていた。そして、そのいちばん新しい一枚が、四年前の王太子ギルバートの勇姿だった。


 アレンはその肖像をじっと見つめた。玉座の間で自分の功績を横取りした、あの絵だ。描かれた剣の切っ先まで、嘘で塗られている。


「その絵が懐かしいですかな」


 ヴェルナーが茶を勧めながら言った。


「その絵は、私が絵師に描かせたものです。魔王を倒したのは殿下である、と。民にそう信じさせるために」


 アレンの、茶碗を持つ指が止まった。


「……おまえが描かせた、だと」


「ええ」


 宰相は悪びれもせず微笑んだ。


「私の仕事ですから。英雄を造ることが、です。この国の力の源は英雄信仰。ならば、いかに民に英雄を信じさせるか。それが宰相たる私の、四十年の仕事でした」


 この国の力の源は英雄信仰――国民の支持と認知が、そのまま特権階級の魔力に変わる。だからこそ王家は代々、英雄を必要としてきた。強い光ほど大きな力になるのだ。そしてその光を造る職人こそが、目の前で悠然と茶をすする老宰相だった。


 アレンは背すじに冷たいものを感じた。この男だ。ボルドの武勇伝を広めたのも、クラリスを聖女に祭り上げたのも、ギルバートを魔王討伐の英雄に仕立てたのも。旅の間じゅうアレンを苦しめてきた、すべての偽りの英雄の背後に、このヴェルナーがいた。


「おまえが……そうか。全部の絵を描いてきたのは、おまえだったのか。ボルドも、クラリスも」


「そうなりますな」


 ヴェルナーは茶をすすった。悪びれる様子は微塵もなく、まるで天気の話でもするようだった。


「ボルドの辺境での武勇伝は、私が七割ほど盛りました。クラリスの慈善病院、あの美しい物語も筋書きは私が引いた。……まあ、レオンの天才ぶりだけは、脚色の必要がありませんでしたが」


 一人ひとりの名を、自分の作品の題名でも挙げるように口にする。アレンが命がけで対峙してきたあの偽物たちが、この男にとっては、ただの絵筆の成果でしかないのだ。名を挙げるたびに、老宰相の口の端がわずかに満足げに持ち上がる。それが何より、アレンの神経を逆なでした。


「誤解なさらぬよう。私は私腹のためにやってきたのではない。この国を保つためです。民は弱い。すがるものがなければ生きていけない。ならば、すがるべき英雄を与えてやる。たとえそれが偽りでも、その偽りの光で民が明日を生きられるなら、安いものでしょう」


 その淀みのない口ぶりに、アレンはぞっとした。悪意ではないのだ。この男は本気で信じている。民のために偽りの英雄を造り続けることが正しいのだと。いちばんたちの悪い、確信犯だった。


「それで」


 アレンは低く問うた。


「次は俺に、その偽りの英雄をやれと。おまえの描いた絵の中で、王の面をかぶれと。そういう話か」


「ふ。話が早くて助かる」


 ヴェルナーは笑みを深めた。


「あなたは素材として最高だ。民はすでにあなたを信じている。あなたが玉座に座り、私がその後ろで筆を執る。それで完璧な英雄王の出来上がりです。国は安定し、民は幸せに夢を見る。何も問題はない」


「問題だらけだ」


 アレンは茶碗を卓に置いた。かちん、と硬い音が、静まりかえった執務室に響いた。


「おまえのやってることは、この国の病そのものだ。民に偽りの光を与えて、思考を止めさせる。自分の足で立つことを忘れさせる。おまえが安いと言った、その偽りの光の裏で、ボルドも、クラリスも、ギルバートも、いったいどれだけの人間を枯らしてきた。おまえはその大本だ」


「では聞きましょう」


 ヴェルナーの目が初めて鋭く光った。


「英雄なき国が成り立つと、本気でお思いか。民は明日への希望なくして、飢えと寒さに耐えられるとでも。……理想は結構。だが理想では腹は膨れませんぞ、勇者殿」


 その問いは鋭かった。アレンには、まだその答えがなかった。英雄を否定する、だがそのあとに何を置くのか。パンの代わりに何を民へ差し出すのか。ヴェルナーは、いちばん痛いところを正確に突いてきた。


 剣で斬れる敵ならよかった。だがこの老宰相は思想で武装していた。四十年、この国の闇を支えてきた、揺るがぬ確信で。刃を向けるべき喉が、この男にはない。あるのは、分厚い信念の壁だけだった。


 ふとアレンは思う。この男もまた、囚われているのではないか。民は弱い、光を与えねば――たったひとつのその信念に。ボルドが虚名に、クラリスが痛みに囚われたように、ヴェルナーは英雄を造るという己の正義に、四十年囚われ続けている。だが、こいつはこれまでの誰より根が深い。あいつらは造られた側だ。こいつは造る側だ。この男を変えなければ、第二、第三のボルドがまた生まれ続ける。


 最後に、ヴェルナーは思わせぶりに付け加えた。


「それに勇者殿。あなたの隣にいる白金の英雄、あのエレノア殿こそ、私の最高傑作のひとつなのですぞ。名もなき娘を当代最強の英雄に仕立て上げた。あの物語も、私が描いたものです」


 アレンの動きが止まった。


 ――エレノアを、仕立てた、だと。


 執務室を辞したアレンは、長い廊下で待っていたエレノアのもとへ戻った。窓から差す夕日が、磨かれた床を赤く染めている。アレンがヴェルナーの言葉を伝えると、彼女の顔がさっと青ざめた。血の気が引き、いつも凛と伸びていた背が、わずかに縮こまる。ずっと隠してきた過去の、いちばん奥の扉に、この宰相が手をかけている。そう告げる顔だった。


「……あの人は」


 エレノアの声が震えた。


「私を英雄にした人です。私がいちばん知られたくない、私の始まりを。それを知っている、たった一人の人です」


「敵の正体が見えた。いちばん厄介なやつだ。武器も魔法も持っちゃいない。ただ、この国の人の心そのものを握ってる」


 そして、とアレンはエレノアの青い顔を見た。


「おまえの過去も、握ってるらしいな」


 エレノアはうつむいた。だが今度は逃げなかった。


「……いつか話すと言いました。もう、そのいつかが来たのかもしれません。あの人が私の口から話す前に、あなたに告げてしまう前に。私の口から聞いてください」


 その声には、恐れと覚悟が半分ずつあった。ずっと閉ざしてきた扉を、他人にこじ開けられる前に、自分の手で開けるのだという覚悟が。アレンは何も言わず、ただ小さくうなずいた。急かすつもりはなかった。彼女が話すというなら、いくらでも待つ。それだけだった。


 偽りを剥ぎ取る旅の最後の敵は、剣の届かない場所に静かに座っていた。英雄を造り続けてきた男、この国の病の化身が。そしてその男は、アレンとエレノア、二人のいちばん深い秘密の糸を、その手に握っていた。剣ではなく、過去を人質に。次の戦いはこれまでとはまるで違う。心のいちばん柔らかい場所を狙ってくる戦いだった。

 ありがとうございます。

 「民は弱い、ならば偽りでも光を与える」。悪意ではなく、信念でそう言い切る。いちばん厄介な、確信犯です。剣で斬れる敵なら、どれほど楽か。

 そしてこの男は、エレノアの過去も握っていた。次回、白金の英雄の、いちばん古い記憶が明かされます。

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偽りの栄光を剥ぎ取り 名もなき者の遺志を拾う
泥にまみれた元勇者アレンと 白金の英雄エレノアの旅の物語です
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