第29話 玉座の魔王
第29話。玉座の間へ。魔王の力を得たギルバートと、断罪の神剣。
すべてが始まった場所で、すべてを終わらせます。
決戦の夜。月のない、闇の深い夜だった。
ボルドの伝えた手薄な刻限。レオンの図面が示す隠し通路。クラリスが断った地下水脈。かつて敵として倒し、それでも切り捨てなかった者たちの贖罪と協力が、二人を王宮の最奥へと導いていく。
かつて敵だった者たちの手が、道を開く。切り捨てなかった戦い方の、集大成だった。
夜陰にまぎれ、二人は音もなく王宮の壁を越えた。道中、いくつもの衛兵の詰所を抜けた。だが不思議と、行く手を阻む者は少なかった。ボルドの根回しか、あるいは、民の心が離れ、王家に忠義を尽くす兵も減っていたのか。戒厳令で恐怖に締めつけられた王宮は、内側からじわりと崩れはじめていた。
やがて二人は、玉座の間の扉の前に立った。
四年前、アレンが腱を切られ、栄光を奪われた、あの場所。歓声のなかで背中を刺された、あの夜の舞台。すべてが始まり、そして今、すべてを終わらせる場所。扉の向こうから漏れる紫の光が、床の隙間を、毒のように這っていた。アレンは無意識に、失われたはずの脚の腱を、指先で押さえた。
「行くぞ。……四年越しの、けじめだ」
「はい。隣におります」
二人はうなずき合い、二人がかりで重い扉を押し開けた。
玉座の間は、四年前の荘厳さは跡形もなく、禍々しい紫の光に満ちていた。
中央に、王太子ギルバートが立っている。いや、玉座に腰かけている。手には、黒く輝く一振りの剣――断罪の神剣。だが、その姿はもはや、人のものではなかった。かつて民の前で笑みを振りまいた白金の王子の面影は、そこには欠片も残っていない。
背から黒い翼のようなものが生え、瞳は金色に爛れている。肌は鱗のようにひび割れていた。魔王の残滓がその身に融け合い、ギルバートを人ならざる何かへと変えつつあった。
「……よく来たな、アレン」
玉座から、地を這うような声が響いた。人の声と獣の唸りが重なった、二重の声だった。
「四年前、殺しておくべきだった。おまえは疫病神だ。おまえが現れてから、儂の積み上げてきたものが、次々と崩れていく。ボルドも、クラリスも、レオンも。……儂の、英雄たちが」
「あいつらは、はなからおまえのものじゃない」
アレンは低く言い返した。
「おまえが鎖でつないでただけだ。虚名で。信仰で。人質で。……その鎖を、俺が断った。それだけだ」
「減らず口を……!」
ギルバートが、断罪の神剣を振り上げた。
その一閃は、空間ごと断ち切るような、凄まじいものだった。因果を断つ、神域の刃。防いだはずだった。アレンは金剛盾で受ける。だが、跳ね返せない。神剣の一撃は、あらゆる衝撃を反射するはずの金剛盾の理さえ断ち切って、アレンを壁まで吹き飛ばした。
石壁にしたたかに叩きつけられ、あばらが鈍く軋む。口のなかに、鉄の味が広がった。断罪の神剣。因果を断つ。反射も、防御も、癒やしも――あらゆる「つながり」を断ち切る、最強の一振り。かつてアレン自身が、勇者として振るっていた剣。それが今、彼に向けられている。
「アレン様!」
エレノアの聖光が追撃を防ぐ。だが、魔王の力を得たギルバートの前では、その光も頼りなく揺らいだ。
「無駄だ、無駄だ。この力の前では、当代最強の英雄も、聖女とて、塵に等しい」
ギルバートが嗤う。魔王の残滓が紫の瘴気となって、玉座の間を満たしていく。触れるだけで生気を奪う、死の霧だった。
アレンは口の端の血を拭い、立ち上がった。
「……なあ、ギルバート。ひとつ、聞かせろ」
「なんだ」
「おまえは、なぜそこまでして玉座にしがみつく。魔王の力にまで手を出して。……そんなに、王でいたいのか」
ギルバートの金色の瞳が揺れた。ほんの一瞬。問いに、ギルバートはしばらく答えなかった。魔王の瘴気が、その姿をゆらゆらと揺らしている。
「……儂は、二番目だった」
絞り出すような声だった。
「兄がいた。何をやっても、儂より優れた兄が。父は兄ばかりを見ていた。儂はいつも二番目。誰にも一番だと認められない。……だから、魔王討伐の功績を奪った。勇者を蹴落とし、英雄たちを飼い、儂こそが一番だと示すために。なのに――」
ギルバートの声が、憎悪に軋んだ。
「泥に堕としたはずのおまえが、また儂の前に立ちはだかる。何度蹴落としても。……儂は永遠に、おまえの二番目なのか!」
アレンは、その叫びを黙って受け止めた。
玉座に座る者の慟哭だった。すべてを持っているように見えた男が、その実、いちばん飢えていた。一番だと認められること。ただ、それだけを。国じゅうの富も、栄誉も、その渇きひとつを、ついに満たせなかったのだ。
エレノアが、身を寄せるようにアレンの隣に立った。傷ついた彼を支えるように。その温もりが、断ち切られた体に力を戻していく。神剣はつながりを断つ。だが、この女とのつながりだけは、どんな刃でも断てなかった。
――こいつも、か。
ボルドは報われぬ嫉妬に。クラリスは選ばれぬ痛みに。レオンはその才に。そしてギルバートも、一番になれない、その渇きに囚われていた。この国のいちばん高い場所にいる男さえ、鎖につながれていた。
「哀れな奴だ」
アレンは言った。侮蔑ではなく、憐れみとけじめと、その両方を込めて。かつて自分の脚を奪った男に、それでも湧いたのは、憎しみより深い虚しさだった。
「一番かどうかなんて、誰も気にしちゃいない。おまえが勝手に二番目だと思い込んで、勝手に渇いて、勝手にこの国を地獄にした。……もう、終わりにしよう。おまえのその渇きも。四年前のけじめも。全部まとめて」
「終わらせるだと……? このっ、疫病神が……!」
ギルバートの理性が、魔王の瘴気に呑まれていく。もはや、言葉は届かなかった。二番になる恐怖が、あの男を人でないものに変えてしまった。哀れだが、止めねばならない。この渇きを、これ以上この国に撒き散らさせるわけにはいかない。
アレンの内で、四つの神域武装が、いっせいに目を覚ます。エレノアがその隣に並び、ありったけの聖光を練り上げた。
だが、断罪の神剣の力は圧倒的だった。因果を断つ刃は、アレンの反撃も、エレノアの守りも、ことごとく断ち切っていく。二人はじりじりと追い詰められた。まともに打ち合っては、勝てない。
「エレノア。……ひとつ、賭けがある」
息を切らし、アレンは言った。
「あの神剣は、あらゆる『つながり』を断つ。だったら、断ち切れないほど多くの力を、いっぺんに束ねてぶつける。一本や二本なら断たれる。だが、数百、数千の力がより合わさっていたら。断つ端から、次が繋がる。……複合励起の、その先だ」
「全部の武具を、束ねるのですね」
「ああ。名もない連中の力も、全部。おまえの光も。……無茶だ。反動で、俺の体が保つかどうか」
エレノアは迷わなかった。血の気の失せた顔で、それでも、まっすぐにアレンの手を取る。その指先には、ためらいの色ひとつなかった。
「保たせます。私の命ごと、あなたに繋ぎます。二人でなら、断てない絆になれる」
偽りの玉座の間で、最後の戦いが始まる。奪われた勇者と、白金の英雄。二人の四年越しの反撃が、いま、その総決算を迎えようとしていた。
最後まで、ありがとうございます。
「儂は、二番目だった」。すべてを持つ男が、いちばん飢えていた。一番だと認められること、ただそれだけを。ギルバートもまた、この国の病の、犠牲者でした。
因果を断つ神剣は、あらゆる守りを断ち切る。だが、エレノアとの絆だけは、断てなかった。次回、二人の反撃の総決算――全武装共鳴。




