第28話 決戦の前夜
第28話。決戦の前夜。倒してきたはずの者たちが、それぞれの場所から、手を差し伸べます。
王宮突入は、二日後の夜と決まった。長いようで、あまりに短い、二日だった。
魔王の残滓を取りこむ儀式が、その夜、行われる――レオンが去り際に残した知恵が、それを告げていた。儀式が完了する前に、ギルバートを止める。それが最後の、そして唯一の機会だった。
だが、王宮の守りは鉄壁だ。しかもいまは戒厳令下、兵の数は平時の比ではない。二人だけで挑むには、あまりに無謀な賭けだった。
それでも、退く道はなかった。儀式が成れば、この国は人ならざる王のものになる。その無謀を支えようと、思わぬ手が集まってきた。
二人だけの戦い。だが二人は、もう独りぼっちではなかった。この数か月、切り捨てず拾い上げてきた者たちが、それぞれの場所から手を差し伸べてきたのだ。
まず届いたのは、南の辺境からの一通の手紙だった。
レオンだった。失った魔導の才で、それでも絞り出すように、王宮の儀式の間へ至る隠し通路の図面を記してくれていた。「凡人にできるのは、これくらいだ。……達者でな」。そう結ばれていた。
次に、大聖堂から使いが来た。クラリスの言伝を携えて。
「儀式には、大量の生命力がいります。聖堂の地下水脈から、それを引く仕掛けがある。……その水脈を、私が断ちます。奪う雫の使い方は、私がいちばん知っているから。せめてもの、償いに」
かつて名もなき者を燃やして奇跡を起こした女が、いまはその同じ知識を、命を守る側で使おうとしていた。償いとはこういうことだと、示すように。
思いがけない使いもあった。両腕を砕かれ、失墜したはずのボルドからだった。
彼はもう、盾も地位も持たない。だが王宮の衛兵に、かつての同僚が多く残っている。「せめて、詫びの真似事だ」と、ボルドはその日の衛兵の巡回の、手薄な刻限を書き送ってきた。かつて他人の功績を奪った男の、初めての、自分の意思での行いだった。
そして、王都の民が動いた。
戒厳令に抗いはじめた民たちが、こっそりと二人に、食料を、隠れ家を、抜け道の情報を差し入れた。かつて英雄を盲目的に崇めた、その同じ手で。今度は自分たちの意思で選んだ者を、支えようとしていた。
倒した敵さえ、味方に変えていく。切り捨てず、名誉と生きる道を残してきた。その遠回りな戦い方が、いま二人の背に、思わぬ大きな力となって返ってきていた。
「……妙な気分だ」
差し入れの粗末なパンを手に、アレンはつぶやいた。
「崇められるのはまっぴらだと思ってた。なのに、こうして誰かに支えられるのは……悪くない」
「崇拝と信頼は、違いますから」
エレノアが微笑んだ。差し入れの粗末なパンを二つに割り、片方をアレンに手渡しながら。
「崇拝は、相手を祭壇に押し上げて、遠ざけます。でも信頼は、隣に並びます。……あなたが変えたのです。この国の、光のあり方を」
アレンはパンを口に運んだ。硬く、そっけない味。だが、名も知らぬ誰かが危険を冒して届けてくれた一切れだ。四年前、下水路の泥をすすっていたころには、想像もできなかった。あのころ、自分に差し伸べられる手など、ひとつもなかった。
――変わったのは、この国の光だけじゃない。俺自身も、だ。
その、いちばん大きなきっかけが、いま隣で、同じパンをかじっている。かつて凍りついていた胸の奥に、いつのまにか、守りたいと思える温もりが、たしかに芽生えていた。
決戦の前夜。
二人は隠れ家の小さな窓辺に、並んで座っていた。月が、王宮の尖塔を青く照らしている。
明日、あそこへ乗りこむ。魔王の力を得たギルバートのもとへ。四年前、命がけで倒したものと、もう一度、それも人の姿をしたそれと戦う。生きて帰れる保証は、どこにもない。夜風が窓を鳴らすたび、その先に待つものの重さが、二人のあいだに静かに横たわった。
「……なあ、エレノア」
アレンが静かに口を開いた。
「前に、おまえ言ったな。俺が隣にいる理由が、恩や義務じゃなくなる日が来たら。ちゃんと言葉にしてくれと」
エレノアの肩が跳ねた。あの、庭の夜の約束。
「明日、死ぬかもしれん。だから、今のうちに言っておく」
柄にもなく緊張しているのが、自分でも分かった。魔物の群れにも動じたことのない男が、たった一人の女に想いを告げるだけのことで、指先がわずかに震えていた。
アレンは彼女のほうを向いた。逃げずに。まっすぐに。
「俺は、おまえといたい。恩でも義務でもなく。……おまえがいいんだ。この四年、凍りついてた俺を溶かしたのは、おまえだ。おまえの、重すぎる想いが、俺を生き返らせた。……好きだ。たぶん、ずっと前から」
言い切ってから、アレンは自分の顔が熱くなるのを感じた。魔王の前でも失わなかった冷静さが、いまはどこにもない。
エレノアの瞳が、大きく見開かれた。そして、みるみる涙で溢れていく。
四年。ずっと片想いだと思っていた。崇拝を返してもらえるとは、思っていなかった。ただ、そばにいられるだけでいいと。
「……っ、ずるいです。こんな大事な戦いの前に。……嬉しくて、死ねなくなるじゃないですか」
泣きじゃくる彼女を、アレンは抱き寄せた。壊れ物にふれるように。かつて、彼女が彼にしたのと、同じように。
腕のなかの体は、あの日、酒場で膝をついてきたときより、ずっと近く、温かかった。この四年、彼女が注ぎ続けてくれたものの答えを、ようやく返せた気がした。
遅すぎたかもしれない。だが、明日すべてが終わるかもしれない、その前に伝えられて、よかった。凍った心では、決して言えなかった言葉だ。彼女が溶かしてくれた、その心だから言えた。
「死なせない。おまえも、俺も。……二人で、生きて帰る。それから、ゆっくり続きを話そう」
「続き、というのは」
「……その、なんだ。この戦いが終わったあとの、話だ。二人の、これからの」
しどろもどろになるアレンを見て、エレノアは涙のなかで、声をあげて笑った。当代最強の英雄を、こんなに幸せそうに笑わせられるのは、たぶん、この不器用な男だけだった。
「……はい。約束ですよ。絶対に。破ったら、地の果てまで追いかけますから」
月の光が、寄り添う二人を静かに包んでいた。しばらく、どちらも口をきかなかった。言葉よりも、触れ合った肩の温もりのほうが、たしかだった。
やがて、エレノアが涙を拭い、顔を上げた。その目に、もう迷いはなかった。
「参りましょう。偽りの、いちばん深い場所へ。……あなたと、二人で。今度は決して、離れずに」
「ああ。奪われたものは、全部取り返す。俺の栄光も。奪われた連中の名誉も。この国の、まっとうな光も。……それから、おまえとのこれからも、全部だ」
二人は身支度を整えた。疾風の小手。金剛盾。深淵の月雫。禁忌の魔導書。奪い返してきた四つの神域武装。そして、数えきれない名もなき者たちの遺志。すべてをこの身に束ねて。武具のひとつひとつに手を触れるたび、それを託してきた者たちの顔が、アレンの脳裏をよぎった。
残る神域武装は、ただひとつ。断罪の神剣。それを握る、魔王の力を得たギルバート。
偽りを剥ぎ取る旅は、いよいよ最後の扉の前に立った。二人の反撃の総決算が、始まろうとしていた。
ありがとうございます。
レオンの図面。クラリスの償い。ボルドの根回し。民の差し入れ。切り捨てなかった戦い方が、大きな力になって返ってくる。
そして、月夜の告白。「恩でも義務でもなく、おまえがいい」。四年、片想いだと思っていたエレノアに、ようやく届いた言葉です。次回、いよいよ王宮突入。玉座の魔王との、対峙。




